太陽を助ける星となれ
家のなかも、どこか既視感の漂う光景が広がっていた。
書類の散らばった玄関。
あちこちに置かれている衣類。
別に汚いわけではないが……雰囲気が暗いというか。それこそ、掃除前の俺の家のようだった。
「ん……?」
そんな俺たちを、一匹の小型犬がのっそりとした動きで出迎えてくれた。実に遅々とした歩みだが、ヘッヘッと呼吸を繰り返し、飼い主の帰宅を嬉しがっているように感じられる。
たぶん……老犬かな。
もふもふとした毛並みに、たぬきに似た顔つき。犬種はたしか……ポメラニアンといったはずだ。
「この子がレオ。可愛いでしょ」
「あ、ああ……」
なんとも言えない気持ちで頷く俺。
犬と戯れる由美は、本当に嬉しそうで。駆け寄ってくるレオを、由美は優しさの溢れる態度で包み込んでいた。抜け毛が服につくことなんて、まったく気にしていないくらいに。
対するレオもそれは同じだった。由美の胸へ一心不乱に飛び込むや、ぺろぺろと彼女の頬を舐め続ける。
この先に待ち受けているであろう未来を、まったく知らずに……
「ワン!」
「お、っと……?」
ふいにレオが俺のもとへ飛び込んできた。ヘッヘッヘと荒い呼吸を繰り返しながら、なぜか俺の手を舐め始める。
「へー! すごい! 珍しい!」
由美が目を丸くして叫んだ。
「この子、すっごい人見知りなのに……。初対面で懐くのって、初めてのことだよ!」
「そ、そうなのか……」
「ヘッヘッヘ」
無邪気に俺を見上げるレオ。
「…………」
俺はそのモフモフとした身体を、恐る恐る触れてみる。すると嬉しかったのか、レオはまたしても俺の腕を舐めてきた。
「はは……懐いてるのかな、これは」
「うん! 気に入られたみたいだね!」
「そうか……」
いままでの半生において、動物とはまったく関わってこなかった。可愛い可愛いとはしゃぐ人たちが正直理解できなかった。
けど、なんだろう。
こうして無邪気に見上げられると、なんとも言い難い感情がわき起こるな。
「ハッハッ」
ふいにレオが忙しなく動き出した。同じ場所をぐるぐる行き来し、なにかを探しているように見える。
「あっ! ちょっと待って! トイレはこっち!」
由美が慌てて立ち上がり、リビング(と思われる部屋)に入っていく。レオもその意味するところをわかっているのか、素直に彼女を追っていった。
由美とレオの関係はまさに親友。
昔から通じ合っているような、そんな関係に思われた。
「そりゃ、悲しいよな……」
ぽつりと呟きながら、俺も家に上がる。
想定内というべきか、リビングも若干荒れていた。家庭の事情は詳しく知らないが、たぶん、俺と似てるんだろうな。
「あはは。よくできたね、レオ」
ペットシートの上でうまく排泄したレオを、由美が嬉しそうに撫でている。
その姿は、どことなく切なくて。
冷たいだけの現実から、必死に目を背けているようで。
「そうだよ。レオは……ずっと一緒だったんだから……」
そんな彼女の声音が、次第に震え始める。
「これからも……ずっと、一緒なんだから……」
そうして力なく老犬を抱きしめる背中が、どうしようもなく切なかった。対するレオはもちろん意味が通じていないので、ヘッヘッヘと呼吸を繰り返すばかり。
――これが、太陽の裏側か。
家が競売にかけられ、そして、大好きな愛犬を手放さざるをえない状況。
子犬なら里親に出しやすいが、老犬ともなると厳しい。
こうは言いたくないけど、老い先短い犬をわざわざ飼いたがる人はいないんだ。
もちろん路上に捨てるのは論外なので、必然的に保健所に預けることになる。
保健所。
つまり――身寄りをなくした犬や猫を一時的に預かる施設だ。怪我や病気を背負った動物も多く預けられている。
こう聞くと聞こえはいい。
だけど……
そこまで考えて、俺はぶんぶん首を横に振った。
考えたくもないんだ。
預かり期間を過ぎた犬や猫が、どのような末路を辿るのか。いかにして最期を迎えるのか。
由美もたぶんそれを知っている。
だからずっと、悲しそうな表情をしてるんだ。
――一軒家を買い、子犬と一緒に平和に暮らすこと――
それが彼女の将来の夢だったはず。
そういう、ことだったんだな……
「なあ……由美」
「ん…………?」
やや腫れた瞳でこちらを見上げる幼馴染み。
「俺なんかが言うのもおこがましいけど……最後まで頑張ってみないか。きっと、できることはあるはずだ」
本当に、どうかしてる。
俺らしくもない。
だけど、泣いている由美を見ていたら、どうしてもそう言わずにいられなかったんだ。




