重荷
★
「こ、これは……!」
俺はかつてない驚愕に見舞われた。目を見開いたまま、ぽかんと立ち尽くしてしまう。
「え、えへへ……。やっぱり、変だよね……」
「い、いや……」
桜庭由美の自宅。
そこはさいたま市内にあるようだ。
やや緑の多い住宅街で、すこし自転車を漕げば広大な畑が見えてくる。
静かでとても良い場所に見えた――のだが。
俺は思いがけず、自身の境遇を由美と重ねてしまった。
引っ越し当初は綺麗に手入れされていたであろう一軒家が、驚かんばかりに汚れているのだ。玄関前には書類の山。壁面の脇には、捨て損ねたであろうゴミ袋たち。
俺自身、似たような境遇だからわかるんだ。彼女の家庭は、俺と同様の状況になっている可能性がある。
いや。
この荒れ具合は――俺の家庭よりも――
「…………」
由美は無言でポストをまさぐる。
そして一枚の封筒を取り出すや、無言に俺に差し出してきた。
送り主は……さいたま地方裁判所だった。
さすがに寒気を禁じえない。
「…………」
由美に視線を送ると、彼女はこくりと頷いた。
見ていいよ、ということだろう。
俺は震える手で封を開ける。
そこにはこう書いてあった。
――担保不動産競売開始決定――
「っ……!」
足がふらつく。
目眩がして、俺は思わずその場にしゃがみこんだ。
家の競売。
ってことは、まさか……!
「由美。おまえ……!」
「えへへ。ごめんね。ずっと黙ってて」
暗い陰に忍び寄られてもなお、太陽は一生懸命に笑おうとしていた。
「さすがに言えなくてさ。こんな話……」
「くっ……」
その気持ちは痛いほどにわかった。
俺だって、自身の家庭事情を他人に打ち明けることはできなかった。もし理解してくれる誰かがいれば、昔みたいにこじらせることはなかったかもしれない。
「おまえ、こんな重荷を背負ってたのに……いままでずっと笑ってたのかよ……!」
「あはは。そうだね」
由美は頬を掻くと、震える声で続ける。
「でも、ホームレスとかになるわけじゃないよ。ちゃんと家族みんなで引っ越すから……」
たしかにそうだった。
俺の記憶でも、桜庭由美が転校した記憶はない。
おそらく近隣に引っ越して、親は同じ職場、由美は同じ学校に通うのだろう。
――さすがに信じられない。
いつも台風のごとく俺に突っかかってきた由美が、こんな事情を抱えていたなんて……
と。
そのときだった。
「ワン! ワン!」
家のなかから犬の鳴き声が聞こえてきて、俺は目を丸くする。
ずいぶん可愛らしい声だな。小型犬かな。
「…………」
そこまで考えて、俺ははっとする。
家の競売によって、由美の家族が引っ越すことになる。
犬を飼っているとなると、ペット可の物件を探すしかない。だが当然、そういった物件は通常より割高だ。以前ネット検索したときには、たしか通常の倍かかるのだとか……
まさか。
由美が、ここまで落ち込んでいる理由って……!
「レオ……」
それが愛犬の名だろうか。
ぼそりと呟くその声は、いままで聞いたなかで一番切なく揺れていて。震える身体を、懸命に抑えていて。
「情けないよね。レオを助けたいのに……私はまだ高校生で……なにもできなくて……」
そんな彼女は、どことなく昔の俺に似ていた。
家庭の崩壊によって、進学を諦めざるをえなかった俺。
だけどそんなの、当時の俺にはどうしようもないことだよな。金銭的な問題も、両親の事情も、息子たる俺には手の出しようがない。
だから腐ったんだ。
どう足掻いたって変えることのできない、冷たすぎる現実に。
その気持ちが、痛いほどにわかってしまったから。
「違う。おまえは情けなくなんかない。絶対に……!」
「え……」
きょとんとする由美。
まあ、びっくりするよな。
どの口が言ってるんだって話だよ。
「上がってもいいか? おまえの犬……見てみたい」
「うん……」
由美はゆっくり頷き、家に俺を招き入れた。




