おっさんの初デート
放課後の教室はどこか幻想的だった。
夕陽の光がほんのりと室内をオレンジ色に染め、窓から差し込む温風が穏やかに身体を撫でてくる。
カラスの鳴き声が聞こえると、どことなく切なさを覚えてしまうのは俺だけだろうか。
昔の俺は、授業が終わるやすぐ帰っていた。
教室にいるだけでもそこそこ疲弊するのに、わざわざ好き好んで常駐する意味がわからなかった。
けど、いまは。
「ふー、今日も頑張ったね、良也」
隣の席で、座ったまま上半身を伸ばす由美。
そんな彼女が夕陽に照らされて輝くさまは、やっぱり幻想的で。
年甲斐にもなく、見取れてしまった。
「……ど、どうしたの。そんなにじろじろ見て」
俺の視線に気づいた由美が、恥ずかしそうに頬を染める。
いま、教室には俺たちだけがいた。
まだ三年の春だから、みんな部室に直行しているんだと思う。田端と須賀も、「あとは任せた」と言って退室していったしな。
二人きりの教室。
二人だけの空間。
そんな時間が、たまらなく愛おしかった。早々に帰りたいとも思わない。リア充への第一歩――ってやつかな。知らんけど。
――飯塚。ちょいと今日、事情を探ってきてくれないか――
――俺や須賀が聞いても、まったく話そうとしなくてな――
俺の脳内で、田端の言葉が蘇る。
あいつの言葉通り、由美の心の壁はかなり強固だった。俺はもちろん、須賀や田端のあらゆる《問いかけ》はすべてはぐらかされた。
明らかに元気がない、らしいのにな。
ここまでくると、俺としても気になる部分があった。もしかすれば、いつか起こるであろう交通事故にも関係するかもしれない。
だから俺は、思い切って由美に提案してみた。
「ゆ、ゆゆゆゆ由美。あのさ」
「んー?」
両手を後頭部につけ、顔だけをこちらに向ける由美。
「よかったらさ、デーチョしないか」
しまった。
噛んだ。
デーチョじゃない。
デートだ。
「え?」
だけど由美にはなんとなく伝わったんだろう。またしても頬を染めて俯く。
「い、いいの? 私なんかと……」
か細い声を絞り出す由美。
窓の外から、野球部の叫び声がいやに大きく届いてくる。
「あ、ああ。参考書とか、選んでほしかったし」
よし。
咄嗟にそれらしいデート内容を言い出せたぞ。よくやった俺。
「参考書……。そっか、そうだね」
由美は小さく頷くと、数秒だけ視線を逸らす。
そのとき、ちょっとだけ目尻が下がったのを俺は見逃さなかった。
なんだろう。
なにかを思い出して泣きそうになっている……とでも言おうか。
どちらにせよ彼女らしくない表情だった。たしかに《元気がない》と言えば、その通りかもしれない。
そんな彼女に、俺は手を差し伸べたくなって――
やめた。
さすがにそこまでの勇気は出なかった。
「それじゃ行くか。由美」
「う、うん!」
数秒後には、いつもの明るい彼女がいた。
デート先は大宮駅の周辺に決まった。このへんで一番賑わっている場所だし、人との関わりを避けてきた俺でさえ、ここなら土地勘がある。
まあ、無難な場所と言えるだろう。
俺と由美はソニックシティの地下駐輪場で自転車を停めると、まずは百貨店に向かった。このへんでは一番大きな商業施設で、8階の書店がかなりの大規模であったことを覚えている。
俺たちはたっぷり時間をかけ、参考書を選び尽くした。
由美いわく、学力問わず一度は過去問を解いたほうがいいのだとか。だから今日、思いがけず早稲田の赤本を買うこととなった。レジにいくときドヤってしまったのを、ちょっと後悔している。
あとは漫画や小説コーナーも巡った。
「良也見て! 私のオススメはこれ! 最後に主人公が死ぬシーンは感動モノだから、絶対読んでみて!」
「おい、それネタバレ……」
新しいオススメの仕方だな。
俺は絶対にやりたくないが。
そうこうしているだけで、意外と時間は早く過ぎ去るものだ。
好きな本を見つけては、キャーキャー言い合うだけのデート。
取り立てて特別なことはしていないが、俺の胸にはほんわかした温かさがあった。
いつも何気なく立ち寄る書店も、女性とまわるとまた違った楽しさがある。
「はー、楽しかった」
エスカレーターを降りながら、由美が達成感に満ちた表情で言う。
「ねえ見てよ良也! もう7時だよ!」
「む……」
つられてガラケーの時計を確認する。
たしかに由美の言う通りの時間だった。学校を出たのが四時前だったのに、もうこんな時間か。
「……驚いたな。由美といると時間がすぐに過ぎる」
素直な感想を述べると、由美が急に赤面した。
ぼふっ――と。
沸騰でもしそうな勢いだ。
「あっ」
そして俺も、自分の発言を改めて思い返して悶絶する。
やばい。
さらっと口説いてるみたいじゃんかよこれ……!
「よ、よよよ良也はすぐそんなこと言う!」
そしてすぐさま暴力に転じてきたので、俺は慌てて由美の鳳凰拳を受け止める。
申し訳ないが、彼女の行動パターンはお見通しだ。
「どうする? もう時間だし……帰るか?」
彼女の拳をおさえつけながら問いかけると。
「……やだ。もっと」
由美がぼそりと、呟いた。




