愛人の決意
美人が停学中。愛人も家で籠りがちになった。昼食を食べていた時、彼らは無言であった。宗次郎はそんな二人を前にして困ったような顔をしている。沈黙の昼。愛人は気まずいと思いながらも、美人になんと言葉をかけてよいのかわからなかったのだ。自分のせいで大変なことになってしまった。謝るのが正しいのか、助けてもらったことに感謝するのが正しいのか、はたまたその両方か。いずれにしても美人なら「気にするな」と言ってくれそうだが、愛人はそれでは納得できない。守られてばかりの自分に嫌悪感を持ってしまったのだ。
「すまんのぅ。こんな時、輝彦と祥子ならどういう言葉をかけたか……」
口を開いたのは宗次郎であった。久しぶりの愛人の両親に関する話だ。時間はたくさんある。この際だからと愛人は彼に両親についていろいろ尋ねた。輝彦は優しいサラリーマンで穏やかな笑顔を浮かべるちょっと謙遜的な父親だったこと。祥子は心配性で体が弱かったが心の強い母親であったこと。そしてしばらくして宗次郎は奇妙なことを言い始める。
「……難産でな、美人。お前が今ここにいるのが奇跡だったんじゃ。お前は天からの授かりものだと思うとる。輝彦も祥子も女の子が生まれることを喜んでおった。美人に育ったのぅ。きっと二人もあっちで自慢げに話しているじゃろう」
「え……?」
熟れたスイカを頬張りながら宗次郎は言った。愛人は彼の話に矛盾を感じる。そもそも美人は『貴方に最高の幸運を』という本から出てきた、成りたかった理想の自分だ。祥子の腹の中から生まれたわけではない。そこも都合よく改変されているのか。ならなぜ両親が生きているという設定にならないのか。それが不思議だった。昼食を食べ終わった後に宗次郎は薄いアルバムを二人のもとへ持ってきた。美人は黙り込んで一切話さない。開いてみると、そこに映っているのは男の子一人だけであった。
「ほれ、二人とも可愛かったんじゃぞ」
写真をなでながら宗次郎が言う。だが、愛人は彼が触れている個所に幼いこどもの姿を見つけることはできなかった。また認知症が進んでしまったのだろうか。そうも思ったが、実際に現実では愛人と美人は存在している。なら、おかしいのは自分か。愛人は不安になってきた。そろそろ察しがついてきたからだ。
「ねぇ、愛人。もしかして宗爺の言うことが本当なら……」
「……俺は流産で死んだ。美人、いや。愛人、お前は俺の代わりにこの世に生まれてきた存在なんだ。女々しいのは親がもう一度女の子を欲しがっていたからだろう。どうだ、女として生きるのは」
「……辛いよ。なんで黙ってたの?」
「お前に幸運をもたらすのが死んだ俺の役目なんだ」
「答えになってないよ……」
突然宗次郎が悲しそうな目で二人を見る。その瞳には本物の愛人の姿が映っていた。そしてまた突拍子もない話を始めるのであった。愛人は混乱した。本当に自分のなりたい姿とは何か。外見だけ入れ替わっても、結局いじめられることに変わりはない。男であれば女々しいという理由で暴力を振るわれ、女であれば晒し物のおもちゃとして扱われる。この時愛人は思った。
自分が変わらなければと。
そういう考えに至った時、愛人の瞳に強い光が差した。きっとこれは神様が自分に与えた試練なのだろうと。そして愛人は握りこぶしをして、『貴方に最高の幸運を』を持ち出した。
「……もう一度、入れ替わるか」
「うん。私、思ったの。姿じゃなくて心が強くならないと魅力的な人間にはなれないって」
「わかった……」
二人は自室に籠って『貴方に最高の幸運を』を開いた。