危ない事件
放課後、美人と愛人は一緒に宗次郎の家へと帰る途中だった。もう愛人は女であることに慣れ、その人生を楽しんでいる。中には陰険な女子もいたが助けてくれる友人もいた。今までの不運が報われた心地だった。そんなことを思いながらいつも通りの閑散とした道を通って帰っていた二人。少し前までここでいじめっ子たちにこっぴどくいじめられていた。それも過去の話。愛人には心強いもう一人の格好いい自分がいる。それが今の自分を守ってくれる。
「喉乾いた。ちょっとジュース買ってくる。お前はここで待ってろ」
「え、あ。うん……早く戻ってきてね」
遠くに見える自販機。そこに向かって走っていく美人。その後姿を愛人がぼーっと眺めていると背後から急に大きな影が彼女に覆いかぶさる。そして口をふさがれそのまま路地裏へと引きずられた。全力で抵抗したが美人の姿をした愛人の腕力ではそれを振り切ることができない。此の後起こることを愛人は想像してしまった。路地裏には男が二人。一人は神経質そうな色白の男。もう一人は肉付きのいい大柄の男。気味の悪い二人はにやにやしながら愛人を見ている。そして、男二人が素手で愛人の女である部分を触ろうとした――そのとき
「美人!!」
救世主のごとく現れたのはもう一人の格好いい自分であった。彼は手に持った缶ジュースを二人の男にぶつけると、愛人の手を引っ張って走って逃げた。いくら喧嘩の強い美人でも大人二人が相手では勝ち目はないだろう。それは賢い判断であった。追ってこない。愛人は安堵と恐怖が入り混じった感情を抑えきれずにわんわん泣いてしまった。それをあやすように頭をポンポンとなでる美人。
「女の子もいじめられるの? 男から見て女はそういう対象なの?」
「落ち着け。そういう奴もいるってことだ。嫌ならもう一度入れ替わるか?」
「……私は女でいたい。でも、性の対象として見られるのは嫌。普通の女の子として生きたいの」
「お前の言う普通ってなんだ」
うまく答えられない愛人。それに困ったような顔をする美人。とりあえず二人はなるべく安全な道を通って宗次郎の家へと帰ることにした。玄関に入ると宗次郎が二人にいつも通りのボケボケ話をしてくる。そこで興味深い話を耳にする。それは、愛人の両親についての話であった。普段はあまり出てこない話題に愛人は興味を持った。
「愛人。お前は優しく育ったか。誰にでも愛される人に育ったか。輝彦も祥子も心配したまま逝ってしもうた。きっとあの世で見とる……実は今だから言えるんじゃが……」
話の途中で宗次郎は亡くなった祖母の話を唐突にし始める。美人は少し俯きながら愛人の手を引っ張ってその場から離れた。それを不思議に思いながらも愛人は制服から着替えて宗次郎が用意したものである煮びたしや生姜焼きを美人と二人で黙々と食べる。そこに宗次郎が加わった。
「スイカは食べちゃいかんぞ」
「大丈夫。食べないよ宗爺」
「……」
宗次郎と愛人の会話に一切入ってこない美人。愛人は不思議に思い問い詰めた。しかし返事は「なんでもない」の一言である。元々女の勘のようなものが優れていた愛人には美人に何か隠し事があることがすぐに分かった。それは、きっと自分の両親に関すること。宗次郎の会話の途中で突然おかしくなったからだ。
(これだから男の子って不器用でわかりやすい……)
愛人は心の中で思った。しかし口にはしない。美人のプライドが傷つくと思ったからだ。それよりも先ほどの宗次郎の話の続きが気になる。
「ねぇ宗爺。今だから言えることって何?」
「なんじゃ急に」
「ねぇ教えて」
「火の始末はちゃんとせぇよ」
「もー!!」
愛人が問い詰めるも、はぐらかされるように認知になる宗次郎。そんな二人の姿を見ていた美人が割と大きめな声で腹を抱えて笑った。このようなことは珍しい。ぽかんとする宗次郎と愛人。美人の意外な一面を見てますます愛人はもう一人の自分である美人に惹かれていく。
しかし、愛人は女になったことで一つの恐怖を感じた。それは異性から自分が性の対象として見られることである。格好いいとか格好悪いとかではなく、一人の女として見られることがあり、それを無理やり奪われそうになる恐怖。そしてどこかで「誰かに守ってもらいたい」という考えに至る。それが今の愛人にとっては美人なのであった。夜になり、横でぐうぐう眠る自分の顔をよく見てみる。なぜだか高鳴る心臓。
「愛人。私を守ってね……」
あのとき、愛人は女は一人で生きていくのは危ないと思った。心が女だからか、命よりも守りたいものがある。それを奪われたらきっと心を病むだろう。いじめにあうよりも苦痛かもしれない。この頃から愛人は美人にべったりとくっつくようになっていった。