第1章 7
教会の中には長椅子が並び、正面には女神レティナの像があり、そのレティナを守るように四柱の神獣が構えている。
教会に入ってすぐに見えた景色はそれだ。
朝の集会はもう終わっているようで、教会の人はまばらだった。肝心のブラムは使ったパイプオルガンを雑巾で拭いていた。
「中、広いです……。なのに色々あって、ごちゃごちゃしてます。ご主人、ここは走るのに適してません」
マチェには並んだ長椅子は障害物にしか見えないようだ。
「……いや、ここは走らなくていいんだ」
「わふ? じゃあ、ご主人ここはなにをする場所ですか?」
マチェは初めて入った場所なので、珍しそうに匂いを嗅いでいる。オマケにテンションが高い。
人も少ないのである程度自由にさせていても、大丈夫だろう。そう思いたい。
「ここはえっと、お祈りする場所だよ」
「わふ? お祈り? 今日の夕飯は豪華になりますように! とかですか?」
「違う」
「マチェはよくご主人に祈ってましたよ」
「まじか」
とかやってたら、マチェは飴をもらっていた。マチェに飴をあげたご老公は孫を見るような笑顔でマチェを見つめている。流石人懐っこい元イヌ。人受けがいい。
マチェの精神年齢はおそらくこのご老公の孫と同じくらいなのだろう。もしや、マチェは純粋と言うか幼いと言った方がいいのか?
俺が悩んでる間、マチェはもらった飴の甘さに尻尾をブンブンと振っている。
「あ、ご主人ご主人! まっすぐ先にあるあれはなんですか? みんなそっち向いてます! わふわふ」
そして、マチェはパタパタと歩きながら、正面に飾られた像を見上げて、小首を傾げていた。
「これが神さまの像だよ。みんなお祈りを捧げてるんだ」
「わふ? か、みさ、ま……?」
「神さまって言うのは世界を作った女神レティナと世界を運営する四柱の神獣の事。なんか偉い存在」
「それは知ってます! 世界を作ったレティナさま。ずっと下にいる人! こういう形なんですか? マチェは見た事ないです」
魔族でも神さまはわかるんだな。なんとなくわからないのかと思っていた。だが、それは偏見だったようだ。そりゃ、同じ世界に生きていたら、唯一神くらいは共通認識なのだろう。
「女神の姿は想像だけど、神獣の方は大体合ってると思う。神獣は代替わりするけど、どの代でもほとんど同じ種族だし」
「神獣?」
マチェは女神は知ってても、神獣の事は知らないのか……。魔族と人間だと、神さまの解釈が違うのか?
「魔力とかそう言うもの司って管理してる」
「わふ……。よくわかんないです。どんな人ですか?」
「詳細は、……知らない。名前は確か、今は……。朱雀、マテナ・フォン・マギラルラ。玄武、レギレディアナ・フォン・ロイ。麒麟、キリュック・フォン・サーカティナルナ。そして、青龍、シシェシカ・フォン・ミゼルドリット……。だった、な……。この四柱だ」
その神獣は人が持つ属性に四属性と対応している。神獣はどの種族でも、神獣になると朱雀などの固有の肩書きを得る。これは初代の神獣が各々の聖獣であったからだと言う。
四属性は風水火土。尚、人間はその四属性以外にも属性を持っている。通称、隠し属性。その隠し属性は光と闇の二種類である。ステータスカードに乗らないので、大抵の人はその隠し属性を知らない。
ちなみに俺も知らない。それほどまでに隠し属性に関しては日常生活に関係ないのだ。通常属性は俺もマチェも風である。
そういえば、この神獣。なんか違う気がする。元の世界では四神とか呼ばれていたこれら、前世の記憶では四神はこの四柱ではなかったような気がする。
「きゅーん……」
マチェは聴きながら、またこてんと首を傾げている。あんまり理解できていないっぽい。と言うよりも、会った事がない人物たちので興味がないのだろう。
「まぁ、気にしなくていい。とにかく、人は神さまが偉い存在だから信じて心の支えにする。だから祈る」
「わふ……。信じる……。わん! なら、ご主人も神さまなんですね!」
「は?」
マチェはまっすぐ俺を見て笑った。
「マチェはご主人のこと、信じてますもん!」
「………」
「だって、ご主人はすごいんですよ。マチェをお散歩に連れてってくれます」
「なんだ、そりゃ……」
「しかも、二回もなんです! これはすっごい事ですよ。後、マチェを撫でてくれます。それとそれと! ご主人はマチェとずっと一緒にいてくれます。マチェはご主人の事、大好きです!」
あぁ、本当にイヌ基準のすごいはハードルが低いな……。イヌがご主人の事を神さまだと思うのはどうやら、本当のようだな……。
なんか、力抜けた。
と、そんな時、
「おや、珍しい。ルクスさんじゃないですか? 冷やかしですか?」
挨拶もなしにこの教会の神父ブラムが、失礼な事を言ってきた。掃除が終わったのか、持っていた雑巾をバケツにかけている。
開幕で苦笑いとか失礼すぎない? コイツ本当に神父か?
「わ、わふ……」
マチェは少しびっくりしたように俺の後ろに下がった。
「今日はどうしましたか? と言うか、その子は? ……あぁ、そうか」
ブラムは俺とマチェを交互に見て、深く頷いた。そして、神々しいまでの慈悲深い笑みを浮かべた。
「懺悔ですね。つい、可愛らしい女の子を見て犯罪に走ってしまった、と……。衛士には私の方から連絡しておきますね」
「ちげぇよ。なんで会うやつ会うやつ、俺を犯罪者にしたがるんだ?」
ぐれるぞ。
「当然の反応だと思いますよ。今まで女性っ気のなかったルクスさんが可愛らしい女性を連れて歩いていたら疑うのは当然かと」
「真面目な顔して言うな」
俺は溜め息をついた。
「ははは、申し訳ありません! では、改めまして、我がロゼリア教会にようこそおいでいただきました。今日の用事はなんでしょうか?」
ここ、ロゼリア教会って言うのか。初めて知った。てか、初めてきたかもしれない。用事がなさすぎて教会来る事ないもんなぁ。
「ステータス更新を頼む」
「……ッ」
ブラムは目を丸くすると、俺の横を通り外に出た。青い空を見上げて、遠い目をしていた。おまけに空に向かってひらひらと振ったりし始めた。
なんだ? ふざけているのか?
「……何しているんだ?」
「いえ、ルクスさんがステータス更新という珍事を起こしたので、今日の天気は槍が降るかもしれないと思いまして、確認しに行きました」
「微妙に傷つくネタ振りやめろ! 俺だって、必要とあらば来るって」
「つまり、マチェ……。いえ、今は淑女なので、マチェさんとお呼びした方が良いですね。マチェさんが“祝福”持ちにならなければ、来なかったと……。教会は開かれているんですから、ルクスさんでももっと頻繁に来てもらっても良いんですよ。ルクスさんでも!」
「まぁ、そうなるな。てか、俺に対して斜に構えるのやめろ」
「……五年も何もなければ、こちらも不安になりますよ。ようやく進展です」
「は? 五年? なんの話だ?」
「いえ、お気になさらず、些かこちらにも複雑な事情がありますのでー」
「はぁ?」
ブラムは相変わらず胡散臭い笑みを浮かべている。
「とりあえず、ステータス更新を頼む」
「了解されました。では、ステータスカードを渡していただけますか? あ、今日の更新は久しぶりの更新なので、いつもの手数料の倍かかります! マチェさんの分も含まれますので、なんと更に倍ですね!」
この時のブラムの笑顔は清々しいものだった。腹立たしい程に! 手数料が多ければ、多い程に口止め料は多くなる。つまり、今回の更新でブラムの懐に入る金が多い。
金は笑顔の源か! 腹たつ。
「あぁ、もう。それでいいから、早くしてくれ……」
さっきマチェの服を買うのにも金がかかったのに、また金がかかる。
「女神レティナと神獣の名の下、我が祈りを聞き届け給え——ん?」
ブラムが更新の呪文を唱えるが、その光は途中で消えた。
「どうした?」
「魔法の効きが悪いですね。……どうやら、更新できないみたいです」
「なんで!?」
慌てる俺にブラムは肩を竦めた。
「ステータスカードの紙が古いようです。ステータスカードは三年ごとに紙の交換をお願いしています。魔法の効きが悪くなるので」
ブラムはニコニコと笑いながら、ちゃんと日頃から更新しないといけませんよー、なんてたしなめてくる。
「まじかよ……。ま、まさか、その紙の更新料がかかるっていうのか?」
「いえ、まさか! 教会ではかかりませんよ」
「そ、そうか……」
「ギルドで新しいカードもらってきてください! ステータスカードの発行はギルドの専売なんでー」
「ちくしょー!! 提携すんなよ!!」
結局、ギルドに戻る事になった。そして、ギルドでも、新しい紙代がかかった。更に手持ちがなくて、銀行にまで行く事になってしまった。
「はい、こちら! 新しいステータスカードです。古いものはこちらで処分しておきますね」
更新を終えるとお昼になっていた。
「……おう」
「おや、ルクスさんって、姓持ちなんですね。驚きです。しかも、これって——」
「うっせ。口止め料払ってんだから、黙ってろ」
疲れた。往復の最中にまだ職質にあったり、マチェを譲ってくれと頼む好事家から逃げたりと、だいぶ歩いて疲れた。
「……はぁ、金なくてヤベェ」
「おや、大変ですね。マチェさんのお金まだまだかかってくると思いますよ」
「うへぇ……。まじかよ」
「“祝福”持ちになったマチェさんとの生活では食費は単純に倍になりますし、生活用品や、服もマチェさん用のものが必要になります。ルクスさんだけのクエストクリア報酬ではやや厳しいかと」
「確かになぁ。服だけは用意したけど、まだ足りないか」
「マチェさんも一緒に稼いでいくようにしないとダメだと思いますよ」
「マチェもか?」
件のマチェはというと、
「お散歩! お散歩~! ご主人といっぱい歩きましたー。きゅーん」
この長い往路をお散歩と勘違いしていたので、終始上機嫌だった。尻尾を振って行進する様は可愛らしい。
だからこそ、不安だ。
「……マチェは戦えるのか?」
「一応戦えると、思いますよ。前のようには行かずとも、マチェさんは魔法を覚えてるみたいですし」
「まじか!? てか、お前、マチェのステータスも見たのかよ……」
「不可抗力です。更新すると見えちゃうのですよね」
てへぺろとばかりに、ブラムは笑う。だが、男なので可愛くもなんともない。むしろ、ムカつく。聖職者の誠実さなど欠片もない奴め。
「あ、マチェさんが魔法を使えるといっても初期技能だけなので、これから鍛える必要がありますね。それと、魔法を主として使うのであれば、補助道具も必要ですね」
「……ま、待って」
「魔法の補助具は専用のものが必要ですし、属性によっては作るための材料を採取しないといけませんね。そして、魔法使いとしてやっていくには魔法使いの師を雇った方がいいでしょう。ある程度は独学でもいけますが、上級魔法になると口伝が必要になりますから」
「一気に言うな……。頭が痛くなる」
……金が、金がかかる!
SSR二枚抜きしたって、育成には金がかかる。
育成と言う名の地獄。