二章 11
「……なに、それ?」
わたし——シシェシカは素っ頓狂な声をあげた。
今日も今日とて、わたしは教会から抜け出していた。そこでマチェに会った。
時刻は夕方で、辺りは薄暗い。マチェは一人で散歩中、らしい……。件のご主人はギルドで精算中との事。ギルドの中からすごい歓声が聞こえる。
チラッと覗いてみたけど、人が多すぎてなにが起きてるのか、判断がつかない。せめて、マチェのご主人だけでも顔を見てやろうと思ったが無理だった。冒険者たちが壁のようで邪魔だ。
マチェはその声にペタンと耳を伏せていた。マチェは散歩と言う名目で体調が悪いらしいので、人混みから逃げてきたようだ。
「ご主人は、新しい“祝福”持ちを仲間にしました。その子がすごい子で、マチェは役立たずです……。ご主人はマチェに飽きちゃったんでしょうか?」
しょぼんと肩を落とすマチェ。
落ち込んで精神が不安定になっているのだろうか、マチェの魔力がおかしい。ごっそりとなくなってしまっている。強大な魔法を使った後みたいだ。
でも、マチェは落ち込んでおるだけで魔力不足特有の症状——貧血に似た症状はない。
っていうか、そんな事よりも!
「ひどい!」
思わず、叫んだ。
そして、マチェの身体を抱きしめた。
「わふ」
しかし、少し苦しそうにマチェは呻いてしまった。
「あ、ごめん。わたし、少し力が強くて……」
勢いで動いてしまったので、力加減を忘れてしまっていた。ぐぬぅ、こういう時の竜族は不便だ。
「きゅっ、大丈夫ですよ。マチェは強いですから! それにマチェはしーちゃんの匂い好きです。抱きしめられるといっぱい匂いがします」
元気がないと言うのに、マチェは健気に笑った。そんな様子にわたしが慰められてしまう。
マチェは森かどこかに行ってきたのだろうか? 土と埃の臭い……。それとほんの少しカビの臭いがする。
不快な臭いではない。森の匂いは好きだ。マチェの匂いと混ざって、実家の森を思い出す。
最近、街の外なんて出た事ない。街間の移動も馬車だし。最後に出たのは何年前だろう? るーちゃんがいた時は頻繁に、屋敷を抜け出していた。
授業を受けずに森で日が暮れるまで遊んだ。花をつんで——特にるーちゃんと赤い花を渡し合って……。帰って怒られても、楽しかった。
懐かしい……。
神獣に選ばれてから——、るーちゃんがいなくなってから、丸一日遊ぶなんてした事がない。
「しーちゃん、マチェはご主人のお役に立ちたいんです……。どうすればいいんでしょうか? マチェはご主人を守れなくて、なにもできないです、わん……」
ピスピスと鼻を鳴らしながら、マチェはポロポロと涙を零している。
事情を聞き出そうとするが、マチェはわおーんと泣くようにしている為不明瞭だ、きのこがどうこう言っているがよくわからない。マチェが失敗してしまったのはわかる。
「もうそんなご主人なんて放っておきなよ。マチェは絶対に悪くない」
これだけは言える。
だって、マチェはいい子だもん!
「ねぇ、マチェ。わたしと行こう。わたしなら、マチェを悲しませたりなんかしない。そいつにはわたしが話しつけてくる。そしたら、マチェはこんな風に泣かなくていいんだよ」
「マチェはご主人と……。マチェは——」
不意に、抱きしめていたマチェの身体が大きく膨らんだ。
「——え?」
ビリビリと布が裂ける甲高い音が響いた。
抱きしめていたマチェがすると腕から抜けた。腕に残るのはふわふわの毛の感覚だけ。
「わん!」
目の前には黄金の毛並みを持った大きな——イヌの姿。少女の姿はない。
「ま、マチェ……!? あ、あれ? なんで、なにがあった!?」
この毛並みも瞳も見覚えがある——マチェのものだ。
「マチェなの?」
「わん!」
マチェは身体に纏わり付く破けてしまった服の残骸にもがきながらも笑った。正確には口元を吊り上げるその顔が笑顔に見えるだけだ。
マチェは小首を傾げながら、変わってしまった己の見つめている。いや、遊んでるだけなのかもしれない。尻尾を追いかけるようにくるくると回っている。
「どう、し、て——?」
なんでイヌの姿に戻ってしまったの?
“祝福”が消えるなんて、聞いた事がない!!
その時、
「っ!?」
殺気を感じて、咄嗟に飛び退いた。瞬間、わたしが先ほどまでいた場所を衝撃が襲った。
「マチェになにしてんのよ!!」
衝撃——それは弟くらいの年下の女の子だった。それが魔力を帯びながらわたしに殴りかかったのであった。しかも、ただの魔力ではない。ぶつかったわけでもないのに、地面が凹んで、蜘蛛の巣状にヒビが入っていた。
「な、なに!?」
ぶつかったら、ただではすまない。この子、わたしを殺す気できた? もしかして、ヴィクティカの回し者?
祭りだから、人混みに紛れてなにかしてくるかと思ったら、こんな堂々と仕掛けてくるとは思わなかった!
「マチェを戻しなさいよ、アンタ!」
少女はわたしを睨みつけると、力強く指を指してきた。
「マチェの事は知らない。いきなりなった」
「とぼけないでアンタがマチェを抱いてたら、マチェがイヌに戻ったんでしょう! 私見てたんだから!」
「知らないっての! わたしがマチェに手を出すわけがない! わたしだって、どうしてなのか知りたいくらいだ!」
桃色の髪に蒼い瞳の一見、可愛らしい少女だ。でも、まとう魔力は尋常じゃない。神獣であるわたしの魔力に匹敵するクラスの魔力! 神獣としての“祝福”や、あの“祝福”がなければ、わたしですら危ない。
——これはまさか、ヴィクトリカの“祝福”!?
神獣間のやりとりで聞いた噂。女神レティナが“祝福”を与えるように、黒き神ヴィクトリカも信者に“祝福”を授けている、と!
レティナの“祝福”と違い、ヴィクトリカの“祝福”は強力だが、使えば使うほど命を削る。
マチェを口実にしているが、この子はヴィクティカの回し者に違いない。じゃないと、この強大な魔力に説明がつかない!
……後にわたしは非常に後悔する事になる。
わたしは短絡的だ。つい後先を考えずに感情と思い込みで物事を決めつけてしまう。
それははておき、これがわたし——シシェシカとメベルディアの最低で最悪な出会いなのである。
「さては、お前はヴィクティカの回し者だな! 直接わたしに手を出すとはいい度胸だ。べウが怪我したり、儀式を妨害されたり、わたしは頭に来ている」
わたしは抑えていた魔力を解放する。風属性の魔力に煽られて、街の路地を沿うように風が吹き抜けていく。
わたしは最近、イライラする事が多い。悩み事は多いし、問題は山積み。問題を解決しようと動いても、解決する前にまた新しい問題が湧いてくる。
だから、わたしは目の前の敵に嬉々しく乗っかったのであった。端的に言うと殴る理由が欲しかったのである。
「わ、わふ!?」
近くにいたマチェが魔力に驚いたのか、どこかへと駆けていってしまう。
「なに言ってんよ! 訳わかんない事を言ってないでくれる! マチェを元に戻しなさいよ、このあんぽんたん!」
後に聞けば、この時メベルも大変イライラしていたらしい。ルートがどうこう言っていたが、『転生者』の用語は外の世界の単語なので、わたしたちにはどうしても理解できないのだ。
まぁ、とにかく、メベルもわたしを敵として——ていのいいサンドバッグとして認識したようだった。
「あ、あんぽ!? ひ、ひど! そんな事、るーちゃんにも言われた事ないし! このおたんこなす!」
意味はわからないが、この『おたんこなす』はるーちゃんによく言われた悪口だ。わたしの髪が青みがかった紫に近いから、そう呼ばれた。
「なぁ!? こ、この!」
後は——、殴り合いである。
わたしはメベルに殴りかかる。もちろん、魔力のこもった拳だ。風圧だけで剃刀のような切れ味がある。
わたしの拳はメベルの髪を切り裂いたけど、メベルは素早いバックステップで回避した。
「っ! 避けるな」
まさか、わたしの攻撃に反応できる人間がいるなんて! この子のステータスは相当に高い。
外れたわたしの攻撃は近くにあった露店を破壊した。売っていた果物が宙を舞い、店主が白目を向いていた。
残念ながら、今のわたしは敵しか見えていないのであった。ごめんね、店主の人。
「危ないでしょうが、このあんぽんたん!」
わたしが攻撃したら、今度はもちろん。メベルの番なのである。
メベルは炎属性のようだ。拳から陽炎があがり、宙が揺らめいている。
炎とは相性の悪いわたしだけど怯む訳にはいかない。と言うか、ただの炎くらいなら、わたしの風で吹き飛ばす。
メベルの拳をいなす。正面から受けるのではなく、裏拳を添えて受け流す。だが、メベルはわたしの動きを読んでいたのか次いで脚でわたしの顔面を狙う。回避は間に合わない。
「『エア』!」
黙ってくらってなんかやるものか!
わたしは空気の塊を出現させると、それでメベルの脚を受け止めた。
「ちぃ!」
メベルの舌打ち。
「爆ぜよ、『ボム』!」
そして、今度はわたしの反撃。メベルの脚を捉えていた空気を圧縮して爆破させた。
「いたぁ!! あぁ、もうやったわね……! 豪炎よ、舞え。焼き尽くせ! 『フレアドライブ』!!」
目の前が一瞬、真っ赤になった。
『フレアドライブ』。炎系上位魔法。炎と熱風で相手を焼き尽くす魔法だ。
肺まで焼き尽くすような熱風。咄嗟に風をまとわなければ、焼死していた——!?
「けほっ、なんて女なの、このおたんこなす!!」
わたしは無事だけど、周りはそうではなかった。石畳は熱気で割れ、夕方の買い物客や祭り客を狙う露店はものの見事に吹き飛んで、焼けていたのだ。近くにあったギルドはそもそも柄の悪い冒険者対策に結界を張っていたから、直接の被害はないけどその結界が損害を受けていた。多分、2度目は防げない。
周りの人達はなにもしなかった訳ではない。率先して避難していた。そもそも祭り開催にあたって、警備隊が出動していたのである。手配は早かった。
だけど、わたしたちのレベルが違いすぎて鎮圧しようにも手が出せなかったのだ。
だから、わたしたちは目一杯殴り合ったのである。
止まったのはお互い。MPを使い切ってから——即ち、一時間くらいしたらである。
お互いクロスカウンターで潰し合い、ほぼ同時に倒れた。
正直に言うと、楽しかった……。
本気で殴りあうのは神獣として、と言うか、女の子としてどうかと思うが、楽しかったのだ。
「なかなかやるね、お前」
「そっちもね……。ってこれ、普通男がやるシチュエーションじゃない? 乙女ゲーの主人公がやるものじゃないわ!」
メベルはぶつくさ言っていたが、わたしは概ね満足である。
わたしは当初の予定とか、殴り合っていた理由はもうその時にはどうでもよくなっていたのだ。
「ねぇ、お前、名前は?」
「……メベルディアよ。アンタは?」
「えっと、しーちゃん。……ううん。シシェシカ! シシェシカ・フォン・ミゼルドリット」
「え? そ、それって!?」
殴り合った結果、わたしはメベルは悪い人ではないと判断した。だから、わたしは今まで被っていた帽子を外した。その下には竜族を示す角がある。
「青龍の肩書を持ってる風の神獣やってます。よろしく、メベル。うん、わたしはメベルを気に入ったから、なんかあったら頼っていいよ」
「あ、え!? うそ? こ、これで、いいの? 角兎、いらないのぉ!?」
よくわからないが、メベルはわなわなと震えていた。
この後は教会から、街長からとか、色んなところから怒られた。
そこで不思議な事を聞いた。人的な被害が一切なかった。誰かが超強力な即席結界を貼ったらしい。しかも、今回の物的被害金額を全て受け持った人物がいた。それが誰かなのは、聴きそびれてしまった。
わたしはまだ祭りの儀式を完遂していない。勝手に抜け出してしまったせいで、時間も押している。話は途中で終わってしまったのだった。
少し遅れました
女の子が暴走する回でした




