2章 8
2020年ですね。今年も宜しくお願いします!
「わっきゅ、ひぅ……」
全裸のマチェが部屋の片隅で頭を抱えていた。
お尻からちょこんと伸びる二本の尻尾。いつもならマチェの感情を反映して忙しなく揺らめいている。だが、今はピタリと尻尾は動きを止めている。
「い、や……。いや、です……」
ぴすぴすと泣いている様子は捨てられた子犬そのもの。見るものに憐情を抱かせる。だが、それと同時に白い淡雪のような肢体が劣情すらも抱かせてしまう。
故に今のマチェに視線を向ける事は禁忌のように感じられた。しかし、目を逸らす訳にはいかない。
「マチェ」
俺が声をかけると、その身体はびくんと大袈裟に震えた。
「……っ」
喉が乾く。いや、それは正しくない。乾きと言うより、喉の奥がチリチリと焦げているようだった。
頭が痛い。マチェを見ていると目眩がしそうだ。
そして、俺は口を開く。
「いい加減、服を着ろ」
「きゃいん……」
短く鳴くと、マチェはますます身体を縮こませてしまうのであった。
「はぁ……。風邪引くだろ。早く服を着てくれ」
「いやですぅ〜……。服、嫌いです……。わふ……」
俺は溜め息をついて、マチェに歩み寄るとその身体を抱き上げた。
マチェは元がイヌだったからか、服が嫌いだ。毎度こうして抵抗してくる。なので、毎朝着替えさせるのは大変だ。
人型になってしばらく経つが、こればかりはマチェはいっこうに慣れる気配がない。
「はい。マチェ、ばんざーい」
「は、はい……!」
しかし、マチェはいい子なので、基本的には言う事を聞いてくれる。俺はマチェに下着からなにまでしっかりと服を着せていく。毎朝の出来事なので、最近は慣れてきた。
俺がマチェを着替えさせる過程は省略する。この時ばかりは心を殺して行なっている。
マチェの柔らかい身体のどこに触れたとか、見たとか、下着がどうこうとか、いちいち理解していたら心が保たない。だから、俺は子供の世話だと思い込む事にした。
とは言え、慣れてきたのは手だけであり、心はいつになってもなれない。
「きゅーん……。服嫌いです。締め付けられてるみたいです。まとわりついていやです。……どうして人はサマーカットなのに服を着るんですか?」
服を着たマチェはしょんぼりしながら、ベッドに腰をかけていた。
「だから、サマーカットじゃないっての! はぁ、疲れた……」
俺も長く息を吐きながら、ベッドに座った。俺の部屋には椅子が一つしかない。その椅子にはルコッタが座っている。
「お兄さんたち、毎回これをやっているの……?」
ルコッタは長い耳をペタンと伏せ、信じられないとばかりに俺らを見てた。
そんなルコッタは既に着替えた後だ。手伝わねばと思っていたら、ルコッタはなにも言わずに着替えた。
ルコッタの服はコポカさん特製。ノースリーブの上に下はかぼちゃパンツ。耳と尻尾と相まって、妖精のようだ。
「仕方ないだろ。マチェが服嫌いなんだから……。ここのアパートにはマチェの部屋を頼める女性もいないし」
「お兄さん、マチェにはホント甘いね……。マチェ自身にさせればいいじゃんか」
さも、当たり前のようにルコッタは言った。
「それができれば、苦労はしねぇよ。なぁ、マチェ?」
「わふっ……」
俺がマチェに同意を求めてそっちを見たら、マチェは素早く俺から目を逸らした。
「マチェ?」
「な、なななな、なな、なんでもないでしゅっ……。わん!」
怪しい……。
「マチェ、まさか……。自分でできるのか? 今まで散々、俺にやらせてたのに!?」
「わ、わわ、わん! できま、しゅ……。いえ、できま、まー……。できます……。きゅーん……」
マチェは嘘をつこうをしていたが、結局付けずに耳をペタンと伏せた。誤魔化すように、全力で俺から目を逸らしている。
口もそうだが、こういう態度は本当にイヌはわかりやすい。
「お兄さんはマチェを子供のように見てるのかもだけど、マチェの能力はちゃんと見た目相応だよ。何回かやれば覚えるでしょ」
「まじかよ……。毎朝の俺の苦労はなんだったんだ……?」
「甘えてたんだよ。甘えと言うより、遊んでた? マチェはお兄さんに見えない位置では嬉しそうに笑ってたし。お兄さんき構ってもらって嬉しかったんでしょ」
「る、ルコッタちゃん……」
マチェはルコッタの言葉に慌てたように頬を染めた。
どうやら、図星のようだった。
「お兄さん、マチェは子供じゃないさ。幼いけどそれは素直の延長みたいなもの。しっかり扱ってあげなよ」
「だけどなぁ、できないって言われると……」
「甘すぎ……。マチェもだけど、お兄さんもしっかりして」
「おう。はぁ……。マチェ、説明してくれ」
「だ、だって、ご主人は、この姿になってからマチェから目を逸らす事が多くて……。寂しくて……」
マチェはしょんぼりと肩を落とした。
確かに俺はマチェから目を逸らしていた。
——だって、マチェが可愛いから!
生まれてから20年。前世も含めたら、かなりな年数、俺は女性とこんな間近にいる事なかった。だから、恥ずかしい! その上、気まずい!
「できないって言ったら、ご主人が構ってくれて……。それでマチェは嬉しくて……。マチェは……」
わざと失敗して気を引く。自分の思いを伝えるのが下手な子供にはよくある行為だ。
「ったく……。あぁもう! すまん、マチェ、俺が悪かった」
「わふ! ご主人は悪くないんです! マチェが……」
マチェはギュッと俺に抱きついてきた。またふくよかな感触がダイレクトに身体に伝わっていく。いつもなら即座に目を逸らして引き剥がす。だが、今日はじっとマチェを見た。
翠色のマチェの瞳。不安げに揺れていたそれが徐々にキラキラと輝いてくる。
「わん!」
目が離されないと知るや否やマチェは更にギュッと抱きついてきた。それもいい笑顔で。尻尾もパタパタと振られており、嬉しさが全開だった。
相変わらずわかりやすい。
「マチェが喜ぶのはいいんだが、俺は一体どうすればいいんだ?」
超えてはいけない一線がぐらぐらと揺れている。簡単に堕ちてしまいそうだ。
「お兄さん、堪える必要なくない?」
「悪魔のささやき、やめろ!」
くすくす笑うルコッタを俺はつい睨んでしまう。
「怖い怖い。でも、そろそろやるってとこ見せないと、立たない人疑惑がたつよ。マチェもお兄さんに撫でられるの好きそうだし、もう問題なくない?」
「やめろー! なんでルコッタは見かけ子供なのに、中身は大人? 親父なんだよ!?」
「やだなー。お兄さん、僕は生後半年の可愛いウサちゃんだよ」
「自分で言うなよ」
「ははっ! まぁね、僕は一歳未満だからね。マチェと違って『魔族知識』もない。だから、人の常識にすぐに馴染めるんだよ」
「そういえば、マチェのステータスに『魔族知識』ってあったな。そういうのが関係しているのか?」
「あれは魔族の常識——言わば、種族独特のルールみたいなもの。そのルール内で生きてたマチェが、人の常識——ルールにすぐに適応できないんだよ」
「そうか」
詳しいな。こいつ……。
てか、
「なんでルコッタはマチェのステータス知ってるんだ? ステータスカード見せてないよな?」
「え? それはこうやって、『ステータス』!」
ルコッタの呟きと共にルコッタの前に四角いウィンドウが生まれた。半透明の魔力の薄い板だ。
「は!?」
「僕、『鑑定』のスキルを持っているからね。マチェとはマスターを共有しているからステータスくらい見えるよ」
「ステータス鑑定って神の加護云々だから、教会行かないと見れないのでは!?」
「……さぁ。不思議だねー。僕、わかんなーい。あ、お兄さんのステータス見れるや。見ちゃうね。……お兄さんのステータスはうんうん。低いね。これで冒険者か。ちょっとキツいな。お兄さんにダンジョン探索に付き合ってもらおうと思ってたけど無理っぽい」
ルコッタはにやにやしながら、四角いウィンドウを指先で指先で突いていた。
「うっせ!! チートキャラと一緒にすんな! やっぱルコッタは転生キャラだろ? 記憶がないんなら目醒める前のとかだろ?」
ステータスが見れるとか転生者あるあるだろ!? この世界ではたまたま神様を通さないとできなかったが、転生者ならそれくらいチートスキルで手順をスキップできる。
しかも、この手慣れた感、絶対転生者だ! チートじゃないですかー! やだー!
「んー。だから、それは知らないなー」
ルコッタは手をひらひらと振って俺を軽くあしらっていた。これが前世含めず、生後半年って言うんなら俺はグレるぞ。
この時の俺はルコッタと馬鹿話に夢中になっていて気付かなかった。俺に抱きつくマチェが、
「ご主人……。マチェを見て、くださ、い……」
小さく小さく呟いていた事に。
俺は同性の同居者にテンションが上がっていて、マチェへの注意が疎かになっていたのだ。




