二章 7
——全てが憎いと思った。
世界が不完全で、どうしようもないくらい壊れていると知った時、俺のその考えが肯定された気がした。
この世界で幸せになれるのは生まれながらに選ばれた者だけ。選ばれない者は一生這いつくばって生きるしかない。どうやっても、この差は埋められない。足掻いても、もがいても、選ばれない者は惨めになるだけ。泥水を啜って生き延びても、苦いだけ。
なにも変わらない。
選ばれた者は当たり前に幸せを享受し、正当な評価を受ける。選ばれない者など眼中になく、世界は平和だと嘯いて回る。
世界はこんなにも理不尽で間違いだらけだ。
——不平等だ。
だからこそ、俺のこの憎しみは正しいのである。世界は歪だから、こんなにも負の感情が満ちている。
この世界は神が謳った楽園なんかじゃない!
そう思うと不思議と笑いが溢れた。今まで決して笑みを結ぶことが無かった口元が緩んでしまう。喉の奥から哄笑が溢れる。
今まで憎しみに満ちていた心が不思議と晴れていく。でも、憎しみは消えていない。確固たるものになった。だからこそ、今まで憎しみに圧されていた他の感情が溢れ出したのだ。
おかしい。おかしい! おかしすぎる——!!
これを笑わずにいられるか!
この真実を嗤わずにいられるか!
この世界は失敗作だ。いや、完成してすらいない。この世界は廃棄物だ。神に作り途中で投げ出された廃棄物。
幼い頃から世界創生の神話は穴がありすぎると思っていた。短すぎるのではと感じていた。
——違ったのだ。
神話は終わっていない。
未だにエンドを迎えられず、続いたままなのだ。それをあの神獣どもが不都合な真実を破り捨てたので余計に短いのだ。
あぁ、親愛なる女神レティナ。貴様一人では荷が重すぎたのだ!
だから、失敗したのだ——!!
黒き神ヴィクトリカを消した所で、レティナの失敗が消える訳がない。むしろ、悪化したのだ。
なのに、のうのうと生き延びる無能が!
早く虚海の底に沈めばいいものを——!
あぁ、創り直そう。
俺の祝福を持って、新たなる世界を創造する。レティナではなしえなかった完全な世界を俺は創る——!
消え失せろ、不完全な世界!!
「うえぇ……」
明け方、悪夢を見て目が覚めた。
「めちゃくちゃ厨二病過ぎて、俺の精神が疑われるレベルでやばい悪夢だ……」
なーに、あれー?
俺の潜在意識には厨二心が眠っていると言うのか。誰かに知られたらこっぱずかしいんだけど!
あー。変な汗かいた。背中ベタベタで気持ち悪い。
まだ日が登ってないけど、このまま起きてしまおう。今二度寝したら、続きを見そうだ。少し走り込んでくるのもいいかもしれない。
本音を言えば風呂に入りたいが平民がお湯なんて高級なものをおいそれと使う事はできない。身体を水とタオルで拭く事は出来る。だが、井戸から水を汲んでくるのは面倒だ。
「ぐ、ぬ?」
身体を起こそうとしたら、身体が動かなかった。金縛りの類ではなく、胸の上の重みで動けなかった。
暗闇の中で精一杯目を開いてそれをみる。
暗闇の中で浮かび上がるような金の髪。ほんの少しと赤みがかる白い肌。伏せられた目蓋。長い睫毛が呼吸の度にさやさやと揺れている。
少女は俺の胸を枕にするように眠りについていた。
無防備さを示すように、薄く開く唇から、ほんのりと涎が垂れていた。
「……ま、マチェ?」
うん。このイヌ耳美少女間違いなく、マチェである。
ここはコポカさんの借家の一室——俺の部屋。それのワラを敷いた上に布を被せた寝床である。ちゃんとしたベッドはあるが俺の今のベッドはこれなのである。元はただのイヌであったマチェのベッド。だが、マチェが“祝福”を得てからはここが俺のベッドなのである。
マチェは一緒に寝たいと言うが、流石に異性で同衾する訳にはいかないし。
部屋を二部屋取ればいいのだが、そんな金はない!
ここ最近の俺は借金暮らしなのである。クエストに失敗したのが大きな要因だ。でも、それ以上にマチェとの二人暮らしは金がかかる。
女と言う生き物はこんなにも金がかかるとは思ってなかった。服一枚にしても価格が違う。防具も軽くそれでいて頑丈でなくてはいけないから女性ものの方が高い。後、下着とか高すぎない? 男ものはセット販売しているのに対して、女性ものは上下でワンセット。下手するとその上下すらばら売り。一枚が高いし、サイズも形もさまざますぎてよくわからない。なので、店員のおすすめを買うといつの間にかとてもいいお値段。
泣ける。
あ、何故俺がマチェの下着を買っているとか、そういうクレームは受け付けない。マチェは服が嫌いなようで、なんだかんだで脱ごうとする。
流石、イヌ。
飼い主が懐を痛めて奮発して買ったと言うのに、犬はいとも簡単にそれを拒否するのだ。
だが、今のマチェは元イヌ。現美少女。脱ぐのを止めない訳にいかない。
そんなマチェが進んで服を買おうとかする訳がなく、俺が選んで買っているだけだ。他意はない。
「わ、んんっ……」
マチェが身動ぎをした。それが妙に色っぽい。おまけの胸の上でたわわなおっぱいが押し付けられて、俺の心臓が高鳴った。
「………」
他意はない(二回目)。ないったら、ない!!
そんなこんなで、金欠。三流冒険者が必死に稼いでも、出てく金の方が多い。二つ部屋を取るなど夢のまた夢だ。
なので、同棲は仕方ないのですよ!
そんな中、マチェの知識がないのを利用して色々してしまうのはまずい。マチェにちゃんと知識がついてから、それの良し悪しをマチェに判別してもらおう。それで尚、良しとするなら、改めて……。
「……改めて、何をする気だ、俺!?」
まずい。寝起きでまだ頭が寝ぼけているな。
「わふ……」
マチェのイヌ耳がピクリと動き、モゴモゴと口が動いた。
「マチェ?」
「わふーん……」
だが、マチェの瞼は閉ざされ、開く気配がない。軽く身動ぎするとまた規則正しい寝息を零し出した。
どうやら、さっきのは寝言らしい。
昨夜の記憶を手繰る。マチェはしっかりとベッドで寝た筈だ。それは確認した。だから、今ここにマチェがいるのはおかしい。
マチェが寝ぼけたかなんかで勝手に潜り込んだだけだと思われる。思われる!
俺は決して連れ込んだりしてないぞ!!
「マチェー! 起きろ。どけー。人は圧迫されながら寝ると悪夢を見るんだぞー」
夜中なのであくまで小声で、マチェの肩を揺する。
「うきゅー……」
しかし、マチェは揺する俺の手にすり寄ってきた。瞼は固く閉ざされたままであるが、その口元は嬉しそうに緩んでいる。
「……こ、こらー、寝ぼけるなー」
見とれてしまいそうだが、心を強く持たなくてはならない。
心を鋼に……!
「手出しちゃえばいいんじゃん? お兄さんって、童貞?」
不意に俺でも、マチェでもない声がした。
「はわ!?」
「お兄さん、夜中にこんな声出しちゃだめだよ」
くすくすと笑う幼い声。こんな暗い中、この笑い声だけ聞こえていたホラー案件である。
「ルコッタ……。起きたのか」
「うん。お兄さんの声が聞こえたから、起きちゃった」
ベッドの上からひょっこりと覗いたのは長い耳——ウサ耳。そして、幼い少年の顔。黒い髪に黒い瞳の幼い少年。
「すまんな」
「ううん、お兄さんならいいよ。……あ、もしかして僕起きてないふりをした方がよかった? 内緒でコソコソしてやりたい派? それとも僕はお邪魔かな?」
こいつはルコッタ。見た目は幼いが、変に大人びているというか、ませている。
「同棲してると思ったら、やっぱりマチェとはそういう関係なんだね」
「ガキが余計なことを勘繰るな!」
「まぁまぁ、お兄さん。夜中に怒鳴っちゃだめだよ。大家に怒られちゃうよ」
俺が名付けた角兎の“祝福”持ちである。同じ“祝福”持ちであるマチェが幼いのに対して、こいつは何故かませている。
「あと、ガキじゃないよ。うーん、でもこれ言っちゃうとまずいな。どう言おうかな?」
「え? なんの話をしようとしてるの?」
ヤバイ案件?
「信じられない本当の話と信じられる嘘の話かな?」
「なんだ、それ?」
「……うーん、あ! じゃあ、こうしよう! お兄さんはウサギが生後半年で子供産めるようになるって知ってる? 角兎もそれと一緒。
僕は1歳未満だけど、恋人がいるよ! だから、その手の事も詳しいんだ」
「ぶっ!?」
なんだと!?
は? こんな10歳児の成りして恋人がいるだと!?
「お兄さんきたなーい。ダメだよ。気をつけないと」
「う、うっせぇ! てか、恋人とかなんだよ? マジでいるの?」
ま、ませすぎじゃね!? マジでガキ? もしくはガキのアバターで中身がおっさん?
「いるさ。僕の大切な人だもの! 今は遠くにいるけど、近いうちに迎えに行く予定。連れてきたら、お兄さんにも紹介するから! その時はよろしくー」
「は、はぁ……」
ルコッタはケラケラと笑った。
「どうして、こんな事に……?」
昨日のことである。俺はメベルと角兎を捜しに近くの森に行った。色々右折左折を経て、見つけたのがルコッタだった。
見つけた当初はただのツノの生えた小さなウサギ——角兎だった。だが、何故か目を離した瞬間、“祝福”持ちになった。
“祝福”付与のタイミングは予想がつかない。話によると、死の間際に付与されたという例もあるらしい。
女神は願いに応える者、らしい……。
だから、捕まえられた角兎が逃れる為に“祝福”を欲してもおかしくはない。あのタイミングでもなんの問題はない。
問題はその後だ。
「なぁ、ルコッタ。どうして俺と契約したんだ?」
「もうお兄さん、同じ事を聞きすぎだよ」
この“祝福”持ちの角兎——ルコッタは俺と契約した。メベルの隷属魔法のスクロールを奪い、何故か俺と契約したのだ。それで俺が名付ける事になった。
わけがわからない。
もう少し説明してほしい。不親切すぎるぞ。転生ものはチュートリアルのように説明ラッシュであるべきじゃね?
「お兄さんはすこーし疑心暗鬼なのかな? まぁ、いいや。僕がお兄さんと契約したのはうっかりだよ。今はそう言う方がいいかな? その方が運命っぽいし」
「運命?」
「で、ツノが取れたショックでなんか混乱したら、いつの間にかスクロール使っててー、お兄さんに抱き着いたら契約しちゃったー。てへ☆」
「………」
怪しい。
そんなうっかりありえるか? しかも、明かに隠し事をしてますよオーラが半端ない。
それにチート転生主人公メベルが使えない古代魔法をそんなうっかりで使えるはずがない。
しかも、契約相手を俺にしたところも謎すぎる。普通、追った人間で且つ、ぶん殴り、ツノまで折ったやつとは契約しない。と言うか、近寄ろうとは思うまい。
「なんでわざわざ俺なんだ? それこそ、ここはメベルと契約する場面だろう。こんなモブと契約したって、背景くらいしか飾れないぞ」
てか、転生モノのこの手のパターンはウサ耳幼女が転がり込んでくるパターンじゃね? ハーレム要員二人目! とか、そんな風に!
けれど、現実はマスコットになりそうな男の子と契約。
女の子は喜びそうだけど、俺は男。事実、メベルには羨ましいと言われて蹴られた。HPがごっそり減った。
くっそ、チートステータス主人公がモブを蹴るなよ! 死ぬかと思った。
その上で、契約を果たせなかったと言う事で報酬はなし。“祝福”持ちはほしいがそれより今は、普通の角兎が欲しいとのこと。
泣ける。泣くしかない。しかも、ルコッタの身の回りの支度でまた金がかかった。
そういえば俺、この前命の危機を男に助けられた上で俺と変なフラグ立ってた。もしや、この世界は乙女ゲーム基準を作られてる!?
と言うか、乙女ゲーム主人公がいるんだし、この世界が乙女ゲーム基準であるのはなんら不思議でもない!?
だから、こうも乙女ゲーム的なイベントが多いのか?
死んだら、乙女ゲームの世界のモブに転生とか理不尽じゃね!? 俺の価値皆無じゃん。色々間違いすぎだろ、この世界!!
「僕はメベルよりお兄さんがよかったんだよ。……その方が便利だしー」
最後にボソボソとルコッタは呟いていた。
メベルはダメで俺の方が便利?
「ルコッタ、俺に金はないぞ。むしろ、借金まみれでお前に不自由をさせる未来しか用意できないぞ」
「お金なら自分で稼ぐよ。なんなら、お兄さんとマチェを養ってもいい。ダンジョンに潜ってクエストをこなせばいいんでしょ。僕の目的にも合致するし、一石二鳥だねー。
お兄さんは僕を好きに使っていいからー。不自由はさせないよ」
「男前ぇ……!?」
なんだ、この10歳児!? 人ができてるとか、そんなんじゃないぞ、この威厳!
「……あ、もしかして! ルコッタ、俺の本名を知ってるのか!? そうだったら、残念だな。権力を求めたのかもしれないが、俺に権限はないぞ! 長男だが、家督を継ぐ権利もないからな。貴族におけるハズレ枠とは俺の事だ!」
「……お兄さん、自分で言ってて悲しくならない?」
「うっせぇ!」
「うーん、お兄さん。無自覚とは言え、少し自身を卑下し過ぎだよ。もっと自分に自身を持っていいんだよ。むしろ、持つべき。僕を助けたんだから」
「いや、助けてはないぞ。むしろ、追い詰めた立場では?」
「そんな事はないよ。お兄さんがそう思っても、僕にとっては意味合いが違うんだ。お兄さんは誇るべきだ」
なんで俺、子供にこんなにも励まされてるんだろ?
「あ、ちなみに僕は権力に興味はないよ。むしろ、僕らの権力的なものは早くなくなるべきなんだ」
マジでルコッタのこの落ち着きようはなんだ?
この子供には不釣り合いな貫禄、ダンジョンに潜る事を厭わないこの強者感、卑下とか難しい言葉のチョイスの仕方、まさか、こいつ——!?
「ルコッタ、お前——チート転生者だろ?」
それなら見た目は子供、頭脳は大人の説明もつく。
「いやぁ、先に言えよー。びっくりするじゃんか。あ、俺も転生者だから、安心していいぞ。俺はモブ転生だからステータスはくそだけど、知識面なら役に立てると思う。ダンジョンの敵の情報とかもあるしな」
いやー、同性の転生者は初めて会う。小さい頃、中央王国で飲食店を開いていた人には会ったことがあるけど、その人は女だった。つい懐かしい味だったので、厨房に声をかけたのだ。メベルも女だし、この乙女ゲームっぽい世界には女の転生者しかいないのかもって思っていた。
てか、俺、料理関連で転生者に気付くことが多いな。
「ん? てんせいしゃ? 新しい機能かな?」
「ルコッタはどこ出身だ? 俺、東京の田舎の方の出身だ。もしや、外国の人? あ、てか、名前適当に名前つけてすまんな。改めて名乗り直してもいいぞ」
同性だと気軽に話せる事も多そうだから、気が楽だなー。
「ごめん。お兄さん、何の話? 僕はその、てんせいしゃってのじゃないよ。とうきょうって街だか、国は聞いたことがない……」
「は? ま、マジで? ルコッタのその大人っぽい性格は素? 転生者じゃないの? 怒らないっていうか、敵対する気も、利用する気もないから、本当のことを言っていいぞ。スローライフ志望か、英雄志望か、クラフト志望は知らないがどちらにしろ手伝うし。……金銭以外で」
「うん。僕は転生者じゃないよ。あと、僕のこの性格は素だよ……」
ルコッタは少し考えこむように手を口に当てた。
「ま、まじか……。えー、ルコッタ、俺と一緒に醤油作ろうぜ。この世界には大豆に近い植物がないから醤油とか味噌とかが軒並みないんだよ! 二人で知識を出してなんとかしようぜ」
「……ごめんね、お兄さん。僕じゃ、お兄さんのその期待には応えられない」
う、この様子だと、マジでルコッタは転生者じゃないな。
醤油につられないとか、日本人じゃない!
メベルですら釣られたのに……。だが、メベルはハーレムルート攻略のために醤油を諦めたというのに!
「そうか……。俺の方こそすまん」
く、仲間だと思ったのに、違った……。勝手に期待しておいてなんだが、凹んだ。
「あ、でも、だいずっていうのはわからないけど、植物ならなんとかなると思うよ。植物の特徴とか教えてほしいな」
「って、できるんかい!?」
「まぁねー。僕の属性は全属性だし。それくらいの力はまだ持ってるよ」
「全!?」
転生者じゃなくても、こいつチートには変わりないんだな……。なんなんだ、こいつ。謎が増しただけだぞ。
「それより、お兄さん。さっきから、そんなに大声出していいの? マチェが起きるんじゃない?」
「あ、忘れてた」
俺は俺の胸の上のマチェを見る。こんなに普通に話していたら起きてしまう。だが、
「わふー……」
マチェは寝てた。それも幸せそうに……。
「マチェ?」
揺り起こしてみる。
「ん?」
今度はマチェはゆっくりと目を開けた。でも、眠そうに目がしょぼしょぼしていた。
「まだ暗いです……。もう少し、内緒です……、わふ」
そう言って、マチェは再び目を閉じた。
「寝るんかい? ってか、内緒ってなんだ?」
「ご主人には内緒なのです。一緒に寝てると怒られます……きゅーん」
「バレてるぞ……。てか、お前もしかしなくても、常習犯だろ?」
「わふー……」
通りで最近、目が覚めたとき身体が痛いと思った。わら布団が原因ではなかったんだな!
結局、マチェは日が昇るまでまともに起きなかった。
「イヌは安心する場所で寝たいんだよ。よかったね、お兄さん。好かれてるよ」
「いや、その……。それはいいが、俺の自制心が持たない……」
「やっちゃえば?」
「さらっと言うな!」
このチートキャラは一体なんなんだ?
……だが、言わないなら無理に聞かない! それが巻き込まれないモブの鉄則!




