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2章 6

すみません

少し遅れました

「うるきゅるぐるるるる〜」


 どうやら、泣いているようだった……。


「……まじで? あれ、泣き声?」


 思わず、そんな事を呟いてしまった。


 街のすみっこ。と言うか、目立たない場所に彼女は座っていた。目の端から溢れる涙を両手で懸命に拭っている。けれど、零れる涙の方が多すぎて涙は次々と膝に落ちていった。


 泣き声にしては独特で、最初こそわたしはお腹の虫かと思ったくらいだ。現に実物を見るまでは空腹なのだろうと確信してパンを抱えて、こんな裏路地まで来てしまったのである。


 またわたしの早とちりなのである。


 わたしはパンを片手で抱えて頬を掻いた。


 この路地には人気はない。三方を高い建物で囲われており、唯一の道は細く、ゴミが落ちており、人気はない。彼女はまるで、襲ってくれと言わんばかりにそこにいたのである。


 パンだけあげてそれで終わりと思っていたのだが、そうもいかないようだ。こんなところにいれば、この子はごろつきの餌食だ。


 まったく不用心すぎて、溜息がでてしまう。


 年若な少女、泣いていてもその麗しさは健在であり、むしろ泣いているということが彼女の儚さを加速させていた。さらにその泣いていると言うことが付け入る隙そのものである。


 こんな可愛い子が泣いてたら、罠だろうが話しかけてしまうだろう。


 その上、彼女は“祝福”(ギフト)持ちだ。


 ペタンと垂れてしまった耳と、地面に落ちたまま動く気配のないしっぽ。その形からきっと元はイヌなのだろうと推測する。イヌは元々健気な種族だ。何気ない事でも、気に病んでしまう。かと、思えばすぐに機嫌を直す。打算などなく自身の感情に素直なのだ。


 その性質がうらやましい……。


 わたしは素直になれない意地っ張りなのである。自覚はあれど、どうしても治らない。


 わたしは帽子を深く被り直した。帽子の下にはツノがある。竜のツノだ。わたしは、と言うか、わたしも彼女と同じ“祝福”(ギフト)持ちだ。同じ“祝福”(ギフト)持ちとして放っておけない。なのだが、今はバレる訳にはいかない。


 わたしこと、シシェシカ・フォン・ミゼルドリットは神獣であり、こんなところにいるとバレれば騒ぎになってしまう。ただでさえ、街は祭りの前で浮ついた空気になっている。そこに私が現れたら、火に油を注ぐようなものだ。


 今だって、鬱陶しい教会の監視を必死にまいてここにいるのだからこれ以上集られたくない!!


「こんにちは!」


 なるべく明るく話しかけた。


「うきゅ……。わふ?」


 彼女は泣きはらした顔を上げた。


「わふ? だ、誰ですか? わん! わん!」


 警戒するように彼女は吠えた。


 その様子を見て、わたしは彼女が“祝福”(ギフト)持ちのなりたてだと判断する。


 必要のない元の種族の鳴き声を言ってしまうのは、なりたてによくある事だ。口から聞きなれた音がしないというのが、無意識のうちにストレスになってしまう。だから、言語になれるまでこうして、種族の鳴き声を意味もなく口にする。


 わたしはしゃがみこんで、彼女と視線を合わせた。


 確か、幼い子やイヌには視線を合わせるといいと、るーちゃんが言っていた気がする。


「わたしはししぇ——あ、まずいな。えっと、わたしはしーちゃん!」


「わふ? しーちゃん?」


「そう。しーちゃん。ごめんね、ちょっと諸事情で名乗れないんだ」


 しまった。名乗れないとか、怪しさの塊ではないだろう?


「しーちゃん……! マチェは、マチェです」


 けれど、彼女——マチェはにっこりと笑った。そして、警戒心なんてないとばかりに手を伸ばしてきた。どうやら、握手を求めているようだ。


「よろしく、しーちゃん!」


 これは、まずい……。


 わたしはマチェの差し出した手を取れなかった。


 この子、ちょっと——と言うか、相当警戒心がない。これではマジでカモというか、ネギと鍋で完全武装したカモと言うか、なんというか。


 純粋で素直なのは美徳であるのだが、同時に弱みでもある。その素直さは騙されやすい。この子がいくら、純粋であっても周りがそうとは限らない。悪意を持って近づいてきたら速攻でマチェは餌食になる。


 マチェに限らず、これは“祝福”(ギフト)持ち全員に言えることだ。


 魔族に基本的に騙しあいと言うものがない。ある事はあるが、人間など獣人とかほど悪質ではない。狩りや生き残る為の手段であり、成り上がる為の手段ではない。だから、そんな人間の騙し合いを知らない“祝福”(ギフト)持ちになったばかりの子は警戒心が薄い。


 だからこそ、“祝福”(ギフト)持ちは貴族が保護をしている。貴族が善とは言い切れないが、よからぬ輩に手を出されるよりはよっぽどいいはずだ。


 マチェもどこかの貴族からはぐれたのかもしれない。


 でも、マチェの服装は冒険者のそれに近い。動きやすく、厚手で丈夫。ホットパンツで足が出ているのはどうかと思うが、冒険者の標準的な服ではあるまいか?


 貴族の趣味か、マチェ自身の趣味か。まぁ、後者ならいいが。


「どうしましたか?」


……とりあえず、話してみよう。話しかけておいて黙ってる訳にもいかないし。


「あ、ううん。少し、ぼうっとしちゃった。よろしく、マチェ」


 わたしはマチェの手を握る。ほんの少しだが、その手にタコができている。指の付け根。物を握る部分。剣か、なんの武器なのかは判断できない。でも、確実にペンだことは違う。


 これは、貴族の保護下ではありえない。貴族の保護下にいる“祝福”(ギフト)持ちではこうはならない。


 マチェは確実に働かされている――!!


 だが、労働は悪い事ではない。むしろ、いいことだ。“祝福”(ギフト)持ちはステータスが高いし、きっと冒険者になれば強い冒険者になるだろう。


 ……近く、神獣(わたしたち)の結界を破って黒き神ヴィクトリカの魔物が地上に溢れる時が来る。もう女神レティナは限界だ。すでに、中央の白虎(・・)が中央ダンジョンそこから溢れ出た瘴気に耐え切れず、発狂して姿をくらましてしまった。世界には時間がない。早く打開策を見つけなければ、この世界は終わってしまう。終わりのその時までに強い冒険者——英雄は沢山必要だ。だけど、


「マチェは弱くて、役立たずなんです。できることを見つけても、またできない事が増えていくんです……。きゅーん……」


 悩み相談を名目にマチェの話を聞いてる限り、マチェは冒険者に向いてない。


 わたしはマチェとパンをかじりながら、マチェの悩みを聞いた。マチェはまだおしゃべりが苦手のようで、話は要領を得ない事が多い。でも、マチェは一生懸命に話してくれた。だから、わたしも懸命に聞いた。


 マチェは『ご主人』と暮らしているらしい。マチェはその『ご主人』を大好きなようだ。でも、なんか騙されている感じがする。


 散歩を一日二回、連れてってくれるからどうだというのだ?


「マチェは、ご主人と一緒にいたいのに、マチェはマチェのままだといられないってブラムが言うんです……。ご主人はすごいんです。特別だって、ブラムは言うんです。マチェもそう思います。それにご主人もマチェだと釣り合わないっていうんです……。せっかくこの姿なら、マチェはもっと役に立てると思ったのに……。わふわふ」


 マチェはしょんぼりしながらも、もしゃもしゃとパンをかじっていた。


 伝える事よりも伝えたいと言う気持ちが先行してしまった言葉は意味がとっ散らかっている。またマチェはまだ語彙が少ない。


 見た目とは違い、中身が子供だ。


「つりあわないとか、そんなことない! そのご主人ってのは最低だ! マチェの方がどう考えてもすごい」


 マチェは二歳を超えてから、“祝福”(ギフト)持ちになったという。これはすごいことだ。


普通、一歳を超えると女神レティナからの提案があっても、魔族は“祝福”(ギフト)を受け取らない。だって、もうすでにその身体で培った常識と知識がある。魔族への“祝福”(ギフト)付与は基本的に身体の作り替え。身体が未熟なうちならともかく、大人になってからの作り替えは負担が多い。


大人になってから“祝福”(ギフト)を得る事になってしまったお母様だって、すごく苦労したって言ってた。


“祝福”(ギフト)は言わば、生まれ変わりと言っても過言ではない。強制的なやり直し。0から始めるのであれば、問題ない。でも、10、100と魔族知識があればあるほど、新しい知識への修正は困難になる。適応できない環境に放りだされるようなものだ。


そんな苦労を誰も負いたくない。だけど、マチェはそれでも“祝福”(ギフト)を受け取った。


それなのに、釣り合わないだ、なんてひどすぎる……。


「ご主人は最低じゃないですよ! わん! いつもマチェを優しく撫でてくれますもん。体中撫でられると、マチェは気持ちよくて、舞い上がってしまいそうです! 夜、マチェはご主人の胸の上で寝るもの大好きなんで——あ、これ内緒でした……」


「!?」


 体中を撫でる? 内緒? 胸の上?


 思い浮かべられるのはいかがわしい行為だ。


 わたしは咄嗟に浮かんでしまい、顔が赤くなってしまう。


 こ、これは黒確定では!?


 常識がない事をいいことにマチェに夜伽を強いている。それで冒険者に向いてないマチェを冒険者にして稼がしている。この『ご主人』、鬼畜だ……。絶対に鬼畜だ。


「ま、マチェ、そのご主人に変な事をされてない?」


 ね、念のため、聞いておこう。確証が欲しい。


 もう黒は確定だと思う。マチェが素直でいい子なのをいい事にこの『ご主人』はマチェをいいように使っているに違いない。


「変な事ですか? されてないと……あ」


「なんかあった?」


「服着せるのは嫌です」


「服?」


「すっごい窮屈で、きゅうきゅうするんです……。そわそわして落ち着かなくて……。でも、着てなくちゃいけないんです……きゅーん」


 この服って、もしかしていかがわしい服だろうか? 落ち着かないって言ってるから多分そうよね!


 悪趣味!


 絶対、変態だ!


「マチェ! もうそんなご主人のところなんか、戻らなくていい。わたしがなんとかする。だから、わたしと一緒に行こう」


 るーちゃんもベウもいない家——教会の関係者が媚びへつらう家で一人なのは辛い。元神獣のお母様はるーちゃんがいなくなって以降、体調を崩してお父様と一緒に森へ帰ってしまった。もう家にはわたししかいない。


 神獣だから、やらなくてはいけないことが多い。


 本当はるーちゃんを探しに行きたいし、ベウを助けたい(・・・・)。お母様のお見舞いもしたい。でも、神獣がいなければ、この世界は簡単に壊れてしまう。この世界はひどく不安定で、脆い。魂の循環だってシステムにエラーが出まくっていて、穴が多い。だから、最近は『転生者』とか『転移者』って言う余分な魂が入り込みやすい。


 だから、わたしは頑張らないといけない。


 一人は辛いけど、マチェがいれば耐えられそうだ。マチェとは今日ここで初めて会うけど、何故か懐かしい匂いがする。マチェ自身の匂いと言うより、マチェが纏っている匂い。これを嗅いでいると落ち着く。


「しーちゃん? わふ……。マチェはご主人と一緒にいますよ」


「でも! そいつは悪いやつよ。きっと、そう!」


「そんなことはないです。ご主人はすごいんです! マチェはまだおしゃべりが上手くないから、ご主人の魅力を伝えられないです。だから、何度でも言います! わん! ご主人はすごいんです! マチェはそんなご主人が大好きなんです!! わんわん!」


 そう笑顔で言い切られては強く反論ができない。


 洗脳は本人が気づけないという。引き離すのが最善だ。『ご主人』から、マチェを引き離したいけど、無理強いはできない。


 ゆっくりとやっていくしかない。


「マチェ、あのね……」


「おや、マチェさん。こんな所にいましたか? ダメですよ、あまり遠くに行っては」


「わふ。ブラム……」


 路地に歩いてきたのは若い神父だった。


「いやぁ、不安にさせたのは私ですけど、そんな大人の冗談を真に受けてはダメですよ。マチェさんが迷子になったら怒られてしまいますから。彼怒ると結構怖いんですよー」


「マチェがご主人と一緒にいられなくなるなんて言うブラムは嫌いです! わんわん」


「申し訳ないですー。いやー、子供の扱いって難しい」


 この神父はどこかで見たような気がするけど、わたしの追手ではないと思う。わたしではなく、マチェを見ていた。


 マチェは明らかにがっかりした顔をしている。


「うぅ、それよりご主人は?」


「あ、まだ帰ってきてないですね。今、森では『ヴィクトリカの来訪』があるようですからね、森の生き物はどこかに隠れていると思います。だから、角兎(ジャッカロープ)を見つけ出すのは至難でしょうねー」


 悪戯が成功した子供のように神父はくすくすと笑った。


「『ヴィクトリカの来訪』ですか? ヴィク? 誰ですか?」


「えっと、誰かじゃなくて、『ヴィクトリカの来訪』ってのは現象。原因は不明だけど、森とか平原とかから、生き物が消えるの。消えるって言っても、本当に消えるわけじゃなくて、隠れる程度なんだけど」


 わたしは見たことがないが、全国の各地で昔からこういう現象がみられるらしい。なにかに怯えた魔族や魔物。言葉を離せぬ者にしか感知できない原因があるらしい。いつからか、これは黒き神のヴィクトリカのせいとされた。だから、『ヴィクトリカの来訪』と——目に見えぬ黒き神がその場に来ていると言われるようになった。


「わふ!? どうして、角兎(ジャッカロープ)がいないって知ってて、ご主人をいかせたんですか?」


「これでも、私は気を使ったつもりなんですよ。今の彼はここにいたくないでしょうからねー」


「わふ?」


「あとは、純粋に私が疲れたルクスさんを見たかっただけです」


「ん」


 今一瞬、耳を疑った。神父らしからぬ事を言っている。


 いや、それより今なんて名前を言った?


 ルキウス?


「ルクスさんへのかるーい仕返しです」


 すぐに聞き間違いだということに気づいた。ルクスか。似てるけど違う。それに同じ名前だとしても、私が求める名前はありふれたものだ。初代神獣の名前は今やあやかる人が多くて、ポピュラーな名前になってしまった。


「ひ、ひどいですー! わんわん!」


「いえ、だって、直そうと思っていたオンボロのドアにあんなことをされては困るんです。マジで、処理に困るというか……」


「わふ?」


「あ、いえ。こっちの話です。ん、おや、こちらは?」


 不意に神父と目があった。黒い瞳がわたしを見ている。


「っ!?」


 瞬間、神父の顔色が変わった。


「し、神獣さまが何故こんなところに!?」


「え!?」


 バレた!?


 おかしい。帽子は深く被っていたし、尻尾は長いスカートの中に入れていた。バレる様子はなかった筈……。


 とにかく、理由は後だ。今、教会の者に見つかるのはまずい。


 わたしはこんな時——結界を張り直す時しか、街に来れないのだ。こうでもしないと、るーちゃんを捜せない。まだ街を見て回ってない。


「マチェ、今日のこともう一回考えておいて! じゃ!」


 それだけ言って、わたしは走りだした。


「しーちゃん?」


 背中に疑問が投げかけられても、振り返る余裕はない。




 さぁ、改めてるーちゃんを捜しださなくては!


 きっと、るーちゃんがいれば、ベウも助けられる。きっと、ヴィクトリカだって、るーちゃんならなんとかできる。


 だって、るーちゃんは『天才』だから!

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