2章 5
俺は必死になって角兎を捜した。角兎さえいれば、とりあえず、スライムの件はなんとかなる。シナリオ崩壊は防げるはずだ!
「メベル! いたぞ!!」
そして、角兎を見つけた時、すでに空が赤く染まっていた。早くしなければ完全に日が落ちる。強い魔物はいないとは言え、暗い森は危険だ。
それは黒い毛並みの角兎だった。黒い瞳でこちらを警戒するように見ている。体格は標準よりも小さい。ツノも小さいので、おそらく子供なのだろう。
「任せなさい! 『閉鎖』!」
メベルの行動は早かった。サッと指先で宙に魔術式を走らせる。網目状の魔力が周囲を雲の巣のように取り囲んでいく。
「よし! 半径5mくらいは結界で囲ったわ。低級の魔族ならまず逃げられないわよ」
「おう!」
「じゃ、後頑張って!!」
「へ?」
メベルは手近な木の株に腰かけるとひらひらと手を振った。
「なんでお前がやらないんだよ?」
「だって、私がやるところす——ううん、あんま言うと主人公っぽくないわよね。私だと上手く捕まえられないし……、任せた!」
メベルはにっこりと裏表のない顔で笑った。まるで主人公そのものだ。いや、主人公そのものなのだが。
「……マジかよ!?」
「別に私がやってもいいんだけど、ルクスはせっかく見つけた角兎を無に帰していいの? また森中捜す?」
「……よくない」
「じゃ、頑張って! お給金も払うんだからその分頑張って」
「………」
あぁ、もう! 俺が社会的弱者過ぎて辛い!
俺は剣を抜いて、角兎を見る。剣自体をメベルに預けて、構えるのは鞘の方。
殺さないと言うのであれば、鞘の方が適任だろう。血は見たくないし。
「ルクスの実力なら、剣でも殺す事はないと思うよ」
「うっせぇ!!」
知ってるし、そんな事!
当の角兎は耳をピンと立てて、鼻をピクピクと揺らしている。何度も距離を取ろうとするが、その度に結界に阻まれてコロコロと転がっている。
混乱しているのか、何度もだんだんと後ろ脚で地面を叩いている。これは仲間を呼ぶ行為なのだが、この結界内では外に応援要請は届かない。
「いくぞ!」
俺は鞘を構えて、角兎に迫る。角兎は耳をピンと立てると、俺の攻撃を素早く避けた。俺の渾身の一撃をあっさりと避けていく。
「やっぱ、小動物はAGIが高いな。そうでもないと、他の肉食獣から逃げられないよなー」
「ルクスのDEXが低いだけだと思うけど。てか、攻撃が大振りすぎるわよ」
「うっせぇ! チート転生と、モブ転生を比べんな! 俺に剣術スキルなんてありませんが、なにか!?」
残念ながら、俺の実力は現世換算しても剣道を2、3段程度である。ファンタジー世界にあるまじき弱さ。これで冒険者とかー、って笑われる程度ですよ、はい。マチェがいなければ、討伐クエストはまず受けられない。
俺の職業は剣士なのだが、実のところやっていることはモンスターテイマーに近い。俺が指示を出して、且つおとりで、マチェが仕留める。
俺の弱さについてはどうでもいいな。
閑話休題。
叫びながらも、俺は角兎を追い回す。弱いものいじめをしているようであまり精神によくない。
それに角兎は元々穏やかな性質なのでこちらに襲ってくることはまずない。なんていうか、AGI全振りの回避モンスターなのだ。
なのだが、
「あたっ!?」
角兎は素早く身を翻すと、俺に体当たりしてきた。直撃は避けたが、かすったツノが超いてぇ!
「え? なに、こいつ? なんか好戦的なんだけど?」
「そりゃ、角兎でも逃げられないと悟れば、窮鼠になるでしょ」
「くっそ!!」
ぴょんぴょこ跳ねる角兎はとても可愛らしい。だが、やつにはツノがあり、刺されば痛い。急所に当たれば、それこそピンチなんだが……。
「なんで、冒険者歴5年で角兎に手間取っているの?」
「こちとて殺さないように必死なんですけど!」
「え? 即死以外は、回復魔法でなんとかするけど」
「先に言え!!」
なら、なんとかなる。俺は心を決めた。
地面に身を屈め、今にもジャンプしてきそうな角兎。俺は鞘を構えてタイミングを合わせる。
黒い弾丸と化した角兎が俺に向かって一直線に跳ねた。
「今!」
俺は思いっきり、鞘を振った。フルスウィングである。
ダンと大きな音がした。鞘が角兎の身体を真横から叩いていた。一足遅れて、手に衝撃が伝わる。角兎が落ちていく様子がやけにスローに見えた。ボテと地面に落ちた角兎。死んではない。足先がぴくぴくと動いている。どうやら、上手く気絶させられたようだ。
俺はそれを見てふぅと肩を撫で下ろした。
「……よし! メベル、これでいいな?」
もうなんか、心労的にすごい強い敵を倒した気分なんだが……。
普段、角兎といえば、弓矢、魔法などで遠くから仕留める殆どだ。逃げる上に小さい角兎は戦闘に適さない。魔族なので魔物ほど積極的に襲ってくることもないし。
今回、魔法を使わなかったのは単純に俺が使える魔法が捕まえるのに適さないからだ。『ウィンド』や『ウィンドスラッシュ』ではどう考えても、捕まえられそうもない。
弓はそもそも持ってない。
「さんきゅ! あ、ツノ落としてくれない? 学校に持ち込むとなると、ツノが危ないって先生に怒られそうで」
「え? ツノ?」
「うん。ペットの角兎は大体落とされてるでしょ。落としておいて。私、その隙に契約の準備しちゃうから」
メベルは鼻歌を歌いながら、なにもない空間からスクロールを取り出していた。
主人公であるこいつは異世界転生の定番ともいえる異次元収納——【アイテムボックス】のスキルを持っている。
……神様って不公平だよな。恨むぞ、レティナ……。
「てか、なにそれ?」
「奴隷契約のスクロール」
「は!? 禁止アイテムじゃね?! なんでそんなもん持ってるんだよ?」
奴隷契約のスクロール。相手を強制的に奴隷にしてしまう契約魔法が書かれたスクロールである。対象は魔物以外。人間だろうと、エルフだろうと問答無用で奴隷にできる。抵抗するにはint対抗が必要になる。Intがsのメベルに逆らえるやつはほぼいない。奴隷が法律で禁止された今では禁断のアイテムである。市場に出回ることはない。
普通、魔族との契約には本人との同意が必要となる。マチェと俺だって、それで契約している。魔族は人と契約することで、知能が上がるし、ステータスに上昇補正が入る。ちなみにステータスの上昇補正は契約した人間に左右される。
「……主人公は手段を選んでいられないのよ。ダンジョンではね、たまに市場に出回らないアイテムが手に入る事がある。それをいざと言う時の為に取っておくのは主人公として当然なの」
「えー……」
「だって、ボコボコにした角兎に契約の同意が得られそうにないじゃん」
「まぁな……」
「それに奴隷ったって、私はちゃんと可愛がるし、ちゃんとした信頼関係を築くつもりよ。ただ今はその関係を築く暇がないだけ」
「あぁ、そうですかー」
これ以上なんか言うとメベルにマジ切れされそうなので、追及しないことにする。主人公って大変なんだな。モブにはわからない次元の話だよなー。
「とにかく、ツノ落としておいて。私はこれの使い方調べるから」
「知らないのか?」
「禁断のアイテムなんだから、使い方が知られてる訳ないでしょ」
「確かに」
俺は鞘を置いて、次はナイフを持った。
ツノを落とす。
簡単なことに聞こえるが、これがわりと大変。
角兎のツノは鹿のように毎年生え変わる。なので、落としても問題はない。でも、自然に落ちるのでなく、人工的に落とすのだ。根元から切断しなければならない。ツノの根元は血管があるので、切りどころを誤ると血が出る。今は角兎は気絶しているからいいが、起きたら抵抗は必然。首を抑えて、抵抗を抑え込まないといけない。
「首折りそうでこえぇ」
ステータスなんて補正がない現世でも、ウサギの首は折れるのだ。若干とは言え、ステータス持ちの今の状態で押さえたら、下手すれば折る。
「あ、こいつ。目開いてる。目を開けたまま気絶してんのか?」
黒い真ん丸眼がこちらを見ている。罪悪感が心をザクザクさしてくる。
辛い……。
「すまんな。見つかったのが悪いってことにしといてくれ」
角兎の首を押さえて、ツノの根元にナイフを当てる。
「しゅ、祝福あれ!!」
ナイフを持った手に力を籠めて、ゴリゴリと削るようにナイフをツノに入れていく。ナイフがツノに入っていく度に意識のない筈の角兎の足が空を蹴るようにバタバタと揺れた。
「うへぇ……」
ことりと落ちた小さなツノ。若干ナイフが深く入ってしまったので、少し違ついている。
「これはキツイ……」
俺は地面に角兎を放置してその場を離れる。気分が悪い。なんか、くらくらする。貧血か?
「終わったぞ、メベル」
「あ、お疲れさん。……顔色悪いけど、大丈夫? もしかして、ルクスって屠殺とか苦手な人?」
「いや、屠殺は平気。最初から殺すつもりなら問題ないんだが、生きてるのに苦しめるとか、そういうのが苦手でな。小動物とかだと輪をかけて無理」
「ふーん。優しいんだね。相変わらず、冒険者に向いてないわね」
「うっせぇ。で、準備できたのかよ?」
「……古代魔法って癖があって読み取りにくいのよね」
メベルはそっぽを向いて、そういった。
「どうすんだよ? 俺、魔法はからっきしだぞ」
「うーん、とりあえず街に帰ろうかな? これ以上は暗くなっちゃう。そしたら、余計見えない。アンタの部屋で契約しちゃうわ」
「なんで、俺の部屋!?」
「だって、こんな事堂々とできないでしょ。このままじゃ、寮にも帰れないから、アンタの部屋でやっちゃおうかと。……あ、変なことするようならボコすから」
「やらねぇよ!!」
「だよねー。マチェちゃんいるもんねー。てかさ、ルクスって実家は教会の関係者?」
メベルは少し、にやにやしながらそう言った。
「……なんでそう思った?」
「だって、『祝福あれ』って言うんだもの。この世界ではよくある掛け声だけど、それをするのは教会の関係者よ。もしくは、教会の力が強い村とか街ね」
「あー、そういうことか」
俺は知らぬ間にこわばっていた肩をおろした。
教会の関係者とかいうから、実家のことがバレたかと思った。
「そうだよ。一応、教会の関係者」
厳密には違うのだが、誤差だろう。説明はなしでいいな。
「やっぱりねー! この前、学校の友達とそういう話をしてたのよね。人は隠していても、育ってきた環境がにじみ出るって!」
「へー」
なんの話だ? 15歳以来学校には行ってないので、学生のノリについていけないんだが。
「なじんだ……?」
誰かの声がした。
その時、不意に風が吹いた。
「あ」
メベルが小さくつぶやく。その時には、その手に持っていたはずのスクロールがなかった。
風——違う。黒い塊だった。それがスクロールを咥えて立っていた。
一瞬、角兎かと思ったが、その姿は小さな角兎とは比べ物にならないくらい大きい。大きいといっても、元が小さいので、俺らからすると小さいくらいなのだが。
それ——いや、黒い髪の10歳くらいの少年は、黒い瞳で俺をじっと見ていた。
「だ、誰?」
その少年は、一切身体に服をまとっていない。白い肌が黒い髪との対比でこの夕闇の中に浮かび上がっているようだった。
異質な光景だった。少年はこの場ですごく浮いている。風景画の上に描かれた落書きのようだ。その上、その身から滲み出る魔力はマチェに匹敵するくらい。ただの子供ではないのは一目でわかる。さらに追い打ちをかけるように、
「……耳?」
少年の頭には長い耳——うさ耳があった。
獣 : 人が1 : 9くらいのこの割合は獣人ではありえない(獣人の比率は4:6)。
「は?」
少年はぴょんと跳ねた。さっきの角兎のように。
「おうふっ!?」
驚きで反応が遅れた。俺は少年の体当たりをもろに受けた。
みぞおちに食い込んで、息が詰まる。
瞬間、視界を白い光が覆った。
「げほげほ、な、なんぞ?」
「お兄さん!」
眩む視界をこすって俺は、俺に抱き着くそれを——少年を見た。
少年はにっこりと笑った。黒い瞳を細めながら笑う様子は悪戯が成功した子供のようだ。その口にはさっきのスクロールはもうない。
「な、なに? 何が起きてるの? ルクス、その子誰?」
「知らねぇよ」
「ひどいな、お兄さん。僕のこと、忘れちゃった?」
少年は俺に頬擦りをしていた。
え? なに、この懐かれよう? 初対面よね? 美人局?
「……少年、どちらさま?」
「僕はび……いや、うん。もうこれは違うや。お兄さん、初めまして。僕は角兎だよ。まだ名前はない。お兄さんに付けてほしいな!」
「…………は?」
今なんと?
「角兎?」
「そうだよ。さっきお兄さんに熱烈に追いかけられて、ひどいことされた角兎だよ。これはもう責任取るしかなくない? なくない?」
少年は無邪気に笑うが、俺は意味がわからん。なにがどうして、そうなった?
少年は耳があることを除き——あ、尻尾もある。まぁ、とにかくそれを除き、普通の少年である。そう、マチェのように……。
マチェのように?
まさか、
「“祝福”?」
「うん」
「あはは……」
まさかー。そんなこと起きる訳ないぞ。“祝福”はそう簡単に授かるわけがないし。なんかの間違いが、なんかのドッキリだな。
「ルクス! さっきの角兎がいないんだけど……。つまり、その子、“祝福”持ちになったってこと?」
「まさかー……」
「信じてくれないの? 僕は角兎だよ。ほら、さっきお兄さんが落としたツノの跡」
少年は前髪をかきあげ、額を見せてくる。そこは少し盛り上がり、ツノがあったような跡があったのだ。
「はぁ!?」
え? どういう事?
角兎と追いかけっこして、ツノ落として、目を離したら、“祝福”持ちになってた?
「とにかく、これからよろしくお兄さん!」
「は? 俺?」
「僕、お兄さんと奴隷契約交わしちゃった。うーん、うっかりってことでー! 僕を可愛がってね、ご主人様!」
「はへぁ!?」
なんか、言われてみれば、マチェとはまた違う繋がりができた気がするんだが。
そして、消えたスクロール……。
なんか、またやらかした気がする。
くそ! 異世界転生お決まりの、
『え? 俺なんかしちゃいましたか?』
なのに、全然思っていたのと違う!
モブ転生とかそういうタイトルがよかったんじゃないだろうかと思う今日この頃