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選ぶ傘

曇天の朝。

今日は雨が降るってわかっていたのに、傘を持っていなかった。

放課後になって見上げた空は、本降りの雨が降っていた。


走って帰るにしても、びしょ濡れになることは目に見えていた。

少し待てば雨が止むのか。

今、走ったほうが被害が少ないのかも分からなった。


困って空を仰いでいたあたしに、「杏ちゃん?」と声がかかった。


声の方をみて、あたしは目を見開いた。


「慎先輩――――――と葛葉」


慎先輩と葛葉が並んで立っていた。

葛葉はなぜか、不機嫌そうにあたしを見ている。


本当に友だちだったんだ、と思うと不思議な気がした。

まったく似ていない性格の二人が並んで立っていた。


「傘、忘れちゃったんだね。この雨だし、困るよね?」


慎先輩が、空を見上げた。


「俺の傘に入って駅まで一緒に行こうか? 確か、杏ちゃんも電車通学だよね。俺も電車使うから」


慎先輩の言葉は、土砂降りの雨の中では魅力的なお誘いだった。

それなのに、隣に立つ葛葉の睨むような視線が気になって仕方がなかった。


「葛葉は、先に帰っていいよ。俺、杏ちゃんと帰るね」

慎先輩は一言もしゃべらない葛葉を気にする様子もなく、あたしに傘を差しだした。


「あの!」

あたしはなぜか、頭の中が真っ白になっていた。


慎先輩とあたしの体がすっぽり入るほどの、大きな真っ黒い男物の傘。

それがあたしの体を隠そうとしたとき、あたしを襲ったのはいいようのない恐怖だった。


「慎先輩、あたし、葛葉に入れてもらいます」

「えっ?」

慎先輩の目が大きく見開かれた。


「そうなの?」と、慎先輩が葛葉を振り返った。

慎先輩の背後で、葛葉もまたは、大きく目を見開いていた。


「はい」と消え入りそうな声のあたしに、葛葉がパンッと乾いた音を立てて傘を広げた。


「あぁ、俺が入れていくよ」

「でも、葛葉は徒歩――――――」

「大丈夫だから」


葛葉は慎先輩の言葉を遮って、あたしの肩を引き寄せた。


「杏は俺が送っていく」


葛葉は有無を言わせない調子で、あたしと肩を並べて歩き出した。


「二人とも、気を付けてね」と慎先輩の優しい声が追いかけてきた。


二人を覆い隠す傘の中で、あたしは雨の音を数えていた。

黙りこんだ傘は、淀んだ空よりも重たい空気だった。


「なんで俺を選んだの?」

ぽつりと、雨の音にかき消されそうな声が落ちてきた。


「わからない」


別に、葛葉を選んだわけじゃなかった。

だけど、慎先輩の傘には入っちゃいけない気がした。

あたしの失われた記憶が、あたしに危険信号を出していた。


「迷惑をかけてごめんなさい」

「別に迷惑ではないよ」


だけど、と葛葉は言いかけて止めた。

雨の音が傘の中には、大きく響いていた。


「今のあたしには、記憶がないから」

「杏?」

「あたしの記憶にあるのは一瞬しか喋っていない慎先輩じゃなくて、葛葉だったから」


だから、葛葉を選んだ、と。

本当にそこまで考えていたわけじゃない。


そもそも、慎先輩と葛葉を天秤にかけたつもりなんて少しもなかったんだから。


だけど、葛葉が答えを探している気がして、今考えたことを伝えた。

そんなことで納得するのかわからないと、黙り込んだ葛葉を横目で見た。


葛葉は何を考えているのか、まっすぐに前を見ていた。

少しだけ、口元が上がっていた。


「葛葉?」

呼びかけても、葛葉はあたしを見なかった。


「だから、嫌なんだ。杏は結局、一番良いところを持っていくんだ」


葛葉の声はかすれていて、今にも泣きだすのか思った。


ちょうど駅に着いたところで、「葛葉」と声をかけた。

「それ、持って帰って。俺はいいから」

あたしの手に傘を押し付ける、葛葉は、駅の屋根の外に出た。

せっかく濡れずに駅まで来たのに、葛葉を雨が容赦なく打ち付ける。


「葛葉、もしかして電車通学じゃなかったの?」


あたしの言葉に、葛葉は笑みで肯定する。


「じゃぁ、傘持っていて。葛葉、風邪を引いちゃう」

あたしの差し出した傘を、葛葉は受け取らなった。


「俺、今日はぬれたい気分だから」


雨の中で、葛葉が笑った。


「雨っていいね、お互い」


葛葉の言葉の意味が分からなくて、あたしは首を傾げた。

葛葉は笑うと、走って駅から離れた。


あたしは雨の中に消える葛葉の姿を見送ることしかできなかった。


――――――雨。

あたしは、雨の日が嫌いで、一番好きな日だった。


過去の失ったあたしが、耳元でささやいた気がした。

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