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終止符

目を開けた。

見慣れた部屋で、目が覚めて起きた。


「あたし―――?」

デジャブのような感覚にあたしは周囲を見回した。


昨日のことは手に取るように覚えている。

最後の葛葉の表情を細部まではっきりと思い出すことができる。


――――――だけど、あたしはそれよりも前のことも思い出せた。


別に脳の損傷があったわけでもないし、突発的な事故や事件があったわけでもない。

7か月間の記憶は突如、失われた。


それが、前触れなく戻ってきても不思議ではなかった。



―――――――馬鹿だ、あたしは。

不意に戻った7か月間の記憶と、数時間のあたしの記憶が入り混じって、あたしは自己嫌悪に襲われた。


“誰が一番のクズかなんて蓋を開けてみないければわからない”


不意に葛葉の言葉が聞こえた。

あの時はわからなかった答えを、今ははっきりとわかっていた。


「ばかだ、あたしは。だれよりも、クズはあたしじゃないか」


******************


記憶をなくす前のあたしは、慎先輩に彼女がいることを知っていた。

慎先輩とつばさ先輩の姿を遠くから、何度か見たことがあった。


慎先輩を見ているのは幸せな気持ちになるのに、となりにつばさ先輩を見るとどうしようもなく苛立った。


慎先輩の可愛い後輩ポジションは獲得したのに、傍にいることが苦しくて仕方がなかった。



“篠崎って慎之介のことが好きなんだね”

不意に呼び止められて、大森葛葉に言われた。

あたしは言葉の真意がわかなくて、困惑して葛葉を見た。


葛葉は面白そうに笑って続けた。


“慎之介に、伝えてあげようか”

“馬鹿言わないでよ!”


かみついたあたしに、葛葉はさらに面白そうに笑った。


“なんで、気持ちなんて伝えなきゃ意味ないじゃない”

“伝えたって意味のない気持ちもある”

“ふーん。じゃぁ、篠崎は慎之介に気持ちがバレたくないんだ”


弱みでも握ったかのように笑う男に、腹が立った。

睨みつけたあたしを軽く鼻で笑って流している。


“あっ、慎之介だ。慎之介―!”

“あれ? 杏ちゃんも一緒?”

慎先輩はいつだって、あたしを見て穏やかに笑ってくれる。

日常がゆっくりと流れる慎先輩の空気が、何よりも好きだった。


“そうだ、葛葉。おまえのファンがまた、うちの教室で騒いでたぞ”

“あっ? おれのせいじゃないだろ?”

“まぁ、そうだけどな。あれは度を過ぎてるからね。困ったね”


慎先輩の眉間に皺が寄った。

穏やかで、他人に苛立ちをぶつけることが少ない慎先輩にとって、普段あまり見たことがない表情だった。


そんな表情の原因となる葛葉に腹が立った。

葛葉は、慎先輩の影で、にらみつけるあたしに気が付くと、鼻を鳴らした。


“ごめんね、生徒会室に行くところだったから”

“あっ、慎先輩。生徒会のお仕事、頑張ってください”

あたしの言葉に、片手をあげて返事をしてくれる慎先輩はさわやかだった。

模範的な素敵な先輩だった。


“篠崎さ、俺の親衛隊に入りなよ”

“はっ? 何の悪夢よ、それ”

“言ってくれるじゃん。だからさ、交換条件だよ”


“交換条件?”

“俺の親衛隊に入って、ファンのことたちの凶行を止めてほしいんだ。さっき、慎之介も困ってただろう”

“そんなの自分でやれば?”


“俺が出ていくと、いつも、悪いほうに作用するんだ”

“それでもあたしが、出ていく謂れもないよね”

“その代わりに、慎之介に篠崎の気持ちを言わないで上げる”

“それって、脅迫じゃん!”

“だから?”


葛葉は、名前のとおりの”クズ”だって分かった。

笑う葛葉は、悪役そのままだった。


あたしは従うのは嫌だったけれど、慎先輩に気持ちがバレるのはもっと嫌だった。

慎先輩の可愛い後輩ポジションを揺るがされるのが、ひどく怖かった。


あたしは葛葉の親衛隊に入って、改革を始めた。

中を変えるならと親衛隊長になって、どんどん改革を始めたら、いつのまにかカリスマ隊長と呼ばれるようになっていた。


季節が移り替わる中で、葛葉があたしのことを”杏”って呼ぶようになっていた。

一緒にいる時間が長くなるほどに、葛葉はことあるごとに、あたしに手を伸ばした。


触れる指先が、とても優しくて最初は戸惑った。

だけど、それに慣れてきて、葛葉との時間が自然になっていった。


ある時から、葛葉の瞳があたしを愛おしく見つめていることに気が付いた。

あたしが慎先輩をみる瞳と同じような瞳で、あたしを見ていた。



あたしは葛葉の気持ちを悟って、眩暈がした。

あたしはもう、後戻りができないところまで来ていた。


慎先輩は、あたしをいまだに可愛い後輩として見てくれている。

その距離感はちょうどよいもので、それを与えてくれた葛葉はあたしを愛おし気に見ている。

彼の気持ちに気が付いていれば、あたしは葛葉を利用しているにすぎないって思った。


そこで葛葉から離れれば結末は違っていただろう。

だけど、あたしはもう、後戻りができないところまで来ていた。


ずるずると、奇妙な関係を続けてしまった。


叶わない慎先輩に対する気持ちは、時間を置くごとに落ち着きを持ち始めていた。

葛葉の目はいつでも、あたしを追いかけていて、それの視線をうざったく感じるよりも、気になって仕方がなかった。


だけど、慎先輩が好きな気持ちはすっかり消え去ることはなくて、どうしていいかわからなかった。



だから、ではないかと思う。

この奇妙な関係に、終止符を打つ。


―――――――そのために、あたしは記憶をなくした。

まっさらになって、葛葉と対峙するために。



馬鹿なあたし。

「だから、クズというのはもっと他にもいるってこと」


葛葉の言葉が蘇ってくる。


――――――そうだね、誰よりも、クズはあたしだ。

自分のことしか考えていない。

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