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全部、全部、皆馬鹿だ

慎先輩の地図を見ながら、葛葉の家に向かった。

ちょっと迷いながら向かった葛葉の家は、5階建てのマンションの一角だった。


チャイムを鳴らすと、しばらくしても反応がない。

不安になって、もう一回、チャイムを鳴らした。

しばらくしてもやっぱり、返事がないから、ケータイに連絡をしようかと思ったら、「はい」とかすれた声がした。


「あたし、篠崎 杏です」

少しして、ドアが薄く開いた。

「なんで、来たの?」

ドアの薄い隙間からでは、葛葉の様子はわからなかった。

だけど、迷惑だと思っていることは声から分かった。


「慎先輩の差し入れと、学校のプリントを持ってきたの。あたしからも、差し入れを持ってきたし」

「――――――慎之介のやつ」

チッと舌打ちが聞こえた。


「入れてくれませんか?」

「ダメ。風邪がうつるから」

「でも、あたしのせいでかかった風邪だから」

「別に、昨日の雨のせいで風邪を引いたわけじゃないよ。もともと、風邪気味だったから」

「それなら、余計に雨に濡れて帰ったのが引き金になったんじゃないの」


あたしの言葉に、葛葉が押し黙った。


「あー、もう。頭が回らない」

苛立つ声とあたまを掻きむしるような音が聞こえた。


「わかった。確かに、雨に濡れたからかもしれないけど、それは杏のせいじゃない」

「――――――あたしのため?」

「はっ?」

「慎先輩に言われたの。葛葉はあたしのせいで風邪を引いたんじゃなくて、あたしのために風邪を引いたんだって」


再び、ドアの向こうで葛葉が押し黙った。

「慎之介の馬鹿が」とかすれた声が漏れ聞こえた。


「わかったから、ドアのノブに袋をかけておいて。杏が帰ったら、受け取っておくよ」

「開けてくれないんですか?」

「悪いけど、今は杏と会いたくない」


――――――ここで押し問答しているほうが、葛葉の体調に差し障るということはよくわかっている。

だけど、あたしは悔しいぐらいに、今、あたしは葛葉に会いたかった。


「大丈夫。あたし、マスク、持っているから。ドアを開けてください」

「感染するってだけじゃなくて、男の一人暮らしだよ? 杏は何もわかっていない」


あたしは、思いがけない言葉に息をのんだ。


「葛葉は、あたしに何かをするの?」

「はっ!?」


反射的に、葛葉がドアを開けた。

冷えピタをおでこに貼ってジャージ姿の葛葉は、すこし汗ばんでいて、いつも以上に色気が漂っていた。


「杏は馬鹿か!」

怒りに燃えた目を見て、あたしは「大丈夫」とぽつり言った。


「葛葉の看病がしたい」

あたしの言動に眉をひそめた葛葉は、ジッとあたしを見ていた。


しばらくして、ドアをちゃんと開けて言った。


「うつっても知らないからね」


あたしはようやく、葛葉の家に入る許可を得た。


*************************



葛葉の家はモノが少なくて、簡素だった。

まるで生活感が見えないほどにシンプルだった。


ポツンッと置かれたベッドが、ひどく寂しそうに見えた。


「ご飯は食べましたか?」

「――――――作る気がしない」

「おかゆぐらい、作ります」

「作れるの?」


失礼な問いかけに、あたしは答えずに台所に立った。

一人暮らし用のマンションなんだろう、キッチンスペースは小さくてコンロも一つしかなかった。

使われている感じのない鍋が一つ転がっていた。

買ってきた出来合いのパックのごはんと、たまごで、おかゆを作る。


「ふーん、杏って料理できるんだ」

「できるってほどではないよ。簡単なものなら、作れるけど、手の込んだものは無理」

「さらっとお粥を作れるってだけで、ポイント高いと思うよ」


ポイントってなんだと思い、「誰に?」と聞くと、返事が帰って来なかった。

不思議に思って、ベッドを見ると葛葉がじっとこちらを見ていた。


「慎之介」

「はい?」

眉間に皺を寄せたあたしに、息を吐き出すように、葛葉は「冗談だよ」と言った。

「つばさ先輩に会った。慎先輩の彼女さん、可愛いよね」

「会ったの!?」

ガバッと上半身をおこした葛葉は、勢いに揺さぶられて眩暈を起こしていた。


「ダメだよ、葛葉。安静にしていないと」

「そうじゃなくて、杏はそれでよかったの?」

「何が?」


あたしは何となく、葛葉の言いたいことが分かっていた。

だけど、わからないふりをした。


―――――――察することはできる。


だけど、本当のところは何もわからない。

7ヶ月の中の失われた記憶の中に答えがあるんだから


「葛葉、あたし、葛葉に近寄らないほうがいいのかな」

「なにを――――――」

あたしは出来上がったおかゆを小さなお椀に移して、葛葉の許に運んだ。

真っ赤な顔で上半身を起こしている葛葉の横に、お粥とスプーンを乗せたトレーを置いた。


「あたしが無くした記憶が何かはわからないんだけど、なくすにはなくすだけの意味がある気がする」

「すべてを捨てるっていうの?」

「すべて言って言われても、何がすべてなのかもわからないんだよ?」

苦笑したあたしに、葛葉は険しい顔を崩さなかった。


「掘り起こさないように、ひっそりと葬ることもひとつなんじゃないかなって」

「そんなの逃げているだけじゃないの?」

「わからない。だって、逃げているって言っても何から逃げているのかすらわからないのに」

わからないことだらけで、あたしはこの7か月間をどう扱ったらいいかわからなかった。

少なくても葛葉は、あたしにこの7か月間を説明する気がないってわかっている。


葛葉は立膝で盛り上がった布団に、顔をうずめた。

ひとつ年上の彼が、小さく見えて、あたしはつい手を伸ばした。

彼に手が届く直前に、葛葉の押しつぶされた声が響いた。


「わかっているだろう?」

「葛葉?」

「本当はもう、大体わかっているだろう? 杏は慎之介が好きだったって」


目をつぶって見えないふりをしていた自明の事実を、不躾に突き付けられた。

顔を上げた葛葉はひどくヤツレて見えた。


「だけど、最初から慎之介にはつばさがいる。最初から叶わないんだ!俺もおまえも!」


真正面から葛葉の言葉を浴びえて、あたしはたじろいだ。

葛葉は過去のことを何も言わないから、きっと見なかったことにできると思った。


今や慎先輩への恋心も、過去のものになっている。

今なら、何もなかったことにできるなんじゃないかと思った。


逃げようとしたことは間違いなかった。


それなのに、逃げようとした直前で葛葉に強引に腕をつかまれて、事実と対面させられた。

それに何の意味があるのか。


答えの代わらない現実を繰り返したところで、過去のあたしも、今のあたしも慎先輩と結ばれるわけじゃない。


あたしは熱い塊を喉の奥に感じて、立ち上がった。


「杏」とあたしの名前を呼ぶ彼の目には、涙をこらえるあたしが映っている。

葛葉は、今も昔も、ずっと、あたしをまっすぐに視界に入れている。


「帰る」とあたしはカバンをつかんで、飛び出した。

風邪を引いた葛葉には追いかけてくることは不可能だ。


あたしは泣きたい気持ちをこらえて、走った。

何も考えなくていいぐらいに、がむしゃらに走った。


風があたしの背中を押して、世界を切り取ってくれる。


――――――馬鹿だ。

あたしも、そして、葛葉も

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