7ヶ月間の感情
次の日の朝。
葛葉がちゃんと朝、登校してきたのを見てホッとした。
昨日の雨の中、走って帰って風邪をひいていないか心配だった。
あたしは昼休みも、また階段に葛葉が来るのではないかと思って、校舎裏に向かった。
だけど、その日は葛葉の姿はなかった。
ご飯を食べて、諦めて教室に戻ろうとしたとき、ガサッと音がしてあたしは勢いよく立ち上がった。
「葛葉?」
「あー、ごめんね。葛葉じゃなくて」
影から姿を現したのは、慎先輩だった。
「ここらへんで会っているって前に聞いたことがあったんだ。良かった。会えて」
「慎先輩?」
あたしを探してきたようにいう慎先輩に首を傾げた。
「一応、杏ちゃんには伝えておこうかな、と思って」
「えっ?」
「葛葉、早退したよ」
あたしは息をのんだ。
「朝も無理してきたみたいで、昼前に早退したんだ」
「――――――あたしのせい?」
「うーん、そういうだろうから、絶対に杏ちゃんには言うなって言われたんだけど」
慎先輩は、悪戯をしかけた子どもみたいに笑った。
「もし、今日の放課後、暇だったら葛葉の家に差し入れを持って行ってもらえる?」
「差し入れ?」
「葛葉、一人暮らしだから。ちょっと心配でね」
――――――葛葉は一人暮らし?
“傍にいてよ、杏”
不意に頭の奥で、葛葉のかすれた声が聞こえた気がした。
「行きます。あたしのせいで、葛葉が風邪を引いたんだし」
「うーん? ちょっとした言い回しの問題だけど、杏ちゃんのせいじゃなくて、杏ちゃんのため、だと思うよ」
「あたしのため?」
「葛葉の家の住所は――――――ってあれ? 教室に忘れてきたかな? ちょっと一緒に取りに来てくれる?」
慎先輩に誘われるままに、あたしは横を歩き出した。
「葛葉の家は、学校から歩いて10分ぐらいのところで近いから」
慎先輩の教室につくと、あたしは少し離れたところで彼を待った。
「ごめんごめん。あったよ。それと、これ学校のプリントと差し入れが入った袋ね」
慎先輩から受け取って、あたしは頷いた。
「あれ? 慎之介が可愛い女の子と一緒にいる?」
ふたりの間に入り込むような声に、顔を向けると、明朗な人柄が目に見えるような少女が立っていた。
「つばさ、この子は葛葉の親衛隊長だよ」
「えっ!? 葛葉の??」
つばさと呼ばれた少女が、あたしの顔をぐっと覗き込んできた。
「うわー、可愛い! さっすが、葛葉の親衛隊長だね」
いや、つばさの方がよっぽど完成された可愛さがあるけど。
しかも、あたしのように根が暗くなくて、内側から活気があふれているのが分かる。
「あたし、今泉つばさ。これの連れね」
「女の子が、連れとか言わない。僕の一応、彼女ね」
「一応、言うな!」
掛け合いのような二人の姿を、なぜか呆然と見ていた。
胸が締め付けられるような衝撃を感じていた。
地面がグラグラ揺れていて、まるで地震が来たような感覚なのに、周囲は普通に過ごしている。
あたしだけが異次元に来てしまったような、浮遊感があった。
「つばさ、先輩?」
「ん? 葛葉親衛隊長って、カリスマ隊長って呼ばれてる子だよね。葛葉がいつも、自慢げに話しているよ。良かったら、あたしとも仲良くしてね」
いやだ。
つばさ先輩の何を知っているわけでもないのに、嫌悪感があった。
差し出された手を振り払いたい衝動を感じていた。
だけど、慎先輩の前でつばさ先輩を拒否するなんてできなくて、あたしは吐きそうな嫌悪感を飲み込んで握手した。
――――――違う。この感覚は、あたしの今の感情じゃない。
今感じているこの気持ちは、初めて感じたものではない。
「慎先輩、つばさ先輩。授業が始まるので、あたし行きますね」
ふたりに断って、その場を離れた。
まっすぐのはずの廊下が異次元に繋がるワープ空間のように、ゆがんで見えた。
「――――――7か月間のあたしって本当に何だったんだろう?」
慎先輩に抱く気持ちと、つばさ先輩への嫌悪感。
葛葉との関係。
葛葉親衛隊のカリスマ隊長としてあたし。
――――――忘れたいほどの何かが、あったんだろうな。
それは思い出す努力をしてはいけない、何かだったのかもしれない。
あたしは廊下の壁に手をつきながら、教室に戻った。




