逆勧誘
あれは、地元の静岡に帰省し、久々に友人Aと二人で飲んでいた時だった。
まだ学生で、金もなかったので、場所は安いチェーン店の居酒屋だったと思う。
その夜、Aと何を話していたのかはあまり覚えていない。覚えていないのだから、大した話はしていなかったのだろう。
今では、ベンチプレスで100kgを上げるマッチョな彼だが、当時は背こそ高いものの、ひょろりとした見た目で、酒もかなり弱かった。
酒は今でも弱いが。
私はその頃から日本酒が大好きで、Aは飲む酒を相手に合わせるタイプだった。安い居酒屋なので、日本酒もよく分からない銘柄しかない。私たち二人は、安い日本酒を、熱燗にして、パカパカと口の中に放り込むように飲んでいた。
しばらく二人で飲んでいると、Aは額をテーブルにびたっと張り付けて、動かなくなってしまった。ぐぅぐぅという寝息が聞こえたので、死んだわけではない。
当時はよくあることだったように記憶している。今は彼も大人なので、そうやすやすと酒に呑まれたりはしないのだが。
話相手を失ってしまった私は、憮然として周囲に目をやった。
私たちはテーブル席で向かい合わせになって飲んでおり、店内は、同じようなテーブル席が、私の右手にも左手にもずらりと並んでいるような配置だった。安い居酒屋なので、個室なんて上等なものはなかった。
たしか、私から見て、右隣のテーブル席だったと思う。当時の私と同年代か、もしくはやや若いくらいの男三人が、何やら熱心に話し込んでいた。
私は熱燗を口にちびちびと運びながら、聞き耳をたてることにした。何しろ暇だし、席が近いのでどうしたって聞こえてきてしまう。
男たちの声も、周りをはばかる様子はなく、話の中身は苦もなく聞けた。
五分も耳を傾けたあたりで、私はぴんときた。
ーーこれは勧誘だ。
男二人が、残りの一人を、何かーーおそらく宗教に--勧誘しているのだ。
勧誘している男二人は隣り合って座っていて、目をキラキラとさせながら、熱い口調で対面の一人に語りかけていた。
対する一人は、「いやぁ、でもなぁ」と明らかに渋っており、あからさまに困っていたが、勧誘する二人はそんなことをまったく気にも留めていなかった。
隣で聞いているうちに、私の中の、ちょっとした、義侠心のようなものに火がつきはじめてしまった。
何しろ酔っ払いだ。怖いものがない。困っている者を見たら、助けたくなるのが清き正しき酔っ払いだ。
私は立ち上がると、隣のテーブル席の、空いている席、つまりは困っている男の隣にするりと座った。
突然知らない男が混ざってきたのだ。三人はまず戸惑い、そして当然警戒し、威嚇するように声を上げた。
助けようと思っていた男からも怪訝な目で睨まれて、私は少しばかり裏切られたような気持ちになったが、まあ当たり前といえば当たり前だ。
三人とも髪を明るく染めており、眉は細く、どちらかというとお上品ななりではなかった。まあ荒い口調で恫喝されたように思う。
そこで、具体的にどのようなやり取りをしたのかは、残念ながら良く覚えていない。ただ、私の言い分はこのようなものだったように思う。
お前らの話は隣で聞いていた。どうやら宗教の勧誘のように聞こえたが、そうだろうか。
そうか、その通りか。実は、俺は今宗教に興味がある。
ただ、一体何がどう素晴らしいのか今ひとつ分からない。納得できる何かがあれば、入ってもよいと考えているが、もし納得できないなら入りたくない。
そこで、あんたら二人、そうあんたらだ。ここは一つ、ついでに俺も勧誘してくれないか。
勧誘する側が二人、される側が一人では、不公平な気もするし、俺は宗教に変な偏見も持っていない。公平な視点で物事を判断できると自負している。
あんたらの宗教が素晴らしいものなら、当然俺を納得させ、あんたらの宗教に入らせてくれ、と言わせることができるはずだ。
勧誘されているあんた。あんたも、俺みたいな赤の他人の意見も聞きながらの方が、一人で勧誘されるより、冷静に判断できるんじゃないか?
どうだ。
突然の闖入者が突然ベラベラと喋るので、面喰らったのだろう。しばらく三人とも固まっていた。
ちょっとした間をおいて、まずは私の隣の男が、私の話に乗ってくれた。
それはそうだ、こいつにしてみれば、私は突然現れたた天の助けだ。頼りになるのかならないのかは分からないが、味方というものは、隣に座っていてくれるだけでも心強いものだ。
次に、向かい側の男二人も、私を歓迎してくれた。
これも至極当然の成り行きだ。
宗教を広めたい男に、宗教の話を聞かせてくれ、と言ったのだ。ここで、お前には話したくない、と返すならば、それは人を選り好みするということだ。宗教が人を救うものであるならば、つまりは救う人間を取捨選択するということと同義だ。
(信じようとする)万人を救うからこそ宗教なのであり、救ったり救わなかったりする宗教は、その時点で宗教ではない。と、もし断られていたら糾弾していただろう。
何はともあれ、こうして、二対二の議論が始まることとなったのだった。