第7話
「美波、美波!」
バタバタと足音を響かせて、お姉ちゃんが私の部屋に入ってきた。
と同時に目を開ける。外が明るい。もう朝なんだ。眠れないと思っていたけど、ちゃっかり寝ていたんだ。
「渡壁がおらん!」
「え?」
「このメモ書きがテーブルの上に残っとっただけじゃった」
お姉ちゃんが見せてくれたメモ書きには、一言『お世話になりました』と書いてあるだけだった。
「そんな……」
私は愕然とする。
まだ謝っていないのに。お礼だって、他にも言いたいこといっぱいあるのに。
そうだ、携帯電話で連絡すれば……って、渡壁くんは持ってなかったんだった。このままだともう二度と渡壁くんに会えないかもしれない。そんな不安が胸をよぎる。
「ほら、美波モタモタせんと行くよ!」
「どこに?」
「渡壁を追いかけるに決まっとるじゃろ。どうせしまなみ通って帰るんじゃけえ、車で行きゃあ追いつくかもしれんじゃろ」
「うん!」
私はそのままの格好で部屋を飛び出した。
お姉ちゃんの軽自動車に乗せてもらって、私は渡壁くんの姿を探した。けど、尾道大橋では彼の姿を見つけることはできなかった。
「どうしよう、お姉ちゃん」
「まだ大丈夫じゃって。因島大橋に向かっとるんかもしれんし。自転車は橋の下を走るけえ、私らは車で先回りするよ」
軽自動車はそのまま向島を抜けて、しまなみ海道の因島大橋を渡る。お姉ちゃんは軽自動車をバイク道の出入り口付近で停める。
「ここで渡壁が下りてくるのを待っとったらええわ」
「でも、もう渡っとるかもしれんじゃんか」
「大丈夫じゃって」
お姉ちゃんは妙に自信満々だった。だけど、ここでじっと待っていても不安は募るばかりで、私は待ちきれず軽自動車から降りた。そして、バイク道出入り口から因島大橋に入る。
どうか渡壁くんがまだ因島大橋を渡っていませんように。
そう祈りながら向島方面に向かって走る。
「………………」
因島大橋を渡りきっても渡壁くんの姿を見つけることができなかった。
もう瀬戸田まで帰ったのかな。それともお姉ちゃんの言うように、まだ因島大橋を渡ってないのかな。
張りつめていた糸が切れて、私はその場に座り込んだ。
私ってどうしていつもいつもやることが遅いんだろう。こんなことなら昨夜のうちに渡壁くんにちゃんと謝っておくんだった。変な意地を張ったりしなきゃよかった。
私の人生って、後悔ばっかりだ。
涙の洪水が私の頬に直撃した。
「そんな所におったら原チャリにひかれるで」
背後から聞こえてくる声に、私は期待に胸をふくらませて振り向いた。
自転車に乗った渡壁くんがいた。
「槙原さん、泣きすぎ。鼻水出とる……」
苦笑する渡壁くんにそう言われて、私は慌ててスカートのポケットから昨日借りた渡壁くんのハンカチを取り出す。その時、渡壁くんからもらった縁結びのお守りもいっしょに出てきた。私は縁結びのお守りをポケットに戻すと、ハンカチで涙と鼻水を拭いた。
感動の対面が台無しだった。っていうか、女の子にそんなことを言うなんてデリカシーなさすぎ。
「百年の恋も冷める顔じゃな」
「うるさいなぁ。千年の恋は冷めないからええんよ」
「千年も生きとられんで」
「そんだけ好きってことじゃろ! ロマンの欠片もないんじゃけえ」
こんな会話している場合じゃないのに、出てくる言葉は気持ちとは裏腹なものばかりだった。
涙を拭きながら、私はある疑問点にたどりつく。
渡壁くん、私の背後から来たよね?
「渡壁くん、どうして因島から来るわけ?」
「え?」
あからさまに動揺する渡壁くん。
「えーっと、村神さんの車でずっと後ろを走っとたんじゃ」
渡壁くんはバツが悪そうに、鼻の頭をかいた。
私の思考回路がショートする。
しばらくして、思考回路が機能し始める。
「つまり渡壁くんは村神さんの車に自転車を乗せて、ずっと私たちの後をついてきていたってこと?」
「まあそういうことになるかの」
「どうしてそんなこと……」
言いかけて、気付いた。
お姉ちゃんだ。こんなこと思いつくのは、お姉ちゃんしかいない。どうりであんな自信満々に渡壁くんはまだ因島大橋を渡っていないと言えたわけだ。自分の後ろにいることを知っていたんだから。
私が渡壁くんに謝るきっかけを作るために、こんな芝居をしたにちがいない。
そんなことしなくたって、私はちゃんと渡壁くんに謝れるんだから。そうよ、これから言うんだから。
「あ、あの……」
「槙原さん、ごめん! 俺はやめた方がええって言うたんじゃけど、お姉さんがどうしてもやるって」
渡壁くんが頭を下げた。
先を越されて、謝るタイミングを失ってしまった。もう謝れないじゃない。どうしてこう間が悪いんだろう。
でも、今なら信じられるよ、渡壁くんの言葉。
「ええよ、別に。渡壁くんが悪いわけじゃないけえ」
悪いのはお姉ちゃんなんだから。
「その代わり、今度瀬戸田へ遊びに行った時に観光案内してもらうけえね」
「………………」
渡壁くんは面喰っていた。
私はスカートのポケットから縁結びのお守りを取り出す。袋を開けて、白いヒモでくくっている小ビンを渡壁くんに押し付ける。
今はこれが精一杯。
「これって……」
「それまで預けとく」
「俺がもらってええん?」
「とりあえず、実験。あのおばちゃんが言うようにホンマに幸せになれるんかどうか。結果次第では今度会ったら返してもらうかもしれんけえね」
「実験は成功するに決まっとるが! それに俺は一度もらったもんは返さんけえな」
渡壁くんは小ビンをしっかりと握りしめた。
今度会った時はちゃんと謝るからね。
私は心の中でそう呟いた。
「じゃあ私、このまま向島に帰るけえ。お姉ちゃんに向こうで待ってるって伝えといて」
「いっしょに因島まで行けばええじゃんか」
「嫌だ」
このまま渡壁くんといっしょに行ったら、お姉ちゃんの策略通りに事が運んだと思われてしまうのは癪だった。実際、私は渡壁くんに謝ることができなかったわけだし。これは私のささやかな抵抗。
「わかった。槙原さんははぶてて帰った、って言うとくわ」
渡壁くんも私の気持ちを察してくれたのか、笑ってそう言った。
「じゃあまたね」
「おう、またな」
渡壁くんはとびっきりの笑顔で手を振って、因島方面へ向かって自転車を漕ぎ始める。
私は渡壁くんの後ろ姿をずっと見送る。
渡壁くんの姿が見えなくなると、私は新たな気持ちで向島方面に向かって歩き出す。その私の気持ちを反映するかのように、海面が朝日をキレイに照らしていた。
終
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