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第6話



「ただいま……」

 家に戻ると、お父さんが渡壁くんの自転車の修理をしていた。

 夜まで帰ってこないと思っていたのに、けっこう早く帰ってきたんだ。もしかしたら、お母さんが呼びに行ったのかもしれない。普段はえらそうな頑固親父だけど、お母さんにだけは頭が上がらない。我が家で一番権力を持っているのは、実はお母さんなんじゃないかと思う。

「美波、戻ってきたんきゃあ。お、この自転車の持ち主はどうしたんの?」

 私の後ろに誰もいないことを確認したお父さんが聞いてくる。お酒臭かった。

「知らんわ。そのうち戻ってくるんじゃない」

「この自転車、渡壁いう奴のじゃないんか?」

 どうしてお父さんが渡壁くんのこと知っているの? 気にはなったけど、今は渡壁くんの話なんかしたくなかった。まあ三年前まではこっちに住んでいたのだから、お父さんが知っていても不思議じゃないか。

「確か瀬戸田に引越しして、中学校に通うんに自転車がいる言うてわざわざうちで()うていったけえ、よう覚えとるんじゃ。キレイに乗ってくれとったみたいじゃのお」

 お父さんは愛おしむように自転車を磨いていた。あいつが褒められていると思うと、腹立たしかった。

「買うだけ買ってずっと乗りょうらんかったんかもしれんじゃんか」

「乗りょうたか乗りょうらんかったかは自転車を見りゃあようわかる」

「酔っ払いの目で見て何がわかるん!」

 だんだん声が大きくなっていく。

「ワシはこれ二十四年間メシを食うてきとんじゃ。この仕事に誇りを持っとる。酒飲んだぐらいでどうこうなりゃあせんわあ」

「何が誇りねえ。客も来ない時代遅れの自転車屋じゃんか!」

 私とお父さんの大声に、奥からお姉ちゃんがすごい剣幕で出てくる。たぶん話の内容が聞こえていたんだと思う。

「美波!」

 お姉ちゃんが私の頬を叩いた。そこへタイミング悪く、渡壁くんが戻ってくる。

「お父さんに謝り!」

 お姉ちゃんに、ううん誰かに頬を叩かれたのは初めてだった。こんなシーンはドラマだけの世界だと思っていたから。

「みんな、大嫌い!」

 私はいたたまれなくなって、二階の自分の部屋へ駆け上がった。





 私は部屋に入るなり、ポールハンガーにかけてあった麦わら帽子をゴミ箱に投げ捨てた。

 私、バカだ。

 あんな男に買ってもらった麦わら帽子をいつまでも大事に持っていたりして。

 私はベッドに倒れこむと、枕に顔を押し付けて思いっきり泣いた。

 いろんな感情がミックスされて、今は泣くことしかできなかった。枯れたと思っていた涙タンクの貯水量はけっこう復活していたみたい。

泣き疲れた私はいつの間にか眠っていたらしい。目が覚めると、周りが暗くなっていた。

 下から賑やかな声が聞こえてくる。私は携帯電話で時間を確認する。十八時すぎているから、みんなで晩ご飯を食べているんだ。

 誰も呼びに来てくれなかった。そりゃあ悪いのは私だけど。

「おなか、すいたなぁ」

 私はベッドの上で体育座りして、窓から見えるライトアップされた新尾道大橋を眺めていた。

 部屋のドアがゆっくりと開いた。

 私は咄嗟にベッドに寝転がり、寝たフリをしてしまう。

「みぃなぁみぃちゃーん」

 入ってきたのはお姉ちゃんだった。ケンカした後はいつも甘えた声で私の名前を呼ぶ。今回はお姉ちゃんとケンカしたわけではないけど。

 足音でお姉ちゃんが接近してくるのがわかる。

 あ、美味しそうな匂いがする。空腹の私は食べ物の匂いに敏感になっていた。

「美波ちゃんの大好きな鳥の唐揚げですよ〜。今ならもれなくおにぎりが二個ついてきますよ〜」

 お姉ちゃんは私が寝ていないことがわかっていて誘惑してきているのだ。

 私は目を見開いた。お姉ちゃんの思うツボだったけど、食欲には勝てなかった。

 私が起き上がると、お姉ちゃんは鳥の唐揚げとおにきりがのった皿を手渡してくれる。目を合わせづらくて、私はそれを受け取るとそっぽを向いて食べる。

「だいたいの原因は渡壁から聞いた」

「………………」

 あいつ、ちゃんと本当のこと言ったのかな。

「渡壁、謝っとったよ。でも、あんたもいけんわ。中二まで同じクラスにおったんじゃろ? それなのに全然気付いてやらんかったんじゃけえ。渡壁、男として傷ついた思うで。好きだった女に顔も名前も覚えてもらえてなかったんじゃけえな」

「っ!」

 私は口の中のおにぎりを吹き出しそうになった。あいつ、そんなことまでお姉ちゃんにしゃべったの?

「男と別れて辛い気持ちはわかるけど、自分だけが不幸じゃなんて思わんことじゃね」

 そんなこと言われなくてもわかっている。ただ今はそんな風に前向きに考えることができないだけ。

「渡壁の両親が離婚して、瀬戸田に引っ越したのは知っとんじゃろ?」

 私はうなずいた。知ったのは今日なんだけど。

「離婚の原因は、父親の暴力じゃったんじゃて。母親だけじゃなくて、渡壁も叩かれとったらしいわ。あ。これは渡壁から聞いたんじゃないけえね。お母さんが教えてくれたんよ」

「お母さんが?」

「当時、PTAの役員をいっしょにやってたお母さんに渡壁のお母さんが相談しとったらしいわ。お母さん、人の相談事に乗るの大好きじゃけえな。話を聞いたお母さんは『女に手をあげるような男はと別れてしまい!』って助言したんだと」

「………………」

 言葉が出てこなかった。

 私の知らないところで、うちの両親はどれだけ渡壁くんと関わりあっているのよ? しかも、簡単に別れろなんて言ったりして。離婚の最大の原因って、私のお母さんのような気がして、渡壁くんに申し訳なかった。

 でも、もしかしたらお母さんは最初から渡壁くんのことを覚えていて、うちに泊まればいいなんて言い出したのかもしれない。それなら下の名前で呼んだってのも納得がいく。

「渡壁、言うとったよ、今の自分がおるんは自分に親切にしてくれた人たちがおったからじゃって。だから、今度は自分がみんなに親切にしようって決めたんじゃと。泣かせるじゃんか」

 渡壁くんの必要以上に親切な行動の理由は、みんなへの恩返しだったんだね。

「渡壁、明日には帰るんじゃけえ、ちゃんと謝っときんさいよ」

「私がぁ?」

「当たり前じゃろ。お父さんにも!」

「……やだ」

 私は小声で呟く。

 今更どんな顔をして謝ればいいのよ。

「ったく、頑固なのはホンマお父さん似なんじゃけえ」

 お姉ちゃんはため息とつくと、空になった皿を奪い取り、部屋から出て行った。

 お姉ちゃんが一階に降りたとたん、また賑やかな声が聞こえてくる。お姉ちゃんって我が家のムードメーカーなんだなぁ。改めて実感した。

「謝る、かぁ」

 それが簡単にできないから困っているんじゃない。

 そういえば、渡壁くんって本当に同じクラスだったのかな。

 私はそれを確かめるため、渡壁くんの写っている写真を探すことにした。

 アルバムを開く。確か、二年生の一学期にクラス全員の写真を撮ったのがどこかにあるはず。

「あった」

 出席番号順に並んだはずだから、渡壁くんは後ろの方ね。吉岡くんが言うにはもやしみたいにひょろひょろしていたらしいけど。

「んー、これかなぁ?」

 それらしき人物はいた。でも、今の渡壁くんとは全然雰囲気が違う。何か陰気臭くて、この世の不幸をすべて背負っていますって感じのオーラが出ている。

 これが本当に渡壁くん?

「あ、絆創膏……」

 渡壁くんの額に絆創膏が貼ってあるのを発見した。そういえば、顔や体によく傷をつけている子がいたっけ。今思えば、あの傷は父親の暴力によってつけられたものだったんだね。

 おぼろげだけど、何となく記憶が蘇ってくる。

 たぶん、このクラス写真を撮った日だと思う。渡壁くんの額の絆創膏がはがれそうになっているのがすごく気になって、持っていた新しい絆創膏をあげたんだ。

 やっぱり私にも槙原家の血が流れていたんだね。そんなの放っておけばいいのに、はがれそうだからってしゃべったこともない男子に絆創膏をあげたりするなんて。

 私は渡壁くんにそんなことをしたことすら忘れていたのに、渡壁くんは私のことずっと覚えていてくれた。

 ふいに右小指の絆創膏が視界に入ってきた。渡壁くんと再会した時のことを思い出す。私が自殺すると思って止めに来てくれた。あの時はまだ私が誰かなんてわかっていなかったはず。でも、私だってことに気付いて、私が傷ついていることを知って元気付けてくれようとしてくれた。それなのに私は渡壁くんのこと思い出しもせず、自分のことばっかり考えて、陸と別れて悲劇のヒロイン演じて、渡壁くんのことを疑って当り散らしてひどいことを言った。

「最低なのは、私じゃんか……」

 何がこれからは相手の気持ちを考える、よ。私、何もわかってないじゃない。全然成長していない。

 渡壁くんに謝らなきゃ。でも、まだ心の整理ができていない。ちゃんと整理して冷静になってから謝ろう。でないと、今の私は感情にまかせてまた渡壁くんを傷つけてしまうかもしれない。

 それが一番怖かった。

 その夜、私はなかなか寝付けなかった。




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