第5話
私は急な坂道を転びそうなりながら、必死で走った。けど、渡壁くんとの距離はどんどん離れていく。
渡壁くんに追いついたのは、本堂の前だった。
速すぎる。まったく、どんな運動神経しているんだか。
「いっちばーん!」
渡壁くんは息を乱すことなく、余裕の笑みを浮かべていた。
あの勝ち誇った顔、ムカツクなぁ。
「ひ、ひきょうモン。ハンデくらい……くれたって……ええのに」
私は息を切らしながら抗議した。けど、その声は小さすぎて渡壁くんには届かなかったみたい。
「はい」
渡壁くんが手を差し伸べてくれた。私は彼の手を借りて、本堂の階段を上がる。
私はさい銭箱に気持ちだけの小銭を投げ入れると、両手を合わせる。
お願い、何にしようかな。
「どうか槙原さんにステキな彼氏が現れますように!」
渡壁くんが両手を叩いて、大きな声で言っていた。
私は自分の願いも忘れて、渡壁くんに詰め寄る。
「何言おうるんね!」
「さい銭五百円も奮発したんじゃけえ、神様もお願いを聞き入れてくれるじゃろ」
「そう言う問題じゃないじゃろ!」
「あ、そっか。願いは口に出して言うちゃあいけんのんじゃった」
悪びれた様子もなく、あっけらかんと言う渡壁くん。
こいつ、やっぱりお姉ちゃんと同種族だ。こういうタイプには何を言っても意味がないのよね。お姉ちゃんで何度も痛い目に遭っているからよくわかる。
「よし、参拝も済ませたし。お守りお守り」
足取り軽く先を行く渡壁くん。
お守りは本堂の中にある売店で売っている。売店にはいかにも人の良さそうなおばちゃんがいた。
「縁結びのお守りを十個ください」
渡壁くんはおばちゃんに縁結びのお守りを指差す。
十個、ってことは十人の人に頼まれたってこと? あ、いや一個は渡壁くん本人のかも。
おばちゃんも少しあっけに取られていたけど、すぐに十個を袋に入れてくれた。
「お兄ちゃん、そぎゃあに買うてどうするんの?」
やっぱりおばちゃんも気になったみたい。
「人から頼まれて」
「ほうじゃろうねえ。お兄ちゃんにはかわいい彼女がおるんじゃけえ、必要ないわなあ」
「違います。私、彼女じゃないですから」
私は否定した。
「そんならあんたら付き合えばええが。お似合いでえ」
「ほ、ほうかの?」
渡壁くんはおばちゃんの言葉を真に受けて、まんざらでもない顔をしていた。他に好きな子がいるくせに、何喜んでいるのよ。
「だめだめ。この人、他に好きな子がおるんじゃけえ」
「ありゃあホンマねぇ。そりゃあいけんかったねぇ」
豪快に笑うおばちゃん。つられて笑う渡壁くんの方は、どっちかっていうと苦笑いに近かった。
「ほいじゃあ、お守りの説明しょうかねえ」
おばちゃんは親切に縁結びのお守りの説明を始めてくれた。
縁結びのお守りは、赤いヒモでくくられた透明な小ビンと白いヒモでくくられた小ビンが一つずつ入ってセットになったものを言う。
女性の場合。
赤いヒモでくくられた小ビンは自分が持ち、白いヒモでくくられた小ビンはタンスの中とかに仕舞っておく。そうすると、相手の男性を探してきてくれるらしい。
そして、相手の男性が見つかると、白いヒモでくくられた小ビンをその男性に渡す。お互いで持っておくと、いつまでも仲良く幸せに過ごせるらしい。
男性の場合は、その逆をすればいいらしい。
「赤いヒモのビンにはかんざし、白いヒモのビンには小判と米が入っとるんよ」
「あ、すんません。もう一個ください」
話を聞いた渡壁くんは一個追加した。これが自分用かな。おばちゃんの言うことを完全に信じているって感じ。純だね。
「はいよ、お兄ちゃん。想い人をうまくいくとええなぁ」
「あ、ありがとうございます」
渡壁くんは縁結びのお守りを受け取った。
やっと目的を果たした私たちは、来る時には下りだった坂道を今度は上がっていく。もうふくらはぎがパンパンだよ。明日は筋肉痛決定だね。
「はい、これ」
渡壁くんは縁結びのお守りが入った袋から一つ取り出すと、私に差し出す。
「私に?」
「御利益あるらしいけえ」
追加で買ったのは、自分用じゃなくて私にくれるためだったんだ。別にそんなの必要ないんだけど、せっかく買ってくれたのに断るのも悪いから、一応もらっておくことにする。
「他は全部頼まれた分?」
「うん」
「十人も?」
「いや、一人」
「一人で十個?」
「四十が近いけえ、焦っとんじゃろ」
「その人、女の人が寄り付きそうにないタイプなん?」
「んー、人はええんじゃけど。女の人とまともにしゃべれんシャイな性格なんじゃ。仕事柄、女の人と会う機会も少なあし」
「何の仕事しようるん?」
「ロープウェイの中で言うたの、覚えてないん?」
そういえば、縁結びのお守りを頼まれた人のことをしゃべっていたような気がするけど、あの時は周りの声が全然聞こえなくて。
「造船の下請工で、俺の親方」
「俺の親方……? っていうことは、渡壁くん働いとるん?」
「それもロープウェイの中で言うたろ。ホンマ、忘れっぽいのお」
やばい。これ以上しゃべったら、話を聞いていなかったことがバレてしまう。何か忘れっぽい性格って思われているのは癪に障るけど、ここはあえて黙っていよう。
けど、渡壁くんは気にした風でもなく、話を続ける。
「中二の時に親が離婚してしもうたけえ、俺は働くことにしたんよ。その方が母ちゃんも楽じゃろうし。ま、勉強がしとうないってのが本音じゃけど」
何も考えていない能天気な奴かと思っていたけど、けっこう苦労しているんだ。私と同じ年なのにもう社会に出て働いているなんて。
少しだけ渡壁くんに同情した。
「俺、お茶」
「はい?」
気が付くと、渡壁くんが自動販売機の前でお茶のペットボトルを指差していた。
ちゃっかりと覚えていたんだ。
同情撤回、かも。これだけしっかりしていたら社会の荒波に揉まれても十分に生きていけると思う。
私たちは自動販売機の前で小休憩することにした。
ロープウェイで山麓駅まで戻ってくると、近くの喫茶店には長蛇の列ができていた。ここのワッフル、美味しいから休日はいつも行列ができている。行く時はそうでもなかったけど、今はちょうどティータイムだから半端じゃないくらい人が並んでいる。これだけ並んでいたら私だったら断念するかも、なんて思いながら、通り過ぎていく。
「渡壁じゃん!」
行列の中から一人の青年が飛び出してくる。
あれ、この人どっかで見たことあるような気がするんだけど。どこにでもいそうな特徴のない顔をしているからかな。
「お前、こっちに来る時は前もって連絡せえ言うたろうが」
「手紙送った」
「いつ?」
「昨日」
「アホきゃあ。今日来るのに昨日手紙送ってどうするんの!」
会話を聞いていると、二人はかなり親しい間柄だってのがわかる。昔のクラスメイトとかかな。私の存在は目に入ってないみたい。
「じゃけえ、携帯買ええ言うたじゃろうが」
「そんな金なあわ」
そうだよね。お母さんと二人暮らしなんだもん。そんな余裕はないのかもしれない。日々の生活だけで精一杯なんだわ。
そう思うと、私って恵まれているんだなぁ。自分でお金を稼いでいるわけでもないのに、携帯電話とか持っているんだから。今度からちゃんと考えて使おう。友達とのムダ話も控えよう。
「ええじゃんか。結局会えたんじゃけえ。それよか、ヨッシーはここで何しようるん?」
「何、って。ワッフル食べるのに並んどるんじゃろうが」
「お前地元なんじゃけえ、こんな人が多い連休にこんでも平日に来りゃあ並ばんと食えるじゃろうが」
ヨッシーと呼ばれた青年は、鼻の穴を膨らませて胸を張った。
「デートに決まっとろうが。彼女がどうしてもここのワッフルが食べたいって言うけえ並んどるんじゃ」
「デートぉ?」
「ほうじゃ。渡壁、携帯はええぞ。彼女とは携帯のサイトで知り合うたんじゃ。あ、言っとくが、出会い系じゃないぞ。コミュニティーサイトで知り合った子がたまたま福山の子じゃたんよ。じゃけえ、渡壁も携帯やっぱ持てえや。そしたら、俺のようにかわいい彼女ができるかも……」
そこまで言うと、ヨッシーくんは私の存在に気付いて唖然としていた。
「槙原美波じゃんか!」
「?」
どうしてヨッシーくんが私の名前を知っているわけ?
「俺じゃ、吉岡久志。同じクラスの」
私が戸惑っていると、ヨッシーくんは自己紹介してくれた。
「同じクラス?」
「中学も三年間ずっと同じクラスじゃったのに覚えてもろうてないなんて、ショックじゃのお」
そう言われてみれば、そんな名前の奴がいたような気がする。
「吉岡くん、渡壁くんと知り合いだったんだ」
「何言おうるんの。渡壁も中二の一学期まで同じクラスじゃったが」
「えっ?」
私の頭は混乱していた。
渡壁くんと私が同じクラスだったなんて、まったく記憶がないんだけど。
「井ノ迫と入れ違いで転校しってたじゃろうが。あー、こいつ中学ん時はもやしみたいにひょろひょろしとったけえ覚えてないかもしれんのお。しかも、今みたいにこんなしゃべる奴じゃあなかったし」
私は渡壁くんの顔を見た。彼は苦笑していた。
そういえば、陸が来る前に転校していった男子がいたようないないような。記憶があいまいだった。
もしかして、渡壁くんは最初から私のことに気が付いていた? なのに、どうしてそれを隠していたんだろう。
「それより、渡壁! お前どうして槙原といっしょにおるんの? まさか二人は付き合っとるなんて言うじゃないじゃろうの! ってことは、あのメール本物じゃたんかあ。こんなことなら俺もコクればよかったのお。渡壁一人ばあうもうやりゃあがって」
吉岡くんは一人でしゃべり続けていた。
「メール?」
「ほうじゃ! お前携帯持ってなあのに何でメールの内容知っとったんの?」
「ヨッシー、さっきから何わけのわからんこと言おうんの」
「これじゃ!」
吉岡くんは携帯電話を取り出して、メールの画面を見せる。
『槙原美波が男と別れました。傷心の槙原美波をおとすのは今がチャンスです。やさしい言葉をかけて慰めてあげましょう』
メールの内容に私の心は凍りついた。
そういえば、最近中学時代同じクラスだった男子からメールが来たり、告白されたりすることが多かった。そのメールは吉岡くん以外にも送信されているってことだよね。
誰がそんなメールを?
陸と別れたことはまだ友達にも言ってないのに。
そのメールを受信しているのが中学時代のクラスメイトばかりなら、信じたくないけど陸がふられた腹いせにやったってことも考えられた。
陸へのくすぶっていた恋の炎が、まるで消防車の一斉放水によって鎮火させられたような気分だった。
「そのメール誰から来たん?」
「それが知らんメアドからじゃったけえ、いたずらじゃばあ思ようた。しかし、三年越しの恋を実らせるとはさすが渡壁じゃのお」
「ヨッシー、もうええけえ。はよお彼女のトコに戻りいや」
「ちょい待ちいや。まだ聞きたいことがあるんじゃけえ」
「また手紙書くけえ」
渡壁くんはまだしゃべり足りなそうな吉岡くんを強引に行列の中へ押し戻した。
私の頭の中はパニックだった。
「槙原さん、あいつの言うとったことなんか気にせん方がええけえ」
気にするなって言う方が無理だと思う。
「もう自転車直っとるかもしれんけえ、家に戻ってみようや」
渡壁くんは何事もなかったかのような顔をして、私の手を引っ張る。
私は渡壁くんの手を払いのける。
「どうして黙っとったん?」
「黙っとたわけじゃない。ちゃんと名前だって、前にこっちに住んどったことも言うたし。……槙原さんが気付いてくれんかっただけで」
「ぐっ」
痛いところを突かれて、私は言葉に詰まった。
「そりゃ気付かんかった私も悪いけど。気付かんかったら気付かんで、ちゃんと最初から言ってくれりゃあよかったのに。人を試すようなことして」
私は渡壁くんのことが信じられなくなっていた。今まで親切にしてくれたことがすべて偽りのように思えてならなかった。
「人の心の隙につけいるようなことして……。最低じゃ」
だまされていた。
そう思った私は、その場から逃げるように走り去った。
渡壁くんの呼び止める声が聞こえてきたけど、私は立ち止まらなかった。