第4話
私たちは山麓駅からロープウェイに乗って、千光寺山に向かった。
ロープウェイが山頂に近付くにつれて尾道水道が一望できるようになる。でも、私は外の景色なんか見る気になれなかった。
渡壁くんは嬉しそうに眺めているけど。
「子供の頃、ロープウェイに乗って、あの玉を見下ろすんが大好きじゃったんじゃ」
渡壁くんが言っているのは、玉の岩と言って烏帽子の形に見える岩の天辺にある大きな玉のこと。
「あの玉って、昔は本物の宝玉じゃったらしゅうて夜になるとぴっかぴっか光るけえ瀬戸内海を行き来する船にとっては灯台みたいなもんじゃったんじゃと」
渡壁くんが玉の岩についての伝説を語り始める。
「それを聞いたどっかの国の皇帝がその玉を手に入れとうなって部下たちに『その玉を取ってこい!』って命令したらしいんじゃ。そんで、やっとの思いで玉を手に入れたんじゃけど船に運ぶ時に海に落としてしもうたんじゃと。今でもその玉が海の底に眠っとるらしいで。そんなん見つけたら大金持ちになれるのお」
「そうじゃね」
はしゃぐ渡壁くんに対して、私はそっけない返事しかできなかった。まだショックから立ち直れていないみたい。
「俺、金持ちになったら……」
渡壁くんはずっとしゃべっていた。けど、だんだん渡壁くんの声が私の耳に入ってこなくなる。渡壁くんの声だけじゃない。ロープウェイに乗っている他の人の声も雑音も聞こえない。私一人だけがまるで違う空間に隔離されているみたいな感覚だった。
ガタンと、ロープウェイが揺れると同時に外界を遮断していた壁みたいなものが壊れたような気がした。
「じゃけえ、そういうのは自分で買いに行った方が御利益あるけえ自分で買いに行きゃあええじゃん、って言うたんよ」
渡壁くんの声が聞こえてくる。どうやら縁結びのお守りを頼んだ人のことをしゃべっていたみたい。
「そしたら」
渡壁くんのトークが終わるのを待ち切れずに、ロープウェイは山頂駅に到着した。そこで一旦、渡壁くんは話を切った。
千光寺は山頂駅から少し下った所にある。
千光寺山は桜の木が多くて、春になると桜が満開に咲き誇る。『さくら名所百選』に選ばれるくらいで、尾道では一番有名な桜の名所である。
ちなみに今の季節だと菊花大会をやっている。
「お、展望台」
渡壁くんは前方にある展望台を見つける。
展望台は筒状の二階建ての建物で、一階は細くて二階にあるレストランへ続く階段のみになっている。展望台は屋上にある。子供の頃は、この奇妙な造りの建物がまるで宇宙人の基地のように思えてドキドキしていた。お姉ちゃんにはバカにされたけど。
「俺、子供の頃あの展望台は宇宙人の基地かなんかで宇宙人と交信できるんじゃばあ思ようたけえなぁ」
やっぱり子供の頃はみんなそう思っていたんだ。私だけじゃないと知ってちょっと安心した。
「あれ、渡壁くん。尾道に来たことあるん?」
「昔、住んどった。けど、親の都合ってやつで瀬戸田に引っ越ししたんよ」
「じゃあ私の案内って必要なかったんじゃんか」
「そんなことなあわ。久しぶりに尾道に来たらけっこう変わっとるけえ、ビックリしたんじゃけ。じゃけえ、展望台から尾道を見てみたいんじゃ」
そう言われたら止めるわけにもいかない。
何か渡壁くんがお姉ちゃんと同じ人種に思えてきた。
結局、私も展望台に上がって尾道の町並みのパノラマを見下ろしていた。
陸、まだ商店街にいるのかな。あんなこと言われたのに、まだ陸のことが気になるなんて。 私、陸の何を見ていたんだろう。外見だけ、って言うなら、私も陸と同じだよね。
お姉ちゃんの言ったとおりだ。私って、男を見る目がない。
やばい。何か涙出そうになってきた。
「はい」
いきなり眼前にオレンジ色のソフトクリームが出現した。
「しまなみオレンジ味じゃと。俺はとうふ味。あ、こっちの方がえかったら交換しようか?」
そう言った渡壁くんの手には白色のソフトクリームがあった。見た目はバニラ味に見える。
「いや、ええわ」
私はしまなみオレンジ味のソフトクリームを受け取ると、ペロリとなめる。さわやかな柑橘系の味が口の中に広がっていく。
「ごめん。俺、こういう時はどうしたらええんかようわからんけえ」
私はそこで渡壁くんなりに気を使ってくれていたことにやっと気付いた。
「そういえば、渡壁くんは彼女がおらんのんだっけ。今まで付き合ったこともないん?」
「ない」
「でも、好きな子くらいはおったじゃろ?」
「おった。けど……」
「けど?」
渡壁くんは真剣な表情をして黙りこんだ。
もしかして、聞いちゃあいけなかったのかな。まさか病気か事故で死んじゃったとか。
「転校してしもうたけえ、告白することもできんと、それっきり」
「何だ……」
ドラマティックな言葉を期待していた私はガッカリした。
でも。
「尾道に来たんじゃけえ、その好きな子に偶然会うことがあるかもしれんじゃん。ねぇ、まだその子のこと好きなん?」
「そ、それは」
渡壁くんは顔を真っ赤にする。その顔を見れば一目瞭然。まだ好きってことだよね。
「けっこう純情なんじゃね。でも、その気持ちわかる。一度好きになった人のこと、そんな簡単に忘れられないよね。例えそれが超ムカツク奴じゃったとしても」
やっぱり陸のことが好き。今日会ってそれを痛感させられた。
ついに涙の防波堤が決壊した。我慢していただけに一度あふれ出した涙は止まらない。
「あ……」
私が泣き出したので、渡壁くんは戸惑っている。そりゃそうだよね。目の前でいきなり女の子に泣かれたら誰だって困るよね。
「ご、ごめん。ちょっとだけ……泣かして」
私は食べかけのしまなみオレンジ味のソフトクリームを渡壁くんに押し付けると、遠慮なく大泣きした。容赦なくあふれ出る涙を両手でぬぐう。
不思議だ。渡壁くんの前だとどうしてこんな風に普通でいられるんだろう。今日知り合ったばかりなのに。これって、渡壁くんの人徳かな。
「あ、これ……」
渡壁くんがよれよれのハンカチを差し出してくれた。
「ジャンバーのポケットに入れとったけーよれよれじゃけど、キレイなけ」
私はそれを受け取ると、目頭を押さえた。でも、涙はまだまだ止まりそうになかった。
たぶん五分も経ってないと思う。私の涙タンクの貯水量が空になったのは。
さすがにあれだけ泣くと、気持ちが幾分かスッキリした気がする。
「ハンカチ、洗って返すけえ」
「ええよ、そのままで」
「そんなわけにはいかんわ」
涙だけならともかく鼻水もふいちゃったのに、そんなハンカチをそのまま渡壁くんに返すわけにはいかない。私はハンカチをスカートのポケットの中にしまいこんだ。
「あ、そういえば、ソフトクリーム……」
「とけようたけえ、全部食うたよ」
「は?」
「さすがに二つも食うたら体が冷えるのお」
渡壁くんはその場で足踏みして両手を擦りながら体を温めていた。
私が号泣している間、渡壁くんは二つのソフトクリームをずっと食べていたわけ?
何かその姿を想像すると、腹が立ってきた。
「そんなに寒いんなら、千光寺まで走ればええじゃんか」
「あ、それええ考えじゃな。そんじゃあ、本堂までどっちが先に着くか競争しようや。負けた方がジュースおごるんで」
「えー?」
渡壁くんは私の皮肉を素直に取ったらしい。
競争って、そんな子供じゃないんだから。
「何でそんなことせんといけんのんね?」
って、私が言った時には、もう渡壁くんはスタートダッシュしていた。
マジで?
「ちょ、ちょっと待ってえや!」
私は慌てて渡壁くんを追いかけた。