第1話
尾道が舞台の恋愛小説です。ローカルな部分が多いと思いますが、よかったら読んでみてください。
井ノ迫陸のことを二年間片想い続けて、八ヶ月間付き合って、そして別れた。
原因は、陸の浮気だった。いや、あれを浮気と言ってもいいのだろうか。私は複数いる彼女の中の一人にすぎなかっただけ。それに気付いていなかったにすぎない。
中学二年生の一学期に横浜から尾道に転校してきた陸は、頭も良くてイケメンでスポーツ万能だったから、すぐに女子生徒の人気者になった。当然私も陸に一目惚れした。でも、告白する勇気がなくて。自信がなかったわけじゃない。自分で言うのもおこがましいけど、私どっちかっていうとかわいい顔しているから、男子から何人も告白されたことはある。だけど、断ってばかりだったから付き合った経験はない。そのせいか男子と話すのは苦手で、陸にもなかなか告白するチャンスは訪れなかった。
そんなこんなでトロトロしているうちに、卒業式を迎えた。そこで私は思い切って陸に告白した。OKの返事がもらえた時はもうすっごく嬉しかった。こんなことなら早く告白すればよかったと後悔した。だって、私と陸は違う高校に通うことが決まっていたのだから。おかげで付き合うようになっても中学の時のように毎日学校で顔を合わせることはできなかった。しかも、陸の通う高校は進学校。日に数回のメールのやりとりをして、月に一回デートするくらいだった。それでもかまわなかった。陸のことが独占できるなら。
って、ずっと思っていた。
でも、それは私の勘違いだった。
陸にしてみれば、いっしょに遊ぶ女の子が一人増えただけにすぎなかったのよね。
どうしてそのことに早く気が付かなかったのだろうか。気が付いていれば、告白なんかしかったのに。
ううん、やっぱりしていたと思う。
当時の私は、自分は陸にとって特別な存在だって思い込んでいた。他の女の子とは違うんだって。
そういえば、友達にも言われたっけ。陸はやめておいた方がいいって。けど、私には友達の言葉が聞こえていなかった。友達にもよく注意されていたけど、私って好きな人ができると周りが見えなくなるタイプらしい。
陸と別れて一ヶ月。
いまだにふっきることができない私は、陸との思い出の場所にいた。
立花海水浴場。
思い出って言っても、今年の夏に一回いっしょに海水浴に来ただけだけど、私にとっては
忘れることのできない思い出の場所だった。
さすがに十一月にもなると、こんな所にいるのは私と釣りをしている数人のおじさんだけ。
私は砂浜に座り込んで、行ったり来たりする波をぼんやりと眺めていた。
脳裏には暑かった夏の記憶が蘇ってくる。
夏休みに入ってすぐに陸が海水浴に行こうと誘ってくれた。陸の方からどこかに行こうと誘ってくれたのは初めてのことだったので、私は有頂天になっていた。
でも、私は泳ぐのが苦手だから、浮き輪でぷかぷかと波に流されながら浮かんでいるだけだった。
そんな私を見て、陸はこう言った。
「海に浮かんでいる美波はその名前の通りの子だね」
「どういうこと?」
「美しい波のよう、ってことだよ」
こんな歯の浮くような臭いセリフも、私にとってはミルクチョコレートよりもメイプルシロップよりも甘いささやきだった。
あの頃の私は恋に恋する乙女だったのかもしれない。
そして、その気持ちは過去形にはならず、現在進行形だった。
心のどこかで私はまだ陸のことを好きでいる。その証拠に私は季節はずれの麦わら帽子なんかをかぶっていたりする。
海水浴に来た時、帽子を忘れた私に陸が買ってくれた……初めてのプレゼントだった。
「髪、切ろうかなぁ」
私は長い髪の毛を人差し指に巻きつける。陸は髪の長い女の子が好きだって言っていたからずっと伸ばしていたけど、もうそんなことを気にする必要もなくなったし。
「はぁ〜」
出るのは、ため息と涙だけ。
私がふった男の子たちもこんな切ない気持ちだったのかな。私、相手の気持ちなんか考えずに即答していた。少しは相手の気持ちも考えてあげなきゃだめだよね。告白するのだって、すごい勇気がいることなのだから。
にしても、私ってこんなに弱い女だったっけ?
お姉ちゃんなんか彼氏と別れて一ヶ月もしないうちにさっさと新しい彼氏作ったっていうのに。
私にはとてもじゃないけどお姉ちゃんのような生き方はできそうにない。
「海、冷たいかな?」
なんてことを思いながら、私は立ち上がるとゆっくりと海の方へと足を進めていった。
右手を海に入れてみた。
「やっぱ冷たい。このまま海に入ったら凍死と溺死、どっちが先なんかな? ま、どっちも嫌じゃけど」
死にたい、とは思えなかった。
さすがに私もそこまで悲観的に物事を考える女ではなかったらしい。
そんな自分にちょっとだけ安心した。
「ちょっと待った!」
「え?」
背後から誰かが私の右手を鷲づかみしてきた。そして、そのまま後ろへ引き戻される。
足元が砂場ということもあって、私はバランスを崩して尻餅をつく形で倒れた。
「早まんなぁや! 何があったか知らんけど、命を粗末にしたらいけんじゃろうが!」
「?」
見上げると、褐色の肌の青年が息を切らしながら怒鳴っていた。何かスポーツでもしているのか、ジャンバーを着ていても体躯の良さがわかる。年は私と同じくらいかな。
もしかして、私自殺すると思われていた?
「悩みがあるんなら相談に乗っちゃるけえ」
真摯な眼差しで言われてしまった。誤解とはいえ、今時初対面の人間にそんなことが言える人も珍しい。国宝級ものだ。
とりあえずは誤解を解かないと。
「あ、あの……私自殺しようとしたわけじゃないけえ」
「………………」
青年は状況が把握できないのかしばし呆然とした顔をしていた。そして、自らの早とちりに気付いたのであろう。
「すんません!」
青年は何度も頭を下げて謝ってくれた。
「いいよ。私も誤解招くような行動したんがいけんかったんじゃけえ。けど、私死にたいような顔しとった?」
「あ、いや。顔はよう見えんかったけえ」
バツが悪いのか、青年は私と目を合わせようとはしない。
でも、よく見てみるとけっこうかっこいい顔しているかも。ま、陸には劣るけど。
私は砂を払いながら立ち上がろうとして、右の小指に痛みを感じた。見てみると、血が出ていた。倒れた時に貝殻か何かで切ったんだと思う。たいしたことないけど。
「血が出とる! はよう手当てせんと!」
それに気付いた青年は大げさに言うと、背負っていたリュックサックから絆創膏を取り出して、私の小指に貼ってくれた。
「あ、あの……」
「あ、ごめん!」
青年は慌てて手を離す。
典型的な『良い人』タイプかも。
「おもしろい人じゃね。私は槙原美波」
「お、俺は……」
と、青年が言いかけて、私は青年の背後……つまり海に視線が釘付けになった。
見慣れた麦わら帽子は浅瀬で波に揺られて浮かんでいた。
私は咄嗟に自分の頭に手をやる。
ない!
私の頭にあるはずの麦わら帽子が。
ってことは、やっぱりあそこでゆらゆらと漂っているのは、私の麦わら帽子。
さっき手を引っ張られた時の反動で海に落っこちたんだ。
「私の麦わら帽子、取ってきて!」
私は麦わら帽子を指差した。青年は私が指差した先を見る。
「俺が?」
「当たり前じゃろ! あんたが私の手を引っ張ったりせんかったら帽子が飛んでいくことはなかったんじゃけえね」
私は名も知らぬ青年を海に向かって突き飛ばした。
青年は何か言いたそうな顔をしていたけど、ジャンパーを脱ぎ捨てると海に向き直る。そして、今度はスニーカーと靴下を脱ぎ、ジーパンの裾をまくりあげた。
「だーっ」
青年は雄叫びを上げて、海の中へ入っていた。
「冷たてえっ!」
って、声が聞こえてくる。ジーパンの裾を上げた所までしっかり海の中に浸かっていた。気が動転していたとはいえ、ちょっと申し訳ないことさせちゃったかな。
青年は麦わら帽子をつかむと、じゃばんじゃばんと波を蹴りながら海から上がってくる。
私は駆け寄ってすぐに麦わら帽子を受け取ると、持っていたハンカチでふいた。
「それ、そんなに大事なもんじゃったんか?」
「………………」
私は答えられずにいた。
「早とちりして迷惑かけてごめん」
青年は脱ぎ捨てた物を拾い集めながら、砂浜から上がっていく。
ありがとう、の一言が言えなかった。彼は善意でやってくれたことなのに。さっき相手の気持ちも考えるようにしようって決めたばかりなのに、これじゃ私お礼も言えないすごく嫌な女じゃない。
「あ、そういやぁ」
青年の言葉に、私は振り向く。
「この辺に自転車屋さんなかったっけ?」