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雨傘fate

作者: きずな

 朝から降っている小雨はまだ止まない。

 図書館の勉強スペースの端の席。少し見上げた所にある窓から外を眺める。ここに来たときよりも、外は暗くなっていた。

 それから、目の前に広がっている教科書やノートに目を移し、私はため息をついた。

 こんな雨だからか、ここで勉強している人はいつもよりも少ない。少し離れたところで、学ランの男子生徒が一人いるだけだ。

 親がうるさい所で勉強するよりは、と思って図書館に行ってはいるが、集中力はたいして変わらない。それに、今日は雨ということもあってか、余計にやる気が起きなかった。

 それと比べ、同じスペースにいるあの男子生徒は、私が来る前から机に向かって真剣な顔をしている。きっと、私と同じ受験生なのだろう。

 もういいや、と諦めて広げていたものを片付ける。今日はここには一時間もいなかった。

 兄から借りた傘を差し、図書館を出る。雨は霧雨のようだった。来るときより、傘は少し重くて差しにくいと感じた。その傘と同じくらい重い足取りで、私は帰路についた。




 傘が兄のものでないと気づいたのは、翌日の朝、母に言われてからだった。

 兄の傘は、青と紺色の中間をついたような色なのだが、私が昨日差して帰ってきたのは、それよりも暗い、普通の紺色の傘だったのだ。

 兄の傘とよく似ているし、持っていてもいいんじゃない、と母は呑気に言っていたが、それはそれで罪悪感が募るだけだ。私は仕方なく、晴天の中、その傘を持っていくことにした。

 取り間違えたのは図書館だと分かっている。昨日学校を出たときは確かに兄の傘だったからだ。

 学校帰り、私はまた途中の駅で降り、近くの図書館へ向かう。


「……どうすればいいんだろ、これ」


 司書さんに預けても、自分の傘が戻って来なければ意味がない。だからと言って、ここで待っていても持ち主が来るかも分からない。

 図書館の前で立ち尽くしているときだった。


「それ、俺の傘」


 背後から聞こえた声に振り向くと、見覚えのある男子生徒が立っていた。

 昨日、勉強していた人だ。

 彼の手にも、私の傘があった。


「ご、ごめんなさい、これ……」

「いや、こちらこそごめん。気づかないで持って帰って」


 お互いに傘を交換する。その男子が、受け取った傘を見て苦笑していた。


「本当によく似ているなぁ。確かにこれは間違えるよ。っていうかそれ、君の傘なの?」

「本当は兄の傘。自分の傘を壊しちゃったから、兄が昔使っていた傘を借りたの」

「そっか、だからか」

「え?」

「女子がその傘を持ってることにびっくりして」


 確かに、おかしい、とまではいかないが、女子が持っていたら少し違和感があるだろう。

 それよりも、彼がこんなに話しやすい人だということに私は驚いていた。昨日の様子だけだと、真面目で大人しそうな人だと思っていたからだ。

 先入観で見てはいけないのだとつくづく思う。


「そういえば、昨日もいたよね」

「覚えてたんだ」

「うん」


 昨日、あの場にいたのが私と彼だけだったこともあってか、彼の姿は印象に残っていた。


「今日も勉強していくの?」

「そのつもり」


 やっぱり真面目なんだな、と感じた。




 このまま立ち話をするのもなんなので、私たちは一旦、図書館に入った。

 勉強スペースには、既に学生らしき人が数人いた。

 私が昨日座っていた端の席に、彼と向かい合って座る。

 彼、芳野君は、この近くの高校に通う三年生だ。地元もここの最寄りの駅から三つほどらしいが、私とは反対の駅だった。

 席についた彼は、すぐに勉強道具を広げ始めた。


「……真面目だね」


 ついに声に出してしまった。


「真面目も何も、勉強しないと進路危ういし。そういう大川さんも、三年生でしょ? 進路は決まってるの?」

「うん、行きたい大学はあるんだけど……」


 そこで私は、言葉を詰まらせた。

 彼に、こんなこと言っていいのだろうか。

 私が話すより先に、彼が口を開いた。


「昨日、さ……すぐ帰ってたよね。っていうか、いつもすぐ帰るよね」

「え、いつも、って……」


 思わぬ言葉に、私はまた戸惑ってしまった。


「いつも来てるでしょ、ここに。よく見るよ、大川さんのこと」

「……覚えていたの?」

「覚えていたというか……よく見るから、覚えたというか。いつも、すぐ帰るなぁと思ってたんだよね」


 そこで芳野君は、少し困ったような顔を見せた。


「言っていいことではないと思うけど……そんなに勉強してないのに、何でここに来ているんだろう、って、ずっと気になっていたんだよね。……何かわけがあるの?」


 芳野君から視線をはずす。

 躊躇ったが、私は首を縦に振った。


「芳野君は、一般受験だよね?」

「うん、そうだけど……」

「私、推薦狙いなの。どうしてもその大学に行きたいから、推薦が取れるなら取りたいの。……もちろん、それでも勉強はしなきゃいけないんだけどね。定期試験があるからさ、そこで点数取らなきゃいけないし」


 そこまで言って、私はため息をついた。


「でも、親が反対しているの」

「え、何で? 推薦取れるっていいじゃん」

「自分で言うものなんだけど、私、二年生までは頑張って成績取ったから、先生にも推薦で行けるって言われているの。だけど親は、確実じゃないし、推薦取ったら勉強しなくなるからあとあと大変じゃないかって言ってて。だったら、最初から一般受験しろってうるさいの」


 そんな家で勉強なんか出来るわけない。だから、渋々図書館に通っているのだ。


「そりゃあ、親の言ってることも間違ってるとは思ってないよ。推薦取れなかったときのことも考えなきゃいけないのも本当だし。それは分かってる。だけど、もう少し自由にしてくれてもいいんじゃないかなって思うんだよね」


 そこで、私ははっと我に帰った。

 少し、喋りすぎた。


「ごめん、こんなこと話しちゃって。それに、ここ図書館なのに……」

「大丈夫だよ」


 見てはいないけれど、芳野君は、きっと微笑んでくれていたと思う。彼の声は柔らかかった。


「芳野君はすごいよね。勉強熱心だし」

「まぁ、俺も行きたい大学あるからさ。それなりに頑張らないといけないし」


 芳野君の目の前には、分厚い参考書や、何冊ものノートが置かれている。それだけで、私はまだまだだなと感じさせられた。


「頑張り方は人それぞれだと思う。行きたい大学があるのには変わりないんだからさ、大川さんにとって、後悔しないやり方で頑張るしかないんじゃない?」

「そっか。……そうだよね」


 分かっていた。

 私は、逃げていた。

 そんな自分が嫌だっただけだ。

 視線を芳野君に戻す。すると、彼が「あのさ」と声をかけた。


「大川さんさ、推薦取るってくらいだから、もしかして、頭良かったりする?」

「え、そ、それはどうだろう……」

「良かったら勉強教えてよ」


 少し迷ったが、すぐにうなずく。


「うん、いいよ」

「ほんとに? ありがとう!」

「私が教えられる範囲でいいなら、だけど」

「いいよ、それだけでも助かる」


 芳野君のその言葉は、きっと私を前向きにさせるためのものだったのだろう。

 少しずつ、頑張ってみようと思った。

 私は、初めて彼に笑顔を見せた。

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