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グラウンドからは野球部などの運動部の掛け声が、空き教室からは残っている生徒達の談笑する声が、遠くの教室からは腹の奥に響くような楽器の音が鳴っていて全てが交じり合っている。
ズズッと紙パックのジュースをすすり、生田弦は人気のない廊下をゆっくりとした足取りで歩いていた。
空になったパックを握りつぶし、近くにあった自販機の脇にあるゴミ箱にバスケットボールの選手であるかのように抛ってみせる。
「あっ……」
勢いが強かったためか、ゴミ箱のふちに当たったパックはそのままゴミ箱を倒してしまい、中身を辺り一帯にぶちまけた。
キョロキョロと睨みつけるように辺りを見渡し、誰にも見られていないことに安堵しながら舌を鳴らす。
「――めんどくさ……」
散らばってしまったゴミの前に座り込み、ゴミ箱を立て直してから紙パックを手に取る。よく見てみれば缶やビンなども混じっていた。
「ったく、分別も出来ないのかよ」
などと悪態をつきつつ、弦も同じように適当にゴミ箱の中に放り投げていく。
多少床が濡れてしまっているが、自分には関係ないといった風に大きなあくびを漏らし、伸びきった後ろ髪をかく。
「――帰ろ」
今しがた学校に来たばかりではあるが、これ以上やることも無いと来た道を引き返そうとする。
「国木田先生、お願いします!」
ふと、聞きなれたような少女の声が、静寂に包まれていた廊下に響く。
声のした方へ首を傾けてみるが、声の主は見当たらない。
「お願いします!」
再び声が聞こえる。なんとなく聞こえてしまったこともあるし、誠意が篭った声だったのもあるだろうが、気がつけば弦は声のした方へ足を向けていた。
自動販売機の奥、長くはない廊下の端を左に曲がる。一瞬、夕日が差し掛かり目を細めた。
「先生!」
細めた目を開いた先に、その少女はいた。見知った顔であり、弦にしてみれば同じ中学の同期だ。
「駄目なものは駄目だ。いい加減聞き分けろ」
少女が頭を下げ、頼み込んでいるのは白髪交じりでもうすぐ定年であろう男性教師。
「とにかく、俺はこれから職員会議なんだ。お前もさっさと帰れよ」
ガラッと扉を横に開き、国木田と呼ばれていた男性は職員室へ消えていく。
閉められた扉の前で少女は頭を下げたまま固まっていたが、しばらくしてから溜め息まじりに顔を上げた。
「よぉ糸守」
唐突に名前を呼ばれた少女は驚いたという顔を見せ、弦の顔を見た途端、照れたように笑みを浮かべる
「生田君じゃん。もしかして見てた?」
「いや全然。お前の声が聞こえたから見に来てみただけ」
「そっかー危なかったー」
目の前の少女――糸守鈴は人差し指で頬をかいた。その頬は夕日のせいか、赤みがかって見える。
「そういや国木田に何か頼んでたみたいだけど、なに頼んでたの?」
「あっ見てんじゃん! 嘘つきだな!」
「いやぁ嘘は言ってねぇよ? 声が聞こえたから来たんだもん」
にやりと口角を上げ、不気味に笑みをつくって見せる弦。
「ぐぬぅ……」
悔しそうに眉を寄せ、目尻のつり上がった瞳で弦を見上げる。
「で?」
ひとしきり悩んだ素振りを見せた後、観念したように重い口を開いた。
「笑わない?」
「それは気分次第」
悪戯げな笑みを浮かべ、ニヤニヤと鈴を見下ろす。
「――――ぶ、部活を作りたくって……」
「部活ぅ? ぶっ」
突拍子のない回答に、弦は張り切った糸が切れたように、突如として笑いだす。
「な、笑った!」
「ははっ、わるいわるい。ちょ、痛ぇって」
手の甲で口元を隠すように笑う弦の腹に、鈴は握り拳を何度も押しこむ。
「で、何の部活作りたかったんだよ?」
「うるさいうるさいうるさいぃ~!」
駄々をこねる子供のように何度も何度も叩く。
「箏曲部だよ。そ う きょ く ぶッ!」
「へぇぇ…………」
ようやく叩く手を止め、頬を膨らませている鈴など気にも留めず、弦は首をかしげていた。
「なにそれ、バンド?」
「違うしっ! お箏だよ!」
「うっわ……地味」
「余計な御世話だよ」
白い歯を見せて笑う弦に、諦めたように鈴は深く溜め息をつく。
「――でも、五人集まらないと駄目だって言われちゃったんだよね……」
もう駄目だと言わんばかりに露骨に肩を落とし、鈴は窓からどこか遠くを見ているようだった。
「足んねぇの?」
「――うん」
「何人」
「よ、四人」
「馬鹿じゃねぇ」
「うっ……」
歯に衣着せぬ弦の一言に、鈴はだよねと頷く。
「やっぱり駄目かぁ……」
もう何度目になるか分からない溜め息をつき、とぼとぼと歩きだす。その足取りは重く下を向いているので、どこかにぶつかってもおかしくはなかった。
何も言わずに横を通り抜けていく鈴の背中を振り返り、弦はもどかしそうに眉を寄せる。
「あー…………」
少し前かがみになっている背中を見て、空いた口から声が漏れた。そして、軽いハニカミと戸惑いとが混じったような表情で、荒々しく頭をかく。
「何なら俺が手伝ってやろうか?」
弦が言ったその一言に、鈴はぴくりと反応した後その場に足を止めた。
「――本当?」
背中を向けたまま、不安そうに僅かに震えた声が漏れる。
「嘘じゃねぇって。つか、こんなことで嘘ついても意味ねーだろ。まー……俺じゃ頼りないかもしれないけどな」
急に気恥しくなったのを隠すように笑って見せるが、みるみる頬は紅潮していく。。
「そんなことないよ。ありがと、生田君」
ズズッと鼻をすするような音が聞こえ、振り向くとことなく茜色の廊下を駆けだした。