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第五章 シンデレラと怪盗

この日の夜は満月だった。金色の光が、夜空で優しく輝く美しい夜だ。雲一つない空に、無数の星が煌いていた。舞踏会の終幕には相応しい。

一方、リリアナの心は曇くもり空だ。いまいち、すっきりしない。固めた決意が、ふとした拍子に溶けだして崩れていきそうな、危うい心を叱咤しったし、舞踏会に出発した。

フィナーレにはあまり似つかわしくないメイドのお着せのスカートをぎゅっと握りしめる。震える拳を、真っ白な手のひらが包み込んだ。

「大丈夫ですよ、お嬢様」

私がついています―――美しい青年に姿を変えたオールが、にっこりした。

下ばかり向いていられない。これで最後だとしても、一人ぼっちになるわけじゃない。オールも爺もいる。みんなと力を合わせて、〈黒の死宝〉を回収する。彼や、彼の国を守っていく。

泣きそうになっている場合じゃない。

馬車は城の手前で止まった。城へと続く道の木陰に馬車を寄せる。

「行きましょう」

「ええ。派手にね」

メイドのものとは思えない、殊勝な言葉に、オールが力強く頷いた。

昨日の少年の時とは打って変わって、オールは大胆不敵な微笑みを浮かべた。城のすぐ近くまで行くと、彼は用意しておいた火薬玉の導火線に火をつけた。宙に放り投げると、頭上で爆音が響き、美しい花火が咲いた。

「オール、先に行くわ」

彼が爆薬の仕掛けを作動させている間に、リリアナはロープを伝って城壁を登った。危なげない足取りで細い城壁の上を渡って、中庭に降り立った。

その時、壁一枚隔てた向こう側で一際大きな爆音が聞こえてきた。次いで、男性の怒号が飛び交う。

「あれは……!?」

「怪盗サンドリヨン!」

彼らが見つめている先は、リリアナのいる方向とは真逆、おとり用の人形が仕掛けられた方向だ。怪盗サンドリヨンの衣装はかなり目立つ。一風変わった作りと、豪華な飾りが闇夜の中で目を引くのだ。どうせなら、闇に紛れるより闇の中で際立つ方がいい。下手に隠す方がばれる。爺のアドバイスを元に、リリアナが作ったのだ。工作に使えるよう、義姉が捨てたドレスを使って余分に作っておいたのだ。

人形を陽動にし、騎士たちがそちらに引き付けられている間に、リリアナが城に忍び込み宝石を盗み出す。仕掛け人形にはバルーンがついていて、城の周辺を動く。人形のカモフラージュのために、オールが様々な仕掛けを発動させているので、外からは怒号に混じって悲鳴も聞こえるようになる。

上手くいってるみたい―――リリアナはほくそ笑んで、足早に中庭を駆けた。目くらましが通じるのは、せいぜい十数分。時間がない。早く、〈黒の死宝〉を手に入れて、逃げなければ、こちらの身が危なくなる。

足を急かしてやってきたのは、別館と中央塔を繋ぐ回廊だ。

もう少しで八時になるところだ。

「間に合った……!」

鏡に手のひらを着きそうになって、リリアナは慌てて離れた。

重要な手がかりに、僅かな汚れも付けたくない。

鏡は広い国で魔除まよけの象徴とされている。人は鏡に映るが、死んだ人は鏡に映らない。鏡に映らないということは、死者、幽霊であるという説は有名な話だ。

『鏡は魔除けじゃからの。外と通じる場所に置いたことに、意味があるのかもしれん』

昨晩の爺の何気ない一言が教えてくれた。

鏡が魔除けならば、魔に近い〈黒の死宝〉を封じるのに使われてはいないか。

『始まりの音が終わるその時までに、月灯りを導にせよ』

始まりの音は二時間ごとに時間を告げる鐘の音色。音色と共に、必ず鏡に映るはず。

遠くで鐘が鳴り始める。別棟に一番近い鏡に月灯りが灯り、向かい側のクリスタルに当たり反射する。反射した光は、一枚先の鏡に当たり再び反射し―――ある一点で止まった。

客品を迎える玄関口。光は、ホールに繋がる階段の逆側に取り付けられた一枚の姿見に映り込み、あっという間に消えてしまった。

鐘が鳴っている僅かな時間しか見られない貴重な光景だったのだ。

回廊を通して見ないと、鏡に光が反射しているだけの光景にしか映らないのがミソだ。

王宮の装飾だけあって、薔薇ばらの蔦つたを模した意匠いしょうが凝っていてとても綺麗だ。薔薇の中心には小さな宝石がはめ込まれている。花の数は十二。丁度、もう一つのヒントと一緒だ。

『一、三、七、八、六、四、十、九、十一、二、十二、五』

時間じゃないとすれば、暦。

薔薇の花に埋め込まれた宝石は、ガーネット、アメシスト、ルビー、ダイヤモンド、ホワイトカルセドニー、カーネリアン、サードオニキス、ペリドット、パール、トパーズ、ターコイズ。全て誕生石だ。

「一月はガーネット」

恐る恐る手を伸ばして、薔薇の中心を押してみる。思った通り、小さな音を立てて薔薇の花が沈んだ。

三月はルビー、七月はカーネリアン、八月はサードオニキス、六月はホワイトカルセドニー、四月はダイヤモンド―――数字の順に誕生石を持つ薔薇を押す。指先が緊張で震えている。この先に出てくるのは、蛇か鬼か、それとも。期待と不安が心中を埋めつくしていく。

十月はパール、九月はペリドット、十一月はトパーズ、二月はアメシスト、十二月はターコイズ、五月はエメラルド―――最後に緑の宝石を持つ薔薇の花を押したとき、手ごたえのある音がした。よく見ると、鏡と壁の間に隙間が出来ていて、押すと簡単に開いた。

内側の取手を引きドアを閉めると、リリアナは手燭てしょくに明かりをつけて先を目指す。

「っ!」

途中、壁から短刀が飛んで来たり、槍が降ってきたり、失敗すれば命を落とす様な仕掛けも数々あった。冷徹な出迎えにリリアナは舌を巻いた。だが、怪盗サンドリヨンの実力は伊達じゃない。少しの気配や音を察知し、素早く避けた。

「時間がない」

懐中時計の長針は、文字盤の三の字を越えていた。おとりで気を引くのも、そろそろ限界だ。

リリアナは罠を巧みに躱かわしながら、先を急いだ。ほどなくして、金古美の観音扉が見えてきて、胸を撫で下ろした。扉には鍵がかかっていたが、錠前の造りはさほど凝ったものではなく、ピンを使えば、すぐに開けられた。

扉を開けた先の光景に、リリアナは息を呑んだ。

宝箱が見渡す限り山のように積まれた空間で、一際異彩を放っていたガラス製のショーケース。その中には、大粒の宝石を纏った〈黒の死宝〉がある。

サファイヤのイヤリング、アメシストのチョーカー、ダイヤモンドのガラスの靴。間違いない。リリアナが探し求めていたものだ。

ショーケースには、細かな細工が施された錠前がぶら下がっていた。開けられるものなら開けてみろと言わんばかりの厳重装備に、闘争心が焚き付けられる。

迷っている時間はない。ピンを差し込んで、錠前の中を探り始めた。

この場所は、秘密の空間。外からの音は聞こえない。作業に集中できるが、外の様子が探れない。オールは大丈夫だろうか、考え始めると手元がおぼつかなくなる。一刻も早く戻るためにも、目の前の役目を果たす。

〈黒の死宝〉の守り手だけあって、鍵は簡単には開かなかった。全ての錠前が開くまで、大分時間がかかった気がする。

「やった!」

鍵が外れた瞬間、リリアナは拳を掲げた。その時、警報音がけたたましく鳴り響いた。

トラップと気づいた時には遅い。もと来た道には格子が降り、出口を塞がれる。

白い煙が立ち込めて、視界を悪くする。

「催眠薬……」

このままでは捕まる!―――煙の正体に気づき、咄嗟とっさに行動に出た。

〈黒の死宝〉を回収し、宝石が納められていたショーケースの上に飛び乗る。

階段の段数や道の形状から見ても、地上との距離はさほど離れていない。一か八か。ポケットから火薬玉を取り出すと、導火線に手燭を使って火をつけた。それを天井に括りつける。

宝箱の山に身を潜めたところで、爆発音が鳴り響いた。

上を見ると、人一人がようやく通れそうなくらいの穴が開いた。白い煙がそこへ吸込まれていく。

視界が開け始めたところで、リリアナは力技で穴から出た。脱出することに精一杯で、煙を吸い込んでしまったらしく、ひどく咽むせた。

どうにか辺りを見渡して、位置を確認する。どうやら、居館に面した中庭らしい。敷地一杯に両翼を広げた建物は、王宮にしては質素すぎ、別棟にしては凝りすぎている。

そうなると、出口は真逆の方向だ。おぼつかない足取りで立ち上がった時、どこからともなく大量の足音が聞こえてきた。慌てて仮面の位置を治したところで、騎士たちが、あっという間にリリアナの周囲を取り囲んだ。

「大丈夫ですか、レディ?」

聞きなれた声に、思考がすっと冷めた。

差し出された手を振り払って、相手との距離を取った。

「心配には及びませんわ。それより、そこをどいて下さいませんこと、隊長さん」

「ですが、足元がふらついています。このまま放っておくわけにはいきません。どうぞ」

「必要ありませんわ」

きっぱりと断られたヴィラーシュは、困ったように肩をすくめた。

「優しさに甘えて、付けこまれたらかないませんもの」

「私は紳士ですよ、レディ」

あの闘争心の塊みたいな仕掛けを見せられてから言われても、説得力がない。

一向に警戒心を緩めない子猫を前にした時のようなヴィラーシュを、リリアナはじっと見据えた。

レイブンスの隊長は、確かに紳士だ。恐ろしく頭が切れ、時に冷徹な罠を仕掛けてくる。だが、標的を前にして残忍な行動をとったことはない。無益に人を傷つけることを良しとしない。優しい彼らしい。

恐らく、ヴィラーシュは穏便にリリアナを捕獲しようと考えているはず。

強行突破するより、隙を突く。リリアナはわざとヒールの先を引っ掛けて、大げさに転んでみせた。

「レディ!?」

遠慮がちだったヴィラーシュが、慌てた様子で駆け寄ってくる。

有無を言わさず差し出された手をぐっと握り返して、リリアナは彼の耳元で囁いた。

「あなたは優しすぎますよ」

標的を前にして、そんな顔を見せては駄目―――次の瞬間、小さな破裂音と共に、紫の煙が立ち込めた。リリアナが、袖口から催涙弾を落としたのだ。

煙が晴れた時、女怪盗の姿は消えていた。

「くそ! 消えたぞ!」

「落ち着け。焦るな。僅かな間のことだ。遠くへは行っていない。近くを探すんだ。必ず二人以上で行動すること」

煙に往生している隙をついて、騎士に変装して集団に紛れ込む。人を隠すなら人の中。鉄板の業だ。

焦る騎士たちに、ヴィラーシュが冷静な指示をおくる。すでに、手の内はばれているようだ。慧眼けいがんは見事としか言いようがない。リリアナはまだその場にいた。策がばれる前に、持ち場に戻るふりをして居館の一室に逃げ込んだ。

丁度その時、部屋の前を騎士たちが通りかかった。慌てて内開きの扉の死角になる場所に身を滑らせた。

幸い、騎士たちが部屋を調べに来ることはなかった。

野太い号令の声を共に、彼らは一斉に中央塔の方へと行ってしまった。

「はぁ……」

足音が遠ざかっていくのを聞きながら、リリアナは絨毯の上に崩れ落ちた。張りつめていた緊張の糸が、ぷつんと切れた気がした。

「助かった」

一難去ってまた一難。これが続くようなら、脱出する前に精根尽きかけてしまう。

「そうよ。オールたちと合流して脱出しないと」

城の周りは騎士たちが固めている。塀や壁をよじ登って出るのは不可能だ。すぐに騎士たちに見つかってしまう。唯一自由に出入りできるのは正門だ。舞踏会の招待客のために、今日一日は出入りが自由とされている。見張りはいるが、ドレスコードに則っていれば、難なく通してくれるだろう。

「とりあえず、着替えて戻ろう」

棒のような身体をどうにか起こした時、窓ガラスをコツコツと叩く音がした。

白い影の正体に気づいて、リリアナの顔に笑顔が戻った。

「オール!」

「お嬢様、ようやく見つけました」

空けた窓の隙間から一羽のフクロウが飛び込んできた。と思ったら、一瞬のうちに人の姿に変貌した。

「魔法というのは便利なものですね」

梟ふくろうになるのも、人になるのも思いのままです―――颯爽と登場した彼は、リリアナにドレスを手渡した。

「必要でしょう? 魔法の代物ですので、十二時には消えてなくなりますが」

「流石!」

リリアナから小さな拍手をもらったオールが恥じらって頬をほんのり染める頃、怪盗サンドリヨンの姿はどこにも見当たらなかった。そこにいたのは、眩いばかりに美しい一人の少女だ。

早着替えは手慣れたものだ。夜会用のドレスは華美で、装飾も多いが、慣れてしまえば一人でも着こなせる。爺が用意してくれたドレスは、一人で着られるぎりぎりのラインのものだ。コルセットを緩めに締め、ドレスの腰ひもと首のリボンを結べばあっという間に完成だ。

鏡台を拝借し、櫛くしで髪を梳かして一部を簡単に結い上げる。それだけでは華やかさに欠けるので、花瓶に活けてあった薔薇を一輪頂き、髪に指した。オールのハンカチで顔を優しく拭けば、僅かについた煤すすと埃ほこりはとれた。

騎士の服は部屋に放置。その他の荷物を小さくまとめると、オールに手渡す。

主の変貌に呆気に取られたままの青年の腕に、リリアナは自分の腕を絡ませて言った。

「エスコートして下さる?」

「はい、喜んで」

オールの返答に、リリアナは満足げに微笑んで部屋を出た。


***


一方、ヴィラーシュは舞踏会の会場にいた。

女怪盗にはまんまと逃げられてしまった。罠にはめられたのが自分だと思うと、情けないやら悔しいやらだ。もう一度、仲間たちと一緒に捜索に乗り出そうとしたのだが、国王夫妻に止められてしまった。

主賓が不在では、ホストとしての面子が立たない。実際、ヴィラーシュは騎士団の方につきっきりで、舞踏会の会場には今さっきやって来たばかりだ。

ホールに入った瞬間、華やかに着飾った娘たちが彼の周りを取り囲んだ。

公爵令嬢、隣国の王女、遠縁の皇女―――見慣れた顔ぶりに、ヴィラーシュは父親にも嵌められたと気づいた。

高貴な血縁の姫君、それも国王や大臣たちが故意にしている家の娘たちだ。ヴィラーシュの花嫁として望まれて育った、生粋のお姫様。

容姿も作法も優雅で美しい。咲ける花に例えられる娘たちに囲まれながら、ヴィラーシュの心は動かされなかった。

美しかろうと、醜かろうと。高貴だろうと、下賤げせんだろうと興味はない。

想い人でなければ、価値がない。美しさも優雅さも、優しさも、相手を想う心があるからこそ大切にしたいと思える。眠っていた衝動を無理やりたたき起こされるような、心を強く揺さぶるものが彼女たちにはない。

完璧な笑顔の仮面の下で、ヴィラーシュはたった一人のことばかり考えていた。

ありきたりなやり取りに飽きてきた頃、ファンファーレが鳴った。新たな招待客の訪れを告げる音だ。観音開きの扉の向こうに見えた人物に、ヴィラーシュは自然と足が引きよせられていた。

「お待ちしておりました。マイ・レディ」


***


ある意味、罠にはめられたというべきかもしれない。

騎士たちの守りは厳重で、宵の口過ぎたばかりのこの頃、城門から出て行く人や馬車は片っ端から騎士たちに止められていた。身元をはっきりと示すものがない限り、外へは出られない。

「夜が更けるまでの我慢です」

オールにエスコートされて舞踏会会場まで来たのはいいが、早速、捕まってしまった。

レイブンスの隊長ヴィラーシュ。いや、ヴィラーシュ王子と呼ぶべきか。烏のエンブレムが刻まれた隊服ではなく、夜会用の正装に身を包んだ彼は、リリアナの姿を見るなり一目散に駆け寄ってきた。

王子のエスコートを、誰が断れる。リリアナは手を取られ、ホールの真ん中まで連れて行かれた。

もう終わりにしよう。そう決めたばかりだったのに、優しく微笑まれると、全身が蕩とろけそうになる。

「来てくれて良かった。もう会えないのかと思って、不安だった」

「でも、ちゃんと来たでしょう」

出来れば早々に逃げたかったけれど、状況が状況だ。仕方ない。

それに、ヴィルに会えないのは寂しい。まだまだ、彼に甘えている部分もある。

時間と共に忘れる。そう信じて、今を楽しむ。

ワルツを踊るのは、久しぶりだった。この舞踏会が開催される前に、たった一人、屋根裏部屋でステップの練習をした。思った以上に覚えていたこと。それから、両親がいきていたころを思い出して、無性に泣きたくなった。

こうして、好きな人に手を取られてワルツを躍れたのは、運が良かった。

憧れだった舞踏会にきて、うんとおしゃれもできた。一番綺麗な姿を、一番見て欲しい人に見てもらえた。

これ以上、望むことなんてない。

望んではいけない。

時間は瞬く間に過ぎて行った。曲が変わり、踊りが変わっても、ヴィルは手を離してくれなかった。

離れたくないと、確かに思った。

やがて、曲が止んだ。周囲から、拍手が沸き上がった。

ずっと踊っていたせいで、髪は少し崩れた。息が上がり、大分疲れていたけれど、なるべく表に出さないように優雅にお辞儀をしてみせた。

「リリアナ。こっちへ」

優しく促されて、リリアナは彼の方に足を踏み出して、ふと歩みを止めた。

ヴィルが向かう先は、きっと両親の、国王夫妻の元だ。

王子自ら、リリアナを国王夫妻に紹介するためだろう。その意味を考えた時、血の気が引いた。

つかまる! 意味は色々と違うけれど。

丁度その時、十二時を告げる鐘の音が鳴り始めた。

「リリアナ、どうしたの? 疲れちゃったなら、一度サロンに……」

ヴィルの声と重なるよう、両開きの窓が順繰りに開いて、グラスや皿が床に落ち、破片がそこらに散らばった。

ある意味、好機だ。リリアナは一瞬手が緩んだ隙に、ホールから駆け出した。

「姫!」

扉を抜けたところで、ホールの方がざわつき始めた。

早く逃げないと!

「オール!」

「お嬢様、こちらです!」

頼りの相棒は、すでに出口に控えていた。リリアナはドレスの裾をたくし上げて、長い階段を下りていく。

「お嬢様、早く!」

「すぐ行くわ」

言ったものの、毛足の長い絨毯がヒールに絡んで思うように進まない。昨日、こんなに歩きにくかったかしら、と考えている暇もなかった。

ようやく一番下まで辿りついた時、ガラスの靴の片方が脱げて階段の上に転がった。

「姫!」

タイミング悪く、追いかけてきたヴィルが追い付こうとしていた。

リリアナは靴の回収を諦めて、勢いよく走り出した。

オールに手を引かれ、外に飛び出すと、御者が「早く早く」と御者台で跳ねていた。半ば押し込まれるような形で馬車に乗り込むと、馬が高く嘶いなないて、走り出した。

「危なかったですね、お嬢様」

「うん」

真っ暗な道を、ひたすら進み、途中で魔法が解けた。屋敷まであと一歩の所で、馬車はかぼちゃに、馬はネズミに、御者はトカゲに戻っていた。

リリアナの服も、着慣れたお着せに戻り、肩には小さな白フクロウが止まっていた。

「オール、ありがとう。みんなも」

答えるように、オールが短く鳴いた。

「まあ、これは回収できたし、上々よね」

力なく呟いたリリアナの手には、〈黒の死宝〉がある。ガラスの靴も、まだ彼女の華奢な足にぴったりと嵌っていた。

一度だけ城の方を振り返って、リリアナは真っ直ぐに帰路についた。


事件は、その翌日に起こった。

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