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第四章 シンデレラの潜入捜査

家に帰ると、リリアナはハシバミの木の精霊に会いに行った。十二時を告げる鐘の音はすでに打ち終わり、辺りは静けさに包まれていた。

しみだらけの服にガラスの靴という異様な姿のまま、リリアナは煙のごとく現れた老爺に礼を言った。

「ありがとう。おかげで助かったわ」

「何か収穫はあったのかい?」

爺は白いひげの下で、口元を綻ばせた。

リリアナは舞踏会で起きたことを話した。王子の正体が、雇い主の青年であったこと。彼が約束を守ってくれて嬉しかったこと。危うく、唇を奪われかけたことは、言えなかったけれど。

「でね。ヴィルの話しぶりから察するに、〈黒の死宝〉は城のどこかに隠されていると思うの」

帰りの馬車の中で走り書きしたメモ。そこには、ヴィルの言葉が一字一句丁寧に写されていて、言葉の意味を推理した跡があった。

「始まりの音は、やっぱり鐘の音だと思うの。オーケストラは、舞踏会の時にしか流れないでしょ。月灯りが導ってことは、月が現れる時間帯を指すんじゃないかしら」

「一理はある。じゃが、いまいち決め手に欠けるのぉ」

「隠し金庫だろうと、隠し部屋だろうと、何か手がかりになるものがあるはずよ。何もない場所に、隠し部屋を作ったりはしないもの」

作った本人が記憶違いを犯したら、隠し部屋の場所は永遠に分からなくなる。何も知らない第三者が偶然見つけてしまったら、騒ぎになってしまう。

人払いがされている。あるいは、普段はあまり使われていない場所。どちらかに当てはまり、なおかつ目印になりそうなものがある。リリアナは、そう推測していた。

「でもね、ものすごく広いの。舞踏会の招待客に混じってじゃあ、とても探しきれないわ」

オールから手に入れた情報で、いくつかめぼしい場所は挙げてある。十以上あるそれら全てを。ドレス姿で詮索してまわるのは、異様に目立ってしまう。時間も限られている。

「だから、明日も舞踏会に行くんだけど……」

リリアナが耳打ちした作戦に、爺は目を丸くし、それからほくそ笑んだ。

「お前さんらしい。やってみようじゃないか」

二人は共犯者っぽく微笑み合い、別れたのだった。

屋敷に戻ると、車輪の音が聞こえてきた。リリアナは暖炉の中から灰を拾って髪につけ、それから玄関の扉を開けに行った。

「おかえりなさい、お義姉さま」

リリアナは目を擦りながら、二人を出迎えた。今起きたばかりのような姿を、二人の姉が怪しむことはなかった。

「湯あみの準備は出来ています。お手伝いしましょうか?」

「当然ね」

「そんなことより、〈灰かぶり〉。明日は朝早く起きて、仕立て屋に行くのよ。このドレスは駄目だわ」

「まあ。何かあったんですか?」

首を傾げるリリアナに、シルヴィアが口を開いた。

「世にも美しいお姫様が来ていたのよ。見たこともない綺麗なドレスを着ていて、王子様は最後までお姫様に夢中だったのよ」

まあ、素敵なお話ね―――リリアナは目を輝かせて喜んだ。あの姉たちまで、リリアナのあの姿を美しいと褒めたのだ。土産話を興味深そうに聞く。心は嬉しさで舞い上がっていた。

「お義姉さまたちは運が良かったのね。私もその方にお会いしてみたいわ…ねえ、お義姉さま。お義姉さまがふだん着ていらっしゃるドレス、貸して下さらない?」

「まったく…」

「あら、なんて素晴らしいアイディアなの! 薄汚い〈灰かぶり〉にドレスを貸すなんて、最高の笑い話ね」

二人の義姉は、愉快そうに笑い声をあげた。

リリアナは静かに笑った。

翌日。まだ陽が昇って間もない頃、リリアナは欠伸混じりで、毛布から這い出た。三人の着替えと入浴を手伝い、片づけを済ませていたら、あまり眠れなかったのだ。

その割に目は冴えていた。舞踏会の余韻がまだ残っているようだ。

身支度を整えると、すぐに街へ出た。見慣れた森の道を歩き、人通りの多い街道に着く頃に、太陽が東の空に昇っていた。早朝の晴れた空には雲一つない。朝の寒さが身に沁みる。

通りには疎らに人が行き交っていた。目当ての仕立て屋には、すでに数人の女性が列をなしていた。今日は何時にも増して早い。リリアナは小走りで列の最後尾に並んだ。

「ねえ聞いた。お姫様の話」

「聞いた。見たことがないほど美しいって! どんな方なのかしら」

「十二時の鐘が鳴る前に、慌てて帰られたそうよ。王子様はそのお姫様に首ったけだとか」

耳年増の使用人たちの会話は、後ろにいたリリアナにも聞こえてきた。

彼女たちは、話題のお姫様が自分たちの真後ろにいることなんて、夢にも思わないだろう。リリアナはわくわくしながら、耳をそばだてた。

「王子様がお姫様に夢中で、うちのお嬢様は肩を落として帰ってこられたわ」

「うちのお嬢様は、お怒りだったわ。そのお姫様よりもっとすごいドレスを買ってきなさいって。おかげで、朝から大忙しよ」

「お姫様は絶世の美人でいらっしゃるのでしょう? 正直、勝ち目は薄いわね」

彼女たちの本音に、リリアナは小さく苦笑した。笑いたいような、謝りたいような複雑な気分だ。丁度その頃、仕立て屋の扉が開いた。

街にはいくつかの仕立て屋がある。城下に住む一般家庭の娘たちが顧客なので、どの店も割と安価で、且つ仕事が早い。朝頼めば、その日の夕方にはドレスが届く。

店内はさながら戦場のようだった。十人余りのお針子が、一心不乱に手を動かしており、時折怒号が飛び交う。

「おや、リリアナ。あんたの所もかい?」

顔なじみの女店主が人当たりの良い笑顔で迎えてくれた。

「ええ。今日は忙しそうね」

義姉たちの要望を紙に書きながら、リリアナはぐるっと周囲を見渡した。

「まあね」

猫の手も借りたいほど忙しい状況だろうに、女店主はにこりと白い歯を見せた。

「稼ぎ時だよ。お針子もいつもの倍以上雇ってるよ。ドレスの型やパーツはある程度作ってあるから、あとはお客の希望通りに仕上げるだけだ」

商売上手の女店主は嬉しそうに言って、胸を張った。普段あまりドレスを着る機会がない町娘たちが、仕立て屋に来ることは滅多にない。今ほど稼げる時はない。女店主は、ここぞとばかりの商売に熱をあげているらしい。

「見知らぬお姫様に感謝したいよ。絶世の美女に対抗するために、ドレスの注文が増えに増えてね」

「まあ。それは良かったわね」

リリアナは丁寧にお辞儀をして、店を出た。

街道を歩いていても、見知らぬお姫様の噂を耳にした。一晩で、ここまで噂になっているとは思わなかった。予想外の事態に、リリアナは目を丸くした。

どこへ行っても、舞踏会と美しいお姫様の噂が囁かれていて、リリアナは浮き足立ちそうだった。

気を引き締めていかないと―――リリアナは、あくまで〈黒の死宝〉のために舞踏会に参加しているのだ。王子の心を射止めるためでも、ちやほやされるためでもない。

想像以上に、自分の噂が広まっていることには驚いた。これなら、怪盗サンドリヨンの予告は、大きな話題にならない。話題性が大きければ大きいほど、警備は頑なになる。こちらとしては、好都合だ。

内心ほくそ笑みながら帰路に着いたリリアナは、いつものように家事をこなし、継姉たちの身支度を手伝った。仕立て屋から届いたばかりのドレスを念入りにきれいにして、ドレスに合うアクセサリーを選んであげた。

継姉たちは始終ご機嫌そうな様子だった。王子じゃなくても、公爵や伯爵を射止めればいいのよ。どこまでも前向きな二人に、リリアナは始終笑顔を浮かべていた。

継姉たちの結婚相手の選び方は、到底真似できそうもない。王子、公爵、伯爵。肩書は立派だけれど、どんな人なのかも分からない。どんな容姿をしているか。優しい人なのか冷たい人なのか。好きになれるかも分からない相手と、結婚しようとは思えなかった。

どうせ結婚するなら、相手はやっぱり好きな人。一生一緒に過ごすのだから、相手のことが心から好きで、一緒にいて楽しいと思えた方がいい。色々な考え方があるけれど、少なくとも義姉とリリアナの考えは正反対のようだ。

好きな人―――昨晩出会った青年の姿が、ふと脳裏に浮かぶ。緩みそうになる頬を軽くはたいて、リリアナは再び準備に取り掛かった。

瞬く間に夜になって、継母たちは舞踏会へ出かけて行った。

白塗りの馬車が見えなくなると、リリアナは中庭へ急いだ。

「爺!」

ハシバミの木の下では、すでに老爺が首を長くして待っていた。

傍らには、かぼちゃの馬車に、ねずみの白馬、トカゲの従者。それから、短い銀髪が印象的な美少年。リリアナは一目でその正体が分かった。

「オール、カッコいいじゃない!」

オールは癖のない銀の髪を、落ち着きなさそうに掻き毟った。

「そうですかね…なんだか、ひどく落ち着かないのですが」

オールは、抜けるように白い頬を薔薇色に染めた。

羽も翼もない。フクロウの面影を残すのは、白に近い銀の髪と、正反対の金の瞳だけだ。白と青を基調に、銀糸で刺繍の施されたジャケットにシャツ。足元は黒のエナメル靴。同色のクラバットには、羽の刺繍が入っていた。リリアナは思わずその姿に見入ってしまった。

「お嬢様。急ぎましょう」

「そうね。時間がないものね。あと、今日の私は、召使いのリリーよ。坊ちゃま」

オールが複雑そうに眉根を寄せるのが分かった。でも、譲れないものは譲れない。

「お願い」

「うむ。ほれっ!」

光の粒子が、リリアナの身体を包み込む。ぼろのドレスはたちまち姿を変え、裾の長いシックなメイド服に変わった。

爺が用意した鏡を見ると、見事な金髪は白いキャップの中に隠れ、黒縁の地味な眼鏡の女中の姿が映り込む。

「これなら、正体がばれる心配はなさそうね」

「ですが、大丈夫なのですか? メイド姿で城内を偵察すると仰ってましたが…お嬢様は、かなりの有名人ですよ」

「この姿なら、大丈夫よ。昨日の面影はどこにもないでしょう」

目立つ金髪はキャップに隠れて、ほとんど見えない。野暮ったい眼鏡のせいで、地味な印象が強くて、存在感が薄い。

スカートの裾をちょんとつまんでみせたリリアナに、オールは渋面を深くした。

不服そうな彼の背を押して、リリアナはかぼちゃの馬車へ乗り込んだ。

「さあ、行け。十二時までには帰るのじゃぞ!」

爺の声と共に、白馬が勢いよく走り出した。

爺の姿が見えなくなると、リリアナは行儀よく席に座り直してオールに向き合った。

「お城に入ったら、オールは舞踏会の会場へ。私はそっと離れて、お城の偵察に行く。会場の方はよろしくね」

「善処します。ただ、あなたのことを探して王子が会場を出て行こうとしても、私には止められませんよ」

「この姿だから大丈夫!」

「…本当に、大丈夫でしょうか」

オールは不安げな眼差しでリリアナの方を見つめた。リリアナの笑顔に押し切られるように、オールは渋々頷いた。

間もなく、馬車は王城の前で止まった。

神秘的な美しさを纏ったオールは、招待客の中でも抜群に目立つ。衛兵たちに案内されて、ホールに入ると、周囲がざわついた。豪華絢爛な空間にいても、オールは全く見劣りしない。たくさんの招待客の中にいても、彼は圧倒的に美しい。周りにはすでに数人の女性が集まってきているようだった。

扉に隠れるようにしてオールの姿を遠巻きに見ていたリリアナは、足早にホールを離れた。

ホールを出ると、人の目を避けるように回廊を進んでいく。城の見取り図は、あらかじめ入手済みだ。頭の中で人の往来が少ないルートを選んで、慎重に歩いていく。ホールのある中央棟から、渡り廊下を通り、別棟へ辿りついた。

別棟には、居館(パラス)がある。王族と、彼らに仕える家臣たちの居住区間で、上階に近づくほど、身分が高くなる。

舞踏会の開かれている今は、人はホールのある中央塔に集中する。別棟の居館は、リリアナの想像通り無人だった。客人や城の貴重品を管理する宝物庫や金庫は別の場所にあるので、居館の警備は特に手薄になるのだ。

適当な部屋に忍び込むと、リリアナは着ていたエプロンドレスを脱ぎ捨てた。その下は、王城で働く小間使いの制服だ。

これで、城の中をうろうろしていても怪しまれない。鏡に映った自分の姿を見て、満足げに微笑むと、リリアナは再び動き始めた。回廊を慎重に進み、上階を目指してた。

「ここね」

居館の最上階まで辿りついて、リリアナはほっと胸を撫で下ろした。衛兵の姿はない。警備が手薄になるとは踏んでいたけど、まさかこんなに不用心だなんて―――リリアナは薄く笑いながら、一番手前の部屋のドアを開けた。

部屋割りは手前から第一王女、第二王女、王妃。そこから、少し離れた位置に王子の部屋がある。国王の私室はまた別のフロアだ。

第一王女は、隣国の王子への輿入りが決まり、すでに準備を終えつつあるらしい。噂の通り、部屋の中は小奇麗にされていた。ベッドと鏡台、小さな樫の机、クローゼット―――目立つ家具はそれくらいだ。ためしにクローゼットを開けてみたが、王女とは思えないほど僅かなドレスが仕舞われているのみだった。

お義姉さまの方が、余程物持ちね―――リリアナはそっとクローゼットの扉を閉めて、壁沿いに部屋を一周した。壁に仕掛けのようなものは見つからなかった。

ベッドの下を覗き込んだり、鏡台の裏側も調べたが、可笑しなところは何もない。

「机の中…仕掛けをするには向かなそうね」

薄い引き出しを開け、中身を確認した。便箋と本、それに万年筆が数本仕舞われているだけだった。続けてその下の引き出しを開けようと手をかけたが、開かなかった。鍵がかかっていたのだ。

「怪しいとするなら、ここ」

髪を止めていたピンを一本引き抜き、鍵穴に差し込む。一分と経たない内に、かちゃりと錠前が嵌る音がした。

「さあ、ご対面っと」

勢いよく引き出しを開けた次の瞬間、リリアナは絶句した。

ほぼ裸の状態で抱きしめあう美青年二人の絵が目に飛び込んできたのだから。その下からは、やはり同じように大胆に肌を露出した男性同士が仲良さげに絡み合っている絵だった。厚さと形状を見るに、本のようだとは理解した。

見てはいけないものを見た気がする―――リリアナは静かに引き出しを閉めて、いそいそ部屋を出た。

気を取り直して、次に行こう。リリアナは頭を振って、隣の部屋の扉を開けた。

第二王女の部屋は、姉に比べると雑然としていた。ドレスやアクセサリーが床の上に散らかっていて、広いはずの部屋は大分足の踏み場が狭くなっていた。義姉の部屋によく似ている。リリアナはだらしない部屋へ踏み入った。

「汚い…」

これは、骨が折れそうだ。一つ息を吐きだしてから、リリアナは腹を括って散乱した服や本をどかしていく。気が遠くなりそうな作業だが、ドレスやアクセサリーを傷つけてはいけないので、一つ一つ丁寧にどかしていく。

「これは…」

外見は似たようなものばかりだ。だが、よく目を凝らしてみると、山積みにされた宝石箱の中に、一つ可笑しなものが混ざっている。金、銀、緑の三色に、精緻な装飾が施された華美な品が多数を占める中に、一際シンプルな箱があった。ご丁寧に、見るからに頑丈そうな南京錠がぶら下がっていた。

ピンを取り出すと、リリアナは開錠にかかる。ピン先の折れた部分を器用に動かし、鍵穴を慎重に探っていく。しばらくして、かちゃという音と共に、錠が開いた。リリアナは緊張気味に蓋に手をかけた。

「…何これ?」

出てきたのは、山ほどもある宝石類だった。それも、加工も施されていない磨かれた石まである。一粒一粒は手のひらほどもある。洗練された輝きが、決して安物なんかじゃないと告げていた。

まさか、この中に―――頭を過った考えは、一瞬で霧散した。

雑すぎる。相手は曰くつきの〈黒の死宝〉。しかも、ガラスの靴だ。こんな大雑把に管理するはずもない。いくつか手に取ってみたが、全てただの宝石だった。高価な品だが、雑すぎる管理のせいでひどく傷ついていた。

そういえば、第二王女は姉を凌駕する美貌の持ち主で、多数の男性から言い寄られている。そのせいで縁談がまとまらないと、王宮の人々が嘆いているとの噂を耳にしたことがある。

もしかして、全部貢物?―――送り主には同情せざるを得ない。リリアナは嘆息し、部屋を後にした。

その後、王妃の部屋を調べてみたが、第一王女とほぼ同じような造りになっていた。室内も、王女よりやや華やかな内装だったというだけで、目ぼしいものは見つからなかった。何一つ成果を挙げられないまま、リリアナはフロアの奥へと進んでいく。

樫の木に金装飾を施した扉の前で、リリアナは一瞬立ち止まった。

ここが、ヴィルの部屋―――気心知れた彼の秘密を勝手に覗いてしまう。そんな考えが頭を過ったが、立ち止まったままではいられない。リリアナは恐る恐る扉を開けた。

室内は質素なものだった。姉姫の部屋もそうだったが、彼の部屋はその比じゃない。家具はソファと黒檀の机のみ。仕事用と思われるデスクの上には、本と書類が山のように積まれ、積みきれなかったのか足元まで広がっていた。

決して広くはない部屋を壁伝いに進んでいくと、もう一つ扉を見つけた。その奥はバスルームだ。ソープが減ってない。ほとんど使っていないのだろう。

ヴィルはこの部屋で暮らしているの?―――仕事をして、疲れたらソファで少し休んで、また仕事をする。そんな生活が思い浮かんで、心配になる。

よく考えれば、彼は政務の他にも、城下に薬売りとして店を開いていた。休む暇などなさそうに思える。でも、昨日の彼の姿からは疲れなど微塵も感じられない。

そこまで考えて、リリアナはハッと我に返った。集中しろ。思考が脱線している。今考えるのは、部屋の主のことじゃない。〈黒の死宝〉のことだ。

頬を軽く叩いて、気持ちを切り替えると、リリアナは数少ない家具を押してみたり引いてみたり、書類の間と間を探ってみたり―――試行錯誤するが、隠し通路のようなものも、隠し部屋の手がかりになりそうなものも見つからなかった。

黒塗りの艶を帯びた机の引き出しは、どれも鍵がかかっていた。王位継承者という肩書があるせいか、姉二人の部屋で見つけた鍵に比べて、開錠するのは至難の業だ。それでも、やるしかない。

手のひらに馴染んだピン先を鍵穴に差し込んで、慎重に動かしていく。何分経っても手ごたえのある感覚が訪れない。額に滲んだ汗をぬぐって、再びピン先を動かす。それからさらに数分後、かちゃりと金属の嵌る音がした。

指先の感覚が消えない内に、他の鍵も同じように開錠していく。一度コツを掴んでしまえば、時間はそうかからなかった。

上から順繰りに開けていく。上段に仕舞ってあったのは、機密事項が連なる書類の束だった。主に国費に関わるものらしい。

目的とは違う。リリアナは早々に中段に手をかけた。そこにあったのは、ハードカバーの本だった。机に積み重なっているものより、幾分小さい。しかも、そのタイトルは『愛しい姫の射止め方』―――恋愛指南書だった。ヴィルに必要のありそうなものとは思えないが、個人の趣味に深入りするつもりはない。

下段は上段と同じように束にされた書類が入っていた。その内容は軍事に関わるもので、リリアナは興味無さげに一瞥した。別に騎士団の手の内を探るために来たわけではないので、じっくりと眺める必要もない。それに、姑息な真似はせずとも、自分の力で騎士団の鼻を明かしてやりたい。

それでも念を入れて、ぱらぱらと捲ってみると、その間から不意に茶色の紙が飛び出してきた。リリアナは慌ててそれを拾った。

「これって…」

そこに記されていたのは、昨日のヴィルの言葉にあった気になる一文。それに、不可思議な図形と数字の羅列だった。

『始まりの音が終わるその時までに、月灯りを導にせよ』

『一、三、七、八、六、四、十、九、十一、二、十二、五』

リリアナはポケットから紙を取り出し、ペンで内容を写すと、それを元の場所に丁重に仕舞った。

それから、そっと部屋を出た。

「この意味ありげな文章に暗号。まるで、探してくれと言わんばかりね」

リリアナは密かに微笑んだ。

「罠の可能性も排除できないけれど、乗ってみようじゃない」

こんなにも都合よく暗号文が見つかるなんて、流石に出来過ぎている。怪盗サンドリヨンが忍び込んでいることも予測して、騎士団が罠を張っていることだって十分考えられる。だが、罠とは言え、この暗号文の先に〈黒の死宝〉がある可能性は高い。

偽物を使うなら、もっとあからさまな手段に出るだろう。その上、〈黒の死宝〉の管理者は王家。王家が〈黒の死宝〉を人知れず管理するため隠し場所を暗号にすることだってありうる。

例え罠だったとしても、奪って逃げ切ればいい。怪盗サンドリヨンの矜持にかけても、奪い去ってみせる。

最初の一文は後。この数字は、時間か、それとも暦ね―――リリアナは早足で歩きながら、頭を働かせる。

十二の数字で出来ている代表的なものといえば、時間。それから暦。だが、それだけでは不十分だ。十二の数字と、月の光、何かの始まりと終わりを表す音―――これらの関係性が見つけ出せなければ、暗号は解けない。

居館を抜けると、リリアナは別棟の一階へ向かった。二階から上は全て王族や使用人たちの暮らす部屋で、一番下が厨房と倉庫になっている。別棟の玄関口から回廊を伝えば、ホールのある中央塔に抜ける仕組みだ。

煉瓦で出来た廊下を突き抜けて、分厚い扉を発見した。普段は厳重に鍵がかけられているのだろう。錠前の周りに、鎖が幾重も巻き付いていた。その中へ身を滑らせる。

食糧庫の中は、外と比べると涼しい。下から来た冷気が足元から上へと抜ける。天井近くまである棚には、たくさんのワインが並べられていた。

奥まった通路の先には、地下へと続く階段がある。ここから先、明かりなしで進むのは難しい。生憎、ランタンなどの持ち合わせはなかった。明かりをつければ、居所がばれてしまうからだった。

その時、足音が大きくなった。次いで扉を開ける音がした。リリアナは、慌ててワインセラーの影に隠れた。

「えっと…食糧庫は下でしたっけ?」

「そうよ。この間も言ったでしょう」

「へへ……ごめんなさい」

ワインセラーの入り組んだ通路を、新人らしい小柄なメイドは恐る恐る歩いてきた。そんな彼女を急かすように手を振り、ベテランらしきメイドはわき目も振らず地下への階段を降りて行った。

それほど間をおかず、二人は両手に大きな木箱を抱えて戻ってきた。

「そう言えば、王子が夢中のお姫様の噂聞きました? この世の人とは思えないほど美しいって話です。……見たいなぁ」

「裏方の私達に見れる訳ないでしょう」

「でもでも、一目だけでも見たいと思いません? 王子はお姫様に夢中らしいですし、お妃さまにほぼ決まりじゃないですかぁ」

「分からないわよ。お姫様は日付が変わる前に、姿を消してしまわれたらしいし、それに今日は見られていないらしいわ。お姫様。そのせいか、王子殿下もあっという間に姿を見せなくなったとか」

「先輩、詳しい……」

「たまたまよ!」

お喋りに華を咲かせながら、二人は出て行った。扉が完全に閉まるのを見届けて、リリアナはようやく胸を撫で下ろした。息を止めていたかのような圧迫感がなくなり、リリアナは口を開く。

「ヴィルが、舞踏会に出てないって……どういうこと」

主賓不在の舞踏会など、前代未聞だ。

「部屋に戻ったりしないわよね」

忍び込んだことがばれたらまずい。侵入者の身元が割れるような証拠はまず残してない。けれど、侵入者がいたと分かって大事になれば、警備は厳しくなる。抜かりはないと言え、不安がないわけではない。

急ごう。リリアナは倉庫を飛び出して、足早に別棟を出た。

外に出た瞬間、冷たい夜風が熱をさらった。思わず身震いして、メイド服の襟元を掻き合わせた。

中央塔と別棟は、中庭を突っ切る形で作られた回廊で繋がっている。柱は優美なつたの装飾が施されていて、月光を受け浮かび上がった。天上は円柱状のアーチになっていて、逆さにした三日月をいくつも並べたような作りだ。隙間から漏れ出た月光が大理石の柱に反射する様子はとても美しい。

回廊を渡っていると、壁面に自分の姿が映っていることに気づいた。

鏡だ。壁面に等間隔で鏡が埋め込まれているのだ。装飾品なのか、リリアナの知る姿見に比べて華美な意匠が特徴的だ。

鏡は中央塔の中へと続いていた。客品を迎える玄関口に二枚、階段の踊り場に一枚。この先はホールだ。オーケストラの軽快な音楽と一緒に、人々の声が聞こえてくる。舞踏会の会場に鏡なんてものはなかったはずだ。

来た道を戻り、もう一度鏡一枚一枚を確認する。

日頃手入れされているのか、一点の曇りもない。とても凝った品で、一枚一枚違った装飾が施されていた。高そうだなと思ったが、それだけだ。押しても引いてもビクとも動かない。普通の鏡に見えた。

鈴蘭の装飾が施された鏡の前で、リリアナはふと立ち止まった。

月が映っていた。振り返ると、柱の影から月が顔を出していた。

こんなに低い場所から月が見えるなんて―――リリアナは不思議な光景に見入っていると、回廊の向こう側から影が現れた。

「すごいでしょ。月がこんな位置から見えるなんて。一日の中でも、ほんの僅かな時間でしか見られない貴重な光景だよ」

見知った姿に思わず口を吐いた。

「ヴィル……」

呟いてから、しまったと思った。今のリリアナはメイドだ。髪形を変えて、化粧までして別人になっている。王子と面識があるはずもない。

口元を押さえたリリアナを見て、ヴィルは悪戯っぽく笑った。

「君が来るのを待っていたんだけど、あんまり遅いから迎えにきたんだ」

ヴィルは、リリアナを追いつめるかのように一歩ずつ距離を詰めた。

やがて、壁に背中を押しつけられて、二人の距離は十センチも無くなる。

「今日のお姫様はまた一段と変わった装いだね。仮面舞踏会というより、仮装大会だ。見つけるのに、苦労したよ」

「あの……」

「ほんと、大変だった。昨日の約束は、もしかしたら僕がみた幻だったんじゃないかと思ったけど、でも君の温もりは夢なんかじゃない。だから、催促するみたいとは思ったけど、こちらから出向いたんだ」

「遅くなってごめんなさい。その……どうしてもお城の中を見て回りたかったの。普段見られるものじゃないし。メイドさんの恰好なら、怪しまれないと思って」

「そんなにみたいなら一言言ってくれれば良かった。そうすれば、僕が案内してあげたのに」

絶対に無理。口が裂けても本当のことは言えない。両親がちくりと痛む。嘘を吐くのが上手くなっていく。その度に、罪悪感が募っていく。苦しみを全て吐き出してしまえればどれほど楽か。願わない日はない。その願いは、リリアナが嘘つきを極めた時、初めて叶う。

お役目は果たす。投げ出すことはない。なけなしの意地と誇りをかけて、嘘を貫き通す。

痛みは封じてしまおう。忘れることは出来なくても、抑え込むことは出来る。

「じゃじゃ馬すぎたかしら」

「いや。君らしいよ」

優雅に微笑み返すと、ヴィルは柔らかく微笑み返してくれた。瞬間、胸の痛みが少しだけ和らいだ気がした。

「宜しければ踊ってくれませんか?」

「こんな私で宜しければ。王子様は随分変わり者ね」

質素なスカートの裾を抓みあげ、悪戯っぽく笑う。

「そうだとしても、悪くない。君を独占できる」

冗談か本気か分からない言葉に、頬が赤く染まった。リリアナを苦しめている罪悪感の原因がヴィルへの想いなら、その苦しみを払ってくれるもの、彼と彼への思いだ。皮肉なことだ。

回廊は流石に狭すぎる。ヴィルに連れられて来たのは、入り組んだ通路の奥に作られた薔薇園だった。アーチをくぐると、色とりどりの薔薇が咲き誇っていた。芳しい香りが鼻腔を擽り、別世界のようだ。

「丁度良かった」

ワルツが始まったようだ。遠くの方から、オーケストラの奏でる音色が聞こえてきた。旋律に合わせてゆっくりと動きだす。リリアナは、まだワルツには不慣れだった。ヴィルのエスコートは巧みで、自然と足がステップを刻むようだ。軽やかに地面を蹴ると、薔薇の花びらが巻き上げられ足元を吹き抜けた。

数曲連続で流れ、音楽は止んだ。何曲もずっと踊り続けていたのに、あっという間だった気がする。

「楽しかった」

噴水の淵に腰掛けて、リリアナは息を吐いた。足を止めたら冷たい夜風がしみてきて、思わずエプロンの襟ぐりをかき合せた。

「着てな」

ヴィルが、リリアナの頭にジャケットをかぶせた。装飾品のせいか意外と重い。でも、温かくて、気持ちいい。

「寒くない?」

「大丈夫。こうしていれば、ね」

肩を引きよせられて、リリアナは短い声をあげた。彼の肩に頭を凭れかかせる姿勢になり、心臓がばくばく音をたてた。全身が沸騰したみたいに熱い。このままでは、茹蛸ゆでだこになってしまう。

振りほどこうにも上手く力が入らなくて、結局、そのまま薔薇を眺めていた。

「明日で舞踏会が終わる」

「そうね」

小さく頷くと、急に抱きしめる力が弱くなった。代わりに、ヴィルがリリアナの顔を真剣な眼差しで見つめてきた。

「近い内に、僕は花嫁を決めなければいけない」

花嫁。甘い響きだが、今の自分には遠いことのように感じた。

例えお役目を終えたとしても、ヴィルの隣に並ぶことなど出来るだろうか。彼に恋しているのも、彼がリリアナを思ってくれているのも分かっている。けれど、落ちぶれた元貴族の娘が、王子の花嫁になることを誰が望んでいる?―――誰も望んでいない。

ヴィルのために、リリアナが出来ることはない。お金も、後ろ盾もない。次期国王の支えになれるような力が、自分には存在しない。

「その時……」

「ごめんなさい」

遠くの方で金の音が聞こえる。十二時になる。リリアナは俯いたまま、その場を駆け出した。


***


「逃げられちゃった」

ヴィルは、肩をすくめた。ため息を吐くと、元気出してとでも言いたげに真っ赤な薔薇の咲いた枝が彼の背を撫でた。

「手ごたえはあったはず。焦らずに行こう」

自分に言い聞かせえるように呟くと、彼はその足で薔薇園を出た。舞踏会のホールには戻らず、居館の方向へ向かった。

目当ての姫君には会えた。舞踏会にもう用はない。このまま自室に戻って仕事をするつもりだ。舞踏会の方に人が集中しているので、居館はとても静かだった。普段ならヴィルの行く先で頭を垂れるたくさんの使用人の姿も、今日は一人も見当たらない。

静かでいい。畏まったのは、あまり好きではない。

ドアを開けて部屋に入ると、格子窓から月の光が差し込んでいた。ランプをつけようとしていた手を止めて、彼は窓際に腰掛けた。

今日は一段と月が綺麗だ。

静謐せいひつな光は、昨日のリリアナの姿を思い起こさせた。上品なドレスを身にまとい、優雅にホールを駆ける姿は、妖精のようだった。派手な衣装より、シンプルなものの方が彼女には似合う。生来の美しさが引き立つ。

いつか、自分が選んだドレスを着せてみたい。淡い色合いのフレア、マーメイドラインどちらも似合う。Aラインのシンプルなドレスも捨てがたい。

あとどれくらい距離が縮まれば、叶うだろうか。

出会った瞬間、好きになった。継ぎ接ぎだらけのお着せに、靴すら履いていない。下町に住む貧しい少女のこと、気づけば追っていた。間近で見た素顔は、とても美しく、澄んだ瞳に吸い込まれ絡め取られそうな錯覚すら覚えた。外見ばかり着飾った貴族の娘より、ずっときれいだと思った。

実際、リリアナは純粋で頑張り屋だ。家と家族のために朝から晩まで働いているのに、笑顔を絶やさない。彼女の口から弱音が漏れたことはない。ひたむきな姿は魅力的だし、裏表のない微笑みは、見ているだけで癒される。

ずっと傍にいて欲しい。どんな贅沢でも我儘でも許す。だから、隣にいて笑って欲しい。そんな風に思うのは彼女だけだ。臣下の中には、国のために身分の高い相手との結婚を望む奴もいる。

妻の後ろ盾がなければ国一つ守れないほどの無能じゃない。幼少期から、ストイックに境域されてきた。その器を甘く見るな。うぬぼれともとれる強気な姿勢があったからこそ、国王はこの舞踏会を開いた。ヴィルの言い分を認めたのだ。

好きな相手と結婚する。決めたからには、行動するだけだ。相手を自分に惚れこませてて、一生離れられないような枷をつける。

危険な思想に、思わず口元を覆った。今の顔は誰にも見られてはいけない。紳士で穏やかで有能な王子の顔じゃない。

煩悩を振り払うように月を見上げると、不意に風が髪を巻き上げた。

窓を開けた覚えはない。可笑しいと思い、部屋を見渡すと、執務机の上に白い影が降り立った。

フクロウだ。一体どこから入り込んだのか。口に封筒を加え、つぶらな瞳でこちらを見つめてきた。

「僕に御用かな?」

声をかけると、フクロウは封筒を口から離し、翼を広げた。広い羽が無数に舞い上がり、視界が覆われる。次の時、フクロウの姿は影も形も無くなっていた。

置き去りにされた封筒を手に取り、ヴィルは目を丸くし、それからにやりと笑った。

「いよいよ、決着をつける時が来たね」


***


「私決めたわ。明日、決着をつける」

舞踏会から帰ったリリアナは、着慣れたお着せの姿でぐっと拳を握りしめた。爺は黙って彼女を見つめ返し、それから「そうか」と頷いた。

「止めはしん。協力も惜しまん。嬢が、それでいいならの」

言いつつ、爺はあまりいい顔をしなかった。

リリアナ自身もひどく胸が痛い。

恋心は封印して、お役目を全うする。彼の隣にはいられない。

王子様と町娘の恋。叶うはずもない。お役目を終えたところで、お金も地位もないリリアナが、ヴィルの傍にいることは出来ない。与えてもらうばかりで、与えられるものが何もない。

リリアナが拒めば、全て終わる。関係が終われば、必然的に新しい花嫁が選定される。王子の伴侶に相応しい美しく、身分の高い人が彼の隣に並ぶことになる。

怪盗サンドリヨンの役目を継いだのは、家のためだけじゃない。国のためでもあり、愛する人のためでもある。怪盗サンドリヨンとして、〈黒の死宝〉から愛する人を守ることが、リリアナが出来る唯一のことだ。

王子様の花嫁になれる人はごまんといるけど、〈黒の死宝〉の恐ろしさを知り、その呪いから人々を守れるのはリリアナだけだ。

リリアナは、頬を伝った僅かな涙を拭った。

「さあ。支度をしましょう。フィナーレに相応しい最高の舞台のために」


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