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第三章 王子様と夢一夜

馬車は王城の目の前で止まった。オールの手を借りて、リリアナは外へ出た。

周囲は息を呑んだ。誰も見たことがない。とても美しい娘が現れた。騎士たちは顔を真っ赤にして俯いたり、言葉にならない叫びをあげて会場へと戻っていく。

一方、リリアナも別の意味で息を呑んだ。

なんて美しいの―――溢れる光の渦、流れるワルツのメロディー。遙か彼方から眺めていた夢のような景色に、リリアナはうっとりした。うっかりお役目のことを忘れてしまわないよう気を引き締めたはずなのに。気づけば、視線があちこちに吸い寄せられる。

騎士たちにエスコートされ、リリアナは城の中へと入る。シャンデリアが煌々(こうこう)と輝くフロアから階段を上る。一番上まで上りきると、一際大きな両開きの扉を見つけた。両脇を固めていた騎士が、リリアナの姿を見ると頭を垂れた。

「では、私は城内を見て回ります。お嬢様は、舞踏会へ」

「ええ。出来る限り情報を集めるわ」

オールと密かにやり取りすると、リリアナは一人、先へと進む。二人の騎士が観音開きの扉を開けた。

重厚な扉が開くと、その先には楽園が広がっていた。

床も壁も白で統一されたダンスホール。金銀の装飾が華やかさを添える。集まった淑女たちのドレスは、まるで色とりどりの花のようだ。

リリアナが現れた瞬間、音楽も人の声も止んだ。人々の視線が一斉にリリアナへ注がれる。リリアナは静かにお辞儀をすると、好奇心いっぱいの瞳で辺りを見回した。

どこかに不審な扉とかないかしら―――上品な仕草に似合わないことを考えるお姫様に、周囲の視線は釘付けになった。

時折聞こえるのは、驚きと賛辞の混じった囁き。リリアナの美しさに引き込まれた紳士は、彼女をダンスに誘うタイミングを伺った。淑女はリリアナのドレスや髪形をくまなく観察して、すぐにでも真似しようと意気込んだ。

恐る恐る足を踏み出すと、招待客でごった返していたホールに自然と道が開けた。

さて、どうしよう。舞踏会に来てみたはいいが、華やかな催し物に参加するのは初めてだ。作法も楽しみ方も、分からないことだらけだ。〈黒の死宝〉の情報も集めたい。改めて周囲を見渡すと、舞踏会に不慣れな自分に視線が集まっていることに気づく。とても、誰かに話しかけられる雰囲気ではない。

真向かいから青年が現れた。長靴(ちょうか)を踏み鳴らして、颯爽と歩く姿に女性たちから感嘆の息が漏れる。

あの人は、誰?―――相手の顔をはっきり認識し、リリアナは驚きを隠せなかった。

「ようこそお越しくださいました、姫君」

「…ヴィル?」

栗色の髪は癖を活かしてセットされ、金糸で装飾された礼装姿はまるで別人のようだけれど―――灰色のかかった緑の瞳。紛うことない、ヴィルだ。

目を丸くしたリリアナに向けて、ヴィルは口元に人差し指をあてる仕草をする。リリアナの前へ優雅に進み出ると、腰を折った。

「今宵、貴女にお会いできた幸運に感謝しています」

ヴィルはそっとリリアナの手を持ち上げ、甲に口付ける。すると、魔法にでもかけられたように動けなくなった。

「私と踊って頂けませんか?」

ヴィルと交わした約束を思い出して、リリアナは小さく頷いた。ヴィルは満足そうに笑うと、リリアナを連れホールの真ん中まで踊り出る。

熱に浮かされた頭で、必死にワルツのステップを思い返す。小さい頃、父親と遊び半分で踊ったことはあるけど、こんな大勢の前では初めてだ。それに、ヴィルは相手だ。足を踏んだりしたらどうしよう。不安に駆られると、ヴィルが耳元で囁いた。

「大丈夫。適当に足を動かしていればいい。僕がリードする」

近すぎる!―――吐息が耳たぶを掠める度、胸がどきどきする。腰を引きよせられ、その距離はさらに短くなる。

穏やかに微笑みかけられ、リリアナはそっと彼の手を握り返した。鼓動は相変わらず忙しないけれど、気分は幾何落ち着いた。

体勢が整うと、ワルツのゆったりとした音楽が流れ始めた。

ヴィルの動きに合わせて、うろ覚えのステップを繰り返す。感覚を掴むと、ヴィルの瞳を見つめ返す余裕も出て来た。

すごく楽しい―――まるで宙を駆けるよう、足が弾む。音楽に合わせて、軽いステップを踏み、気づけば音楽の代わりに人々の拍手が鳴り響いていた。

鳴りやまない拍手に答えるよう、リリアナは優雅にお辞儀した。

一曲終えて、息は上がっていた。疲れたなんて微塵も思わなかった。

もっと踊りたい―――リリアナの思いを汲んだように、二曲目の演奏が始まった。

「姫君。お付き合いいただけますか?」

「ええ。喜んで」

笑顔で答えたリリアナに、ヴィルが微笑みかける。当然のようにリリアナの身体を引きよせた。強く握りしめられた手を、ぎゅっと握り返すと、ヴィルの頬が少し赤らんだように見えた。

周囲もダンスの輪に加わり、ホールは一際華やかな空気に包まれる。

軽快な音楽のリズムが、しっとりしたメロディーに変わる。何度も曲が変わったけれど、ヴィルはリリアナの手を離そうとはしなかった。

ダンスが終わると、ヴィルはリリアナの手を引いて、ホールと続きになっている客室に案内した。聞けば、王族や一部の貴族がサロン代わりに使う部屋らしく、豪奢(ごうしゃ)な造りになっていた。二人では明らかに広すぎるソファに腰掛け、リリアナは上気した頬を仰いだ。呼吸は大分落ち着いてきたが、高揚感は当分冷めそうにない。

「どうぞ」

「…ありがとう」

差し出された紅茶に口を付ける。甘い花のような香りが鼻腔を(くすぐ)った。

お茶に続いて、食事が運ばれてくる。ホールに並ぶ菓子に始まり、本格的な肉や魚料理が広いテーブルに所狭しと並ぶ。

「君が来ていると聞いて、急いで用意させたものだ。好きなだけどうぞ。ここは僕と君しかいないから、肩の力は抜いて」

「ありがとう。正直、舞踏会なんて初めてだから、ドキドキしっぱなしよ」

お言葉に甘えて、リリアナはグローブを外した手で菓子を抓んだ。街道沿いの彼の店でお茶をしているような和やかな空気が流れた。リリアナは美味しい食事と、耳朶(じだ)に響く心地よい音楽に酔いしれた。時間すら忘れてしまうほど。

二人きりになった室内で、ヴィルは食べ物には目もくれず、リリアナばかりに構っている。紅茶が少なくなったと思えば、すぐにおかわりを淹れてくれる。料理を食べやすいように切って取り分けてくれた。

ヴィルにとって、山ほどの御馳走もさして珍しいものでもないのだろう―――なにせ、彼は。

「ヴィル……王子様だったの?」

ヴィルの手が止まった。固い声で「うん。そうだ」と肯定する。

やっぱり。あの会場で、誰からも咎められず、一目を置かれる存在。それは、舞踏会の主役以外に考えられない。

「ヴィラーシュ。それが本当の名前だ。…秘密にしてたこと、怒る?」

「秘密くらい誰にでもあるものよ」

怒りなんて欠片も湧いてこない。そもそも、リリアナだって、大きな秘密を隠したままだ。もしかしたら、一生打ち明けられないかもしれない。怪盗サンドリヨンの正体を打ち明けることは、お役目を放棄することと同義だ。捕まる訳にはいかない。少なくとも、〈黒の死宝〉を回収して、完全な管理下に置くまでは、あの家を離れるわけにはいかない。

それに、ヴィルは正直に話してくれた。明らかに格の違うリリアナ相手に、正直に自分の身の上を告げた。怒ることなんてない。

「君らしいと言えば、君らしいね」

「どんな肩書がつこうと、ヴィルはヴィルだもの」

商人が王子になろうが、ヴィル自身が変わる訳じゃない。王子の立場にあっても、変わらず優しくしてくれるのがその証拠。

あっけらかんとしたリリアナに、ヴィルは目を丸くし、破顔した。

「良かった。嫌われなくて」

「嫌うなんて…」

そんなことあるわけない―――続けようとして、慌てて口を(つぐ)んだ。暗に好きだと告げているようなものじゃないか。口を滑らせて、隠し続けてきた想いまで打ち明けてしまったら。

きっと、弱くなってしまう。彼の優しさに(すが)って、背負い続けてきた責任から逃げたくなる。継母たちのことも、家のことも、父との約束のことも。

〈黒の死宝〉を回収する。国と皆を災厄から守ると約束した。それを終えるまでは、頼るなんていけない。

今までのことは、夢だ。夢を見ていると思えばいい。

「来て良かった。あなたのこと、また一つ知れた」

「そう。なら、何でも教えてあげるよ。一晩かけてね」

耳元で囁かれて、リリアナは真っ赤になって俯いた。

そんなこと耳元で言わないで―――いや、冷静に考えよう。ひょっとすると、これはチャンスでは。リリアナは小さく息を吐いてから、おずおず話を切り出した。

「ねえ、ヴィル…〈黒の死宝〉って、知ってる?」

「ん…急にどうしたの?」

「町の子供に〈黒の死宝〉の話をしたら、気に入ってもらえて…もっと、お話が聞きたいって言われているの。お城にあるかもしれないって、本当かしら?」

その昔、王妃と王女を狂わせ、国を破滅(はめつ)に導いた災厄の宝石。美しい宝石に魅入られた王妃と王女が傍若無人な振る舞いをし、民を苦しめた。過ちに気づいた王が、彼女たちを狂わせた七つの宝石を銀で作った宝石箱に封印し、国を建て直した。

有名な話だ。七つの宝石は〈黒の死宝〉と名付けられ、封じられた。一番有名な逸話では、王が最も信頼する有力貴族に託されたという。だが、王城の地下に造られた秘密の部屋にあるとか、はたまた封印を抜け出し市井(しせい)に渡ってしまったという話もある。

市井に流れ出た〈黒の死宝〉を狙う女怪盗。それがサンドリヨン。〈黒の死宝〉が市井に流れ出た理由は、人々の想像の数だけある。事実を知るのはリリアナのみ。

そして、その昔国を滅ぼしかけた死宝を再び回収し、封印することをお役目としているのがレイブンスと呼ばれる騎士集団。女怪盗と、精鋭騎士らの攻防は、巷で人気の話しの一つだ。ゴシップ紙に彼らの攻防が載れば、その日には町中の話題となる。

彼らは〈黒の死宝〉よりも、突如現れた女怪盗と騎士たちの戦いの方が興味深いらしい。一部の間では、謎の多い怪盗サンドリヨンの人気が高く、彼女の出生から怪盗になるまでの生き様が書かれた絵本までが出版されている。勿論、全て空想の域を出ないけれど。

子供たちにせがまれた御伽噺の続きのために、〈黒の死宝〉のことを知りたがる少女。ヴィルは、しばらく考え込み、曖昧に答えた。

「〈黒の死宝〉のことは、僕でもあまり知らないんだ。王族にとって〈黒の死宝〉は災厄の象徴で、黒歴史を代表する品でもあるからね。ただ、父上が〈黒の死宝〉に執心なのは事実だ」

ということは、〈黒の死宝〉が城内にあっても可笑しくはない。

「そういえば、こんな噂もあるね。城に王しか知らない隠し金庫があって、そこに〈黒の死宝〉があるとかないとか。始まりの音が終わるその時まで、(つき)(あか)りを導にせよ。なかなかよく出来ているだろう」

「そうね…子供たちが喜びそうな話ね」

毛色が違う。星の数ほどある噂は、どれも曖昧(あいまい)なものだ。始まりの音、月の光。的確な単語を耳にしたのは、これが初めてだ。

始まりの音色は、音楽。月灯りが導になるのは、夜。陽が沈んでから始まる音と言えば、舞踏会のオーケストラ。それから―――鐘の音。

いよいよ現実味を増してきた。もしかすると、〈黒の死宝〉は本当にこのお城のどこかにある―――期待に胸が膨らませていると、不意に身体を引きよせられた。驚いて目を(みは)ると、ほんの僅かで額が触れ合いそうな距離で、ヴィルが悪戯っぽく微笑んでいた。

「真面目で優しいのは美徳だけど、今は僕のことだけを考えて」

「えっと…」

突然の出来事に、言葉が見つからない。一体、何と返事をすればいいのだろう。リリアナはおろおろ視線を彷徨わせた。

リリアナの姿を少し高い位置から見下ろしていたヴィルが、笑みを深くした。美しい色彩の瞳に、鋭い光が宿る。そのことに、リリアナは全く気付かなかった。男性に免疫がないせいで、かなり狼狽えていたのだ。

「抵抗しないんだ。じゃあ…」

(おとがい)を持ち上げられ、唇が近づいてくる。

抵抗できなかった。振り回した手足が、ヴィルに当たってしまったら。彼が怪我をしてしまったら。身体は固まったように動かなかった。

それに、もっと一緒にいたい―――頭は駄目だと警鐘を鳴らすけど、心は惹きよせられる。秘密を打ち明けられてもなお、好きという気持ちを抑えきれない。

お役目のことでだけで頭を一杯にして、想いを断ち切れるならば。肩書一つで諦められるなら。初めから恋なんてしてない。

受け入れてしまえれば、本当は楽だ。けど、そうできない事情がある。

〈黒の死宝〉が存在する限り、ヴィルも国も危険と隣り合わせの生活をしているようなものだ。

〈黒の死宝〉を回収して、永遠に存在を封じること。もう二度と、悲劇を繰り返さないよう。

怪盗サンドリヨンとしてのお役目が終わるまで、この手をとるわけにはいかない。

「…駄目」

ヴィルの唇に人差し指を当てて、リリアナは嫣然と微笑んだ。

リリアナの反応が意外だったのか、ヴィルは面食らった。目をぱちぱちと瞬かせ、呆けた表情を見せる。なんだか可愛い。

いつも、彼にリードされてばかりだ。助けられた上、一方的にドキドキさせられて。なんだか、いつも彼に翻弄されている気がする。

たまには、こっちが主導権を握りたい。

「ここから先は、まだ駄目。約束出来ないから」

「…そうか。分かった。君は本当に難しい子だ」

この先は、きちんと約束を交わしてからにしましょう―――そう言って微笑むと、ヴィルは困り顔をして、髪を掻きむしった。

遠くで鐘の音が聞こえる。もう十二時だ。

「私はそろそろ行くわ」

あまり長居すると、お義母様たちに怪しまれる。もっともらしい理由をつけて席を立ったリリアナの手を、ヴィルは強く掴んだ。

「また逢えるよね?」

ヴィルはひどく悲しげな様子で尋ねてきた。

そんな顔をされると、帰りにくい。見つけた捨て犬を、雨の中に置いていくような。後ろ髪を引かれる思いが強くなる。

十二時になると、魔法が解ける。爺の言葉を思いだし、リリアナはそっと唇を噛みしめ、しばしの後口を開いた。

「必ず。私だって、あなたに会いたいから」

「…明日また、待っているよ」

ヴィルはようやくリリアナを解放した。

リリアナは小さくお辞儀をして、静かにその場を立ち去った。

〈黒の死宝〉を見つけるまで、ここに来ないわけにはいかない。

明日と言うヴィルの言葉に、心がひどくざわついた。


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