第二章 舞踏会への招待状
翌日、ヴィラーシュの言葉通り、舞踏会の招待状が届いた。全部で三通。二人の義姉宛のもの、そしてリリアナ宛のもの。
「お義母さま、お義姉さま。こんなものが届いています」
「まあ! 舞踏会の招待状ですって!?」
「王子様の花嫁選び!?」
「落ち着きなさい、娘たち。とうとうこの日がやってきたのよ! あなたたちのどちらかが、王子様の花嫁になる日が! リリアナ、すぐに仕立て屋にドレスを注文なさい! ぐずぐずしない!!」
半狂乱の継母たちは、リリアナにも同じものが届いていることなど気にも留めなかった。
リリアナは自分の分の招待状をそっとポケットに仕舞い、すぐに街へ出かけた。仕立て屋に着くと、店の前にはすでに大行列が出来ていた。リリアナは最後尾に並ぶと、着々と順番を待った。
その間も、リリアナはヴィルのことを思い出していた。
『君に一番先にワルツを申し込みたい』
『ずっと、この手は離さないよ』
真剣な表情が浮かぶ度、熱で浮かされたように頭がぼうっとしてくる。それと同時に、ひどく虚しい気持ちになった。
舞踏会に行きたい。遠くから眺めているお城を間近で見てみたい。―――ヴィルと、ワルツを踊ってみたい。
着飾った紳士淑女の中でも、ヴィルは一際目立つだろう。彼は、商人にしておくのは勿体ないほどの美丈夫だ。中でも灰色のかかったグリーンアイズは、国内でも例をみない珍しい色彩で、とても綺麗だ。栗色の癖っ気も、少し焼けた肌も素敵だけれど、澄んだ瞳は一度見たら忘れられない。
彼に見つめられてワルツを踊る姿を想像するだけで、茹蛸になりそうだ。熱くなった頬を両手で押さえた時、ようやく順番が巡って来た。
夜会用のドレスを三着。継母親子の分だけ頼むと、カウンターで注文を受けた女性が苦笑した。
「やっぱり、あんたは留守番かい」
「仕方ないわ」
仕事があるものと言い残して、リリアナは早々踵を返した。街には、リリアナの家の事情を知って、気遣ってくれる人が多い。気持ちは嬉しいが、一度甘えてしまうと癖になってしまう。だから、リリアナは素っ気ないと分かっていても淡白な対応しかしない。
それに、優しい彼らへ打ち明けてない秘密もある。後ろめたい気持ちは、いつだって付き纏う。
早足で自宅に帰ると、怒号のような声が飛び交っていた。
「それは私のものよ、返して!」
「離しなさい! 私が使うのよ!」
舞踏会の招待状が届いてから、継姉たちの喧嘩は確実に数を増やした。それの大多数が、ドレスとアクセサリーの所有権争い。継姉たちの私物は、大体二人で共有している。明確な持ち主が決まっていないせいで、一度始めると終わりが見えない。
前に引っ張り合ってドレスの布地が裂けたのを思い出して、リリアナは声のする方へと足を向けた。
「お義姉様!」
「あら、〈灰かぶり〉。丁度いいところに来たわ」
「私とこいつ、どちらがこのリボンの持ち主に相応しいと思う?」
心底、どちらでもいい。と素直に言う訳にもいかないので、顎の下に手を当てて考える素振りをする。
淡いピンク色のリボンは、デザインも色合いも少女趣味で、派手な顔立ちの義姉たちには似合わない気がする。おまけに二人が好む衣装は、スワロやレースで飾られた華美なもので、シンプルすぎるリボンでは、逆に浮いてしまう。
「そうね…お義姉さま方なら、どちらでも着こなせると思うのだけど…舞踏会用のドレスには、地味すぎる気がするわ」
「そうよ! 舞踏会よ! こんなことしている場合じゃなかった」
「舞踏会に相応しい宝石を選ばなくちゃ。こんな布きれ、もう要らないわ」
一転して継姉たちは、宝石箱を漁る。リリアナは投げ捨てられたリボンを拾い、丁寧に畳んでおいた。
「あら、〈灰かぶり〉。こんなところで何をしているの?」
「ドレスを注文してきました」
「そう。なら、さっさと靴を磨きなさい。一足残らず全部よ。ほんの少しでも汚れが残っていたらただじゃおかないわ」
「…はい」
家中の靴を全部。両手両足の指の数よりもまだ多い。気の遠くなるような作業だったが、リリアナに拒否権はない。
今日もまた、夜なべは確定しそうだ。
洗濯物を取り込んで、食事を作り、風呂を沸かす。合間を縫って、膨大な数の靴を磨いて、あっという間に日付は変わった。
月が頭上を通り過ぎた頃、リリアナは重い足を引きずるようにして屋根裏部屋に戻った。扉を開けた瞬間、冷気が一気に押し寄せてくる。
寒さに身震いし、慌てて扉を閉めた。それでも隙間風があちこちから吹き込んできて、寒さは一向に緩まない。
暖炉に戻ろうかとも思ったが、屋根裏部屋に続く長い螺旋階段を降りなければいけないと思うと部屋を出る気にはならなかった。
窓脇のベッドに座り込み、薄い毛布を被って少しでも暖をとる。その最中に、窓がコンコンとノックされた。
リリアナは躊躇うことなく窓を開けて、真夜中の来訪者を迎え入れた。
「オール。よく来たわね」
小さな来客は、リリアナの手のひらに乗ると小さく鳴いた。「こんばんは」とでも言ったようだ。
白フクロウのオールは、リリアナの友達だ。ある日突然、屋根裏部屋の窓に降り立ったのだ。翼に怪我をしていたので、申し訳程度の治療をしてやったら懐かれた。生来、リリアナは動物に懐かれやすい体質だ。人に心を許さないと言われていた猛禽類のオールだが、リリアナには子犬のように甘える仕草を見せる。以来、オールはリリアナの友人。そして、同志でもある。
賢いオールは、伝書鳩としての役割も十分にこなせる。リリアナはオールを利用して、〈黒の死宝〉の情報を集めていた。
「オール。そう。いい子ね」
まだ小さな頭を撫でると、リリアナはオールの足に結び付けられた文を取る。鳥の足に手紙をつけて飛ばし、オールが選んだ誰かが返事を書く。
リリアナは『怪盗サンドリヨンに憧れる女の子』として『黒の死宝の在処を探している』と手紙に綴った。サンドリヨンの姿を見たいと付け加えておけば、〈黒の死宝〉を探していても不自然はない。
わくわくするような、どきどきするような気持ちで、丁寧に畳まれた羊皮紙を開いた。
「まあ。オール、これ見て!」
リリアナは目を輝かせた。
羊皮紙には、こう書かれていた。【残る〈黒の死宝〉は王家が所有しているとの噂】
「残りの〈黒の死宝〉は、王家にあるんだわ」
リリアナは有頂天になって、思わず叫んでしまった。
現王家が、何故〈黒の死宝〉を所有しているのかは定かでない。災厄の宝石を集めているのは、怪盗サンドリヨンと、彼女を追う王宮騎士団だけだと思っていたのだが。だが、城に保管されているのなら話は早い。
「お城に忍び込んで、残る死宝を全て回収してしまいましょう」
意気揚々と拳を握ると、オールが賛同するかのように鳴き声を上げた。
残る〈黒の死宝〉は三つ。五百カラットを越える大きさを誇るダイヤのついたガラスの靴。不覚にも、王宮騎士団レイブンスの守り手に阻まれ持ち去られたサファイヤのイヤリング、アメジストのチョーカー。
三つが王城にまとまって保管されているのは、リリアナにとって朗報だ。三回のお役目を、一度で終わらせる絶好の機会だ。
リスクは大きいが、見返りも大きい。父との約束を果たせれば、もうヴィルへの想いを隠す必要はなくなる。大好きな彼の手をとれるのだ。そんな日が近いと思うと、胸が弾む。嬉しさのあまり、疲れもどこかに吹っ飛んでしまった。
「さて、問題はどうやってお城に忍び込むか…よね」
リリアナの呟きに、賢いフクロウは首を傾げるような仕草をし、また毛づくろいを始める。
王国の頂点に立つ一族が住む場所。当然、警備も厳重だ。幾多の困難を乗り越え〈黒の死宝〉を手にしてきたリリアナとて、一筋縄ではいかないだろう。
その上、〈黒の死宝〉の在処が分からない。ただでさえ広い王城をしらみつぶしに探していたら、捕まってしまう。金庫ではすぐに周りに知られてしまうだろう。かといって、王女や王妃の私物になっていることも考えにくい。思考はすぐに行き止まりにぶつかった。
「一体、どこにあるのかしら…」
見当もつかない。一晩二晩考え抜いたくらいでは、到底分かりそうにない。
頭を抱えた時、オールがリリアナのポケットをつついた。
不審に思って、リリアナがポケットの中を探ると、
「ああ! 舞踏会の招待状。忘れてたわ!」
ようやく思い出したのかと、オールが短く鳴く。ふわふわの毛並みを、リリアナはわしゃわしゃ撫でた。
「あなたは本当に賢い子ね!」
明後日から、王宮で舞踏会が開催される。国中の若い女性は、もれなく招待される。リリアナとて例外ではない。貴族だけじゃなく、市民の参加も認められた大規模な夜会になることは間違いない。
招待客が一人増えたくらいなら、怪しまれない。
舞踏会は三日間。夜通し行われる。一夜で三つの死宝を盗むのは難しくても、三日間あれば試行錯誤していても十分な時間がある。
舞台としてはうってつけだ。
「舞踏会の参加者に紛れて、〈黒の死宝〉を探り、盗み出す。これを最後の仕事にするわ」
星に誓いを立てると、白いフクロウが一声あげて夜空に飛び去った。
〈灰かぶり〉はとにかく忙しい。仕事がない日も、家事仕事に翻弄される。
料理、洗濯、掃除は勿論のこと、家畜の世話から、継母継姉たちのドレスアップまで全て、リリアナの仕事だ。
舞踏会を目前にして、継母たちはいつも以上にぴりぴりしていた。理不尽な苛立ちの矛先はリリアナに向けられる。
「家中のカーテンを洗いなさい。今すぐに!」
「家畜小屋の掃除をしなさいよ。獣臭くて最悪!」
「ちょっと、私の部屋にゴキブリが出たの! さっさとつまみ出して! 家中の虫も、一匹残らず駆除しておくのよ!」
難題を熟していたら、いつの間にか舞踏会当日を迎えた。予告状こそ出したものの、具体的な計画の方はさっぱりだ。行き当たりばったりになるのは、覚悟しておこう。
そうして、時間は瞬く間に過ぎ、時刻は五時半。舞踏会が始まるまで、あと三十分。継姉たちは、ホールを行ったり来たりしていた。継母も彼女たちほどではなかったが、しきりに手に持った扇を動かしていた。
三人分の靴を磨き上げたリリアナに、継姉たちがふと口を開いた。
「〈灰かぶり〉。お前も舞踏会に行けたらなぁって思うでしょう?」
「あら、お義姉さま、珍しいことを仰るのね」
「で、どうなの?」
二人の姉は意地悪そうな笑顔で、リリアナに詰め寄った。
リリアナは静かに笑った。
「馬鹿にしていらっしゃるの。舞踏会なんて、私の行くところではありませんから」
「その通り。よくわかっているじゃない。〈灰かぶり〉が舞踏会に行ったりしたら、私達が笑いものになるわ」
継姉達よりも先に、継母が嘲るように笑う。継姉達も一緒になって高笑いをし始めた。丁度その時、馬車が屋敷の前に止まった。
「じゃあね、〈灰かぶり〉。ああ。そうそう。暖炉の中にレンズ豆をバケツ一杯零してしまったのよ。綺麗にしておいてくれるわね?」
小さく頷くと、三人はにんまり笑って馬車に乗り込んだ。
リリアナは馬車の姿が見えなくなるまで見送ると、そっと扉を閉めた。ドアにもたれ掛って、そっとため息を吐く。
本音を言えば、舞踏会に行きたかった。でも、素直に告げたところで継母たちが連れて行ってくれるはずもない。彼女たちは、初めからリリアナへの当てつけのつもりで話を振ってきたのだから。みすぼらしい〈灰かぶり〉を王宮の舞踏会に連れて行くはずもない。それに、招待客が一人でも少ない方が、王子の花嫁に選ばれる確率は高い。そこまで計算ずくだったはずだ。
王子の花嫁なんて、興味の欠片もない。〈黒の死宝〉と、愛する商人。それだけが気がかりだった。
とぼとぼ歩いて暖炉に向かうと、継母の宣言通りレンズ豆が大量にばら撒かれていた。この家に残された数少ない食糧を、リリアナは一つずつ灰を落として拾い集める。
すると、どこからからオールが飛んできて、リリアナの頭を軽くつついた。
諦めるなと言われているようだが、リリアナはほんの少しも諦めてなどいなかった。
残る〈黒の死宝〉を回収する。そのためなら、手段を選ぶつもりなど端からない。
「オール。大丈夫。これが終わったら、すぐに向かう。これを済ませておかないと、お義母様が帰った時に怪しまれるわ」
オールはリリアナの言葉を理解したかのように、暖炉の豆を加えてざるの中に落とす。色が変わったレンズ豆は飲み込み、綺麗な豆だけを選んでリリアナの元へ持ってきた。
賢い彼のおかげで、暖炉のレンズ豆はあっという間に無くなった。
リリアナはそれを台所に仕舞うと、急いで中庭に走った。
小さな家庭菜園の真横を通り過ぎ、彼女が目指したのは一際大きな木。ハシバミの木だ。
リリアナは、木をそっと揺らした。
「爺。いるんでしょ。返事して!」
今度は少し強めに揺らす。すると、落ち葉に混じって、白髪頭の老人がリリアナの元へと降りてきた。
「嬢。起こす時はもっと優しくしとくれ」
「ごめんなさい。でも、緊急事態なの。これからお役目に行くわ。必要なものを頂戴」
リリアナの腰ほどの背丈の老爺は、首をぽきぽきと鳴らし、それからじっとリリアナを見つめた。
「水は?」
「明日、必ず買ってくる。だから、早く!」
リリアナが急かすと、爺は納得したように頷いて菜園の方に向かった。
爺と呼ばれた彼。当然、人ではない。彼はハシバミの木に宿る妖精だ。
リリアナの母が亡くなる少し前の話しだ。木を植えて、愛情を込めて育てなさい。その木を通じて手を差し伸べましょうと、死に際の母は不思議な言葉を遺した。リリアナは母の言う通り、裏庭にハシバミの木を植え、大切に育てた。すると、見る見るうちにリリアナの背を飛び越えて大きくなった。おまけに、ハシバミの木の妖精を名乗る老爺が、リリアナの前に姿を現したのだ。
爺は木をゆすると現れ、リリアナの願いを叶えてくれる。小さい頃から、リリアナは辛い時、決まって木を揺らし爺に話しかけた。爺はリリアナの数少ない味方だ。
〈黒の死宝〉を回収するために協力してくれたのも爺だ。リリアナ一人では、怪盗サンドリヨンの衣装や、移動手段を用意することなどとても出来なかった。
母の言葉通り、ハシバミの木はリリアナの助けになった。生命線と言っても過言でない。
継母たちに縋らなかったのは、爺がいたからだ。爺はリリアナには甘い。叶えてくれない願いなんてないだろう。お気に入りの鉱山水を差し出すと約束すれば。
爺はリリアナに甘いが、底なしに甘やかしてくれるわけじゃない。幼い頃は、水やりと害虫駆除を欠かさないこと。ようはきちんと世話をすることが条件だった。
今は、街で売っている国境をまたぐ鉱山で採れた湧水。鉱山水と呼ばれる少し高価な水を与えることが条件だ。リリアナがお土産に買ってきたそれに、味をしめたらしい。
リリアナの給料で買えない代物じゃなかったことが救いだ。
「さて…今回はお城の舞踏会じゃと!?」
「ええ。いつもとは違うの。でも、お城に死宝がある以上、行くしかないわ」
簡単に事情を説明すると、爺は難しい顔をした。
いつものお役目なら、必要なものは怪盗サンドリヨンの衣装と、ロープとナイフ、それからピッキング道具。それと、馬。馬車を使って大通りを走ると目立つので、小回りの利く馬に乗るのが鉄則だった。
舞踏会はそうもいかない。
「そうすると…まずは、馬車か」
「馬で舞踏会に行くお姫様は、いないわよねぇ…」
そんなお姫様がいたら、門前払いされそうだ。それに、せっかく着飾っても馬に乗れば崩れてしまう。
「当然じゃ。自分が世界初になろうなどと考えるんじゃないぞ」
「流石にそれはないわ」
爺は、畑の隅に捨てられていた橙のかぼちゃを指さした。なるべく大きいものを爺の元まで持っていく。
「行くぞ」
リリアナは固唾を飲んで爺の行動を見守る。
爺は徐に杖を取り出し、こほんと咳払いする。それから、杖を一振りすると、先から光の粉が溢れ出て、かぼちゃを包み込んだ。
たちまち不思議なことが起こった。熟れすぎたかぼちゃはどんどん大きくなって、蔓が意思を持った生き物のように動き回る。巨大化したかぼちゃは座席や窓が出来て、蔓は車輪の形を作りかぼちゃ本体を支える。
見る見るうちに、かぼちゃの馬車が出来あがった。
「すごい…」
爺の魔法を見るのは初めてではないけれど、感嘆の息が漏れた。なにせ、目の前でかぼちゃが馬車に変貌したのだ。驚くのは当たり前だ。
「さて…次は馬かの」
呟くと、爺はリリアナにねずみ取りからネズミを四匹連れてくるよう指示した。急いで屋敷に戻ると、リリアナは言われた通り、ネズミ取りから四匹のネズミを捕まえてきた。
ねずみに向かって杖を一振りすると、ネズミは光に包まれ、ぐんぐん背丈が大きくなっていく。瞬く間に、白い鬣を持つ馬に変わった。
「あとは…御者がいるのお」
眼前を通り過ぎたトカゲに向かって、爺は杖を振る。すると、四本足で地べたをかけていたトカゲが二本足で立ち上がり、人の姿へと変わっていった。
リリアナは目の前の光景を茫然と眺めていることしか出来なかった。
あっという間に、馬車、馬、御者が揃った。
舞踏会に行ける。その思いは、時間と共に膨らんでいく。
耳元で羽音がしたかと思えば、オールがリリアナの肩に降り立ったところだった。
「オール。どこに行ってたの? ほら見て、すごいでしょ」
「丁度いい。リリアナ、そのままじゃ」
きょとんと首を傾げたリリアナの真横で、光の粉が散った。フクロウの白い羽が舞ったと思ったら、目の前に精悍な若者が現れた。
「お付きが完成じゃ」
出来栄えに、爺は満足そうに笑った。
「オールなの?」
「はい。リリアナお嬢様。今宵は、私がエスコートいたします」
綺麗な声だった。慇懃に頭を下げる青年に、リリアナは呆気にとられた。
オールのはずなのに、オールとは思えない。これだけ姿形が変われば当然かもしれない。けれど、金の瞳はフクロウの姿そのままで、リリアナは思わず笑みが零れた。
「こうして、あなたとお話しできる日が来るなんて、夢にも思っていませんでした」
「私だって…オールと話せるなんて思わなかった。本当に、素敵ね」
人の姿に変わったオールもそうだが、爺の魔法も。すべてが素敵すぎて、夢と現実が分からなくなりそうだ。
「リリアナ。次はお前さんだ」
「私?」
「その恰好では、舞踏会に行けん」
継ぎ接ぎだらけのエプロンドレスを見下ろして、リリアナは「あー」と声をあげた。怪盗サンドリヨンの衣装があればいいと考えていたが甘かった。サンドリヨンの衣装は、特徴がありすぎる。煌びやかな夜会の場であっても、目立ちすぎるのだ。
「ほおれっ!」
たくさんの光の粉が浴びせられる。たちまち、エプロンドレスは青みを帯びた色に輝き、裾が長く伸び、ふんわりとしたシルエットに変わっていく。光が変幻自在にうねり、その先からリボンやスワロフスキーが現れる。
爺が取り出した姿見に映る自分を見て、リリアナは驚愕した。
「嘘でしょ…別人みたい」
「とてもよくお似合いです」
「馬子にも衣装じゃ」
みすぼらしいエプロンドレスの〈灰かぶり〉はどこにもいなかった。
ブルーのドレスに身を包んで令嬢が、鏡の前で立ち尽くしていた。
サテンの布地を幾重にも重ねたスカートは、動くたびにひらひら動く。身体のラインにピッタリと沿ったトップには編上げのリボンがついており、デコルテを強調しつつも品を損なわない。散りばめられたスワロフスキーは月の光に照らされきらきら輝いた。
「すごいわ。それに、これ」
足元を見て、リリアナはさらに驚いた。
履き古した靴は、ガラスの靴に変わっていた。それも、ダイヤモンドがついた。そう、〈黒の死宝〉そっくりに作られていたのだ。
「これなら、盗んだ死宝を隠す場所に困らん。それは偽物じゃから、身代わりにもなろう」
「ありがとう、爺!」
嬉しさの余り抱き付くと、爺は満更でもない顔をした。
「さあ、早く行け。魔法は十二時で解ける。儂も年じゃ。鐘が鳴り終わるまで持たせるのが精一杯じゃ。時間がないぞ!」
「ええ。ありがとう」
急いで馬車に乗り込むと、前の席にオールが座り、元トカゲの御者に一声かける。
「検討を祈るぞ、リリアナ! 〈黒の死宝〉と王子の心を盗んでくるのじゃ」
「ありがとう! 行ってきます」
王子の心は要らないけれど、と心の中で付け足すのを忘れずに、リリアナは爺の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。