1
出会い
暗い森の中、微かな朝日の光が辺りを照らす。
「追え!向こうだ!!」
後方から、兵士の怒号が聞こえた。
鎧の擦れる音が何度も聞こえ、次第に近づいてくるのが分かった。
「くっ…!」
青年は裸足のまま、砂利や木の根が出ている獣道を全速力で走る。
何度転んだだろうか、薄い布の服は泥にまみれ、ところどころに血がにじみ足や腕からは血が流れ出ていた。足の感覚はもう無く、痛みだけが分かった。
青年は周りを見渡すと不自然に兵たちは距離が均等に別れ、青年を囲もうとしていた。
追いかけてくるものは何人も減ったが、複数人の姿が見える。相手の方が重装だとはいえ、途中までは馬で追いかけてきたのだ。仮にも王国を守るための兵士たち、生半可な体力ではない。
―――もう少しだ、あともう少し…
何十キロもひたすら走った。もう自分がどうやって呼吸しているかわからない、汗がしたたり落ち、それがさらに服にしみこみ体を重くさせ青年を苦しめた。
ようやく、森を抜けたと思えば目の前には絶壁の谷が視界に広がった。もう逃げ場はない。青年はその目の前で走るのを止め、呼吸を整えながら座り込んだ。
すぐに兵士たちは青年を見つけ思っていた通り、周りを囲む形でやってきた。青年の後ろは断崖絶壁の谷、周りには剣を持った兵士たち。
目の前の若い兵士が剣を構え、切っ先を青年に突き付けた。
「もう逃げ場はありません。ご同行お願いします」
若い兵士は呼吸を整えながら青年に言った。青年はその問いに体を重そうに動かし、膝に手を置きながら立ち上がる。
「嫌だ…と言ったら?」
「貴方に拒否権などありません」
若い兵士は、淡々とした口調で青年に言い放つ。しかし、青年に向けられた矛先は微かに揺れていた。
「おい、こいつを捕まえてどうする。見つけ次第殺すってのが任務のはずだぞ」
「先方の命令はそうでしたが、他にも仲間がいるかもしれません。一度この方を捕らえ、話を聞くべきです」
その言葉を聞いた他の兵士の一人がいらついたように若い兵士の肩を掴んだ
「何を言っているんだお前は!こいつは、王を殺そうとした!すぐにでもこいつの首を落とすべきだ!」
短髪の兵士は声を荒げる。
「今は私が指揮を任されています。私の指示に従って頂きたい」
「この腑抜け野郎が!もういい、俺がやる!!」
「止まりなさい!勝手なことは」
「うるせえ!!」
若い兵士を短髪の兵士が殴る。兵士は剣を抜き、躊躇いもせず青年に向かって剣を振りかぶり、勢いよく剣を振り下ろした。
「やめろ!」
若い兵士が叫んだと同時に青年は兵士の攻撃を避け、素早く懐に入る。そして腕をひねり剣を落とすと同時に青年の方へと来させてもともと腰にかけていた短剣抜き、首に突き付けた。
周りの兵士達はまさかっと驚きながらも素早く剣を抜き、構えた。
「おっと近づくなよ。一歩でもこっちにきたらこいつを殺す」
運が良い。この中には、まだ戦慣れをしていない新兵ばかりだった。
青年は心の中で今年の兵は豊作だな、そんなことを頭の端で思いながらも新兵たちの経験の浅さがこの場を維持させる。
「これだけは言っておく、俺は王を殺そうとはしていない。俺は無実だ」
「私たちは確かに王に剣を向けているあなたを見ました。あれはあなたじゃないというのですか?他の誰かがやったというのですか」
「今は、何も言えない。でも、俺はやってないんだ」
青年は真っ直ぐな目で若い兵士に答えた。若い兵士も、その眼に威圧され何も言えなくなる。しかし、すぐに短髪の兵士が、はぁ?と声を上げた。
「お前の言うことなんて信じられるわけねぇだろう!…てめぇは王に剣を向けた。そのときからお前は、俺らの敵だ」
兵士は、吐き捨てるように言った。青年はその言葉に弁明もせず、ただその言葉を聞いた。
「君たちは、俺を恨みたければ恨め。自分が真実だと思ったことを信じろ」
その言葉を若い兵士たちは黙って聞いていた
「さっさとしろクソ野郎。殺すなら殺せ」
「生憎、俺はサディストじゃないからな、それじゃあな」
「うおっ!」
青年は兵士を突き飛ばし、飛び降りた。水しぶきの激しい音がかすかに聞こえた
「なっ!」
誰もが信じられなかった。あの高さを、しかも下に川は流れているとはいえ、上から見れば緩やかに見えるが下に降りてみると流れは早く、人が生きられるとは到底考えられない。
「自殺行為だ」
一部始終を見ていた若い兵士はそう呟く。
「いってぇな」
突き飛ばされた兵士は、地面に勢いよくついた膝を擦りながらゆっくりと起き上がる。
「アルバ殿。何故私の命令に背いたのですか。いつものあなたならそんなことはしないはずだ。あなたは分かっていたはずだ。彼がこの崖を降りると」
若い兵士は短髪の兵士のことをアルバと呼び、掴み掛る勢いでアルバに凄んだ。それに対してアルバは気怠そうに答える.
「分かるわけねぇだろう。それに先に命令を破ったのはお前の方だ。団長はあいつを殺せと言った。俺は小隊長一人の勝手な行動と騎士団長の命令のどちらが優先かを選んだだけだ」
若い兵士はその言葉に何も返せず、眉間を寄せ、苦悶の表情を浮かべアルバから顔を背けた。アルバは若い兵士のその姿にため息をつきながらも、若い兵士の頭を軽く小突く。
「俺にだって怒りの感情はある。勝手に決めつけるな。それにあんなところを飛び込むなんて正気じゃねぇよあいつは。確かに俺のせいであいつを逃がしたようなもんだがどうせ生きてたって敵国だ。そのうちのたれ死ぬ」
若い兵士は一度アルバの顔を見たがすぐに目をそらした。
「……わかりました。すぐに引き上げましょう。もうここにいる意味もない」
そう呟き、ほかの兵士たちに指示をだそうとすると突然アルバは座り込み、鎧の下に入っている道具袋からタバコとマッチを取り出した。
「何をしているんですか。早く帰還してこのことを報告しなければ…それに、仮にも勤務中ですよ」
「いいだろうこんぐらい。帰るのにも何時間もかかる。飯も食ってねぇ。こちとら一日中あいつを追いかけたんだ。休んだって別にいいだろう。なぁ、レイバン小隊長殿」
他の兵士を見ると、彼らも思い鎧を身に着け、長い時間走り続けたせいか顔に疲労の色が見えた。アルバの言う通り、少しばかり休まなければこの若い新兵たちには酷すぎるだろう。それを理解して言ったのか、そうでないのか、レイバンには分からないがそれを気づかされたことに少し腹が立った。
「どうせ、腑抜けだと思ってるんでしょう…」
「あんなの冗談だよ冗談。俺もあのバカのせいで疲れてイライラしてたんだ」
「わかりましたよ…。少し、休憩しましょうか…私も疲れました」
レイバンは谷の方を見つめて、それを振り切るかのように他の若い兵士たちがいる方向へ歩き出した。
アルバは横目でレイバンが離れていくのを見て、アルバは煙草をふかしながら道具袋に入れられていた紙を取り出し、中身を確認する。
「なるほど…」
アルバは顔の表情を一切変えずにまたマッチに火をつけ、紙を燃やした。そして、
「まぁせいぜい、頑張ってこいや。反逆者サンよ」
そう呟いて、朝日が谷に差し込むのを見ながらまた煙草をふかした。