3話
持っていた手拭いでツーッと垂れてきた鼻血をそっとなかったことにして、ぼんやりと立っているとクロウ・バネッサ子爵様がおっしゃっていた騎士団の第4隊長、カイル・ゼノムが手を振りながら走り寄ってきた。
実はカイルは私の幼馴染…なんてことはなくって、私がバイトしている食堂のお得意様なので、殿下やほかの男性よりもよく会うから、ほんのちょーっぴりだけ、親ししくさせてもらっている。
だからクロウ・バネッサ子爵様も彼を案内役にしてくれたんでしょう。
さすがお姉さまの婚約者は目端が利いてるわ。
「アイリーン、久しぶり」
「えぇ、一昨日のランチぶりね」
個人的に親しい異性なんて…お父さんと弟のディン以外だと、村のお隣さんだった3歳年上のアイゼルくらいかなぁ。アイゼルは本当に幼馴染で、私がお姉さまを心からお慕いしていることを語っても苦笑しながら頭を撫でてくれる優しい人。村の他の男の人はすぐ逃げ腰になるし、話の途中でどっか行っちゃうの。失礼しちゃうわ。
ちなみに、アイゼルは私の婚約者でもある。
貴族ほどしっかりとした約束じゃないんだけど、両親同士も親しくしてるし、断るほどじゃないからいっかー、と思って婚約を受け入れてたけど…村を離れてみてわかった。
お姉さまへの愛を語る私を微笑みながら受け入れてくれる懐の大きさや、決して裕福じゃないけど、ギャンブルも女遊びもない堅実さ、お姉さまのお役にたちたいという曖昧な私の夢を本当に応援してくれる優しさ。
結婚相手にはもってこいの相手だわ!
恋でもないし、お姉さまに対するような情熱も愛情もないけど、私は確かにアイゼルへ信頼と友愛を感じている。
そう。
私は、異性である彼を、友としてですが、愛しているのです!
まさに、心友!!
青春だわっ!恥ずかしいっ!!
そして、今、隣を歩いて庭園へ案内してくれているカイルの髪と瞳の色は、ほんの少しだけアイゼルに似ている。
カイルは亜麻色の髪にスカイブルーの瞳。
アイゼルは亜麻色の髪にアイスブルーの瞳。
色味が少しだけ違うけど、カイルの短く切り揃えられた髪の毛を見ると、私はアイゼルを思い出して心のどこかがほんわりと落ち着くような気がした。
「な、なにかな、アイリーン。そんなにジッとみられると、恥ずかしいんだけど…俺、何かついてる?」
「あ、ううん。ごめんね。つい…見惚れちゃって」
「みとっ、って、ぇえ!?!?」
「ふふふっ、ごめんね。気にしないで」
あー。アイゼルに会いたくなってきたなぁ。
今度の連休に会えないかなぁ。お姉さまの相談もしたいし…。
よし、今夜にでも手紙を書いて送ってみよう。
「お、俺もアイリーンにはいつも目を奪われちゃうっていうか…食堂で働いている君も、城内で働いている君も、とても輝いていて…」
「あ、ごめん。よく聞こえなかったんだけど…なぁに?」
小首をかしげてカイルを見上げるが、彼は真っ赤な顔をして首を横に振った。
「い、いや、別に何でもない!なんでもないから気にしないで!」
「そう…?」
「あぁ、もう、本当に!」
「ならいいけど…具合が悪いようなら、別の人に案内頼むから、ちゃんと教えてね?」
天気がいいとお腹出して寝ちゃって体調悪くする人もいるらしいし…っていうかカイルなんてそういうことしてそうだわぁ。
「あぁ…その、なんだ…行こうか…」
「えぇ、そうね!」
待ちに待っていました!
私のお父さんが造園の仕事をしているんだけど、それなりに、お弟子さんも何人かいるくらいにはいい腕しているんだけど、そんなお父さんが師匠と仰いでいる方がこの庭園の設計と造園をされていて、私も設計図の模写を見たことがあるんだけど、とても素敵なお庭だったの。
これからこの目で実物のお庭を見ることができるだなんて、楽しみすぎてスキップしちゃいそう!
しないけどね。成人した淑女はそんなはしたない真似しないわよ。
でも顔が無意識にニヤニヤしちゃうのは許して欲しいわ。
ちなみに!
お姉さまお住まいになっているお屋敷、テリデント領や首都のお屋敷のお庭も、この方が設計されて、3年前に大規模な修繕工事がされていたの。
もともと偏屈な方で、どれだけお金を積まれても気に入らなければ仕事をされない方だとお聞きしていたのに…さすがはお姉さまです!
万民に愛され、万民から尊敬される、女帝…じゃなくて、領主様です!
「ぅ……わぁぁああぁああっ」
目の前に広がる花、花、花。
「なんて綺麗なのかしら…!!」
薔薇のアーチにアネモネ、ガザニア、クレマチス、ラナンチュラスにムスカリ、スズランも。
色とりどりに、けれど決して不調和にならないように計算された、精緻なお庭だ。
さすがは王宮。
お金がかかっているだけあって、歩道には花びら1枚も落ちてないのね。
「そんなに喜んでもらえると、庭師も喜ぶよ」
「あ、殿下…お仕事は終わられたのですか?」
少しだけ御髪が乱れていますが大丈夫ですか?
殿下が登場すると、それまで私の隣を歩いていたカイルがサッと後ろへ下がって膝をつく。
本当は私もすぐに頭を下げてなきゃいけないんだけど、今は殿下の招待客ですから。それに人払いがされているのか、ここには私たち3人以外の人影は……
あーーーーー!!!!!!!!!!
「あ、トールディアさまーぁ!」
庭園の奥、遠くに見える馬車はテリデント公爵家の紋ではないですか!!
貴人用に、特別に使用が許可されている、専用の乗り場がまさかここから見ることができるなんて!
本当に今日は何て僥倖なのかしら!!
まさかあの馬車に今まさに、足をかけようとしていらっしゃる、その瞬間のお姉さまをお見かけることができるなんて!!!
あぁ、もう!
鼻血だけじゃなくて毛穴という毛穴の全てから何かの液体が飛び出してきそう!
はしたなくても構わないわ!
あんなに遠くにいらっしゃるお姉さまに私のことを見つけてほしいから、私は両手を精一杯広げて手を振る。
実はお城に勤めるようになってからお姉さまとは数回、殿下を通してお会いしたことがあり、顔見知り程度の仲になることができたのです!
もちろん、殿下にお城で働かないかと言われたときにお姉さまとお会いできないかという打算もあったけど…まさか、まさか、本当に紹介をしていただけるなんて思わなかった!
その後も、お姉さまがお城へいらっしゃっているときはできるだけ、不自然ではないように、お姉さまが与えれている仕事部屋の周りを掃除したり、お部屋のお花を取り換えようとして、なんとか接触しようとしてるんだけど…
ことごとく、殿下の呼び出しがかかるのよね…。
それに…なんとなく、お姉さまにも避けられているような気がするし。
もう少し親しくなってから
「実は、幼い頃にお会いしたことがあるんです」
「まぁ、それはなんていう運命かしら!」
「お姉さまってお呼びしてもよろしいですか?」
「もちろんよ、わたくしの可愛いアイリーン」
みたいな!みたいなーーー!!!
なのにまったく、親しくなれない。どころか、避けられている気がする…。
モヤモヤがとれないわ…。
やっぱりここはアイゼルに相談と愚痴をきいてもらうしかないわ。夜になったら速達便をだしましょう。そうしましょう。
それにしても、お姉さまは相変わらず気品あるお姿です。
お美しいです。
目がつぶれそうです。
もう、メロメロです。
ウットリとしながら、一生懸命に手を振っている私に対して、お姉さまは小さく、微かに会釈をしてくださった!
殿下がいるからかしら?
あぁ、でもあの微笑みと会釈は、私のためにしてくださったのよ!
すぐに馬車へ乗り込んでしまわれたけど、それでも、私のためにそのお顔をこちらへ向けて、微かに会釈をしてくださったの!
あぁ、もう、胸がいっぱい…!
「はふぅ、いつみても素敵なお姿ですぅ…」
メロメロのキュンキュンですぅ。
一応、アイリーンのお話はここまでです。
ありがとうございました。