命とみかん
企画小説です。
テーマは『命』です。
「命小説」と検索すると、他の先生がたの作品も読めるそうですよ。私も楽しみです(^v^*)
参加していない作者さん、読者さんだけの方にも楽しんでもらえたら幸せです。
「みかん食べる?」
寝起きに。水分補給をしていない私に、こともあろうか即みかんを勧めてくるこの男。神経が信じられない。恥ずかしながら、私の実の兄――お兄ちゃんだ。
「……いらない」
おはようの挨拶より何より先に“みかん食べる?”なんて聞いてくる人には、普通の挨拶なんて必要ない。私も無表情のまま答えを返すだけ。
今歩いてきた寒い廊下からの冷気の流れを断つために、張り替えられて間もない、しっかりした絵柄のふすまを片手でしめる。
お兄ちゃんは腰辺りまでコタツに入り、コタツ布団で胸辺りまでを温かくして仰向けに寝転がっている。壁との間にいくつものクッションを置いて、工夫したそれを使いテレビを観ているようだ。
私の答えに何か言うわけでもなく、自分のお腹の上辺りに置いたみかんを食べている。
私はお兄ちゃんの側に一つみかんが転がっているのに気づいた。たぶん私にくれようとしたみかんなのだろう。
私はボサボサとした髪の乱れも気にしないで、お兄ちゃんの隣にしゃがみ、コタツに足から包まれる。
色違いのスウェット。お兄ちゃんが白で、私が紺。
お兄ちゃんは寝転がって、私は座って。二人並んでテレビを観る。これが私たち兄弟の最多る共有時間だ。
コタツに入ったばかりの私の体がもう温まりつつあるのは、寝坊しがちな私よりもいつも早く先に起きてくれている寒がりやのお陰だ。
私に用意されたみたいにすぐ側にある、折りたたまれた新聞と、その上に置かれたテレビのリモコン。リモコンを手に取り、適当にチャンネルを変え回す。
お兄ちゃんがつけていたのは、お昼の月並みな健康番組だった。どうせどの番組をつけていようと、私が観るものをいつも黙って一緒に観ているから、了解をとる必要もなかった。
お昼。この時間帯は私好みの番組がやっていないから困る。休日だからとこんな時間まで寝ている私も悪いのだと分かってはいるけれど。
私は何度も全チャンネルを映し変え、どこにしようか決めかねていた。結局、当たり障りのないごく普通のニュース番組を映して、リモコンをコタツ机に置いた。
最近は飲酒運転による交通事故のニュースが、日毎飛び交っている。
十六の私は勿論飲酒はしないし、お兄ちゃんはすぐに酔っぱらうためほとんど飲まない。つまり、私たち自身にはあまり関係のないニュースだ。ただ、『幼い子供が死亡』などと聞いてしまうと、毎日ぬくぬくとコタツに入り浸っている自分が嫌になり、どうしてだか罪悪感に襲われる。
でも、それも一時のことだ。次のニュースが始まってしまえば、いとも簡単に散り消えてしまう。
不意に私の左目が、お兄ちゃんの動きを関知した。どうやら机の真ん中に置かれたみかんカゴから、もう一つ取り出そうとして手を伸ばしたらしい。
そうすると、私が受け取らなかったみかんはもう食べてしまったのだろう。一体いくつ食べれば気が済むのか、まったく見当がつかない。
頭をニュースに戻すと、新しい内容が話されていた。
なんでも、兄が妹を殺して、内臓をキャビネットにしまっていたとかいないとか。
今が朝ごはんを食べている時でなくて、本当によかったと心底思う。
兄弟を殺すなんて、世間一般ではありえることなのかな、と私は考えだす。
よく考えると、他人と兄弟の話なんてほとんどしないことに気づいた。情報交換の場がない。
――まあ、うちにはありえないことだよね。
私はため息をつきながら、斜め後ろを見てみると、お兄ちゃんは意気揚々とみかんの皮を剥きだしている。
――なんかまたみかん食べようとしてるし。みかんバカだ。
私はうっすらと笑いながらテレビへと視線を戻しすと、いつの間にかニュース番組は終わっていた。
あてもなく電波をさ迷うことに疲れた私は、チャンネルをそのままに思案を巡らせ始めた。
兄弟を殺したいほど怒れることとは何があるのだろうか。
――怒れること……。 私の分のいちご大福を食べられたら、とりあえず怒って何か仕返すだろう。でも大抵の場合、お兄ちゃんは私が食べるのを見計らって自分も食べだすから、私より先に食べることがあまりないんだった。私から何かを取り上げることもしないし。
あまり顔を動かさないで、なるべく目だけでお兄ちゃんに視線を向ける。
そこには、せっせとみかんをむいているお兄ちゃんがいた。細かい白い筋までとっているみたい。
殺したい、とは殺意。“怒れる”というより“憎む”になるのだろう。 私がお兄ちゃんにそんな感情を抱くことは、自然保護団体が森林の伐採計画を推進するくらい無茶なことのような気がしてきた。
一心不乱に黙々とみかんを剥いているお兄ちゃん。私が見ていることなんて絶対に気づいていないんだろう。
いつもみかんばかり食べているから、お兄ちゃんの指先がその色に染まりつつある。
――そういえば、おっきな手。
中くらいの大きさのみかんなんて問題にならないくらい、お兄ちゃんは大きな手をしている。みかんを剥く以外に、いくらでも活用の仕方があるというのに、本人にとっては論外なのだろうか。
そういえば。首を絞めるって紐とか使うのはよく聞くけど、掌だけじゃ無理なのかな。
――少年漫画だと簡単に絞め殺してるしな〜。
だとすると、お兄ちゃんも掌で人を殺せたりするのかな。
一応運動部だし、バスケだし。握力は強そうだ。リンゴだって握り潰せるかも。でも、リンゴは潰せたとしても、みかんは絶対に出来ないんだろうな。
私は一人でクスッと笑ってしまった。
何かが頭によぎる。
――ん?
急に私の表情も思考も、全てがきっと停止した。余計喉が渇いた気がする。
兄弟を殺す、つまり逆パターンもあるのを私は忘れていたんだ。兄が妹を殺す、さっきのニュースでの設定だ。
――ま、まさかね。
アホらしいと思いつつも拭いきれない恐怖。 普段物静かな人こそ、我慢が切れた時には何をしでかすか分からないと言う。
そんなお兄ちゃんが頭にくる出来事というと……。
みかんばかり食べているから、みかんマンセーなのだろう。みかんこそ我が“恋人”くらいのランクかな。
ということは、みかんがこの世からなくなってしまったら、暴れ狂ってあの白いスウェットを濁った赤に染めるに違いない。
誰だろうと構わず虐殺。あの太い腕と大きな掌を使って捻り殺す……。
――手始めに最も身近な私を!?
よく考えたら、私はお兄ちゃんに憎まれているかもしれない。
お兄ちゃんの分のいちご大福を食べちゃったことが何回もある。さっきも、“ザ・オススメみかん”の吟味を断わった。
――きっと、最初に息の根を止められるのは私なんだ。
口の中がカラカラしている。コタツに入っているから必要以上に温かいはずなのに、腕が震える。なんだか胸がザワザワする。
「ねぇ」
びくっ。いきなりのお兄ちゃんの声で肩が勝手に動く。無意識に体が反応してしまった。
なぜか息がしづらくて、その上肺の収縮で胸が動くことを最小限にしたくて――息がつまる。
動揺を見せないように、私は平然を装って、ゆっくりと体を左に捻りだす。
少しずつ“お兄ちゃん”が見えてくる。コタツ布団が形作った太股辺り。お腹にのったみかんの皮。果汁がとんだのか、所々に黄色いシミのついたスウェット。
お兄ちゃんはただこちらを向いているだけだ。
私は何も言葉を発することが出来ず、自分が目を大きく見開いていることだけが分かっていた。
「みかん食べる?」
身体中の力が抜けた。
いつもと変わらない穏やかな声。お兄ちゃんの声。
気がつくと、お兄ちゃんの手が差し出されていた。その掌にはみかん。 丹念にすじを取り、それでいて実を傷つけたりはしていない。慎重に丁寧に剥いたのだろう。
――さっきから剥いていたのは……。
寝転がるお兄ちゃんよりも、普通に座る私の方が目の高さが上だ。
「食べない?」
下から見上げられる私の顔の位置。
自分の好物だからといって、すぐにみかんを勧めるクセ。それでも、一時間のうちに二回聞かれたのは初めてだった。
「……うん」
私は小さく呟いた。
――何も考えずに、ただ勧めてるわけじゃないんだ……。少なくとも今回は。
「そか……」
穏やかだった声のトーンが下がり、お兄ちゃんは目を伏せてみかんののった手を引っ込めようとしている。
その手の動きを、私の片手がそっととめた。
普段からは考えられない、私の気まぐれ行為。
「もらう」
お兄ちゃんは驚いたようで、動きがとまっている。それでも、みかんを落としてしまわないのはさすがだ。
動かないお兄ちゃんから、私自ら黙ってみかんを取ると、それをそのまま机に置いた。
――でもこれ、どうしよう。今食べるのはさすがにムリだよ。
その時、お兄ちゃんのお腹の上が目に入った。
放置された数個分のみかんの皮が、細いすじもろとも干からび始めている。
小さなゴミ溜。
いつもの私からすればそう。
仕方がないから、私は喉の渇きをみかんで潤すことにした。
最後まで読んでいただけて嬉しいです(>_<)
企画小説は参加二回目なのに、投稿する今とてもドキドキしてます。
兄と妹の、なんでもない日常の一コマを書いてみました。
いつもより文字数が少ない感じします。
どうだったでしょう……すごく不安(-_ー;)
最後の最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。