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第9話

 八月三十日。

 窓の外は快晴で灼熱、外には出ずに冷房が効いた室内でごろごろしていたい気温だ。明日を誕生日と夏休み最後に控えた今日、学校の夏の課題はすべて終えてバイトも休みなので一日オフにしている。

 枕をぎゅうぎゅうと抱きしめてベッドに寝転びながら、スマートフォンの画面を見ては伏せるを繰り返してすでに何時間が経過しただろうか。


 この夏休み期間中、一度も諒に連絡しなかった。もちろん会うこともなかった。

 連絡したい気持ちは山々だったが、彼を傷つけたのは俺だ。笑う顔が見たいとか、俺なら泣かせないのにとか、そんなことを思っていた過去の自分を殴りたい気持ちでいっぱいだった。夏休み直前、あの瞬間の諒の表情がフラッシュバックする。

 明日、諒と遊園地に行く約束をしている。けれど、諒はもう俺と出掛けたくなんかないだろう。

 同級生に泣き顔を見られたのを知られたら恥ずかしいだろうし、聞かれてなかったから言わなかった、というのは俺の勝手な思い込みであって諒にとってはそれを伏せられていたというのは裏切りに近い行為だったのだと指摘された今なら分かる。

 理解してから、考えが足りなかったことを何度も反省したけれど諒に言うのは違う気がする。俺が許されたいだけだ、いくらなんでも勝手すぎるだろう。

 あのとき、諒は泣いてはいなかったけれど、泣いているような顔をしていた。家に帰ってひとりで泣いていたかもしれないと想像しただけでも胸が痛む。俺が傷つく権利なんてないのに。


「……諒」

 ぽつり、とこぼした言葉が俺しかいない部屋の中に響く。冷房の運転音にかき消されそうなそれは未練たらたらで、誰かに聞かれたら笑われてしまうだろう。

 ──今でも、諒のことが好きだ。けれど、俺は彼を好きでいる資格はないだろう。傷つけておいて何様だ、と誰よりも自分自身で思う。思うのに、分かっているのに、好きでいるのをやめられそうになかった。スマートフォンの中に残っている写真やメッセージのやり取りは消せそうにないし、日常生活をおくっている中でも彼のことを思い浮かべてしまっている機会が多い。いつしか、諒のことが俺の思考の中の大多数を占めていたのだ。こうなってから気がつくだなんて遅すぎる。このようなものでは全然足りないが、罰を与えられていると思えば甘んじて受け入れるほかない。それだけのことを諒に対してしたのだと、その度に自覚して反省している。


 不意に、ピロン、とスマートフォンが小さな通知音をこぼした。メッセージアプリのものだろう。広告か何かだと思いながらも緩慢な動きでスマートフォンの画面を覗き込んで、がばり、と身体を起こす。


「…………」

 メッセージの送り主は諒だった。

 見たいような、見たくないような気持ちがせめぎ合いながら、震えそうになる指でメッセージを開く。薄目で画面を覗き込むと『久しぶり。ちょっと話したいんだけど、今日時間あるタイミング教えて』と書かれていた。

 話したいことってなんだろう。

 罵倒でもなんでも、それで諒の気持ちが少しでも軽くなるのであればいくらでもしてほしい。けれど、諒はそういうことをするような人間ではないと知っていた。誰かを傷つけるくらいなら、自分が傷つくことを選ぶひとだ。だからこそ、自責の念に苛まれている。

 ばくばくと心臓がうるさい。ドクドクと高速で血が体内を駆け巡っているのが分かる。

 先延ばしにしても意味がない上、諒の時間を取らせてしまうのも申し訳がない。

 何を書くべきだろうか。

 書いては消してを繰り返して、十分くらい『久しぶり。今大丈夫だよ』とだけ返信する。すぐに画面が切り替わって、着信音が鳴った。突然のことに驚いてスマートフォンを手から滑り落としそうになる。なんとかキャッチした指が通話ボタンを押したらしい。遠くから聞こえる『もしもし』の声に、慌ててスマートフォンを耳に押し当てた。


「も、もしもし」

『忙しいのに、急に連絡してごめん』

「いや、部屋で暇してたから。どうしたの?」

 どうしたの、なんて白々しい。十中八九明日の約束のことだろう。彼のことだ、たとえ行きたくなかったとしてもしっかりと断ろうと思って連絡してきてくれたに違いない。俺から連絡すべきか迷ったが、勇気が出なかった。最低だ。


『明日のことなんだけど』

「……うん」

『約束、覚えてる?』

「俺の誕生日に、一緒に遊園地に行ってくれるって約束、だよね」

『そう』

「……あの、さ」

『うん』

「電話で言うのも、遅くなったのも悪いと思うし、俺が許されたいだけって思うから許さなくていいんだけど……でも、ごめん。諒のこと、傷つけるつもりはなかったんだ」

『……俺こそごめん。あの日、腕振り払ったりして。ついカッとなったっていうと言い訳にすぎないんだけど、子供っぽく当たった』

「いや、諒は謝ることないよ。全部俺が悪い」

『そう言うと思った。冷静になって考えたら、優真がそんなこと思ってたわけないのにね』

「……」

 俺がクラスで諒に話しかけたきっかけは他でもなくあの日、あの夜のことがきっかけだ。興味心からだとは伝えていたが、それだけだと言ったら嘘になる。単純に単なるクラスメイトとしてもっと仲良くなりたいと思ったからだ、というのも嘘になる。

 諒は俺のことを過大評価してくれているが、誰とでも仲良くなるわけではないし多少の打算はある人間だ。彼によく思われたいと考えてしまう浅ましい俺は、彼には気がつかれたくないと思っているので何も言えなかった。


『嫌だったら断ってくれていいんだけど、約束したから。明日、一緒に遊園地行こう』

「…………いいの?」

『何が?』

「だって、俺、諒のこと傷つけた。俺と一緒に、遊園地行ってくれるの?」

『……行く気なかったら連絡してない』

 諒はそう言うものの、断る気だったとしても絶対に連絡はしてくれていただろう。分かっていたから、スマートフォンを確認してはため息を繰り返していたのだ、俺は。


『それとも、もう明日他のひとと約束しちゃった?それなら、そのひととの約束優先して』

「してない!予定あけて、ます」

『そっか』

「……本当にいいの?」

『そもそも、俺から言い出したんだし。優真が嫌じゃなかったら』

「嫌じゃない、行きたい!」

『じゃあ、明日十時に遊園地の最寄り駅の改札出たところで待ち合わせでいい?』

「うん、分かった」

『チケットはもう買ってあるから』

「ありがとう。明日払うね」

『プレゼントだからいらない。じゃあ、明日』

「うん、明日」

 ボロン、と通話終了を告げる小さな音が鳴ってスマートフォンからは音が出なくなった。スマートフォンを押し当てていた耳が熱いし、心臓はぎゅうぎゅうと痛む。明日、諒は俺と出掛けてくれるらしい。本当に?

 夢だったらどうしよう、と思って抓った頬はひりひりと痛んだ。現実だ。


 放心状態でスマートフォンを見つめていると、一輝から『今ヒマ?ヒマだったら一緒に昼飯食わない?優真の最寄り駅にいる』というメッセージが届いた。見られているのではないかと思うようなタイミングに少し笑って「行く」と返信して出掛ける準備をする。


◇ ◆ ◇


「おつかれ~」

「おつかれ。こっちに何か用事あったの?」

「んー……まあ、座って座って」

「うん?」

 一輝に呼び出されたハンバーガーショップに到着し、店内を見回してすぐに彼と目が合った。近くまで移動すると着席を促される。着席した席にはすでにハンバーガーセットが置かれていた。


「他にも誰か来てるの?」

「いや?それ優真の分」

「え?」

「誕生日だろ。一日早いけどおめでと」

「えーいいの?」

「おう」

「ありがとう。じゃあ遠慮なく」

 よくよく見ると俺がよく頼むメニューが並んでいた。周りをよく見て気を回している一輝のことだ、もしかしたらこのために俺の家の近くまで来てくれたのかもしれない。聞いたところで答えは濁されると長年の付き合いで知っていたので、ありがたく味わわせて貰うことに決めてバーガーを手に取る。


「優真さー、元気出たみたいだな」

「元気?……え、俺落ち込んでた?」

「うん。いつからかは知らないけど、夏休み中に会ったときやばい顔してたぞ」

「うわー……ごめん、ありがとう」

「いや、別に俺はいいけど。何々、聞いていい話なら聞きたい」

「うーん……なんて言ったらいいか分からないんだけど、自分の気の使えなさに落ち込んでたっていうか、罪悪感を抱えてたっていうか……」

「優真ってわりと気ぃ遣えるタイプだと思うけど」

「勝手に思い込んで、良かれと思ってやってたことが相手のことを傷つけちゃってたって感じ」

「ふぅん。確かにそういうとこはあるかも」

「えー……言ってよ」

「言われても分からなくない?そういうのって」

 ポテトを一本摘み上げて口に運ぶ。熱々出来たてのポテトだったらしい。やけどしそうになって慌ててコーラで口の中を冷やした。


「んで、解決した?」

「解決……ではないけど、一応、気になってたことはちょっと解決っていうか、糸口が見えたっていうか」

「なら良かった」

「うん、ありがと」

「俺は別になにもしてないし。それで、その相手って?好きな子?」

「黙秘します」

「それが答えみたいなもんだろ。俺が知ってる子?」

「まあ……誰かは言わないけど」

 俺は良いが、勝手に好意を持たれているのもそれを第三者に言われるのも諒がいい気はしないだろう。諒にだって、他の誰にだって言うつもりはない。今のところ、好きなのを止められそうにも忘れられそうにもないけれど、それができるようになるいつかまでは許してほしい。


「何か、達観してるねえ」

「そう?そういう一輝はどうなの、夏期講習とかで出会いあった?」

「ないない、勉強勉強って感じだよ」

 もう夏も終わるのになあ、と一輝が呟いた言葉がやけに胸の中に引っかかった。

 夏の終わりに一緒に過ごすのが俺で本当にいいのだろうかと思うけれど、諒本人には聞けそうにない。せめて明日、諒に少しでも楽しんで貰えますように。帰宅したらパレードや限定企画の時間を予習することに決めて、感傷はコーラで喉の奥まで流し込んだ。

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