交渉決裂
この人質事件にすぐさま対応したのは、誘拐や人質事件を扱う、警視庁捜査一課・第一特殊犯捜査・特殊犯捜査第一係である。
この犯人たちとの交渉と現場指揮を任されたのは、48歳のベテラン三島幸利警視だ。
三島警視は、まず犯人たちの動向を探るために、ワールドインポートマートビルの管理室から防犯カメラの映像を細かく観察した。
しかし、もうそこに映っているのは、細い通路に押し込められた人々の頭が映っているだけで、犯人たちの姿は映ってはいない。
各箇所に設置されていた防犯カメラは、もう物理的に壊されてしまったようだ。
事件が発生する前後1時間半前の映像も、すでに消去されてしまっている。
もちろん、その消去された映像の復元を試みてはいるが、それにはだいぶ時間が掛かるとのことだ。
そして、犯人たちからなんらかの要求があると、その電話を待ってはいるが、一向に掛かってくる気配はない。
さすがに警察も痺れを切らしていたそのとき、ワールドインポートマートビルの前に路上駐車していた3台の車が次々と爆発炎上した。
そこにワールドインポートマートビルの管理室に、一本の電話が入る。
「はじめましてー。警視庁捜査一課のみなさーん。我々の本気がこれで伝わりましたか。あの3発の爆弾と同じものを、水族館に通じる各防火扉にも設置させていただきました」
「頭の良い、理解力があるみなさんならわかりますよね?」
「こちらとの連絡には、まずはいま電話のディスプレイに表示されている番号に掛けてください。では」
この犯人から電話に出たのは、もちろん三島幸利警視だった。
しかし、犯人に返答する隙は、一切与えてもらえなかった。
そして、このビルの表で爆発した爆弾が、水族館に通じる防火扉の前に設置されているとなると、この時点から迂闊に近づくことは出来ない。
おそらくは、消防隊員が突入する為のビルの外壁に設置されている非常用進入口も同じことだろうと、すぐに推測した。
ここからは、犯人との電話での交渉だけが頼りだが、電話を掛けてきた犯人が、かなり手強い相手である以外はなにもわからない。
まずは、犯人たちの目的を探ることにした。
三島幸利警視は、一度深呼吸をしてから、電話が掛かってきた番号にリダイヤルする。
しかし、相手は一向に電話に出ようとはしない。
時間をおいて、二度、三度電話を掛けて、ようやく四度目に電話に出た。
「すみませーん。電話に出られなくって」
そう口では言っているが、全然悪びれた様子はない。
「こちらこそ、忙しいときにすまない。これから君との交渉を担当する三島だ。君の名前を教えてくれないか」
三島は、犯人との交渉術のマニュアルどおりに、相手のことを否定せずに交渉のテーブルについた。
「えっとぉ、三島さん? 三島、なにさんですか?」
その三島の問いかけに犯人が聞き返す。
「三島幸利だ」
「ふ~ん。三島ユキトシさん。じゃあ、僕は、そーですねー。それじゃ、僕の名前は、名無しの権兵衛とでもしておきましょうか」
そうふざけたことを平然と答えてくる。
「……」
これに対して三島は、怒りを抑えてどう答えていいのかが見つからない。
「あれ? なんで黙っちゃうんですか、三島さん?」
その沈黙に茶々を入れるように、犯人が質問する。
「す、すまない。君たちの目的を教えてくれないか?」
だから最初に確認しておきたかった質問をした。
ところがこの犯人の男は、まともに三島と話す気はないようだ。
「あと、その前に、この携帯の番号から、契約者を調べても無駄ですから。こっちからの電話は全部、ここにいるお客さんの携帯電話を使わせてもらいますんで」
「……」
三島は、また返答できなかったが、犯人の要求の答えは返ってくる。
「こちらの要求でしたね。そんなのは適当にそちらで考えてください」
「……」
「あとですね。こちらにも都合があるので、人質の数は100人ほどにさせてもらいました。その方が、そちらにも都合がよろしいですよね」
「……」
「あれ? なんでずっと黙ったままなんですか、三島さん? 僕からの電話聞こえてます?」
「……」
「あれあれ? もしかしてなにも言い返せずに泣いちゃってます? だったら、ごめんなさい」
「……」
「どうやら、あなたでは僕の相手には役不足のようだ。別の人に代わってもらうことをお勧めします」
そう言って、電話は切られた。




