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ベビーシッター 交渉人・風祭佑之  作者: 志村けんじ


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10/13

怒り


 それでも風祭の言葉に安心した人質もいたようで、その中の数人が「トイレに行かせてほしい」と要求した。


 もう我慢するのも限界で、すぐにでも漏れそうだという。


 これがテレビドラマや映画の中では、順番にトイレに行かせてもらえるものだが、現実は違った。


「どうぞ。ここですればいい」

 山元は、それでなんの問題もないと冷たく言った。


 その言葉に、人質たちは驚きを隠せない。


「そんな!? 無理です、そんなの!?」


「別にあんたたちは、俺たちのお客さんじゃない。ただ俺たちが利用するための物だ」

 そう言い放った。


「そんな……」

 その尿意を訴えた女性は、30人の男性が抜けて空いたスペースにしゃがみ込む。そして、とうとう限界を超えた。


 その女性だけではなく、何か所から漏れた尿の匂いがする。これは人間の尊厳に対する屈辱だった。


 山元は、それを見て勝ち誇ったようにニヤニヤと笑った。


 山元は、今度は自分の方から風祭に電話する。


「風祭さん。元気してましたか?」

 そう勝ち誇ったかのように言った。


「もちろん。元気ですよ。あなたは?」

 そう聞き返した。


「こっちは、トイレが臭すぎて困ってます」

 そう言って笑った。


 ビルの管理室のモニター画面が点き、そこに人質たちの様子が映し出される。


 そこには、何人かの女性たちがしゃがんだ状態で泣き崩れていて、なんだか床が濡れている。


 男性たちの何人かも、絶望のような顔をしている。


 風祭は、それを見て察した。そして一呼吸おいて。


「山元さん。ボクはどうやらあなたのことを大きく勘違いしていたようだ」


「勘違い? なにを勘違いしているって」


「どうやら、あなたはもっと軽妙で頭の良い方だど思っていたが、違うようだ」


「それで?」


「あなたは、ボクの言った噓にも気づかないような馬鹿だ」

 そう言い切った。


「ほぉー。俺が馬鹿だと言うか」


「そうだ。先ほどボクが言った、『己の足元を見よ。さすれば真の敵も見えてくる』なんて、孫子の兵法は存在しない。それが答えだ」


 そう言われて、山元の頭に血が上る。なんとも言い表せないような怒りが込み上げる。


「さて、どうする? もしここで怒りに任せて、人質に暴力を振ったり、人質を一人でも殺してしまったら、その時点であなたの負けだ」

 そう断言した。


「あんなのは……。風祭さんの話に乗っただけさ。それより、人質たちの身元のデータを送る。カネを用意しろ! もちろん現金でだ!」


「わかった。約束は守る。そちらも必ず約束は守るように」

 そう言って風祭から電話を切った。


「くっそぉーー!」

 そう叫んで、山元は何度も水槽のアクリルガラスを殴る。


 拳の皮が擦り剝けて、血が出たところで殴るのをやめた。


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