怒り
♢
それでも風祭の言葉に安心した人質もいたようで、その中の数人が「トイレに行かせてほしい」と要求した。
もう我慢するのも限界で、すぐにでも漏れそうだという。
これがテレビドラマや映画の中では、順番にトイレに行かせてもらえるものだが、現実は違った。
「どうぞ。ここですればいい」
山元は、それでなんの問題もないと冷たく言った。
その言葉に、人質たちは驚きを隠せない。
「そんな!? 無理です、そんなの!?」
「別にあんたたちは、俺たちのお客さんじゃない。ただ俺たちが利用するための物だ」
そう言い放った。
「そんな……」
その尿意を訴えた女性は、30人の男性が抜けて空いたスペースにしゃがみ込む。そして、とうとう限界を超えた。
その女性だけではなく、何か所から漏れた尿の匂いがする。これは人間の尊厳に対する屈辱だった。
山元は、それを見て勝ち誇ったようにニヤニヤと笑った。
山元は、今度は自分の方から風祭に電話する。
「風祭さん。元気してましたか?」
そう勝ち誇ったかのように言った。
「もちろん。元気ですよ。あなたは?」
そう聞き返した。
「こっちは、トイレが臭すぎて困ってます」
そう言って笑った。
ビルの管理室のモニター画面が点き、そこに人質たちの様子が映し出される。
そこには、何人かの女性たちがしゃがんだ状態で泣き崩れていて、なんだか床が濡れている。
男性たちの何人かも、絶望のような顔をしている。
風祭は、それを見て察した。そして一呼吸おいて。
「山元さん。ボクはどうやらあなたのことを大きく勘違いしていたようだ」
「勘違い? なにを勘違いしているって」
「どうやら、あなたはもっと軽妙で頭の良い方だど思っていたが、違うようだ」
「それで?」
「あなたは、ボクの言った噓にも気づかないような馬鹿だ」
そう言い切った。
「ほぉー。俺が馬鹿だと言うか」
「そうだ。先ほどボクが言った、『己の足元を見よ。さすれば真の敵も見えてくる』なんて、孫子の兵法は存在しない。それが答えだ」
そう言われて、山元の頭に血が上る。なんとも言い表せないような怒りが込み上げる。
「さて、どうする? もしここで怒りに任せて、人質に暴力を振ったり、人質を一人でも殺してしまったら、その時点であなたの負けだ」
そう断言した。
「あんなのは……。風祭さんの話に乗っただけさ。それより、人質たちの身元のデータを送る。カネを用意しろ! もちろん現金でだ!」
「わかった。約束は守る。そちらも必ず約束は守るように」
そう言って風祭から電話を切った。
「くっそぉーー!」
そう叫んで、山元は何度も水槽のアクリルガラスを殴る。
拳の皮が擦り剝けて、血が出たところで殴るのをやめた。




