11/27 もはや少年ではない
私はずいぶん昔から若さというものを忘れていたようだ。もともとインターネットの中では若手集団に属する者としてキャリアをスタートさせたが、その集団の中で比較的年上だったこともあり、あまり若さに任せて書き殴った経験が私にはあまりない。むしろ勢いのままに書きそうになるたびに自分を律してきた。その結果大きな炎上をすることなくここまで来ることができたが、あらゆる方向から距離を置く人間になってしまった。データキャラを気取って、仲間たちの輪に降りてこないのだ。私が14くらいのときからアカウントを続けていたら熱い私の姿が記録に残っているのかもしれないが、それらの多くは黒歴史としてすでに抹消されている。というよりかつての多くの同志たちも当時の記録を抹消する傾向にあり、むしろ行方不明になった者も多い。それでも私は界隈を最後まで見守るという責任がある。
もう少しインプットを増やさなければならないと感じている。高校時代に読みふけった長編小説のうち、途中で止まってしまったものがいくつかある。文学界隈に巣食う蛮族たちは息をするように長編小説を読んでいるが、実際は長編小説は一作読むだけでかなりの時間と労力を使う。私も修学旅行のバス移動中をほぼ全部使ってなろうの連載を1000話進めたりしたものだが、もうその気力はなくなりつつある。読むだけでこれだけ大変なのだから、それを書くのはさらに大変である。そもそも巷の大作家とよばれる人たちを見れば、長編小説を複数生み出している人は非常に少ない。ライフワークとして、一生をかけて心血を注いでやっとひとつの長編小説が完成するものなのである。漫画にもそれがいえる。それなのに私は新着欄を漁ろうとしても刺さる作品をなかなか見つけることができない。よくあるテンプレではもう満足できなくなってしまった。こうなれば本屋に行きたい気持ちと、自家発電したい気持ちが湧いてくる。
それから、旅行に行きたい。これだけ長く活動して、そして自作小説では人が旅をする話を書くことも多いというのに、意外にも私は一度も本格的な紀行文というものをやったことがない。この日記でやってもよいのだが、できればひとつの旅行として独立させたいものである。私が無駄に時間を過ごしているうちに牟岐線の特急は動かなくなってしまった。本数が少ないと腰が引けているようではいずれ廃線となってしまう。牟岐線から阿佐海岸鉄道、バスを経由してごめん・なはり線で高知駅へ、というルートは早くやらなければならない。しかし冬休みは親に出雲旅行に駆り出されそうであるから、春休みか。
私は父が重度の鉄道オタクだった影響で少しは鉄道に興味があるが、それは基礎知識が入っているのみでほとんど今は力を入れていない。高校のときは通学に鉄道を使っていたからまだ関わりがあったが、今はもう触れることがほぼなくなってしまった。ボカロ民をやっていてボみやKiite民など知識を至上とする人たちと接してわかってきたが、本当にコンテンツを愛する人は恐ろしいほどそれについて記憶している。たとえばある線路を列車が走る写真を見て、鉄道民はそれがどこの場所で、走っている列車は何であるかまで即座に答える。ちょうどボカロ民が最初の3秒を聴いて曲と作者を言い当てるようなものである。本当にすごいことである。私はそれほどひとつのことに熱中することができない。すべてが中途半端のままで、なんとなく一生を過ごそうとしている。
苦労を経験すると精神年齢が上がるといわれる。私の精神年齢がどの程度なのかはわからないが、少なくとも同年代と比べてあまりにも物事を達観しすぎている。これには私の複雑な少年時代が関係しているように思えるが、それをここで語ることはない。それらは私の作品の中で少しずつ表現されるべきである。だからこそ私には著さなければならない長編がいくつかあって、ひとつは私自身と私が現実世界で救えなかった人に、もうひとつは私がこのキャリアの中で救えなかった人のためのものである。もしくは、新人時代に表現していたことについて、やっとその本質が見えているようにも感じる。4周年記念中編はすでにプロットは完成して、冒頭部はすでに書かれている。




