序文、もしくはなろうチアーズへの意気込み
またもや日記を始めます。
私は雑記、または日記をやることにした。というのもなろうチアーズプログラムが始まったからである。これで我々なろう民もPVがつくほど金を稼げるようになったのだ。どうやら100PVごとに1円くらい稼げるらしい。ということは10万円稼ぐには1000万PVである! いくらなんでもPVだけで暮らしていくのは無理があるし、こんなの人気トップランカーでもないと稼げないだろう。ということで私が大学を中退してなろうチアーズだけで暮らしていくという夢はまさしく夢と消え失せた。まっとうに小説で稼ぐにはやはり公募を勝ち抜いて印税を得るしかない。
私は以前も何回か日記をやろうとしたことがあるが、それらはどれも続かなかった。どうも天性の飽き性で、日記のみならず連載小説すら続いた試しがないのである。ただ前回の日記で運転免許を取ろうとしている話をした。あれから1年半程度が経ったが、もちろん無事に免許を取っている。特に事故もなく無難に運転しているが、とはいえ運転するのは週末に実家に帰ったときくらいであり、なろうエッセイの環境で運転論をやるのはハードルが高いことはわかりきっている(専門家がすでに何人かいらっしゃる)ので、ここでは特に言及しない。もしかすると何か旅行に行けば、もしくは将来自車を購入できればそれについて語るかもしれないが、今はそのときではない。
さて、この日記のおそらく冒頭部分となるここで「駄文」について論じてみる。なろうの文壇ではよく駄文の是非について論じられてきた。日記や体験談がなろうの環境で伸びることが少ないのは、それが「駄文」、もしくは意味の少ないものであるという批判がある。たとえば家族の愚痴について語る文章、自分や身内の災難を嘆く文章、こういったものは往々にして一般的に、もしくは似通ったものになりやすく、さらには作者の感情を大きく含むために嫌悪感を持たれがちである。しかしながら、私は文章に駄文たるものは存在しないと考えている。あなたの人生は、そしてあなたが体験したことは、すべてあなたのものだ。それを文章もしくは他の表現媒体として、世にそれを示すのに何を躊躇する必要があろうか。
なろうチアーズの話に戻る。チアーズにはPVを稼ぐのがよいのだから、長編連載は正義である。つまり日刊ボーカロイドは再開されるべきである。そして私は第1話で止まっている東を目指すも書き進めつつある。それからこれはかなり将来的なことになるが、来年春のなろう登録5周年用の中編と春に出したい題材の短編も計画している。しかし読者の皆さんは私がやると言ったことの1割程度しかやらない人間であると理解しているはずだ。ということで気長に待ってほしい。しかし私も20歳になってしまった。早く文壇で何かの結果を出さないと、私は平凡な理系大学生と成り下がってしまう。これだけは避けたい。つまりとにかく挑戦しなければならないのだ。
ところで私は一昨日夜くらいにはなろうチアーズに登録したのだが、まだ1つのポイントも入っていない。自作でできるものはすべて収益化をオンにしているのにである。まあこの数カ月何も更新していないのだからPVがつかぬのも当然であろう。ここで気になったが、なろうチアーズはアルバイトとして認められるのだろうか? 最低賃金を1時間1000円として(この時代そんな額は安すぎるが)、1000円を稼ぐには10万PVが必要である。1時間で書いた文章に対して10万PVをつけることができるか? 私にはその想像ができない。やはりなろうチアーズはアルバイトになりえない。とはいえ小説で稼げるということ自体が素晴らしいことである。存在する機会には手を伸ばさねばならない。
本格的な活動再開(三日坊主にならねばよいが)であるから、旧知の間柄のアカウントの作品に星をつけたりコメントしたりを再開している。もしくは新作から良作をスコップすることも気が向いたときにやろうとしている。なろうでは相変わらず異世界恋愛が強い。私はおおよそやる気がないが。
しばらくはこの適当に書くだけの日記と日刊ボーカロイドを毎日更新して、あとはXでのバズツイに日刊ボーカロイドを貼ったりして何でもいいからPVを伸ばそうとする予定である。連載エッセイランキングなど更新さえしていればランキングにぶち上がるのだ、と楽観的に考えている六野の未来はいかに。といったところで、1800文字くらいしか書けなかったがネタがないので初回を終わっていこうと思う。私にはネタをひねり出すほどの時間があるわけではない、指が動かなくなれば潔く筆を置くのがコストパフォーマンスの節約というものである。それではまた明日。しかしこの日記が明日更新される可能性はいかほどであろうか?




