第六話『死線を越えて』
(はぁ……やってられない)
異世界に来てやることが、まさかの雑用。
しかも、寄せ集めの落ちこぼれどもと一緒だ。
本来なら――美少女に囲まれ、強大な魔物を華麗に斬り伏せているはずだった。
そんな妄想と現実のギャップに、草原の真ん中で俺は何度もため息をついていた。
そこへ、茄子の野郎がまた余計なことを言ってくる。
「お前さ、ちょっとはやる気出せよ」
――何様だ。急に偉そうに。
「うるせぇな!」
声を荒げる俺と、睨み返す茄子。空気が険悪になったところで、またゆんが慌てて仲裁に入る。
……余計にイラつく。
あいつの顔を見ていると、どうにも腹の底がムカムカする。
剣を選んだくせに、才能なんかまるでない。俺と同じ班にされてる時点で、その程度だってことの証拠だ。
(落ちこぼれのくせに。負け犬のくせに。成功なんてできるはずがないくせに……)
そう思うとイラ付く、許せないと言う思いが湧き上がって来るのを止められない。
険悪な空気の中、一人の女の子が声を出す。
険悪な空気を切り裂くように、一人の少女が声を上げた。
「あっ、みんな! あそこに目当てのが咲いてるよ!」
京子が目的の草花を見つけ、駆け寄っていく。
――その瞬間だった。
一瞬にして彼女の体は、肉塊へと変わり果てた。
さっきまで笑顔で話していた人間が、上から襲いかかられ、噛み砕かれ、血と臓物を撒き散らしながら食い散らされる。
グチャグチャと肉を噛み潰す不快な咀嚼音が響き渡った。
「え……?」
あまりの惨状に、声にならない声が漏れる。
「ギャレオン……?」
呆然としたまま、茄子が名を口にする。
姿を現したのは――体長五メートルを優に超える魔物。
鋭い牙が並び、巨大なカメレオンのような体躯に、水牛のような角を備えている。
普段は透明化で身を隠し、獲物が油断して近づいた瞬間だけ姿を現し捕食する。
まさに、潜む死そのものだった。
その悲惨な光景を目にした俺は、叫びながら走り出した。
正俊を一瞬で捉え、発狂して抵抗する彼の声は、やがて悲鳴へと変わった。
「みんな、うちに任せて!」
勇ましくそう叫び、ゆんがギャレオンへと飛び出した。
だが次の瞬間――
バシィッ!
巨体の尻尾が薙ぎ払われ、ゆんの体は空へと弾き飛ばされた。
「アァー〜ッ!」
彼女は遥か彼方へと消えていった。
捕食を終えたギャレオンが、じろりと目を動かしこちらを見据えた。
「まずい…ギャレオンは動く物を追う習性があるらしい。だから俺たちが囮になれば――その隙に首元を狙えるかもしれない。お前は剣を持ってないから動きを誘導してくれ。その間に俺がなんとか――」
「えっ…あ、なんだって?」
頭が真っ白だった。
ゲームやアニメでは何度も見たシーン。でも実際に人が殺される光景を目の前で見たら――足がすくむ。自分もああやって食われるのかと思った瞬間、戦意なんて跡形もなく消えていた。
「……チッ。じゃあお前はそこで突っ立ってろ」
茄子はそう吐き捨てると、迷いなく走り出してギャレオンの注意を引いた。
途端、ギャレオンが地を蹴り襲いかかる。
「はやっ!」
図体に似合わぬ俊敏さ。茄子は辛うじて噛みつきを避けようとしたが、純粋な速度差に押され、完全には避けきれない。さらに尾の一撃が追い打ちをかけ、剣で受け止めたものの、軽々と数メートル吹き飛ばされた。
ほんの数秒の出来事。
俺なら「噛ませ犬」と嘲笑していただろう。だが――
(このままじゃ、あいつ…喰われる)
大嫌いな奴のはずなのに。
心の奥で「死んでほしくない」と願っている自分がいた。
どうしてだ。なぜあいつを見ていると腹が立つんだ?
何も恵まれず、才能もなく――まるで、俺じゃないか…。
死を目前にした今、走馬灯のように後悔が溢れる。
俺は気づいてしまった。
――本当は、あいつを認めていたんだ。
諦めた自分とは違い、必死に足掻き続ける姿を。
何かと理由をつけて「どうせ無理だ」と逃げてきた俺には、それが眩しく、腹立たしく、羨ましかったんだ。
「なすびー!どうすればいいんだ、どうすれば倒せる!?」
俺は走り出した。動き出した俺を見て、ギャレオンが咄嗟に襲い掛かる。
だが、距離は詰まっている。噛みついてきても、足で蹴って回避し、尻尾の振りもジャンプで避ける。
体が信じられないほど軽い。交わせる。
動きが遅い。これなら……地面を思いっきり踏み、数メートル先まで一瞬で詰めて、相手の腹部に蹴りを入れる。
(硬い……)
手応えからして、煉瓦のような硬度の皮膚だ。ギャレオンは多少ダメージを受けるが、ほとんど意に返していない。
「首元だ!首元が弱点だ!あと、これを使え!」
なすびは、自分の手元にあった剣を、最後の力を振り絞って俺に投げてきた。
「分かった!」
大声で返事をする。ギャレオンの猛攻を紙一重で回避しながら、剣を受け取る。速度的には回避可能だが、初めての実戦と緊張感で疲労はどんどん溜まっていく。
「あぁ……そいつはお前にやる!頑張って買った店一番の品だ、だから頼むぜ」
そう言うと、なすびは気を失った。
「よし、あそこだな……」
首の下、皮膚が柔らかそうな部分を見つけ、狙いを定めて切りかかる。
数メートル先までジャンプし、斬りかかるが、動作を読まれ尻尾の反撃を受ける。寸前で回避するが、こうした攻防が何度も続き、疲労感が溜まっていく。
頑丈な皮膚に刃を立てた瞬間、刃が折れてしまった。
何故だ……速度では俺の方が上のはずなのに……。
「はぁ、はぁ……っ!」
一旦距離を取ろうとした瞬間、読まれて尻尾の攻撃を仕掛けてくる。紙一重で回避するが、この魔物が俺の動きを覚え始めているのが分かった。
単純な速度では上回っているが、俺の動きは素人のそれだ。動作が多く、読みやすい……一体どうすればいいのか。
そこで、一瞬の閃きを思い出した。
(思い出せ……)
あいつが俺に膝を付かせたときの動き。あの洗練された構えや動作……。
剣を構えて、切りかかる。
その出来は、きっとモートンと比べれば練度はかなり劣るだろう。
だが、それでも確かな手応えを感じた。
その剣は、ギャレオンの首元を正確に捉え、討ち取ったのだ。
その後、なすびは治癒魔法が間に合い、何とか助かった。ゆんも運良く湖に落ちて無事だったらしい。
死者2名を出すという異常事態となったが、この件を受けて、俺は周囲から大いに賞賛された。クラスメイトや教師たちからも一目置かれ、俺の存在が認知されるようになったのだ。
修学旅行の帰り、隣に座っていたなすびに、俺は勇気を振り絞って声をかけた。
「なぁ…」
「ん?」
あっさり返事をしたなすびに、俺は思い切って尋ねた。
「何で事実をそのまま伝えてくれたんだ…?」
これが、俺にとって一番の疑問だった。
最初に事件を知った時、なすびは以前からの評判や、怪我の後の状況から、俺がギャレオンに立ち向かって逃げただけだと思っていたはずだ。
しかしなすびはそれを否定し、本当のことを話してくれた。順位や支給金が上がる利点もあるのに。何より、態度からも俺のことを嫌っていたのは明らかだったのに。
「うーん…そうしたいと思ったからかな。それに、助けてくれてありがとう、快。最初は少し言い過ぎて悪かった」
「そうか…気にするな。俺も悪かったし」
異世界に来て初めて、どこか忘れかけていた温かい感覚を味わった気がした。
こうして、異世界での人生初の友達ができた、最高の修学旅行は幕を閉じた。