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井戸の水

作者: 茶音

 その村には地図がない。正式な行政記録にも載っていなかった。


 “水無村”。


 佐久間は大学の民俗研究室で、その名を見つけた時、何か胸がざわついた。水が無い村――それでも、古い文献には「井戸の水による供養儀」が何度も記されていた。訪れたのは、春の終わり。山道を抜けた先に、ぽつんと家々が点在しているだけの場所だった。案内してくれた老婆は言った。


「村の中心に、井戸がありますが……見ても触れてもいけませんよ」


 そう忠告されても、佐久間は興味が抑えられなかった。

 村の中心の広場。そこにある石造りの井戸は、不思議なほど美しかった。苔に覆われ、ひび割れひとつない縁。水面は静かに揺れず、まるで鏡のようだった。

 夜、民宿で眠れず外へ出た佐久間は、無意識に井戸へと足を向けていた。耳に、何かが触れた気がした。

「……さくま……くん……」

 誰かが囁いた。井戸の中から。

 辺りには誰もいない。風もない。けれど、水面が微かに――笑ったように見えた。

 翌朝、佐久間は村役場として使われている旧校舎に案内された。壁には褪せた地図と、所々焼け焦げた文書が掲示されていた。案内役の老人は、どこか急ぐように話す。

「昔の儀式の記録が残っているのは、ここだけです。あまり長くは見ない方がいい」

 机に積まれた古文書の中に、一冊だけ革表紙の厚い手記があった。

>水無村・供物記録

>明治十三年~昭和四十七年

> “井戸ノ水ハ魂ヲ捕ヘル。供物ハ必ズ沈メ、忘却サレルコト”


 佐久間は頁をめくる。 


 日付と共に、供物の一覧が並んでいた。最初は酒や塩、柿、布。だんだんと、人形、鏡、鳥の首といった奇妙なものが混ざっていく。


昭和三十二年。そこに、違和感のある記述が現れた。

> 九月八日 供物:一名

> 備考:夜間沈メ、名ハ記録セズ

血の気が引いた。

“供物:一名”。

それが何を意味するのか、深く考えずとも察することができた。

その夜、佐久間はまた井戸を訪れた。月は雲に隠れ、水面は凪いでいた。

ふと、井戸の縁に指を置いた瞬間――水が、音もなく揺れた。

そして、そこに浮かんだのは……幼い少女の人形。濡れていない。沈んでもいない。ただ、出てきたように見えた。

佐久間の耳に、低く震える声が響いた。

「見ないで……また“誰か”が欲しがってしまう」

村の空気が変わった気がした。

朝の霧は濃く、民宿の廊下にすら水の匂いが満ちていた。外に出ると、どこかから井戸水を汲む音がする――はずはない。村人は水道を使い、井戸には触れない。

その日、佐久間は夢の話を村の子どもにしてみた。

「井戸の中で誰かに呼ばれてる気がするんだ。…声がするって、聞いたことある?」

小さな男の子は、ひとことだけこう答えた。

「それ、おばあちゃんが言ってたよ。井戸の水は、話しかけちゃいけないんだって。真似するから」

真似する?誰が?

佐久間は思わず息を飲んだ。

その夜。日記を書こうとして筆を止める。どうしても思い出せない――自分の姉の誕生日が。小さな記憶の穴。それは、“誰かが代わりに持っていった”ような感覚だった。

民宿の窓から井戸が見える。風もなく、水面は凪いでいた。

それなのに、鏡のような水面の中央が、ゆっくりと“誰かの顔”の形になって揺れていた。

その唇が、声もなくこう動いた。

「わたしのこと、思い出して。忘れたぶん、あなたの記憶をもらうね」

佐久間は目を背けようとした。

でも背を向けた瞬間、耳元に囁きが落ちてきた。

「ねえ、呼んで。……あなたの声で私が残れるから」

民宿の離れで見つけた古い新聞束。その中に、昭和四十八年の日付が残った一枚があった。

《水無村にて少女失踪。祭礼の翌日、井戸の封が解かれていた》

記事は短かった。名前も年齢も伏せられている。

けれど、その紙面には、小さな白黒写真が載っていた。桜の木の下で笑う、長い黒髪の少女。

――見覚えがある。

夢の中で、水の向こうにいた“誰か”に、姿が似ていた。

佐久間は井戸へ向かった。日が沈む頃、村人の姿はなかった。

井戸の縁に腰掛け、静かに覗き込む。

水面は揺れず、ただの影しか映っていない。

でもその中央が、ゆっくりと暗く染まっていく。

まるで奥深くから、何かが浮かび上がってくるように。

「さくま……みつけて……」

声がした。少女の声だった。

水の中に、泡のように浮かぶ“黒髪”がゆらりと見えた。笑っていない。泣いてもいない。ただ、見ていた。

「わたしの記憶、見つけて。沈められたくなかったの。……でも、沈んだから、もう戻れないの」

佐久間の額に冷たい汗がにじむ。

この村では、記憶は“選べる”ものではない。

誰かの記憶が、供物とともに井戸に沈められる。

そして――それを見た者の記憶が、代わりに奪われる。

翌日、佐久間は役場に戻り、古文書の束をさらに探した。

その奥に、封蝋で閉じられた灰色の巻物が見つかった。村長の許可を得て開いたその中には、手書きの粗い言葉が並んでいた。

> 「井戸は開く。鍵を忘れよ。封印は、思い出す者のためにある」

もう一枚、日付のない絵図。井戸の下に“もうひとつの空洞”が描かれていた。

それは、石で封じられた空間。供物が沈められた“記憶の底”。

村長が静かに告げた。

「過去に、その封印が解かれたことがある。……娘が一人、井戸の縁で名を呼び続けていてね。その数日後、姿が消えた」

佐久間は言葉に詰まった。

娘の名は、記録されていなかった。

けれど、封印が解かれた日付は――あの新聞記事の失踪と一致していた。

「鍵は、記憶なんです。誰かが忘れなければ、井戸は沈めない」

佐久間はその言葉に背筋を凍らせた。

井戸とは、“忘却”と“記憶”を隔てる境界。

そして今、その境界は揺らいでいる。

なぜなら、彼の中にすでに“忘れていたはずの誰か”が囁いていたから。

――記憶を沈めなければ、水は鏡のままだ。

でも、もし誰かの記憶が浮上したら?

井戸は、次の記録を“欲しがる”のだ。

深夜、佐久間は眠りの中で奇妙な夢を見た。

石造りの井戸の底に立っていた。水はないはずなのに、空気が重く、まるで水中にいるように音が鈍く響く。

手には懐中電灯がある。振り向くと、壁のような水面が広がっていた。そこに、何かが浮かんでいた。

“顔”。

それは、佐久間自身によく似ていた。けれど瞳の奥が空っぽだった。皮膚の下に水が通っているようで、まばたき一つなく、ただこちらを見ていた。

「……ぼくを忘れないで」

声が届いた。どこからともなく、井戸の底で鳴るように。

「あなたが見た夢は、わたしの記憶だった。沈められたぶん、あなたに残したの」

佐久間は息を呑んだ。

自分が見ているのは、“誰かの記憶を記録された水の中”。

その記憶は、自分の意識に混じり始めている。

“もし水が記憶を記録できるなら、その記憶の一部を引き継いでしまうことがある”

彼は目を覚ました。

汗をかいていた。手には夢と同じ懐中電灯が握られていた。ベッドの横に置いた覚えはない。

窓の外。井戸が月光に照らされ、静かに揺れていた。

――その水面に、ふたたび“似た顔”が浮かび上がろうとしていた。

翌朝、佐久間はふとした違和感に気づいた。

鏡を見ると、自分の左目の色がほんのわずか――かすかに青味を帯びていた。

幼い頃、姉も左目に同じ色を持っていた記憶がよぎる。だが、彼女の記憶は半分以上曖昧になっていた。誕生日、声、好きなもの。どれも欠けている。

「……誰かが、俺の中に入り込んでる」

そう感じた佐久間は、再び村の古文書を探る。そして、見つけたのは供物の際に使われていた“媒介式”と呼ばれる儀式の記録だった。

> 「井戸ノ水ハ他者ノ記憶ヲ宿ス。

> 媒介者ハ、供物ト同調スルコトニヨリ、記録ヲ保管スル。

> 同調セシ者ハ、徐々ニ自我ヲ欠キ、供物ノ生前記憶ヲ演ズ」

つまり、供物として沈められた記憶は、媒介者の“人格”と融合してしまうのだ。

佐久間は気づく。夢で見た黒髪の少女。

彼女の言葉、仕草、そして“目の色”。

それらが、自分の中で一致し始めている。

その夜、井戸を前に立つと、また声が響いた。

「……きみの名前を……呼んだのは、わたしじゃなかった。

でも、あなたが“覚えていてくれる”なら、私も……忘れずにいられる」

水面に映る顔。佐久間自身だ。

だが、その表情は、自分が知らない記憶を宿していた。

夜の帳が降りた頃、佐久間は村の神官宅へ向かった。

その人物は、失踪事件以来口を閉ざしていたが、佐久間の目の色の変化を見て、静かに語り始めた。

「井戸の儀式は供養じゃない。これは、“記憶を隠すための封印”なのです」

昔、村では“忘れられた者”の名を水に沈め、儀式によってその存在を消すことで、祟りや未練を封じる風習があったという。

「でもね、それだけでは終わらなかった。

記録された者の記憶は媒介者の中で生き続ける。

…きみはもう、“彼女を覚えている存在”になってしまった」

佐久間は、夢で何度も聞いた言葉を思い出した。

「沈んだから、戻れない」

「思い出してくれたら、生きられる」

神官は戸棚から一冊の古い手記を差し出した。革表紙に刻まれた名前――「ヤマザキ・ユイ」。昭和四十八年の失踪者だった。

その手記にはこう記されていた。

> 「わたしの記憶を誰かに渡せば、水の下から帰れる。

> でも、帰るには“誰かが代わりに沈まなければならない”」

佐久間は息を呑んだ。

ユイは自分の記憶を“媒介者”に託した。その代わり、媒介者は――自らの記憶の一部を手放すことになる。

そして、もし完全に同化してしまえば、“記録者”ではなく、“再演者”となる。

佐久間は立ち上がった。

自分の記憶が、誰かを蘇らせるために使われる。

その代償は――自分自身が、“誰かの人生”を演じ続けること。

祭の夜、村には風が吹かなかった。

灯籠の火は揺れず、鈴の音も空気に溶け込んだまま。人々は無言で並び、石畳をゆっくりと進んでいく。

目的地はただひとつ。村の中心にある“井戸”。

佐久間もその行列の中にいた。

気づいたら、足が勝手に動いていた。誰かに導かれているような、意識とは別の“記憶の意思”が体を操っていた。

供物が一つずつ井戸に沈められていく。

折り鶴、菓子包み、小さな木箱。村人たちは順番に口を閉じて、黙って水面を見つめる。

そして佐久間の番になった。

掌に握られていたもの。それは、自分が知らないはずの――古びた“日記帳”。

ページの端には名前があった。

「ヤマザキ・ユイ」

その文字が光に照らされた瞬間、頭の奥で断片が弾けた。

黒髪の少女。桜の下の笑顔。

「忘れられたくない」と囁いた声。

水面に日記帳が沈んでいく。

それと同時に、佐久間の口が勝手に動いた。

「……わたしは、ユイ。…ここで、沈められたの」

周囲がざわめく。誰かが佐久間に駆け寄ろうとするが、水が突如“真下に引き込むように”揺れ、空気が緊張する。

神官が低く言った。

「媒介の同調が始まった。彼は境界に立った。…もう片足は、底にある」

祭の翌朝、佐久間は目を覚ますと、自分が“誰かの名前”を口走っていた。

「……ユイ。……ごめんね、見てしまった」

ベッドの脇には、水滴のついた日記帳。濡れているのに、触れると乾いていた。

それは、彼のものではなかった。だが筆跡は、どこか“懐かしい”気がした。

鏡を見ると、そこに映った顔が――微かに違っていた。輪郭も、まばたきのリズムも、自分ではない“何者か”の気配。

外に出る。村人が挨拶をしてくる。けれど彼らは、こう呼んだ。

「ユイさん、昨日の祭礼…よく耐えましたね」

佐久間は言葉を失う。

井戸の水面は静かだった。

彼が近づくと、水が揺れずに――“模倣するように”その顔を映す。

自分の名前が思い出せなかった。

日記を読み返しても、そこに綴られているのは“佐久間”ではなく、“ヤマザキ・ユイ”という少女の日常ばかり。

最後のページだけが、破られていた。そこに走り書きが残っていた。

> 「わたしが見られたら、記憶になる。

> でも、誰かが見返したら、“わたし”はあなたになる」

佐久間は井戸を覗く。

水面は鏡だった。

そこに映る顔が、ゆっくりと“笑った”。

朝起きると、佐久間はベッドの横に見慣れない制服を見つけた。

それは、昭和の学生服――小柄な少女が着ていたようなサイズ。

自分の服は見つからなかった。鏡に映った顔は、昨日と同じ。だが、目の奥に違和感があった。

“自分の目で見ているのに、自分のことが分からない”。

民宿の帳場へ向かうと、女将が優しく声をかけてきた。

「ユイさん、また一人で井戸を見に行くの?…夜は怖いから、気をつけてね」

佐久間は笑って返した。――自分が“ユイ”と呼ばれていることに、抵抗を感じなかった。

そして夜。井戸の前で、自分自身に問いかけた。

「俺は…佐久間じゃないのか?ユイなのか?」

水面が静かに反応した。小さな波紋が広がり、中央に“少女の顔”が浮かんだ。

それはユイでもあり、自分でもあるように見えた。

声が、水の底から届く。

>「わたしは記録を持っている。

>あなたは記憶を失いかけている。

>いずれ、区別は要らなくなるの――同じ場所で、同じ言葉を話すなら」

その瞬間、佐久間は“自分の名前”を思い出せなかった。

名字だけが浮かんだが、それは曖昧で、遠く滲んでいた。

手のひらが小さくなっている気がした。

髪が風に揺れるたび、“彼女の記憶”が囁いてくる。

その夜、佐久間は日記を書いた。

けれど、そこに綴った名前は「ユイ」。

そして締めの一文だけが、自分の筆跡に戻っていた。

> 「この記憶が正しいかは分からない。でも、もうどちらでもいい。

> だって僕は、見返された者だから」

朝、目覚めた佐久間――いや、ユイは、自分の名前を呼ばれる声で目を覚ました。

「……ユイ、おはよう」

民宿の女将がそう言ったとき、違和感はなかった。

むしろ“佐久間”という名に反応する力がもう残っていなかった。

日記を開く。筆跡は変わっていた。鏡を見る。顔は、自分のはずだったが、思い出すのは誰かの表情ばかり。

その日の午後。井戸の水が静かに湧いた。誰も汲んでいないのに、涼しげな音が広場に響いた。

村人が言った。

「ようやく“彼”が還ったんだ。…これで、記憶は満ちる」

ユイは歩き出した。

誰に言われるでもなく、井戸へ向かって。

水面に近づいた瞬間――その鏡に映ったのは、もう“佐久間”の目ではなかった。

柔らかな瞳に揺れるのは、“求められることの記憶”。

ユイは囁いた。

「…ありがとう、忘れないでいてくれて。

この水に、あなたの声が残ってる。

だから、私も戻ってこられたの」

井戸が微かにきらめいた。

誰も見ていないはずなのに、まるで風が髪を撫でていくように、水の音が囁いていた。

> 「記録完了。――次の視線を、待つ」

春、大学院生のさかき悠人は、教授から「特異な集落事例」の調査依頼を受けた。

場所は、水無村。

資料は乏しく、昭和後期以降の記録が消えていた。唯一の手がかりは、「井戸に関する供養習俗」の断片と、名前もない一冊の手記。

その冒頭には、こう記されていた。

>「わたしが消えていくのは、水の中に記録されたから。

>でも、あなたが読み返してくれたら、もう一度“始まる”かもしれない」

榊は、村に向かった。

舗装されていない山道を抜けた先に、霧に包まれた静かな集落が広がる。

村人たちは無言。神官も不在。だが、民宿の女将だけが静かに言った。

「ようこそ。…また“視線”を持つ人が来たんですね」

民宿の帳場には、井戸を描いた墨絵と、少女の写真。白黒でぼやけていたが、“どこかで見た顔”だった。

その夜、井戸の前に立った榊は、水面を見た。

なぜか、胸がざわついた。

そして、耳元で声がした。

「ねえ、ユイって……誰だったと思う?」

水は静かだった。

なのに、その声だけが鮮明だった。

榊は村の帳場で受け取った古びた鍵を手に、奥の倉庫へ向かった。

そこは、かつて調査者たちが残した資料を保管する“記憶室”と呼ばれる場所だった。

棚の奥に、革表紙の日記が置かれていた。表紙には文字が刻まれていた。

「佐久間……ユイ……?」

二つの名前が並んでいる。過去と今。記録と媒介。

ページを開くと、佐久間の筆跡でこう綴られていた。

> 「自分の記憶が、誰かの人生に溶けていく感覚。

> 始めは違和感だった。今では愛しさに近い。

> わたしは……彼女の声を忘れたくない」

榊は息を呑む。

記録された記憶が、誰かの体を媒介として生き続ける。それは、まるで“亡霊”が日常に染み込んでくるようだった。

そして、日記の終わりに貼られていた小さな写真。

桜の木の下で微笑む少女と、見覚えのある男性――佐久間だ。

榊はその顔に、自分との似た輪郭を見つけてしまう。

その夜、井戸の前に立った榊の耳元に、風の音に混じって声が届いた。

「今度は、あなたが残してくれますか?

…わたしの記憶を――もう一度、繋げて」

井戸の水面は、榊の瞳と寸分違わぬ“視線”を映していた。

春の霧が、村に降りてきた。

榊は宿の帳場に残されていた日記帳を持って、井戸の前に立っていた。

風がなく、鳥も鳴かず、ただ水の音が、時折“誰かの息遣い”のように聞こえた。

手記の最後のページには、震える筆跡でこう綴られていた。

>「わたしの記憶が、あなたの心に残ってくれるなら――

>私は沈んでも、消えないから」

榊は、日記を井戸へ沈めようとは思わなかった。

代わりに、それを読み上げた。

音にした。声にした。耳元ではなく、空へ向けて。

その瞬間、水面が揺れた。

何かが応えたように、光が波紋に沿って広がっていく。

水の中に浮かび上がったのは、誰かの顔。

佐久間のようでいて、ユイのようでもある――それは、“記録された記憶”そのものだった。

榊は目を伏せ、ひとことだけ呟いた。

「もう見返したから、あなたは、ここにいる」

井戸の水面が静かに笑った。

誰かを待っていた。誰かに見つけてほしかった。

記録とは、沈めることじゃない。

それは、見返されるまで生き続ける“想い”なのだ。


♢♢♢


村を離れる前日、榊は最後の日記を書いた。

>「水無村にて、かつて記録された者がいた。

>その声を拾った者がいた。

>そしていま、私がその声を次の誰かに渡すために記した。

>もしあなたがこの記録を読むなら――

>“水の中に、誰かが待っている”」



最後までご覧頂きありがとうございました。

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