2.雨の中のごめん。
金曜の夜。久しぶりに、彼の部屋に行くことになった。
彼――三浦 陽向は、笑って迎えてくれた。
部屋の中には、コンビニで買った惣菜と、テーブルに並んだ缶ビール。
「朱音さん……なんか、ごめん。ちゃんとしたご飯、用意できなくて」
「いいよ、気にしないで。疲れてるんでしょ」
私は笑ってそう返した。
でもその笑顔が、ぎこちないことくらい、自分が一番よくわかってた。
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テレビの音が、静かな部屋にぽつんと響く。
その隣で、私たちは会話の糸を探すように、ときどき言葉を投げ合った。
「新しい案件、来週プレゼンなんだ」
「ああ、あの大手の……大変そうだね」
「まあね」
それだけ。
本当はもっと話したい。
“会いたかった”とか、“寂しかった”とか――
でも、そんな言葉を口にしたら、彼の何かを試してしまいそうで、怖かった。
陽向は、相変わらず優しい。でも、どこかよそよそしい。隣に座っているのに、まるで遠くにいるみたいだった。
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夜が更けるにつれて、私はだんだん苦しくなってきた。
ソファに並んで座って、触れもしない。
キスも、抱きしめることもない。
私がここに来た意味、あるのかな。
少しだけ息を吸って、私は立ち上がった。
「……帰るね」
「え?」
「疲れてるみたいだし、私も明日、ちょっと早いから」(嘘。明日は土曜。予定なんて、ない)
「……そっか」
陽向の声は、寂しそうだった。
でも、引き止めるでもなく、ただ玄関の方を向いた。
カチャリとドアを開ける。
冷たい風と一緒に、外の雨の音が忍び込んできた。
私は傘も持たず、彼の部屋から駆け出した。
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心の中で、何度も同じ言葉が渦を巻く。
(ほんとは……触れてほしかった。)
(大事にしてほしかった。)
(好きって、言ってほしかった)
でも、そのどれも、言えなかった。
エントランスを出たとたん、雨が強く降ってきた。
傘を取りに戻ることもできず、そのまま歩き出す。
……もう無理だ。
いつもそう。朱音は何を考えてるかわからない...って振られたこともあったっけ。
もっと私が好きって伝えてたら、もっと可愛らしい女だったら...陽向にはそんな子が似合うのかもしれない...
気づいたら、頬を涙が伝っていた。
雨だから...そんな言い訳をして、私は溢れる涙を止めることができなかった。
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「朱音さん!」
後ろから声がして、私は振り返った。
息を切らして、濡れた髪を乱したまま、陽向が立っていた。
傘を持って、裸足みたいな足音で、駆けてきた。
「……どうして来たの?」
問いかけると、陽向は立ち止まって、しばらく黙った。
雨音にかき消されそうな声で、彼は言った。
「傘....忘れてる」
「....」
どこまでも優しくて真面目な陽向。自分は傘を差してないのに、私の傘だけ握ってくるなんて。
「……ありがとう」
私は静かに傘を受け取った。
その瞬間、私の顔を見た彼は固まった。
「...朱音さん...泣いてる...?」
泣き顔を見られたくないし、何を言えばいいかわからない私はとっさに俯いた。
私たちの間には、雨音だけがあった。
やがて、雨にかき消されそうな声が聞こえた。
「朱音さん……ごめん.....
俺、本当は……毎日、会いたかった」
息が止まった。
「でも、言ったら重いって思われる気がして、怖くて。……朱音さん、離れていきそうで」
彼の声は、震えていた。
「今日も、俺が触れたら、嫌われるんじゃないかって……ごめん」
「――バカ」
気づけば顔を上げて、陽向の目を見ていた。
雨に濡れてるのか、涙なのか、もうわからなかった。
「……わかんないよ....こんな年上の女...飽きられたんだって。もっとかわいい子のほうが、陽向には似合うんだって....嫌われたんだと思ったんだから」
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「朱音さん...」
陽向はそっと近づいて、私を抱きしめた。彼の胸に顔を埋めた私は、そのとき初めて泣き声をあげた。
陽向の胸は熱くて、濡れた服が冷たくて、でも、それでもいいと思った。
「風邪引くよ...?こっち」
その夜、私たちはもう一度、ちゃんと手をつないで、並んで部屋に戻った。
遠回りして、やっと心が触れた、雨の夜だった。
個人的には、部屋を飛び出すんじゃなくて、えぇい、好きだよ!って言って朱音ちゃんが押し倒しちゃえ!!てのも好きです。.....おい作者ぁぁ!