第8話 婚約破棄
辺りに静けさが訪れていた。風が吹き、木々や草花の揺れる音が良く聞こえる。まるで今、この瞬間が、時間がゆっくりになっている様な空気に包んでいた。
「(ヒュー。)」
首元のゼクラスが、呑気そうに口笛を吹いた。
「……」
私は椅子から勢い良く立ち上がり、ベルドラルド様の頬を叩いて止まっていた。ベルドラルド様の表情は、呆気にとられたまま止まっており、何が起きたか分かっていない様子だ。私はそっと手を引き、冷静な口調で話し始めた。
「私はミリアリス・オーベルト・ユートラス。私のお父様とお母様は、この国を、この国に住まう民達を、その身を以て守ろうとしています。そして、私もその意志を持っています。……此度の襲撃が、もし私達が仕掛けたというなら、それは私を守ろうとしてくれた騎士や使用人達、すなわちこの国の民を傷付ける行為です。つまり、この国に対して反旗を翻しているのと同義になります。」
私は淡々と、そう喋っていた。自分でも不思議だが、こうも言葉がスラスラと出てくるとは思わなかった。すると、ベルドラルド様がゆっくりと私の方へ顔を向けてきた。その表情はまだ、呆気にとられたまま変わっていない。私はベルドラルド様の目を見て、まだ話し続けた。
「噂を信じるか信じないかは、その人それぞれの事です。ですが、例え噂を信じても信じなくても、それで相手に対して真偽も分からず一方的に責め立て、無礼を働くのはいかがなものでしょうか?……それから、その噂について一言申し上げておきますが、私自らの功績の為に、此度の襲撃を画策する様な馬鹿な真似をする訳が御座いません。ましてや、私を守ってくれた騎士達や彼女達を危険に晒し、更に彼等の功績を奪い取ろうとする等と、その様な不義をする育てられ方はされておりません。」
静かに、だけど怒りを含みながら喋り続ける。ベルドラルド様はジッと、私を見続けている。何かを言いたげそうな気がしたが、私は有無を言わせる前に去ろうと思った。
「私は、ベルドラルド様の婚約者候補としては相応しくありませんでした。私とのこのお話は、白紙に戻してくださいませ。」
私はそっと椅子から離れ、再びベルドラルド様に向いた。そして、スカートの両端を持ってお辞儀をした。
「それでは、失礼致します。」
私はニッコリと笑い、来た道を戻る様に早足で歩き始めた。後ろを振り返らず、目の前の道の先を見続け、颯爽とその場を後にした。
庭園の森に入って背後が遠く見えなくなった頃、私は肩の荷を下ろした。そして、両手を天高く上げて、身体を伸ばし始める。少しだけだけど、何だかスッキリとした気分だ。ここ最近は色々と慌ただしく、気を張り付けていた様な感じだった。けど、今は不思議とスッキリしている。すると、
「(良いんですか~?一国の王子に暴行を働くなんて?)」
ゼクラスがそう語り掛けてきた。私はそう言われて冷静になり始め、私の頭がスーッと血の気が引き、足を止めてしまう。そして、両手で頭を抱え込んでそのまましゃがみこんだ。
「ヤバい。どうしよう……。」
あーだこーだ言われて頭に血が昇っていたいたとはいえ、流石にビンタをしたのは不味い。それも相手は、私達が住まうこの国の王子だ。傷害罪?国家反逆罪?……兎に角、普通にヤバい事をした。
「(大概こういう事が起きると、運悪くて死罪。良くて国外追放でしょうか?)」
ゼクラスは呑気にそう言う。国外追放ならまだしも、生まれ変わっていきなり死罪は嫌だ。それどころか、家族皆も迷惑が掛かる。いや、迷惑どころかの問題ではない。
「……どうしようか?」
私は今更ながら、自分がやった行為に後悔した。右手の人差し指を頭に当て、目を閉じて考えた。今から謝罪に行くにしても、門前払いを喰らうだろうし、そもそも相手にもされないだろう。変に刺激しない方が良いかもしれないが、せめて自分にだけ処罰を与えるように、ベルドラルド様に懇願すべきだろうか?しかし、正直やらかした自分が言うのもあれだが、私はもうベルドラルド様に会いたくはない。
「(あぁ。ミリアさんの優雅な貴族生活が、こんな形で終わるなんて。)」
ゼクラスが演技っぽくそう言った。私は透かさずゼクラスを握り締め、
「アンタも同罪だからね!!」
「(アダダダダ!!僕が何をしたって言うんですか!?)」
ゼクラスは痛みに悶え始めた。私は忘れもしない。ベルドラルド様にあーだこーだ言われている時に、それに便乗して私に悪口を言った事を。私は握り締めながら、首からゼクラスを離した。そして、向き合う様に顔の前へと持ってくる。
「誰の中身が筋肉モリモリヘビーコングだって?もう一回言ってみなよ?この無能疫病神。」
私はにこやかに話しながら、両手で強く握り締めた。
「(ゴメンナサイ!!ゴメンナサイ!!あれはジョークですって!ジョーク!)」
ゼクラスは私の手の中で暴れ始める。私はゼクラスを押さえつける様に、更に力を込める。ゼクラスは更に激しく暴れた。その時、
「こんな所でどうしたんだい?」
「えっ?」
そう男性の声が聞こえ、正面を見上げた。そこには、背の高く金色の長髪の男性が、私の事を見下ろして立っていた。身なりは白目の色の服に、気持ち程度の綺麗な装飾を服に付けていた。その身なりは何処となく、研究者や学者の様な身なりの様に感じた。
「立てるかい?」
男性は私に近付き、そっと屈んで私に手を伸ばしてきた。私はその手の平を見て、腕に沿って男性の顔を見ていった。男性はどことなく優しそうな感じがし、その翡翠色の綺麗な瞳に目が行った。ベルドラルド様とはまた別の、気品が高い様な雰囲気を感じる。私は無意識にその手を取ろうと思った時、ふと、今の私の現状に気が付いた。私は慌ててゼクラスを胸元に近付け、差し出された手を取らずに急いで立ち上がった。
「な、なんでも御座いません!!失礼いたします!!」
私はそう言って軽く会釈をし、駆け足でその場から去った。――だって、さっきからゼクラスに怒っていたのを、不思議に見られていただろうと思ったからだ。
(ハァ……。絶対に、独り言喋っている変な人だと思われたよ……。)
そう思いながら、ゼクラスを再び首にぶら下げた。そして、両手で両頬を触った。頬はどことなく熱い感じがした。きっと、恥ずかしさで真っ赤になっている筈だ。すると、
「(や~い、変人変人。)」
(……マジでコイツ!)
私はもう一度ゼクラスを握り締め、ゼクラスは痛みにまた悶えて暴れていた。
庭園の森の先から光が漏れ、その先には庭園に入った扉が見えた。道中で色々と心を落ち着かせ、なんとか平静を装っていた。ゼクラスは強く握り締め過ぎたのか、いつの間にか静かになっていた。
(家に帰るまで、ずっと静かにしていなさいよ。)
私は心の中でゼクラスに言った。ゼクラスからは返事はないが、聞こえていない訳ではないだろう。もうこれ以上、私を怒らせる事はこれ以上言わないで欲しい。
庭園を抜けた扉の前には、私の付き人のメイド達と執事が待っていた。三人が私に気が付くと、私にお辞儀をしてきた。そして、
「如何なさいましたか?ミリアリス様。まだ、御面会のお時間ではありますが?」
執事が不思議増にそう言った。私は直ぐにお辞儀を返して、執事に言い返した。
「ベルドラルド様は、私の様な下劣な人との婚約はするつもりはない様です。ですので、此度の私との婚約候補のお話はなかった事にして下さい。」
そう言い返し、私は元の体勢に戻った。執事の顔を見ると、とてつもなく驚き、困惑している表情をしていた。
(まあ、当然の事だろう。)
私は心の中でそう思い、執事の隣に居る私の付き人の二人へ視線を移す。二人共、当然の様に驚いている。私は彼女達に寄り、
「それでは行きますわ。最後にお父様とお話をしたいのです。二人共、お父様の居場所は分かるかしら?」
「「は、はい!」」
「では、そこまで案内して下さい。」
二人は、上擦った様な変な声を上げた。そして執事に一礼をして、慌てて扉を開けた。私は扉から出る前に、最期の挨拶を執事にした。
「それでは、失礼致します。」
そう言うと、執事は慌てて黙ってお辞儀を返してきた。私はそれを見て、微笑みながら付き人と共に歩き始めた。
付き人の一人が私の前を歩き、もう一人は私の後ろを歩いていた。その間、私達は何一言も喋らず、静かにしていた。私達の間を通る空気は、どことなく張り付けている様な感じがする。しかし、きっとその原因は私だろう。表情には出ていないが、まだ心の中がイライラしている。その空気を、彼女達はなんとなく感じ取ってしまっているのだろう。
(あぁ……。早急に、お父様と話して帰りたい。)
私はそう思いながら、静かに歩き続けていた。
「お嬢様、こちらになります。」
私達がしばらく歩き続け、ようやくお父様に仕事部屋の前に着いた。前の付き人が私の方へ向き、私が静かに頷いた。そして、
<コンッコンッ>
付き人が扉をノックし、ゆっくりと扉を開けて一人で中に入った。私はその様子を、扉の奥から見えない所で見ていた。
「オゼビアス様、失礼致します。ミリアリスお嬢様がお見えになられました。」
そう言ってお辞儀をすると、
「おお!来たか!!」
部屋の奥から、お父様の大きな声が響いた。私はそれを聞き、扉の前へと歩いて部屋の中を見た。部屋の中はそこそこ広く、窓際に執務に使う大きい机があり、お父様はそこで仕事をしていた様だった。部屋の中心には、背もたれが高いソファーが置かれ、壁側には本棚や絵等の装飾品が飾られていた。すると、
「ミリア!会いたかったぞ!!」
お父様は私の姿を見るなり椅子から立ち上がり、両手を広げて私の元へ早足で駆けてきた。私は近付かれる前に、お父様へお辞儀をした。
「お父様、お久しぶりで御座います。お元気そうで何よりで御座います。」
私は満面の笑みを浮かべて、お父様に固い挨拶をした。その途端、お父様の身体が突然固まったかの様に、向かってくる姿勢のままで止まった。そして、部屋の中がおかしな静けさに包まれた。
「……(ニッコニコ)」
私は笑みを変えずに、お父様の顔を見ていた。すると、
「ミ、ミリア……?その……何か怒っているのか?お父さん、何かやってしまったか?」
お父様は姿勢を戻し、私にそう尋ねてきた。顔は笑顔のままだが、困っている様な焦っている様な、そんな表情が混じっている。
「どうしてそう思うのですか?」
私は透かさずお父様に言い返す。お父様の身体がビクッと震え、表情が素に戻った。私はそれを見ながら、お父様に近付いた。お父様はその場から動かなかったが、少しばかし身を後ろに反らした。私はにこやかに微笑みながら、口を開いて話し始めた。
「お父様。今日、こちらにお呼び致しました件についてですが、ベルドラルド様との婚約というのは、一体どういう事なのでしょうか?」
私は強めの口調で、ハッキリと喋った。お父様はそれを聞き、ビシッと姿勢を正した。そして、婚約について話し始めた。
「ミリアは先日、十歳をついに迎えたであろう?お父さんはまだ早いとは思っているのだが、そろそろ婚約者の話が来てもおかしくない。……そこでな?昔、ミリアに話した事があると思うのだが、お父さんと陛下は親しい幼馴染みなのだよ。そんな陛下から丁度、ベルドラルド殿下の婚約の話を持ってきてくれてな。殿下は噂通り、とても素晴らしい人だ。だからきっと、ミリアも殿下との婚約は喜ぶだろうなー、って思ったので……。」
お父様は長々と、今回の婚約について話し、私の様子を見てきた。私は直ぐに、ベルドラルド様との会話を思い出した。確かに婚約については、お父様と陛下が仲が良かったから婚約の話が来たと言っていた。そこは、お父様の話と相違はない。しかし、ベルドラルド様は私との今回の婚約についての話は、私が婚約候補の一人だと言っていた。その事はお父様は話されていない。他にも婚約候補の人が居る事を、お父様は知っているのだろうか?知っていたのなら……。アハハー、ちょっと許せそうにないなー。
「お父様。私はベルドラルド様から今回の婚約について、変な事をお聞きしたのですが?」
「へ、変な事とは、一体なんだ?」
私がそう言うと、お父様はたじろいだ。その様子を見て、私の予感が当たった様な気がした。私は大きく息を吸い込み、静な怒りを込めて聞いた。
「今日の朝、私は初めて婚約の話を聞いたばかりで、こちらへと急ぎで来たのですが……。お会いしてみれば、ベルドラルド様は私の事を、婚約候補の一人だと言われました。伝言からは決まった様な婚約の話。でも実際に聞いてみれば、婚約候補としての一人だというお話……。一体、何処でこの婚約についての話が拗れたのでしょうか?」
私がそう聞くと、お父様は慌て出した。そして、自分の仕事机に向かい、何かを探し始めた。この部屋に居る私の家のメイド達は、困った様な視線をお父様に送っている。特にメイド長は、怒っている様な雰囲気を醸し出していた。
暫くすると、お父様は一枚の紙を取り出して、じっくりと見始めた。そして、視線を私に向けてまた紙に戻して……、をひたすらに繰り返していた。どうやら、私の予感は当たった様だ。私は満面の笑みで、お父様に声を掛けた。
「お父様?」
「――!?な、なんだい、ミリア?」
お父様はまた、ビクッと大きく身体を震わせた。私はお父様が握るその紙を見ながら、透かさずに聞き返した。
「その紙に、ちゃんと書かれていますよね?今回のお話について。」
そう聞くと、お父様はゆっくりと頷いた。私はそれを見て、大きく息を吸って溜息を吐いた。そして目を瞑り、人差し指を頭に置いた。
(ハア……。お父様ったら、きっと婚約の話で盛り上がって、大事な所を見落としたんだろうな……。)
「(どうしますー?)」
今まで静かにしていたゼクラスが、呑気そうに聞いてきた。どうすると言われても、時すでに遅しっていう状況だ。だって、私にどんな無礼を言ったとしても、王族であるベルドラルド様に暴行を働いたのだ。少なくとも、私が刑罰を喰らうのは確かだろう。家族や使用人達まで巻き込む可能性もある。せめて、私にだけ刑罰が来る様にしなければだけど……。
「(そういうのは、素直に白状したら良いと思いますよー。)」
(他人事だと思って……。)
「(だってそうですもん。)」
本当にゼクラスは……。と呆れたものの、隠したところで直ぐにバレる。お父様に今回の事を伝えておけば、もしかしたら最悪な状況は避けれるかもしれない。私は目を開け、真剣な眼差しでお父様を見た。お父様は私を見ているなり、何処となく怯えている様な気がした。私は意を決して話し始めた。
「お父様。実はベルドラルド様にお会いしてお話をした時に、ベルドラルド様から失礼な言動をされました。私はその言動に怒りを抑えれず、一時の感情でベルドラルド様に暴行を働きました。」
「……えっ?」
お父様は驚きのあまり、表情が素に戻って固まっていた。他のメイド達もきっと困惑しているだろう。私は続けて話した。
「私自身、ベルドラルド様に言われた事はどうしても許せません。ですが、その様なもので王族に暴行を働いたのは、我が家の名に泥を塗る行為で御座いました。私は処罰を受け待つ為に、直ちに本邸へ帰還させて頂きます。なので、直ぐに馬車の用意をお願い致しますわ。」
メイド長に顔を向けて馬車のお願いすると、メイド長は静かに直ぐ動き始めた。私は呆気にとられているお父様へ向き直し、
「申し訳ありませんが、お父様。一つだけお願いがあります。……此度の失態は私にあります。ですから、これから受ける刑罰がお母様やお兄様達、我が家に奉仕をする使用人達、そしてお父様自身に刑罰がいかない様、『此度の殿下への暴行につきまして、全てミリアリス・オーベルト・ユートラスに全責任を取らせる』と、陛下に御進言して下さいませ。」
私がそこまで言うと、お父様は酷く驚いた表情を浮かべていた。私はそれを見て、少し悲しく感じてしまった。お父様もとても優しく、私の事を大切に想ってくれている。お父様にとって今回の婚約話は、私の為を思って受けた筈だ。それなのに、当の本人がとんでもない事をしでかしてしまったのだ。お父様の気持ちを、私は無下にしてしまったのだ。
「……それでは、失礼致します。お父様。」
私は深くお辞儀をして、振り返ってそのまま部屋を出た。
「ミ、ミリア!?待て!!」
後ろからお父様が呼び止める声が聞こえたが、私は振り返らずに歩き続けた。




