第一話 『北辺の王国ラーナ』
序の序
私は長年、セル・バン・ブルウとその時代、そして、その後のブルウ朝ゴルについての資料を収集し、研究を続けてきた。
それは、太陽暦(グロス歴)一六二〇年代、シュ・キアラ・ブルウ大統領二期目の或る年のことである。
ミッドランド各地を資料収集のために旅した際に知り合った人物から相談を受けた。
「ハリムの首都フートマーン近郷の旧家から大量の古文書が見つかったのだが、誰もその価値が分からず、処分に困っているので鑑定してほしい。歴史的に価値のあるものならば博物館に寄贈したい。」
と。
私は早速現地に赴いた。
その家は、現在は商社であるが、代々街道商人として、青の街道の隅々まで往来していたという。
今回、自宅を新築するにあたって、敷地内にあった大きな倉を取り壊すことになり、中を整理していたところ、奥から立派な箱に収められた何冊もの帳面と大量の書き付けが出て来た。
「古いものであることは判るのだが、それ以外、いったい何んのためのものなのか、皆目分からないので、調べてほしい。」
と。
紙とインクの特徴や書かれた文字から、二百年ほど前、一四〇〇年代のものであることはすぐに判明した。
内容を読み進むと、この家の八代ほど前の当主が、商売の旅の先々で見聞きした、当時の文化・風俗・人々の生活の記録であった。
これだけでも充分に文化財としては貴重であったが、書き付けの多くは、ある題目に費やされていた。
それは、ブルウ朝ゴルの初代王、セル・バン・ブルウとその家臣たち、同時代の英雄たちの、各地に残る伝説・逸話・口伝の膨大な記録であった。
ゴルの正史は、共和制に移行するまで、五百年以上にわたり、『年代記』に記録されてきた。
その中で、『英雄時代』と呼ばれる一〇〇〇年から一三〇〇年代は、年代記だけでなく、多くの異聞・口伝が残されている。
一五〇〇年代の共和制移行と共に途絶えたとされていたブルウ家が、シュ・キアラ・ブルウの大統領就任により、再び歴史の表舞台で脚光を浴びている今日、これらは改めて調査・記録・保存される必要があった。
私は、資料を譲り受け、歴史資料博物館に持ち帰った。そうして、これまで収集したものと合わせて研究を開始した。
しかし、その量はあまりに膨大で、一人の人間の時間ではとうてい完全に調べ切れるものではないことをすぐに悟った。
そこで、まずはセル・バン・ブルウとその時代の物語を集めることから始めることにした。
とはいえ、正史と伝承がまだ明確に分かれる前の時代である。
そこで、『年代記』の古い記述の例に倣い、その出典を詳らかにしながら、一連の物語として記録してみることにした。
では、私が学生時代、偶然見つけた記録にある、語り部の老人の言葉から物語を始めよう。
太陽暦一六二七年某日
キュバン・ケーン・ロートゥス
歴史分析学者
序
「私がこれから語るのは、今から三百年ほど昔の、この世界の一人の王の物語だ。」
そう言って、老人は真っ白い顎鬚を撫でた。
「あなたがたも知っておるだろう。あの英雄セル・バン・ブルウと、その家臣たちのことを。」
ここは、かつてミッドランドと呼ばれたロドン大陸の南側。その中央を走るノスコラード大山脈の東、古くからの交通の要衝クラブ・クルズ。その裏街のたいそう古い酒場の一隅である。
今、白髪の老人が、荒くれ男達を相手に、ぽつりぽつりと昔語りを始めた。
「そう、たしか、この辺りであった…。その頃、この街はクルトと呼ばれ、街道往来の人々でそれは賑やかだった。時代とともに、往時の繁栄は失われてしまったが、この辺りは、当時から全然変わらん…。それどころか、私の記憶に間違いがなければ、ここ、この店の正しくあの席に、『ダインの御子』は座っていたのだよ。」
老人は、酒場の一席を指さして言った。
1.クルトの街で
「あの、あなた方は、傭兵ですか?」
突然後ろから声を掛けられ、食事中のトールはむせ返った。振り向くと、そこには巡礼用のマントを着た男が二人、若い男と更に若い小柄な少年が立っていた。この自由交易都市クルトの、こんな場末の酒場にはおよそ似つかわしくない、育ちの良さそうな顔立ちの二人である。
「そうだよ、あんたは…?」
「仕事をお願いしたいのです。」
トールの言葉を最後まで聞かずに男は言った。
「ちょ、ちょっと待ってくれ…。」
「金ならあります!」
男のあまりに性急な物言いにドギマギしているトールに、男は、重そうな金袋をテーブルの上に置いた。
その瞬間、込み合っている酒場の喧噪が静まり、男達の視線が一斉にそこに注がれた。
(マズイ!)
「わかった、わかったから、まずここを出よう。話はよそで聞くから、な。」
トールは、周囲の視線を気にしながら相棒のヴァッフを促し、二人連れを伴って酒場を出た。そして、近くの安宿に、男が文句を言うのも聞かずに部屋を取り、そこで話を再開した。
「あのなあ、このクルトで、そんな大金を迂闊に見せない方がいいぜ、無事におウチに帰りたかったらな。」
「すいません、こういうことに慣れていないもので…。」
男は素直に詫びた。
「で、仕事ってのは?」
「私たち、私と弟をラーナまで護衛して欲しいんです。」
「ラーナ…、ラーナだって?!」
思わずトールは叫んだ。
「無理でしょうか?」
男は不安そうに聞き返す。
「無理っていうワケじゃないが…。」
トールは、思案げに相棒に目をやる。
「確かに、一年前なら楽な仕事だよ。なんせ、それまでのラーナは、ミッドランドでも代表的な白魔術の国で、グロスの加護の下に繁栄してきたからな。一年前、先王が亡くなって、世継ぎの王子が王位に就いた途端に、どういうワケか黒魔術、それも北方の暗黒魔道が入り込んできて、今じゃそれ一色だっていうじゃねぇか。国都のシェルは、冥府王ダールの都みてぇだっていうし、オマケに、それまで良かった街道周辺の治安も殆どないに等しい無法地帯だっていうぜ。それでも、あんたら行きてぇのか?」
「ええ、どうしても行かなければいけない用事があるもので。」
すべて承知しているといった顔で、男は言った。
「…。」
トールが黙っていると、彼は言葉を続けた。
「実は、私たち兄弟は、父親と、南のヤグの国の都グルで商売をしておりました。その父が、三ヶ月前に流行り病で亡くなり、いまわの際に、ラーナの都シェルに住む父の兄に、あるものを届けるように言い残したのです。そこで、私たちは、父の遺言を守るために店をたたみ、ここまで来たのですが、ラーナの噂を色々と聞くに及んで、道中の用心にと護衛を雇うことにしたのです。」
「なるほど、事情は分かった。引き受けよう。そのかわり、礼は高いぜ、なにせラーナまでだからな。」
「どれぐらいでしょうか?」
「前金で銀貨一サグリブ、後金で一サグリブ、しめて二サグリブだ。」
男は怪訝な顔をした。
「本当に、それでいいんですか?」
トールはニヤッと笑った。
「どうした、高すぎるかい?」
「いいえ。ただ、この辺りの傭兵は、やたら高い金を要求すると聞いていたもので…。」
「まあな、正直言って、傭兵なんかやってるヤツでロクなヤツはいやしないよ。ふっかけるだけふっかて、前金もらってトンヅラするヤツ、道中で、手前ぇの方が追い剥ぎに化けちまうヤツなんざ珍しくもない。でも、たまには、タダみたいな値段で引き受けちまう馬鹿もいるのさ。」
トールはヴァッフを見ながら笑った。
「ところで、まだあんた達の名前を教えてもらってなかったな。俺はトール、こっちの魔道師のカッコしてるのが相棒のヴァッフだ。」
「私はダン。これは弟のソフです。」
「それでは、ダン様、契約は成立しました。明日の早暁、目的地に向かって出立しようと思いますがよろしいですか?」
出し抜けに魔道師のフードの奥から、ヴァッフが口を開いた。
「はい、そうして下さい。」
声の主に一瞬驚いた様子を見せながらも、口調にさりげない威厳を伴わせてダンが答えた。
「さっそくで悪いが、あんたに一つ頼みがあるんだが…。」
ダンの反応を面白そうに見つめていたトールが言った。
「え?」
「その敬語調を止めてくれないか?あんた達は俺達の雇い主なんだ。もっと砕けた口調で、威張ってるくらいでいいんだよ。あんまり丁寧だと、こっちの調子が狂っちまう。」
「分かり…、いや、分かった。」
トールは苦笑してうなずいた。
2. 青の街道
「尾けられてる。」
不意にヴァッフが言った。
「えっ!」
ダンとソフがギョッとして振り返った。
「確かか?」
トールが聞き返す。
「ああ。さっきから妙な気配がするので、ちょっと四方を『探って』みたら、俺達の後ろからおかしな三人組が、かなりの距離を置いてはいるが、ずっとついて来ている。」
「偶然じゃないのか?」
「いいや。連中の『目』は、ずっと俺達に向けられている。間違いない。」
「そうか。」
夜明けとともにクルトの街を出て、街道を北に向かって来た。依頼人のうち、ソフが長時間の乗馬に不慣れであったこともあり、途中、何度か休憩を挟んだものの、どうやら草原と砂漠地帯の境界までやって来た。陽はもう傾いており、そろそろ今夜の野営場所を考えるべき刻限である。
「このまま進めば、街道は一旦砂漠に入る。そこでの野営はあまりぞっとしないな。夜は冷えるし、まして尾行があるとなれば、四方から丸見えだ。かといって、ここから一番近い宿場までとなると、まる一日ある。だだっ広い、真っ暗の砂漠をチンタラ歩くのはそれこそ、後ろの連中に襲ってくれと言ってるようなモンだしなあ…。」
南方系ミッドランダーの若者は相棒の魔道師を見やった。
「少し早いが、草原を出ないうちに野営する方が得策だな。この辺りならまだ、木立の陰で休める。『小細工』をするにも好都合だし。」
魔道師は乾いた口調で言った。
魔道師の分厚いフード付きのマントに頭からすっぽりと包まれているので、その体型、詳しい風貌などはよく分からないが、彼が長身であること、その声と、時折垣間見える横顔から、意外にも彼が若く、端正な顔がフードの奥に隠されていることが窺われた。そして、彼、ヴァッフが一般のいわゆる魔道師達と違っていたのは、マントの上からでもはっきりと分かる、腰に帯びた長剣であった。普通、魔道師は、一切の武具を身につけないものである。
トールとて決して短躯ではないのだが、その浅黒い肌とがっしりした体型で、このすらりとした魔道剣士と並ぶと実際以上に小さくゴツク見えた。しかし、彼の場合、印象的な黒褐色の大きな瞳と、豊かな表情がいかつい感じを与えなかった。
まあ、この二人、街道筋の戦場稼ぎを沢山知っている、世慣れた人間から見ると、何とも変わった風体なのである。しかし、現在の彼等の雇い主がそんなことに気付く経験も、余裕もあるわけはなく、導かれるままに街道脇の木立に入り、トールが乾燥肉を焼く火の近くに腰を下ろした。
兄弟のうち、特に弟の方は、慣れない乗馬のためか、疲れの色は隠せなかった。
「トール、『奴等』は、今晩襲ってくるだろうか?」
弟の様子を気遣いながらダンが尋ねた。
「さあな。連中の狙いが、あんたらか、俺達か、その両方か…、そのどれもあり得ることとしたら、今夜に限らず、ここから先、いつ襲ってきても不思議はないな。さっきも言ったろう、次の宿場までの距離は、馬で行っても一晩かかる。その上、例のラーナの一件で、北に向かう街道はごらんの通りガラガラだ。野盗追い剥ぎの類なら、明日の夜、砂漠を出るところ、刺客、殺し屋の類なら今晩かな。」
「そんな、あっさりと…。」
「心配するなって。そのために、俺達を雇ったんだろう。」
「しかし…。」
「おい、ダン。」
トールは探るようにダンの顔をのぞき込んだ。
「さっきから、妙に後ろの連中を気にしてるようだが…、あんたら、なんか追っ手がかかるようなことでもしたのか?」
「そんなことはしていない!」
ダンは声を荒げた。
「そうかい。ま、どっちでもいいけど。ただ、理由があるなら、早いうちに教えといてもらった方が楽なんでね。」
トールは、ふてくされたようにそっぽを向いた。そこへ、灌木の陰から、ヴァッフが、その長身を折り曲げるようにして戻ってきた。
「一応この周囲に結界を張っておいた。これで、少なくとも、『普通の人間』については心配ないだろう。」
「どういうことだ?」
「さっきも言ったろう、連中の『目』が気になるって。どうにも嫌な感じだ。」
「オイオイ、頼むぜ。あんまり変なこと言わネェでくれよ。それでなくても、雇い主が怯えてるんだからよぉ。」
トールは、少しうんざりしたように言った。
「ああ。」
曖昧な返事をしながら、ヴァッフはまだ後方を見やっていた。
そうこうしているうちに、太陽神シャルハの乗った黄金車は、遠く砂漠の果てに姿を消し、空には無数の星が瞬き始めた。一同は食事を済ませ、初めていくらかくつろいだ気分になり、焚き火を囲んで座っていた。
トールは、火に新しい薪をくべながら、ソフの顔をまじまじと見つめていた。食事と休養を摂れたことで、その顔には、いくらかの生気が戻ってきていた。
それにしても、ダンと兄弟である以上、彼と外見が似ているのは当たり前としても、おそらく二十歳前であろうその横顔は、少し男性らしさ、少年らしさを欠き、ともすれば『たおやかな』といった形容が当てはまるものであった。更に、『彼』は、トールたちと出会い、行動を共にするようになってから、ただの一度も口をきこうとはしなかった。何かあると、兄の方を不安げに見やり、ダンが、その言葉を代弁してしまうのである。
「なあ、ソフ。あんた、昨日から一言も喋らないが、どこか具合でも悪いのか、それとも、口がきけないのか?」
トールは、思っていることを口に出さずにいられない男である。
「…。」
ソフは何か言おうとしたが、ハッとしたように兄の方を振り返り、目を伏せた。トールが、また何か話しかけようとするのを遮るようにダンが会話を引き取った。
「こいつは内気で、普段でもあまり喋らないんだ。その上、ここしばらくの長旅で疲れているし…。」
「フーン。」
トールは、もの問いたげな表情で鼻を鳴らした。
「ところでヴァッフ、さっきの連中はどうなりましたか?」
その場を取り繕うように、ダンは立ち上がり、少し離れたところに座っていたヴァッフに歩み寄った。
「消えた。」
ボソリとヴァッフが答える。
「何ですって!消えたって、どういうことですか?」
「その通りの意味だよ。連中の気配が、『見えなく』なった。」
3. 夜襲
「本当なのか、気配が消えたってのは?」
今度はトールが尋ねる。
「ああ。連中は、完全に気配を消した。」
「遠くに行ったというんじゃないんだな。」
「さっき、こちらが動きを止めた時点で向こうも止まり、俺が結界を張ったときには、気配が消えていた。」
「ってことは?」
「おそらく、魔道師か、それに類する能力を持った連中。」
あくまでも、ヴァッフの言葉は慎重である。
「魔道師…!」
その言葉を聞いて、ダンの目が大きく見開かれた。
「もう、『奴等』がこんなところまで追いついてくるなんて…。そんな…。」
まるで何かに取り憑かれたように、ふらふらと歩き回りながらダンが呟いた。
「あんた、やっぱりなんか心当たりがあるんだな。いったい…。」
トールが彼を問いつめようとした時、
「伏せろ!」
ヴァッフが叫んだ。
トールがダンを押し倒すように伏せた途端、どこからともなく飛んできた閃光が、今まで彼等の頭があった辺りで火柱をあげて弾けた。
「クソッタレ!やっぱ魔道使いかよ!!」
「気配を消して、接近。いともあっさりこちらの結界を破って攻撃してきた。」
ヴァッフは例によって冷静である。
「ってことは、結構ヤルってことか?」
腹這いで、ヴァッフににじり寄りながらトール。
「結構じゃなく、『かなり』だ。」
こちらも姿勢を下げて、周囲を窺う。
「勝ち目は?」
「魔道勝負だと、三対二ではちょっと厳しいな。」
「力技なら?」
「五分五分。奴等が馬鹿ならノッテくるだろう。」
「『正体不明』は、基本的に馬鹿野郎だぜ。」
「だといいんだが。」
ヴァッフは冷静さ崩さない。
「キャー!」
背後から、女のような悲鳴が上がった。
「ソフ?」
トールとヴァッフが振り返ったときには、背後からダンが飛び出していた。
「あのバカ、死にてぇーのか!」
彼の服の裾をつかみ損ねたトールは後を追った。
焚き火の向こう側で、兄と傭兵たちが何やら話しているのを聞きながら、ソフはボンヤリと炎を見つめていた。今日一日の疲労感が、炎の暖かみでじんわりと全身に広がっていく。
多分、ほんの短い間眠っていたのだろう、いきなり誰かに肩をつかまれて、我に返った。ハッとして背後を振り返ると、真っ黒な甲冑をまとった騎士が立っていた。
「…!」
「『王女』、やっと捕まえました。兄上の処にお連れ致します。」
黒騎士は低く響く声でそれだけ言うと、『彼女』の腕をつかんだ。悲鳴を上げ、身をよじって逃れようとする彼女の鳩尾に軽く当て身を入れると、そのほっそりした身体を左肩に担ぎ上げた。そこへ、ダンが駆けつけてきた。
「ソフ!」
「おう、これは王弟殿下。あなたも同道願います。陛下がお待ちですよ。」
「断る!」
ダンは腰の短剣を抜き放った。
「手向かいなさるのですか?これは国王陛下の命なのですよ。」
黒騎士はゆっくりと腰の大剣に右手を伸ばす。
「たとえ君命であろうと、いや、貴様らに操られた兄の命など聞くわけにはいかぬ!」
「言われましたね。」
黒騎士はゆっくりと剣を抜くとその切っ先をダンに向けた。すると、何か見えない鎖で締め上げられたように、彼の身体がすくみ上がり、短剣は地面に落ちた。
「何を申されても、お二人には王宮へ戻っていただきます。」
黒騎士が、ダンの身体を引き寄せようとしたとき、
「連れて帰ってどうしようってんだ、まとめて食っちまおうってか?」
トールは、黒騎士とダンの間にするりと割って入った。
「貴様は?」
「俺はトール、この二人の護衛だよ。他の時なら別にかまわネェけど、雇われたってのに目的地には着いていないし、金もまだ前金しかもらってない。だから、雇い主に消えられると困るんだよ。悪いけど、その姫さんと殿下を置いて帰ってくれネェかな。」
「傭兵風情の出る幕ではないわ。さっさと尻尾を巻いて帰るがいい。」
「あんたなぁ、ヒトの結界にのこのこ入り込んであんまり大口叩かない方がいいぜ。」
「この程度の結界で、何を言う。まして、張ったのは貴様ではなかろう。」
黒騎士はくぐもった声で笑った。
「張ったのは俺だよ。」
いつの間にかヴァッフがダンの背後に立ち、その右手に触れた。それまで動かなかった彼の身体は自由になり、その場にがっくりと膝をついた。
「見ての通りだ。お前も魔道使いなら解るだろう。初めの結界は警戒用に張ったに過ぎん。他の二人は、結界が張り直された時点で撤退したぞ。お前程度の力では、この中で術を使うことも、人質を連れて逃れることもできん。姫を置いてさっさと立ち去れ、そうすれば命までは取らない。」
「ヌゥ…。」
黒騎士は二、三歩後ずさると、ソフを下ろし、大剣を両手に持ち直して大きく息を吐いた。
「そのまま帰りな、無理して戦うこともないだろうが。」
トールはそう言いながら、相手との間合いを詰める。相手はそれに応じて下がる。そうして、黒騎士はヴァッフの結界の際に近いところまで後退し、トールは、倒れているソフを足下にかばう形になった。この間、トールは自分の剣を抜く様子は見せなかった。
「剣を抜け。」
耐えかねたように黒騎士が唸る。
「傭兵風情に恫喝されて逃げ帰ったとあっては騎士の名折れ、かくなる上は、貴様らをまとめて倒し、王子、王女を連れ帰る!」
「止めといた方がイイって、後悔するぜ。」
ヴァッフがソフを抱き上げて離れていくのを横目で確かめながら、トールはなおも剣に手を掛けない。
「剣を抜け!なぶるつもりか!!」
「…。」
「虫けらがぁー!」
黒騎士は大上段に振りかぶると一気にその大剣を振り下ろした。トールは抜き放った剣の腹でそれを受けながら、右に体をかわし、袈裟切りに相手の懐に踏み込む。かろうじてその切っ先をかわし、反撃に出ようと体を起こした左脇腹、甲冑の合わせ目に、トールの剣が深々と突き刺さった。
「な・に・ぃ!」
信じられないという、黒騎士の兜に隠された顔を見上げながら、トールは無表情に、更に深く刀身を押し込み、一気に引き抜いた。
「ギャー!」
その漆黒の甲冑を己の鮮血に染めながら、黒騎士は崩れ落ちた。
「あんまりヒトのことを舐めてかかるからこういうメに遭うんだよ。」
トールは剣を一振りすると鞘に収め、大きく息をついた。振り返ると、ダンが硬い表情で、黒騎士の死体を見つめていた。
「さて、と。」
トールが歩み寄ると、ダンはビクリと身を振るわせて彼の方を見た。
「そろそろ、本当のことを話してもらおうか、『王子』、あんた達がどこの誰で、『奴等』が何者で、何でこんなことになっちまってるのかを。」
4. ダンの告白
「私の本名は、ダン・クライブ・マイクロス。ミッドランド北端の国、ラーナ王家の第二王子です。ソフは本名を、ソフリナ・ローラ・マイクロスといい、お察しの通り私の妹で王女です。」
ダンは、改めて自分とソフを指し示して言った。
「フーン。」
彼等と向かい合って座っていたトールが相槌を打つ。彼の出自を聞いてもまったく驚く様子を見せないことに、ダンの方が逆に訊いた。
「驚かないんですか?」
「別に。あんた達に会った時から、貴族か何かの子弟だろうとは思っていたし、目的地がラーナだと言ってる上に、さっきの連中が『王子』に『王女』だろ。大方想像はつくはな…。あ、それから?」
トールは先を促した。
「ええ、あれはたしか2年近く前のことだったと思います。北の地峡にあるサメ湖の向こうから一人の魔道師がやって来たんです。名をゴドーといい、他に供として、彼の娘であるメディアと、ブル、バド、グル、レト、ザイ、コールという7人の『黒騎士』と名乗る魔道騎士を連れていました。
「やっぱりスケルナンかよ。で、そいつらが、国王である親父さんに取り憑いたのか?」
「いいえ。父は、初めのうちこそ彼等の北の国や旅にまつわる色々な話、北方流の占いなどを珍しがって、しばしば召し出してはいましたが、彼等を召し抱える気などありませんでした。そのうち、またどこかに流れていく者達だろうし、それに、いくらラーナが北方の国とはいえ、やはり、相手はスケルナンですから…。」
「だったら、何故…?」
「私の上には兄が一人居ります。名をコーナ・ミルズ・マイクロス。彼等は、その兄に、ラーナ皇太子に近付いたのです。」
「つまり、兄貴に取り憑いちまったってワケか?」
「そういうことです。我々マイクロス家の者は、代々白魔術を学び、素質のある者はその道に進むほど、魔道とは近いところに在ります。仮に素質が人並みで、政治や武門に進んでも、そういう類の力や術に対しては人一倍強い感受性を持ってしまいます。特に、大昔とは違い、ミッドランドでの戦や謀り事が減ってからは、自らを守るための鍛錬は二の次、どちらかといえば、魔道への親和性は、ラーナでは高貴な者のたしなみのようになってしまっていました。彼等は、いわば我が一族の弱点であるそこにつけ込み、兄を黒魔術の虜にしてしまったのです。」
「まあな、『白』が比較的観念的で説教臭い部分があるのに比べれば、『黒』は『力』の表し方が直接的だからな。魔道のたしなみがあって、野心のある人間にとっては魅惑的だわな…。」
トールの言葉に、ダンは苦々しくうなづいた。
「それからというもの、気が優しく大らかで、どちらかと言えばのんびりした性格だった兄が少しずつ変わっていきました。父や私が何度忠告しても、兄は聞く耳を持たず、黒魔術と、ゴドーの教えに耽溺し、やがて、まるで別人のように陰湿で、残虐な人間になってしまったのです。」
ダンは、ここで言葉を切り、辛いことを思い出すためか、大きく、辛そうに息をついた。
「『あれ』は、1年前のことになります。私が馬で遠乗りをして城に帰ってきたところ、侍従の一人が血塗れになってやって来て、ソフリナを連れて逃げろと言うのです。理由を尋ねる暇もなく、その者は絶命し、続いてソフリナを伴った2人の家臣に連れられて、私達はシェルを脱出しました。そして、ラーナ領外に逃れて初めて、兄が先王である父母を殺害し、王位を簒奪したことを知ったのです。」
「フム。その謀反に、ゴドーとその一味が絡んでたってワケだ。」
「と言うよりも、奴等が兄を操って謀反を起こしたのです。それが証拠に、今やゴドーは、自らを新王の後見で、大司祭と名乗り、国を思いのままに動かしています。そのために、国は荒廃し、今や暗黒神ダールの版図もかくやといった状態だと聞きました。」
「なるほど。しかし、それなら、何であのとき、クルトの街なんかにいたんだ?」
「あれは…。逃げる途中で、供の二人を病で失い、身寄りも、頼るべき知己の国もなく、あの近くの自由開拓民の家に、身分を隠し、名を変えて身を寄せていたのですが…、風の便りに、シェルの荒廃ぶりを聞き、きっと国内には、先王にいまだ忠誠を誓い、ゴドー達に不満を抱いている者がいるだろうと思い、矢も楯もたまらず、とにかく、シェルに戻ろうとしていました。」
「それで、シェルに入るまでの護衛にと、俺達を雇い、そして、あいつらが来たってワケか?」
トールは、死体の方を見やって言った。
「ええ。あれは、確か、黒騎士の一人、コールです。」
「で、これから、どうするつもりだ?」
「国へ、ラーナへ戻り、先王派の者達を見つけだし、ゴドーを倒します。そして…、救えるものならば、兄を救い出します。」
初めはきっぱりと、後半はやや力無くダンは言った。
「そいつは、まず無理だな。」
おもむろに,ヴァッフが口を挟んだ。
「まず、さっきのことでも判るように、あなた方が少しでも動けば、あっという間に連中に見つかる。ということは、ラーナ領内に入ることさえ、今のままでは難しいということだ。仮に、百歩譲って、首尾よくラーナに帰国、ゴドーを倒せたにしても、多分、あなた方の兄上は、もう生きてはいまい。」
「そんな!」
今度は、それまでずっと押し黙って兄たちの話を聞いていたソフが口を開いた。
「そんな、バカなことが…。だって、現に、兄上は、民の前に何度も姿を見せているのよ。実際に見もしないで、何でそんなことが言えるの?!」
「ヤツの、さっきの言い草を聞いたでしょう、『死体でもかまわん』と。普通の人間ならいざ知らず、連中はそろいも揃って、かなり強力な黒い魔道使いだ。ならば、死体を自分たちの操り人形に使うくらいは朝飯前。あなただって、ラーナの王女なら、それくらいのことは解っているはずだ。」
ヴァッフは冷たく言った。
「でも…。」
ソフは涙を浮かべていた。
「まだ、死んだと決まったワケじゃない、まあ、望み薄なのも確かだが…。とにかく、今は、ラーナの情勢を出来得る限りつかんで、シェルに戻る算段をするのが先だろう。」
ソフを慰めるように、トールが言う。
「では、力を貸してくれるのか?」
ダンの顔に明るさが戻る。
「仕方がなかろう。ここまで話を聞いちまって、その上、前金まで貰っちまってるんだから。なぁ、ヴァッフ、文句はあるまい?」
「ああ。」
フードの奥から、うっそりとヴァッフが応える。
「ありがとう、トール、ヴァッフ!あなた方がいれば百人力だ。これまで、私が知る限り、あれほどたやすく黒騎士を倒せた者はいない。あれなら、たとえ今、シェルがダールの版図であろうとも、太陽神シャルハと共に、冥府を横断した、英雄フィッツ・ライネンのように、恐れることなく進むことが出来る!」
「さて…、ヴァッフ。これからどうする?」
感激して、力みかえっているダンを尻目に、トールはヴァッフに尋ねた。
「確かに、ダンの言うとおりなら、ラーナ国内に不満分子は少なくないだろう。しかし、だからといって、このまま真っ直ぐシェルを目指すのは危険すぎる。一時、どこかに身を寄せて、実際の情勢がどの程度のものなのかを見極める必要がある。」
「同感だな。それじゃあ、一旦、西に向かい、フートマーンの『爺さん』に、知恵と力を借りるってのはどうだ?」
「無難な選択だな。」
「じゃ、決まりだ。」
5.シェル
ラーナの都、シェル。
かつて、北の白魔術と文化の都、『北辺の華』と謳われたその都が、わずか一年足らずの間に荒れ果て、今は見る影もない。
この、灰色の都の、かつての大路、パリス通を漆黒の馬にまたがり、同じく漆黒の甲冑を身にまとった騎士が二人、風のように駆け抜けていく。やがて、彼等は、王宮、白亜宮へ、吸い込まれるように消えていった。
そして、白亜宮、王の間。明かり一つ灯っていない、その一番奥の一段高くなったところに、金銀宝石に飾られた見事な玉座が据えられ、そこに、青白い、死人のような顔で、目ばかりが異様に光っている長身の若者が座っている。その傍らに、王座と劣らぬ程大きく、豪奢な作りではあるが、色が漆黒に塗られた椅子があり、魔道師のマントを着けた、初老の男が、あたかも背後霊のように、あるいは、見ようによっては、その異様な若者の主であるかのように座っている。
そこへ、先程の騎士が、まるで、周囲の闇から染み出すように現れ、跪いた。
「お前達、二人を取り逃がし、よく、おめおめと我と我が君の前に戻って来られたな。」
初老の男が、その二人に向かって、重々しく、だが、怒りを隠そうともせずに言った。
「申し訳ございません。護衛に着いておりました傭兵どもが予想以上に手強く、油断し、単独行動をとったコールが、彼奴等の手に掛かって…。」
「言い訳は聞かぬ。その者どもの一人は魔道を操り、いま一人は、おまえたちの術を、あたかも存在しないかのようにくぐり抜けたのも『知って』おる。」
「……。」
「良いか!レト、ザイ。これより、お前達はメディアに従い、ソフリナ、ダンの両名をこの場に連れて来るのだ。」
「ハッ!ゴドー様。」
「メディア、ブル、バド、グル、ここへ。」
先ほどと同じように、四つの影が闇の中から染み出して跪く。
「者ども、よく聞け。コールが倒された。それも、あの二人の護衛にだ。何があろうとも、あの二人を手に入れるのだ。
国内には、我々の所業に気付き始めている者達が出始めている。ここで、残る王子と王女をも我々の掌中とすれば、最早、そのようなヤツバラなど、モノの数ではない。我等の力を確固たるものとする為にも、あの二人は必要なのだ!
メディア、良いな。彼奴等は今、ハリムの都、フートマーンの法王宮に居る。あの二人を捕らえ、私の前に連れて来るのだ。もし手向かうようであれば、殺しても構わん。」
「ハッ!全て、大司祭ゴドー様の御意のままに。」
女騎士メディアは甲冑の奥から答えた。
「では行け!努々油断してはならぬぞ。」
その言葉には応えず、六人の騎士は、現れた時と同じように、闇の中に掻き消すように、見えなくなった。
この間、王座に座った国王コーナ・ミルズは、瞬き一つすることもなく、時々、身動ぎをしつつ、虚空の一点を見つめていた。まるで、行く宛てなく冥土の原をさまよう、死せる魂のごとく。
6.フートマーン法王宮
「しかし、まだ信じられない。」
ダンは、口に運ぼうとしていた杯の手を止めて言った。
「何がだ?」
傍らの椅子に腰掛けているトールが聞き返した。
「今、法王宮に居ることが、だよ。だいたい、何でお前たちが、あの、ハリムのユリケンチウス法王とこんなに親しいんだ?」
ここは、ミッドランドのほぼ中央に位置するハリムの都、フートマーンの法王宮。
法王宮とは、現国王カイ・ウォン・アグリアヌスの父、すなわち先王ワイズン・ドーラ・ユリケンチウスの宮殿である。
ミッドランド有数の賢人、名君として知られていた彼は、息子が成人すると、さっさと王座と家督を譲り、自分は『法王』と称して、民衆や世界の声を聞きながら、悠々自適の生活を送っている。
その法王宮へ、トールは衛兵への案内もそこそこに平然と入り込み、衛兵達も、怪しむどころか、文句一つ言うことなく、一介の傭兵としてはあまりに分不相応な歓待を受けているのである。
これは、いくら世間知らずの王子様であろうと、いや、王族の者であるからこそ異様なことと思われるのである。
「だから。さっきも言ったろう。前に、この国で仕事をした時に、ここのじいさん、法王猊下に気に入られて、出入り自由のお墨付きをもらったって。」
トールは、ダンの当惑を、さも面白そうに、ニヤニヤ笑いながら答えた。
「それが、おかしいって言うんだ!いくら、気に入られたからって、一介の傭兵が、こんなことを許されるはずがない!」
ダンはムキになった。そこへヴァッフが入ってきた。
「ダン、トール。法王猊下が急用から戻られた。すぐにお会いになりたいそうだ。」
「わかった。…ところで、ソフリナ姫はどうした?さっき、着替えだとか言って連れて行かれたきりだが…。」
「今、お見えだ。」
ヴァッフが身を引くと、そこにソフリナが入ってきた。
「へぇっ!」
と言ったきり、トールは黙り込んだ。
ソフリナは、まるで別人のようだった。
今まで、旅行用の帽子に乱暴に押し込まれていた髪は、洗って、きれいに梳られて北方人特有の黄金色に輝き、ホコリに塗れていた肌は、透き通るように白く、瞳は南の海のように、青く澄んだ輝きを取り戻していた。そして、これらの美しさは、服装によって一層際だって見えた。といっても、それは、ミッドランド上流の娘や女官達が普段着ているドレスの類に過ぎないのだが、逆にその簡素さが、一つのアクセントとなっていた。
「さあ、兄上、トール、参りましょう。法王様がお待ちかねですよ。」
「ああ。」
やっと我に返って、トールは、ヴァッフとダン、ソフリナの先に立って、勝手知ったる宮殿の中を通り、法王の間へと入って行った。
法王の間では、法王が、玉座から降りて四人を出迎えた。
「おお!トール、ヴァッフ、待たせたな。急な所用が入ってしまってな…。それにしても、まったく、ずいぶんと久しぶりだな。」
法王ワイズン・ドーラ・ユリケンチウス、年齢は、とうに七〇を過ぎて、長く伸ばした髪も髭も真っ白であったが、その目は、未だ少年のようにきらきらと輝いていた。
「おかげさんで、こっちも、次から次へと仕事が入って、大忙しだったんだよ。じいさんこそ、よく生きてたな。いい加減でくたばる頃だと思っていたんだがな。」
「ガキが生意気ぬかすでない!わしはまだまだ、この通り元気だわい。」
「死太いネェ。こりゃ、まだまだ当分死にそうにネェな、あんたは。」
二人は顔を見合わせて豪快に笑った。
ダンとソフリナは、このやりとりを呆気にとられて見つめていた。
相手は、仮にも、一国の元首と同等、いや、ことによってはそれ以上の権威と地位のある人物なのだ。それと、この南方人らしい若い傭兵は対等に冗談を飛ばし合っている。いくら親しいとはいっても、度が過ぎている。
そんな二人の視線に気付き、法王は少し言葉を改め言った。
「そういえば、今日は客人が居るそうだな…。そこの御二人がそうなのか?」
「ああ。ダン王子、ソフリナ姫。こっちが『じいさん』、ユリケンチウス法王猊下だ。」
いくらか改まって、とはいえ、『猊下』をことさら慇懃に、トールは、二人を法王に紹介した。
「法王猊下。お初にお目にかかります。私がダン・クライブ・マイクロス、ラーナ王国第二王子…、いや…、現国王コーナ・ミルズ・マイクロスが弟にございます。そして、脇に控えますが、妹で、王女、ソフリナ・ローラ・マイクロスでございます。この度は、突然の不躾な来訪にもかかわらず、かくの如き御厚情のみならず近しく拝謁の栄を賜り、恐悦至極に存じます。出来ますれば、我等両名、以後お見知りおき頂ければ、幸いに存じます。」
膝をついて、礼を尽くす二人に、法王は、優しげな微笑みを浮かべて言った。
「お二人とも、そのような勿体ない丁寧なご挨拶を、この爺にして下さるな。わしは、あなた方に礼を尽くして頂けるほど立派な者ではない。一国の王子と王女たる者が、そんなに簡単に膝などつくものではありませんぞ、さあ、立って。」
法王が差し伸べる手を取り、二人はすっかり恐縮した表情で立ち上がった。
「ここは殺風景でいかん。奥の部屋でゆっくり話すとしよう。トール、お二人案内して差し上げろ。」
という訳で、場所は、奥にある、法王の私室へと移された。
そこは、この宮殿の中で、もっとも陽当たりの良い、南向きの部屋で、一方の窓からは、宮殿の中庭に作られた見事な庭園が見え、もう一方の窓からは、遠く、ノスコラードの山並みを見渡すことが出来た。
「フム…。では、あなた方は、民と兄上を救い、父母の敵を討つ為に、シェルへと行かれるという訳ですな。」
トールが、これまでの経緯を説明する間、黙って聞いていた法王が口を開いた。
「はい。一刻も早く都に戻り、旧王派の者達を探し出して兵を募り、ゴドー一味を倒すつもりです。」
「そういう考えならば、おやめなさい。」
窓辺に立ち、庭に目をやって、法王は穏やかに言った。
「どういうことですか?!私達に、ラーナを諦めろとおっしゃるのですか?」
「そうではない。だが、王子自ら都に入り、兵を募るなぞ無謀じゃ。相手の手の内に自ら飛び込むようなものだと言って居る。」
「では、どうしろと?」
「まず、今のシェルの様子を知ることだ。連中の支配はどんなもので、民衆はどのように考えているのか?また、旧王派の重臣・諸侯達が、今どうしているのか?現国王の施政をどう考えているのか?などなど、出来るだけ詳しく。」
法王は、長椅子に座り直すと、諭すように続けた。
「よいですか。いかなる手段・経緯であろうと、現国王は、正式な手続きを経て王位に就いたのでしょう?つまり、これから、あなたがやろうとしていることは、謀反以外の何物でもない。それを成就させる為には、第一に大儀が必要だ。諸侯・民衆があなたの側に付き、現国王を倒そうと立ち上がるには、ゴドーとその一味の悪行を白日の下に晒す必要がある。さもなくば、あなたはただ、王座を欲する無法者に過ぎなくなる。どれほどの悪政・悪人が背後にあろうと、王が王座に就き、国を背負い、臣民を導くということはそういうことだ。その覚悟が本当にお有りですかな?」
「覚悟は、あります。おっしゃることも、その通りだと思います。では、私はいったいどうしたらよいのでしょう?」
「『その為に』、この者達を雇ったのではありませんか?」
法王は、ニッコリと笑って、トールとヴァッフに顎をしゃくった。
「この二人は、年も若く、不作法で、大食らいで、大酒飲みで、喧嘩っ早くて、口も悪い。その上、傭兵を生業としておるくせに、およそ、金というものに執着を持たんという、全くどうにもこうに食えぬ奴等じゃが、戦士としての腕は一流、与えられた任務は必ず遂行する。それは、このわしが保証する。まずは、彼奴等に、先程の偵察の任を与えては如何かの?」
「トール、ヴァッフ…。やってくれるのか…?」
ダンは二人を見つめた。
「雇い主の命令とあらば。」
トールの褐色の瞳がいたずらっぽく輝いた。
「これで、打つ手は決まったな。両名の出発は明朝ということにして、今日は休まれるがよい。もう、シャルハは西に去ろうとしておる。」
法王は、穏やかな笑みをたたえて、いたわるように亡国の王子と王女に向かって告げた。
「はい。ありがとうございます。この御恩は決して忘れません。我が都をダールの信徒の手より取り戻したあかつきには、きっと、お返ししてご覧に入れましょう。」
「ダン王子、今は、国を取り戻すことだけを考えなさい。もし、必要となれば、この爺が兵なり知恵なりをお貸ししましょう。」
こうして、ダン、ソフリナ、トール、ヴァッフは、法王の室を辞し、それぞれあてがわれた部屋へと戻った。
7.奪取
夜。とうの昔に、シャルハは西に去り、淡い、月のルーンが法王宮を蒼く照らしている。
「さて、トール。これからどう動く?」
左腕の祈り紐を巻き直しながら、ヴァッフが尋ねた。法王宮の中庭に面した、奥まった一室である。
「まずは、シェルに潜入して、相手の動勢を探る。俺は街、お前は王宮とその周辺だ。」
「その後は?」
「うまく兵が集まればそれでよし。集まらなかった場合は、じいさんから兵を借りてシェルへ突入、グロス神殿でダンに王位宣言をさせる。連中の使っているのが黒魔道である以上、グロス神殿には手が出せない。」
「その時の我々の動きは?」
「ダンは、あの調子だから敢えて言わなかったが、おそらく、ゴドー一味は、都の主立った貴族を殺すか追い出すかするだけでなく、暗示なんかで操りやすい者、あるいは、利害関係で引き込める者達を味方にしているだろう。そうなると、あの黒騎士どもだけでなく、それなり手勢はいるってことだ。」
「市街戦は必至か…。」
「そこで俺たちは、そのどさくさを利用して、王宮に潜り込み、ゴドーと黒騎士どもをぶち殺す。」
「ゴドーが俺たちより強かったら?」
「頃合いを見て、逃げるか…、殺されるか、だろ。
まあ、そん時は、運命の女神たるヤマに祈るさ。」
話しながら、刀身を改めていた大剣を鞘に収めると、トールは言った。
「そろそろ寝ようぜ。明日は早い。」
トールは寝床へ入るとすぐに寝息を立て始め、ヴァッフは長椅子の上に、マントの中へ手足を引き込むようにしてうずくまった。
同じ頃、部屋一つ隔てたダンの居室。彼は、ハリム産のブドウ酒の杯を片手に、物思いに耽っていた。隣の部屋、すなわち、彼とトール達の間の部屋では、ソフリナが眠りに就いているはずである。
ふと、誰かが部屋の戸をそっと叩いた。
「誰だ?」
剣に手を伸ばして、彼は言った。
「兄上。私です。」
「ソフィーか…。」
剣を離して、ダンは戸を開けた。さっきと同じ装いのソフが入ってきた。
「なんだ、まだ寝ていなかったのか。」
「ええ…。何だか、変な胸騒ぎがして…。兄上も?」
「うん…。私は、ただ、考え事をしていた。」
「明日からのことですか?」
いぶかしげに、ソフは兄の顔をのぞき込んだ。
「それもある。それよりも…。」
「『彼等』のこと、ですね。」
「若さに似合わぬあの剣さばき。腕が立つことは確かだが…。それにもまして、あの、法王との関係だ。確かに、ハリムのユリケンチウス法王といえば、身分の貴賤に拘わらず、才ある者を好まれる方だとは聞き及んでいたが…、それにしても…だ。いったい何者なのかと思ってな。」
ガラスの杯に、特産の葡萄酒を注ぎながら、ダンが言う。
「確かに、身元は判りませんが…。少なくとも、悪い人たちではないと思います。」
「そう、『感じる』か?」
「はい。」
「そうか…。そうだな。今は一人でも味方が欲しい時だからな。ところで、『胸騒ぎ』とは?」
「解りません。ただ、先ほどからずっと…。」
「『危険』が迫っていると?」
「わかりません。」
「多分、心配はいらない。いくら『奴等』でも、この宮殿までは、簡単には入って来られないだろう。それに、万一、『何か』があれば、隣には、トールとヴァッフもいる。」
「そうですわね。」
「とにかく、今日は、もう寝た方がいい。明日からは、忙しくなるのだから。」
ダンは、兄らしくソフリナの肩を抱き、彼女の寝所に当てられた部屋の前まで連れて行った。
「おやすみなさい。」
「おやすみ。」
彼女が、扉の向こうに消え、部屋に戻ったダンも寝支度を始めた、その時、
「兄上!」
ソフリナの叫び声と、ガラスの割れる音が、夜の静寂を破った。
「ソフィー!!」
剣を掴み、彼が廊下に飛び出した時、丁度、トールとヴァッフが、ドアを蹴破って、部屋に飛び込んで行くのが見えた。
「姫!」
「ソフィー!」
ほぼ同時に踏み込んだ部屋で彼等が見たものは、ガラスが割れ、開け放たれた窓の外に浮かぶ、漆黒の騎士の姿であった。その左腕には、ぐったりと動かないソフリナを抱えている。
「ソフリナ姫は、この、騎士グルが頂いて行く。」
くぐもった、声にならぬような声で、それは言い、窓の下へ降りていった。次の瞬間には、黒馬に跨がり、別の黒騎士に先導され、中庭のアーチを駆け抜けていく姿が見えた。
「待て!」
窓から身を乗り出して叫ぶダンを尻目に、二人の傭兵は、迷うことなく窓から中庭に飛び降り、追跡にかかろうとした刹那、彼等の前に、闇から滲み出すように現れた二人の黒騎士が立ち塞がった。
「ゴドーの騎士、レト。」
「同じく、ザイ。貴様等に、これ以上我等の邪魔はさせん。」
「死んでもらう。」
同じようにくぐもった声で、面頬の内側から交互に言うと、腰の大剣を抜き放った。
「たわけか、お前ら。こんな派手な真似を、この法王宮のど真ん中でやらかして、ただで済むと思うか。」
トールの言葉に、黒騎士たちは声にならぬ笑い声で応えただけだった。
「トール!結界だ。この宮殿全体が、奴等の結界の中に封じ込められている。」
トールの左肩に寄って、ヴァッフが囁く。
「おいおい、マジかよ…。ってコトは、『外』にはまだいるのか?」
「おそらく。」
「なんで、今まで気づかなかった。」
「こいつら全員、相当な魔道使いだ。宮殿の間近まで接近して、一気に結界を張り、侵入してきたんだろう。すまない、敵の戦力を読み切れていなかった。」
冷静な口調のまま、ヴァッフが囁いた。
「それだけ分かれば、よかろう。死ねぃ!」
二人の黒騎士は同時に叫ぶと、トールとヴァッフに襲いかかった。
冷たい鋼の火花を散らして、トールはレトの初撃を受け止めると右側に飛んで間合いを開ける。それを追って次の一撃が飛ぶ。さらに一撃…。
明らかに、トールは受け太刀だった。
「愚かよ。我等に手向かうなど!」
そう叫ぶと、レトは大上段に振りかぶった剣をトールの頭上に打ち下ろした。
身を沈めて両手で掲げた剣でそれを受け止め、撥ね除けると、返す刀で、レトの左肩の甲冑の合わせ目を切り裂いた。
「このぉ!」
レトが水平になぎ払った剣が、トールの脇腹を狙った時、彼は自らの剣を地面に突き立ててそれを受け、次の一挙動で、腰の左右に帯びた短剣を抜き、がら空きになった相手の懐に飛び込み、左右から、頚部を深々と切り裂いた。
「ガッ!」
上げられた声はそれだけであった。左右の頚動脈から血飛沫を吹き上げて、黒騎士レトは崩れ落ちた。
返り血を拭いながら振り返ると、ヴァッフはまだザイとの戦いを続けていた。結界は、既に解かれている。
「トール!ダンが、王子が、連中を追って一人で飛び出してしまった。助けに行ってくれ!」
階上から、法王の声が響いた。
「なんですって!どうして止められなかったんですか!」
「すまん!城中は結界のせいでてんやわんやで止める暇もなかった。早く追いかけろ!このままでは、彼まで、彼奴等の手に落ちる。」
「クソッタレ!面倒ばかりかけてくれる王子様だぜ!おい、ヴァッフ、そんなの、早いとこ片付けろ!ダンを追うぞ!!」
「簡単に言うな!少しはこっちの状況を見てから言え。」
考えられないことに、ヴァッフは受け太刀であった。本来なら、剣技において、トールよりも遙かに優れている彼がである。
「フッフッフッフッ…。」
面頬の奥から、ザイの不敵な笑いが漏れる。既にレトが倒され、味方の結界も失われていることなど、全く意に介さぬようである。
「おいおい…。」
トールは、両者の間合いが開くの見計らい、ヴァッフの前に立った。
「ヴァッフ、こいつは俺が引き受ける。お前はダンを追え!」
「おい、トール。」
「お前の方が、俺より速い。魔道でも何でも使って、とにかくダンの奴を止めるんだ!」
「承知!だが、気を付けろ、こいつは、ひどく腕が立つ。」
それだけ言うと、ヴァッフは消えた。
「と、いう訳で、選手交代だ。出来れば、他の奴等と一緒に行っちゃってくれるとうれしいんだがね。」
「そうはいかん。これ以上、お前たちにうろちょろされるのも煩わしい。ここで一捻りにしてくれる。」
「出来るものならな。」
続けざまに送り出されるザイの突きをかわしながら、トールが言う。
「おのれ、ちょろちょろとお!」
間合いが空き、仁王立ちのザイは、じりじりとトールを城壁の隅に追い詰めていく。
「もう逃げられんぞ。覚悟してもらおうか。」
「イヤだね。」
対照的に棒立ちのようにゆらりと立ち、剣もだらりと下げたトールが口を開く。
「だいたい、やることがセコイんだよ。国王を殺して、世継ぎを操って、テメェらの思い通りに国を動かすって?その後、いったいどうしようってんだ?
国ってのはな、民があって成り立つもので、その上、その国一つで世の中動いてる訳じゃネェんだよ。神話の時代じゃあるまいし、首だけ挿げ替えりゃ、国ごと乗っ取れるなんて、浅知恵もいいとこだぜ。」
「何ィ。」
「ついでに言えば、恐怖での支配なんてのは、長続きしたためしがない、絵空事さ。結局は、利害でも共感でも、味方を増やすことがどうしても必要になるんだよ。」
「…。」
あからさまに怒りに震えるザイから視線を外さずにトールはなおも続けた。
「ここは、ミッドランド。ハリムの都フートマーン。世界の声を聞くユリケンチウス法王の居城だ。そこで、こんな騒ぎを起こした意味が解ってないみたいだな。つまり、おまえらは、スケルナ仕込みの怪しげな手段を用いて、ラーナの王位・政庁を簒奪したと、ミッドランド中に大声で喧伝したのと同じ事なんだよ。いわば、ミッドランド全体を敵に回したのと同義だということさ。
さあ!進退窮まったのはどっちかな?」
ほとんどはハッタリである。
それを、この危機において、平然と言ってのけると、それには妙な説得力があった。
「言いたい事はそれだけか?」
ザイは右手の剣を半ば下ろし、左手を甲冑の甲にかけた。
そうして、甲の面頬を上げて素顔をさらした。
意外にも、若く端正な顔がそこにはあった。大柄な体躯にまとった無骨な黒い甲冑からは、およそ想像し難い顔であった。
「素顔をさらして…、本気でお怒りなワケだ。
にしても、騎士の顔ではないな。どちらかと言えば、書生…?
魔道師ゴドーの弟子っていったか…?まさか、その身体も…。」
トールの減らず口もそこまでだった。
これ以上ない怒りに駆られたザイの剣が、真上からトールの頭上に振り下ろされ、辛うじて、剣の腹で受け止めたものの、鍔迫り合いではね飛ばされ、城壁に背中から叩きつけられた。
体勢を立て直す余裕も与えず、ザイの突きが襲い、避け切れずにかすめた刃が、トールの脇腹の肉を削ぎ、血を滴らせた。
「仲間の恨みもあるので、ゆっくりと嬲り殺しにしてやりたいところだが、そうもいかん。ひと思いに殺してやる。ありがたく、ダールの元に行くがいい!」
勝ち誇ったザイの剣が再び突き出され、壁を背にしたトールと重なる。
双方の動きが止まり、数瞬後、ザイの身体が、ゆっくりと後ろに倒れた。
「いい気になって、面頬開ける奴が馬鹿なのさ。今時、『憤怒のかんばせ』なんぞ、本気でやる騎士なんかいネェって。」
荒い息で、ザイの身体を脚で押し退けたトールがつぶやく。
ザイの剣は、彼の左胸をわずかに逸れ、城壁に深々と突き刺さっていた。
「に、しても…。」
ザイの喉元に突き刺さった二枚の金属片を引き抜きながら、トールは言った。
「こいつまで使う事になるとはネェ…。」
血糊を拭って、腰のベルトの小さな箱に収め直す。
これは、『アトライ』と呼ばれる、草原の民の伝統的な武器である。
小さな鋼で出来た三角形の金属片で、三つの角にはそれぞれ刃が付けられ、見た目以上に重く、至近距離で急所に命中すれば致命傷を免れない。
トールは、短剣とともに、常に、これを十数枚、ベルトに帯びていた。
「トール!無事か?!」
ようやく手勢をまとめた法王が駆け寄る。
「ああ、大したことはない。それより爺さん、馬を貸してくれ。ヴァッフとダンに追いつかなきゃならん。」
「わかった。すぐに用意させよう。その間に、お前はその傷の手当てをしろ。そのままでは、じきに動くことも出来なくなる。」
ザイの死体と、トールの脇腹の血糊にすばやく目をやり、法王は、優しく、だが、きっぱりとした厳しさをもって言った。
月のルーンは西の空に去ろうとしている。
8.追跡
ダンには、既に自分が何処を、何の為に馬を駆っているのか、分からなくなり始めていた。
誘拐者の姿はとうに彼の視界から消えていた。
奴等は、もう自由開拓地まで入ってしまっているかもしれない。
本来なら、三昼夜はかかる道のりだ。
だが、奴等は魔道使い…。
(そして、私よりはるかに早くシェルに着き、兄と同様に、ソフリナまでも操り人形に…。)
暗い街道が、うねうねと目の前を流れていく。前方に人影は見えない。
「おのれぇ!!」
彼はさらに馬に鞭をくれた。
「ダン!」
後ろから、呼びかける者がある。
「ダン・クライブ・マイクロス!お待ちなさい。止まるのです!」
彼が振り向くと、魔道師のマントをまとい、フードを目深にかぶった騎馬がいつの間にか追いついて来ている。
「止めるな、ヴァッフ!私は、妹を、ソフリナを助けるんだ!」
ダンが叫ぶ。夜風にあおられて、髪がなびく。
「無茶なことを言ってないで、我々に任せて下さい。」
「みすみす、ソフリナを掠われておいて何を言う!」
激情に駆られて、彼はさらに叫ぶ。
(だめだ。完全に頭に血が上って、我を忘れている。)
「止むを得んか…。」
ヴァッフは独りごち、一気に馬をダンに並びかけ、祈り紐を巻いた左手で、馬の首筋にそっと触れた。すると馬は、突然手綱を強く引かれたように一瞬竿立ちになると、その場に立ち止まった。
「貴様!何を!」
反動で強く前方に振られ、辛うじて、馬の首にしがみついて落馬を免れたダンが喚いた。
それを一旦前方に追い越し、すぐに踵を返し戻ってきたヴァッフは、すれ違いざまに、今度はダンの顔に、何やら白い粉を吹きかけた。
「なっ!」
と、顔を背けその粉の煙を振り払おうとしたダンは、次の瞬間、そのままの姿勢で眠り込んでしまった。
「あまり、こういうことはしたくなかったのですが…。」
ヴァッフは呟き、再び、ダンの馬の首に触れると、馬は束縛を解かれた。
彼は馬から降り、二頭の手綱を掴んで、街道脇の灌木の陰に入って行った。適当な場所を見つけると、馬と自らの周囲に、丹念に結界を張り、一頭の馬にはダンを乗せたまま、馬の前に立つと、印を結び、何やら呪文のようなものを呟いた瞬間、二頭と二人はかき消すように見えなくなった。
魔道で言うところの『別の空間』あるいは『間の間』に入ったのである。
今、東の空は、白々と明けようとしている。
9.虜
何やら、鼻を刺す強い臭いをかがされて、ソフリナは意識を取り戻した。
辺りは暗い…。
だが、彼女は、『ここ』が何処であるのか、はっきりと判った。
生まれて十六年間、彼女が毎日を暮らし、その隅々まで、よく知っている場所。ここは、ラーナの都シェル、白亜宮、王女の間であった。
彼女は、寝台に寝かされ、その足下に、細長い黒い影が立っている。おそらく、今しがた、薬で彼女を目覚めさせたのも、この影の仕業であろう。
「誰!そこにいるのは?!」
答えは判っているつもりだが、それでも、ソフリナは『影』に向かって尋ねた。
「お目覚めでございますか、王女。」
そう言って、『影』は進み出た。カーテンの間から射し込む月の光に、その姿は滲んでいた。
「こうして、お近くでのお目もじ、誠にお久しうございます。」
その者は言った。月明かりの下とはいえ、漆黒のマントに、フードを目深に被っておれば、相変わらず『影』という他なかった。
「以前、私に会ったことがあると…?では、フードを取って名乗りなさい。どうせ、黒騎士の何れかではあるのでしょうが…。」
ソフリナは、健気に、気丈さを保って問うた。その声は震えていた。だが、今、自分が白亜宮に居て、たとえ、それが仇の手の内であろうと、彼女の胸には、不思議な安堵感があり、取り乱すことなく、相手と対峙することを可能にしていた。
「いかにも。大司祭ゴドーが騎士の頭にして娘の、騎士メディアでございます。」
『影』はそう言って跪き、頭を垂れると、顔を上げてフードを脱いだ。
そこには、類い希な、だが、ソフリナと同じく、幾分少女らしさを残した美しい顔があった。
細面に、意志の強そうな、しかし、決して大きくはない顎、顔色はやや青ざめているが、筋の通った鼻、きりりと引き締まった口元、そして、北方人特有の流れるような金髪。
ただ一つ、彼女の表情を人間らしからぬものとしているのは、その眼であった。深い緑色の瞳からは何も読み取ることが出来ず、まるで、眼を開けていながら何も見ていないような…。とにかく、生きている、まして若い娘ならば誰でも持つであろう、活き活きとした光を放っていないのである。その眼が今、恐怖と懸命に立ち向かいながら強い生気を放つ、ソフリナの両の瞳を見詰めていた。
「よろしければ、兄上様が、大司祭ともども、お会いになりたいそうです。」
「兄上が…?」
「はい、王の間でお待ちです。」
「わかりました。会いましょう。」
この時に至り、彼女の心は決まっていた。これから現れる事共を、何一つ目を背けることなく、しっかりと心に留めておこう、そして、長兄コーナ・ミルズが、いかなる手妻で虜とされているのか、あるいは、先にヴァッフが言っていたように、既に死んでいる身体を人形とされているのか、自らの目で確かめようと。
白亜宮に戻ってきたことで、彼女は、殺された父母のみならず、長い歴史を持つラーナ王家の祖先達が、自分を見守り、力を貸してくれているような気がしていた。それは、生まれたときからラーナのような魔道に近しい環境で培われた感受性あったのか…。
というよりも、十六歳という、最も多感な時期に、それ以前とはあまりにもかけ離れた、過酷な経験をしたことで生じた、将来、その身に破滅を招くか、大器として花開くものの種、すなわち『勇気』と呼ばれるものであったかもしれない。
王の間は暗かった。
途中の廊下もそうであったが、かつて、昼間は、明かり取りの窓から、飾りガラスを通して色とりどりの陽の光が満ち、夜は、沢山の篝火や蝋燭に照らされていた廊下が、窓は鎧戸が固く閉ざされ、明かり一つ灯されることなく、闇の中に沈んでいた。
今が、昼なのか夜なのかさえも判らぬ闇の中を、メディアの魔道の小さな火の玉の灯りを頼りに進んでいく。
その闇の、最も奥まった一隅が不意に開け、青白く燃える篝火に丸く照らし出された中に二つの大きな椅子とそこに座る人影がぼんやりと浮かんでいた。
「国王陛下、大司祭猊下。ソフリナ姫をお連れ致しました。」
闇と光の境界に跪き、臣下の礼を取った上で、メディアは座上の二名に報告した。
「ウム…。ご苦労であった。だが、ダンを捕らえ損ね、レトとザイを倒されたのは失態であったな。まあ、ソフリナ姫が『お戻り』になられた以上、王子もいずれ時を待たずに『お戻り』になるであろう。取りあえずは、下がって休むが良い。」
ゴドーが国王に代わって応えた。
メディアは一歩下がって、闇に同化するように、その場から消えた。
闇の中には、ソフリナが独り残された。彼女は、あたかも有機物のように、身の回りにまとわり付く闇の滑りに不快感を覚えながら、コーナミルズ王とゴドーを見詰めていた。
「…、もう少し…、近くに、寄りなさい…。」
不意に、王が口を開いた。ギクリとして、彼女は兄を見詰め、言われるままに、ゆっくりと、篝火の光の輪の中へ足を踏み入れ、裳裾をつまんで礼をした。
「兄上、お久しうございます。」
「…よく、戻った…。心配…したぞ…。」
彼は、眉一つ動かすことなく言った。
「言うことは、それだけですか?」
込み上げてくる怒りを押し殺すように、ソフリナは、小さな声で、それだけ言った。
「…。」
王は応えず、先のメディアと同様の、何の光も映さない瞳を、彼女に向けるだけであった。
「お父さま、お母さまを殺め、多くの誠実な重臣達の命さえも奪い、北の者達の力を借りて、血塗られた王座に座り、ついには、出奔した血を分けた実の妹を、文字通り引っさらって自らの前に引き据えて、初めに言う言葉が、それですか?
兄上、あなたは、そこの北の魔道師に、魂だけでなく、人らしい言葉さえも売り渡したのですか?!」
「姫、ちと、お言葉が過ぎるのではございませんか?」
ゴドーが言った。
「ゴドー、お前こそ、お控えなさい!これは、私と兄上の間のことです。」
彼女は、真正面から、この黒尽くめの北の魔道師を見据えた。
「それとも、兄上の代わりに、お前が応えなければならない『理由』でもあるのですか?」
「いいえ。滅相もございません。ただ、私は現在、王の後見人という立場にあります故…。たとえ、王女殿下であらせられましても、そのような中傷は…。」
「許せぬ、とでも?」
「……。」
ソフリナの迫力に気圧されたのか、単に相手にするのを止めたのか、ゴドーは沈黙した。
「ソフリナ…。」
再び、呟くように、王が口を開いた。
「お前は、どうやら、ひどく疲れているようだ。今日は、ゆっくり休め。明日、ダンが『着いて』から、もう一度、じっくりと話をしよう。」
「何を…!まだ、何の話も…。」
彼女が言い、更に近付こうとするのを遮るようにゴドーが口を開いた。
「陛下も、このように仰せです。まずは、ゆっくりとお休みになって、それから、お話しを致しましょう。」
全く、有無を言わせぬ態である。
「…。」
彼女が、まだ何か言おうと言葉を探していると、今まで下を向いて、低い声で話をしていたゴドーがおもむろに顔を上げた。
フードで隠された顔の、両の眼だけが異様な光を放ち、そうして、地の底から響き渡るような声で言った。
「ゆっくりと、お休みなさい。闇の静寂の中で。」
と、その瞬間、彼女は、弾き飛ばされるように篝火の灯りの外へ押し出された。
その背後にわだかまっていた闇が、生き物のように彼女を包み込み、その姿を隠した。
再び、王の間には、国王とゴドーのみが残された。相変わらず、コーナミルズ王は宙の一点を、その濁った両眼で見つめるだけで微動だにしない。
一方、その傍らのゴドーは、何やら唱えた後、その骨張った両の掌を上に差し出し、青白い鬼火をその上に灯した。そして、それを弄びながら、自らの思考を促すように呟いた。
「これで、王女も我等が手の内。やがて王子も…。さすれば、この国は完全にこのゴドーの意のままに…。いくら、ミッドランド、グロスの代示す土地と言おうが、北方ともなれば、こんなものよ。」
彼は立ち上がり、音もなく二三歩進み出た。すると、その弾みで衣の裾がかかるかしたのか、コーナミルズの片腕が椅子の肘掛けから外れた。
だらりと下がって、袖のまくれ上がったその腕は、腐乱し、赤黒い骨が露出していた。
「あなたには、今少し、働いてもらわねばなりませんな、陛下。」
ゴドーが声をかけると、腕はゆっくりと動き、元の位置に戻った。それを確かめた上で、ゴドーは闇の裏側に消え、篝火も消えた。
後には、闇だけが残った。
10. 潜入
ダンは夢を見ていた。幼い頃の夢だった。
冬の終わり頃、彼は宮廷の庭にある池の氷の上で遊んでいた。
すると突然氷が割れて、まだ身を切るように冷たい水の中に落ち込んだ。
普段、楽に足が着くはずの池は深く、暗い口を開けていた。
暗く、冷たい闇の中へ、彼はどこまでも沈んでいく。誰も助けには来ない、誰も…。
不意に彼は目を覚ました。二つの顔が彼を覗き込んでいる。一人はフードを被った魔道師、もう一人は、浅黒い顔をした南方系のミッドランダー。ヴァッフとトールである。
「気がついたか?」
トールが尋ねる。
「ああ。いったい私は…。そうだ!ヴァッフ、貴様!私に何をしたのだ?!」
ダンは、がばっと身を起こし、魔道師のマントの襟をつかんだ。
「あの場は、他に方法がなく、やむなく、『眠って』頂きました。」
平然とヴァッフが応える。
「だいたい、あんたが無茶するからだ。俺たちに任せろと言ったはずだぜ。」
トールがなだめるように言った。
「そう言っておきながら、妹を奪われた!」
ダンは苦々しげに言った。
「それについては一言もない。少々、奴らを甘く見ていた。」
トールの顔も厳しくなる。
「では早く、シェルに行ってソフィーを助けなければ、あれも操り人形に…。」
「その危険は今のところ少ないな。まあ、囮には使われるだろうがな。」
「何故だ?」
「あんたが、『ここ』にいるからさ。連中だって馬鹿じゃない。ラーナみたいに古い家柄の、家族間の血の結びつきの濃さぐらいは知っている。つまり、ソフリナ姫の身に、命に関わる重大事があれば、どこにいてもあんたには判るだろうってことさ。そうすれば、あんたは、そう簡単に連中の手の内にならない。下手をすると、民衆と先王の忠臣たちを率いて反撃に出ないとも限らん。そうならん為には、とりあえず、姫を捕らえるだけにして、それを餌にあんたを捕らえ、二人一度に黙らせること。後は、どうとでもなる。とにかく、王家の連中が一人でも『力』を持ったままで残っていられちゃ困るんだ。」
「なるほど、解った。では、どうしたらいい?」
「少し手順が狂ったが、当初の計画通りで行く。まず、俺が、シェルの街の様子を探ってくる。先王派や民衆がどうしているのかをな。それで、うまくそういった連中の誰かと繋ぎが取れたら、今度は、あんたとヴァッフが都に入り、グロス神殿で王位宣言をして、王都奪還の兵を起こす。拠点をグロス神殿に置けば、連中は直接手出し出来ない。姫は、俺とヴァッフが戦のどさくさに紛れて救い出す。」
トールは、ここで言葉を切った。
「そんなに上手く行くと思うか?」
ダンは疑わしげである。
「シェルの様子次第だな。まあ、とりあえず、俺が潜り込んで探ってくる。あんたは、もうしばらく、『ここ』でヴァッフと待っていてくれ。」
トールはそう言って立ち上がると、身の回りの支度を始めた。
その時になって初めて、ダンは、自分の周りを見回した。
「ここは…。」
そこは明らかに、彼がいた世界とは別の空間だった。足下に大地はなく、薄紫色の宙空が広がるだけで、その中に、ちょうどシャボンの泡のように彼等の居場所が浮かんでいる。
「ここは、我々が居た世界と、別の世界との間隙にあたる空間です。そして、この球体は、私が作った結界で、この中だけが、我々の世界と同じ環境に保たれています。」
ヴァッフが説明した。
「白魔術の国に生まれて、これまで多くの魔道の技を見てきたが、このようなものは初めてだ。」
彼は呻くように言った。
「いいえ。これは別に新しいものでも高度な技でもありません。魔道師が日常的に行う空間転移の術を、途中で停止したと思って頂ければ、ご理解頂けると思いますが。」
「ふ、む。」
ダンは、考え込むようだった。
「ヴァッフ、出かけるから、結界の出口を元の世界に開いてくれ。」
馬に跨がったトールが声をかける。
「了解。」
ヴァッフは、馬の前に進み出ると外に向かい、印を結んだ。
「ダン、それじゃあ、シェルの様子を見てくる。三日経って俺が戻らなかったら、ヴァッフとフートマーンに戻って、法王の兵を借りてくれ。」
「わかった。」
厳しい顔で、ダンが応える。
「あ、それから、何か、すぐにあんたの物だと判る物を貸してもらえないか?傭兵が独りでいくら説得しても信じちゃもらえまい。それどころか、怪しいやつ!といきなりバッサリやられちゃかなわんからな。」
「では、これを持って行け。」
ダンは、首にかけていた飾りを外すと、トールに渡した。
「これは、王家の者が、生まれた時に、初めにグロス神官から授けられる護符だ。表にはグロスの印とラーナ王家の紋章、裏には、私の名と生まれ星が刻んである。見る者が見れば、すぐにそれと判るはずだ。」
「そうか。それじゃ、しばらく借りておく。吉報を待っていてくれ!」
トールがヴァッフを目顔で促すと、彼はうなずき、結界の一隅から踏み出したトールは、馬もろとも見えなくなった。
こうして、再びシェルである。
ヴァッフの開いた出口が、初めよりもはるかに北、小国ライズリとラーナの国境付近の青の街道沿いであったため、朝方に移動を開始したトールは、終日馬を跳ばし、同じ日の夕刻には、ラーナの都シェルの大門にたどり着く事が出来た。
大門は、全くの無人であった。
本来ならば、夜でも篝火が絶やされる事はなく、昼夜の別なく往来する者達と、入国を管理する役人達が居るはずの場所は、人がましい気配すらなく、堅牢に作られた大門は開け放たれ、まるで廃墟のようであった。
城門を抜けて市街に入っても人影はほとんど見当たらず、ごくごくまれに通り過ぎる人も、あるいはうつむき、あるいはフードを深くかぶって、顔を隠すように、そそくさと足早に行き過ぎていく。
(荒れて、寂れてしまっているとは聞いてはいたが、此程とは…。)
トールは、周囲の様子に気を配りながら、馬を進める。
(しかし、妙だな…。)
人影は確かに無い。だが、街全体に異様な気配が充満していた。明確な形はとらない、あえて言うなら『闇の粒子』のような、不定形で皮膚にまとわりつくような『何か』が、シェルの街全体を霧のように覆い尽くしていた。
(結界か…。ならば、こちらの来訪は既に筒抜けということか…。そうなると、下手にうろつくよりは…。)
彼は、グロス神殿に向かった。
ミッドランドの都市において、主神グロスの神殿の位置は、概ね決まっている。
その多くは、王宮あるいは政庁を中心に、南北と東西に延びる大通りがあり、その東西に延びる道の東の端、すなわち、その街で最も早く朝日が照らす位置に作られる。シェルも、例外ではなかった。
予想はしていたものの、神殿の周囲もまた、静まりかえっていた。
本来であれば、門前には大小の店が軒を連ね、夜となく昼となく熱心な参詣者達が列を成しているはずである。
たしかに、道の両側には、多くの商家が並んではいるが、いずれも硬くその戸を閉ざし、街路の灯りも消されている。
唯一、神殿の門とその境内だけは、こうこうとロウソクが灯され、一歩足を踏み入れると、都の他の場所を覆っていた淀みが感じられなかった。
彼は、神殿の奥へと進み、大広間の正面にある、グロス神像の前に立った。
主神グロス、ミッドランドの神々の長であり父である天空の神。人々に最も畏れられ、最も尊敬を集める神。その姿は、大柄な、白髪とヒゲをたくわえた老人であり、その右手は世界に向かって差し伸べられ、その左手には、『理性の杖』と呼ばれる、柄の先端に一つ目を埋め込まれた杖を握った姿で顕されている。
トールは神像の前で膝を折り、印を切って祈りを捧げた。
彼が顔を上げた時、背後で声がした。
「今時、このような所へ珍しい…。それとも何かご用ですかな?」
振り向くと、そこには、神官の正装であるゆったりとしたトーガを着た、初老の男性が立っていた。
「旅の者です。今日、シェルに着きました。それで、新しい土地に来た時の習慣で、自分の守護神グロスの神殿に詣でました。」
「そうでしたか。私は、ここの神官長で、ソーレスと申します。」
男はにこやかに応えた。だが、その顔には心労の色がありありと浮かび、最近のものと判るシワが、いやに目についた。
「しかし、この都は変わっていますね。普通なら、まだ宵の口、もっと人の往来があって良いと思うのですが…。神殿にしてもそうです。他の土地なら、この時分、もっと信者達が居て良いはずなのに…、どうやら、今ここには、あなたしかいらっしゃらないようだ。ラーナという国は、あまりグロスを信仰していないのですか?」
「いいえ、決してそんなことはありません。一年前までは…。」
ソーレスのやつれた顔がさらに曇った。
「一年前…、何かあったのですか?」
「ご存知ないのですか?」
「ええ、ついこの間まで、南の方に居ましたから。」
トールは、剣の柄を叩いた。
その時、首にかけた飾りがロウソクの灯りにキラリと光り、ソーレスがそれをみとめた瞬間、一瞬表情を強ばらせた。トールはその変化を見逃さなかった。
「いや…、お話しすれば長いことになります。ご覧になった通り、これから街に戻っても、おそらく、宿などは開いておりますまい。どうでしょう、今夜はここの宿房にお泊まりなさい。大した物はございませんが、お食事でもしながら、ゆっくりとお話しいたしましょう。」
ソーレスは、再びにこやかに笑うと、彼を、居住区である宿房へ案内した。
宿房は、古く、質素であったが、清潔で落ち着いた作りであった。
「どうぞ、こちらに。」
ソーレスが、一室の扉を開け、先に立って招じ入れた。トールがそこへ一歩踏み込んだ瞬間、扉の陰から、段平の刃が、彼の左脇腹に突き出された。トールは右に跳びながら体をかわし、抜き放った剣でそれをはじき返す。相手が慌てて剣を引き戻すよりも速く、その懐に入り、剣の根元で相手の剣を叩き落とし、切っ先を喉元に突き付けた。
すべては一瞬の出来事だった。
「どういうつもりだ!」
トールは、喉元に剣を押し付けて問う。驚いたことに、相手は、立派な身なりの若い騎士であった。
騎士は、トールの問いに答えず、視線を神官長に移した。
「ソーレス殿、これはどういうことですか?この国では、神官が追い剥ぎの真似事をなさるのですか?!」
ソーレスは、土人形のように無表情であった。そして、先程とは打って変わった重々しい口調で言った。
「お前の首に掛けている、その飾りだ。それは、我が国の、さる高貴なお方の持ち物。それを何故、お前のような傭兵風情が身に付けている。何故だ!お前は、それを何処で手に入れた?」
「ならば何故、始めに俺に尋ねない?何故、こんな真似をする?!」
トールは剣を収めた。
「我々は、他国者を信用出来ない!」
騎士は、肩で息をしながら壁にもたれかかり、吐き捨てるように応えた。
「ゴドーのせいか?」
トールは溜息をついた。
「知っているのか?」
騎士と神官は、彼を見つめた。
「知っている。もちろん、この飾りの持ち主のことも…。だから、始めに問えと言ったのだ。」
彼は言葉を切った。
「その前に、まずお二人の身分を明かしてもらおう。」
「私は、先程言った通り、神官長ソーレス。」
「私はミズン子爵。一年前まで王宮騎士隊の中隊長、だった…。父は、伯爵で、王宮騎士隊長。先の謀反で黒騎士に殺された…。」
ミズンは、ギリッと音が出るほど、歯を食いしばった。
「俺はトール・バン・ルーン。見ての通り、傭兵だ。今は、ダン王子とソフリナ姫に雇われて護衛をしている。
「では、お二人ともご無事なのか?」
「少なくとも、王子はな。姫は、一昨日の晩、ハリム領内で黒騎士どもにさらわれ、今頃は、おそらく白亜宮だ。」
「ならば、一刻も早くお助けしなければ。それで、王子はどこに居られる?」
「俺の仲間が守っている。報告次第で、いつでもここに来られる。」
「そうか…。とりあえず、王子の無事が判っただけでもよかった。」
「今のラーナ国内、特にシェル周辺の情勢を教えてくれ。それによって、こちらの動きも決まる。」
ソーレスに促されて、トールは椅子に腰を下ろし、ミズンもそれにならった。
「一年前、コーナミルズ殿下が反乱を起こし、国王になってからは酷いものだ。実権は、後見と称する北の魔道師『大司祭』ゴドーが握り、反対者は、黒騎士どもに片っ端から捕らえられてしまう。先王の忠臣達も、高位の者は、ほとんど殺されるか、地下牢に幽閉されてしまった。辛うじて逃れた者も、私のように閑職に追いやられ、他の者達から隔離されている。」
「では、他にも先王派の貴族や騎士は残っているのだな?」
「いかに強力な黒の魔道師とはいえ、このグロス神殿だけには直接手出しは出来んし、参る者を邪魔立てすることも出来ん。もちろん、参詣を理由にここに集まることがないように、厳重に監視はされてはいるがね。それで、個々の参詣者達が連絡を取り合えるように、私がつなぎをしておるのだよ。」
今度はソーレスが応えた。
「嫌なことを訊きますが、ゴドーの側に着いた者達もいるのでしょう?」
「恥ずかしながら、それも確かだ。先王の時代に利や地位を得られなかった者、おそらくは何らかの弱みや人質を取られている者、兵士達も、どうであれ、王は王であるとの考えから、現王に従っている者達が少なからずおる。」
苦々しげにソーレスは言った。
「しかしながら、先王にいまだ忠誠を誓う者は多い。貴族や騎士にとどまらず、市井の民にもな!」
「そうか…。」
トールはしばし考えを巡らすように沈黙し、顔を上げた。
「ミズン殿、もし、ダン王子がシェルに戻り、この神殿で王位宣言をしたとして、ゴドーの軍勢と戦えるだけの兵を集めることは出来ますか?」
「やりましょう!…しかし…、向こうには、コーナミルズ様とソフリナ姫が…。」
「そのことも、考えてあります。ソーレス殿。」
トールは神官長に目を移した。
「何だね?」
「もし、都の外から、ダン王子が神殿の中まで辿り着いたとして、ゴドー達が神殿を襲った際に、それを退けるに足りるだけの魔道師や行者といった者達を集めることが出来ますか?」
「魔道師に、行者か…。正直なところ、その類の者達が一番始めに奴らに駆逐されたのだよ。だが…、どうしても必要というのであれば、なんとしても集められるよう、努力しよう。」
「ありがとうございます。ここを魔道の攻撃から守れるだけでいいんです。お願いします。」
「だが、ちょっと待ってくれ。それ以前に、王子をどうやってここまでお連れするかの方が問題なのではないか?」
「それも、こちらに考えがあります。ともかく、明日の夕刻までに、その者達を、この神殿に集結させてほしいのです。」
「明日一日でとなると、相当大変ではあるが…。しかし、王女のこともある。とにかく、集められるだけ集めてみよう。」
ソーレスは答えると、早速、連絡をつけるために奥の間に姿を消した。
「私の方はどうする?やはり、ここに集結させるか?」
後に残ったミズン子爵が尋ねた。
「いいえ。おそらく、この結界の中、皆さんの動きは、連中に筒抜けでしょう。なので、ここに大人数が集まるようなことがあれば、『謀反の疑いあり』として、正規軍を投入されて、コトを始める前に一網打尽にされてしまうのがオチです。何を言っても相手は『国王』。その上、実際、我々が始めようとしていることは、『謀反』以外の何物でもないのですから。」
「たしかに…。ではどうする?」
「子爵殿は、義勇軍を街の大門から少し離れた場所…、そう、青の街道沿いにある、大きな道標の辺りに集めて伏せておいてください。王子が王位宣言をした時点で、俺か相棒が合図を出しますから、そこで一気に市街に突入して下さい。市街戦は避けられないかもしれませんが、上手くいけば、市民も決起してくれるはずです。」
考えをまとめつつ、てきぱきとトールは指示を出していく。その顔を、ミズンは感心しながら見つめ、そして、ふと我に返ったように表情を和らげ、ため息を吐いた。
「何か?」
「いや、なに…。」
彼は、照れたように頭を掻いた。
「貴公は不思議な男だ。ついさっき出会ったばかりで、他国者への不信感に凝り固まっていたはずの私達をあっという間に信用させてしまった。
だいたい、傭兵などという連中は、腕が立つこと以外、信用のおけない、胡散臭い輩ばかりと思っていたのに…。
王子の私兵だと言ったが、証拠と言える物は、その首飾りだけ。それだって、王子を殺して奪い、味方と偽って我々に接近し、先王派の残党を煽り立てておびき出すために送り込まれたゴドーの手下ということだってあり得るというのに…。
敵であろうが、味方であろうが、今、貴公が始めようとしていることは、ラーナという、長い歴史を持つ国の存亡がかかっているのだ。
それを、まるで、全てを見通し、初めから筋書きがあるかのように、私やソーレス殿を動かしている。」
「はあ…。」
「いや、誤解するなよ。この期に及んで、それに不満を言っているんじゃない。どちらにしろ、新王の圧政による不満は、いずれ何らかの形で噴出してしまうところだったんだ。それでいて、大義となる王子や王女の行方も知れず、正直なところ、我々には打つ手がなく、途方に暮れていたところだったんだ。
ただ…、今、ふと、貴公が、まだずいぶんと若い…、私などよりもさらに若いのだと気がついてな…。」
若き忠国の騎士は、恥ずかしげに、また頭を掻いた。
トールは、それに応えず、ニッと笑っただけだった。
「さて…。私も、人集めに出かけるとしよう。」
「人数は、どれぐらいになるでしょうか?」
「正直、周辺の諸侯次第であるが…。騎兵と歩兵、合わせて千人ぐらいにはなるだろう。」
「そんなに…。」
「うん。まあ、期待していてくれ。」
そう言うと、ミズン子爵は神殿の裏口から闇の中に姿を消した。
それと入れ替わるように、奥の部屋から、ソーレスが、食事を載せた盆を持って現れた。
「トール殿、どうやら、一流どころの魔道師や行者が五十人ほど、集まってくれそうだ。」
「そうですか。それだけ居れば、何とかなりますね。」
「ああ。これでどうやら、目鼻が付きそうだな。」
「ええ…。」
ソーレスの言葉に応えながら、トールはすでに、これからのことに心を向けているようだった。
11.潜伏
トールたちが、シェルで行動を起こし始めて、半日ほどが過ぎた。
ダンとヴァッフ達と分かれてからは二日近くが経ったことになる。
彼等は、トールを送り出した後、いったん通常の空間に戻り、ラーナ国境に程近い、自由開拓地域の街道沿いにある、とある宿の一室で、トールからの連絡を待っていた。
一つには、ダンが、あの訳の解らない空間に長く居ることを厭がったのと、もう一つには、もしも、トール本人ではなく、他の者が連絡にやってきた場合に、通常空間に繋がっていた方が都合が良いということがあった。
だが、ここでじっと待っているというのは、敵の奇襲を招く危険もある。そのため、ヴァッフは、部屋全体に結界を張り、いつでも『間の間』へ避難出来るように策を講じていた。
「遅いな。」
その日、もう何度も言っている台詞を、ダンはまた呟いた。
「いくら何でも、もう、シェルで、何某かの者たちに接触しているはずだ。
まさか…、捕まった?
いや、それとも、ここが判らなくて連絡が出来ないのでは…?」
部屋の中を行ったり来たりしながら、彼はぶつぶつと呟き、しきりに爪を噛んでいる。
「ダン、少し落ち着きなさい。あれから、まだ一日半しか経っていないのですよ。トールが降りた場所からシェルまでが、およそ一日行程。シェルに無事入ったとして、運良く何か情報を掴むなり、先王派の誰かと接触出来たとしても、相手方の兵力や動静を調べ、その裏付けも取るとなれば、半日やそこらで出来る訳がないでしょう。それから、この場所は、奴がシェルに着く直前に『遠話』で伝えておきましたから、心配はいりません。」
「しかし、万一、彼が捕まったら…?」
「奴は、そんなドジを踏みません。」
ヴァッフは、穏やかに、だが、きっぱりと言った。
「そうなら、良いが…。」
まだ、安心出来ぬ様子のダンに、ヴァッフは呆れたような溜め息を吐くと、それきり黙りこくった。
その夕刻のこと、
「誰か来ますね。」
不意にヴァッフが顔を上げて言った。しばらくして、部屋の戸を叩く者がある。
「誰だ。」
ダンを制して、ヴァッフの鋭い声が飛んだ。
「こちらに、魔道師のヴァッフさんがいらっしゃると聞いたもんで…。」
男の声が応える。
ヴァッフは、ダンを部屋の中央に行かせ、自分はゆっくりとドアを開いた。
「ヴァッフは私だが、何の用だ?」
「トール様からの伝言をお届けに来ました。これが手紙です。それと、もし、信用しないようなら、これを渡せと…。」
男は、そう言うと、手紙とアトライを差し出した。
「そうか、ご苦労だったな。他に何か言っていたか?」
「いえ…、詳しいことは、その手紙にと。ただ、明日の午後はグロス神殿に行かれると…。」
「わかった。帰りも充分用心しろよ。」
「はい、心得ています。では…。」
それだけ言うと、男は去った。
「手紙は、トールからか?」
ドアを閉めると、早速ダンが尋ねた。
「どうやら、グロスの神殿長と、ミズン子爵という方に接触し、協力してもらっているようですね。知っていますか?」
「ソーレスとミズンか…、あの二人なら信用出来る。それで?」
「ミズン殿が旧王派の兵を集めて、決起の準備を進めているようです。我々には、グロス神殿まで来るように、と。」
「それから。」
「ここからは、悪い知らせですね。正規軍は、今のところ、現王に従っており、市街戦は必至。現段階で、こちら側で期待し得る戦力での勝利はおぼつかない、と。」
「状況を逆転させるには、ダンが王位宣言をして、ゴドーと現王が、王位簒奪者であることを公に糾弾すること。それで、市民、特に『民兵』たちが決起すれば、勝ち目が出てくるのではないか…と。」
ヴァッフはここで、言葉を切った。
「ところで、『民兵』というのは…?」
「ラーナは元々、尚武の国ではない。そのため、職業軍人は原則として存在しない。一部の王族・貴族に武人の家柄があり、それらの、半ば私兵の武人と徴用された兵士で正規軍が構成されている。」
「それでは、内政の治安維持には、到底手が回らないでしょう?」
「そこで、街や領地ごとに、住民が治安維持のための自警団を組織するようになった…。それが民兵だ。」
「ほお…。では、日頃は一般人なんですね。」
「詳しいことは知らないが、民が交代で武装して詰めているようだ。」
「特に、王都シェルの民兵組織は大きく、正規軍にも引けを取らないと聞いている。」
「もしも、彼等が反現王側に立てば…?」
「相当な戦力になるはずだ。」
「どうやら、トールは、『それ』を動かすつもりらしい。」
「しかし、都はゴドー達の結界の中。派手に動けば、すぐに判ってしまう…。」
「そこは何か策があるのでしょう。」
ヴァッフは、更に手紙に目を通す。
「我々に、まずは明日の正午、都の大門に来いと言ってます。」
「はぁ?!むざむざ捕らえられに来いと言うのか?」
ダンの声を聞き流し、
「その際…なるほど…。しかし、上手くいくものか…。」
最後の指示を読みながら、ヴァッフは小さく呟いていた。
「まあ、むこうも、思っていたよりいろいろ進んでいるようですから、我々も出発の準備をして、少し休んでおきましょう。明日は大変ですよ。」
12.帰還
そして、翌日。
例によって、『間の間』から、シェルに向かう街道近くに降り立ったダンとヴァッフは、馬を並べて大門へと進んでいた。
「おい、大丈夫なのか?こんなに白昼堂々と、街道を歩いて。」
「どうせ、コソコソしても、あなたを伴っている以上、我々の動きは、敵側に筒抜けです。ならば、堂々と姿を晒した方が、相手もこちらの出方をみようという気になるでしょうから、おかしな小細工をされる心配が減って、むしろ安全です。それに…。」
何気なく周囲を見回していたヴァッフは言葉を切った。
「出方を見るのは、『我々の』だけではないようですよ。」
「どういうことだ?」
「気付かれませんか…。すぐに判ります。」
「う〜ん…。それと、さっきの『あれ』はいったい何んなのだ?」
ダンは、左の前腕に巻かれた包帯を気にしながら尋ねた。
『間の間』を出た直後、ヴァッフが妙なことを言い出した。
「ダン、少々お願いがあります。あなたの血を少しばかり頂きたいのです。」
「はぁ?」
突然のことに驚いている暇を与えず、
「失礼。」
と言うと、ヴァッフはダンの左袖を捲り上げ、右手でさらりと撫でた。
「うっ!」
チクリとした軽い痛みと共に、左腕には浅い切り傷がぱっくりと開いていた。
そこへ白い布を静かに何度もあてがっていく。布は見る見るうちに真っ赤に染め上げられた。
「何を?!」
抗うことも出来ぬうちに作業は終わり、ヴァッフが傷口をもう一度撫でると出血は止まった。
「申し訳ありません。トールからの指示で必要だったものですから。」
包帯を巻きながら、静かにヴァッフは詫びた。赤く染まった布は、丁寧にたたまれ、彼の懐に収められた。
ダンは、このことを問い質しているのである。
「『あれ』ですか…。それもじきに判ると思います。」
2人は更に進み、大門が間近に見える頃、1台の箱馬車が追いついてきた。
「こんにちは、ヴァッフさん。」
御者は、昨夜彼等に手紙を届けに来た男であった。
「やあ。」
ヴァッフは、馬を御者に近付ける。
「『例のモノ』はお持ちになりましたか?」
「あぁ。」
彼の応えに、御者は馬車を道の端に寄せ、街道脇の林へ入って行く。2人もそれを追った。
林の中をしばらく進むと、男は馬車を停め、後ろの荷台の扉の前に立った。
「例のモノを。」
馬を降りたヴァッフが懐から先程の布を差し出すと、男は押し戴くように受け取った。
「我らのような者には、畏れ多いものですから…。」
そう言うと、荷台の扉を開いた。
箱馬車の中には、たくさんの檻籠が入れられ、その中に小動物が入れられていた。
「これは…。」
覗き込んだダンは、その鳴き声や唸り声に、思わず後ずさった。
「都中の横丁から集めた野良猫です…。時間がありません。さっさと片づけましょう。」
男は先程の布を手に取ると、細く裂いて短い紐を作り始めた。
「これを、こいつらの首に結ぶんですが…。」
突然捕らえられ、閉じこめられた猫達は、あるものは怯え、あるものは猛り狂って、けたたましく鳴き暴れている。
「少しの間、静かにさせればよいのだな?」
ヴァッフは、中に入り、右手を差し出すと、何やら短い呪文を呟いた。
すると、それまで騒いでいた猫達が嘘のように静かになった。
「すごい…。」
ダンと御者の男は同時に嘆息した。
「魔導師は動物を使い魔にしますから、操る術など、基本中の基本です。」
ヴァッフは淡々と言う。
「今のうちに紐を付けてしまいましょう。ダン、あなたも手伝ってください。」
半刻のうちに、3人の手で全ての猫の首に赤い布が結びつけられた。
「では、私はこいつらをシェルの中に放ってきます。お二人は、このままグロス神殿に向かってください。」
扉を閉め、再び御者台に上がりながら、男は言った。
「神殿の場所は判るが、何処を通って行けば良い、大きな通りは正規軍が固めているのだろう?」
ヴァッフが訊く。
「トールさんによると、『しるし』を置いたから、それを辿って来いとのことでした。では、私は行きますね。」
「『しるし』…。なるほど!そういうことか。」
馬車を見送り、しばしの間をおいて、2人は街道に戻り、大門へと向かった。
大門は、2日前にトールが通ったときと同じように、衛兵もなく開け放たれていた。
門を通り、次の内門を抜けると、そこはもう、パリス大路である。幅数十間の大路は北に延び、その先に白亜宮が見えた。
そこは、なぜか灰色に霞み、実際よりもはるか彼方にあるように感じられた。
「で、これからどう進む?大通り伝いに行けば、グロス神殿はすぐだ。当然、すぐに捕らえられてしまうがな。」
皮肉混じりのダンの言葉を後目に、ヴァッフは、馬を右手、東側の小路へ進めて行く。
「この辺り、ですかね…。」
内門から横道にかなり入り込んだ辺りで、ヴァッフは馬を止め、周囲を見回した。
小路に面して家々が立ち並んでいるが、昼日中というのに、どの家も戸や窓を閉ざし、歩く者の姿もない。
「…。」
ヴァッフは、左手の祈り紐に小さく呪文を唱えると、右手を行く手に差し出した。
すると、転々と家の軒先が黄色くポツポツと光り、すぐに消えた。
「これは…。」
それを辿るように進みながら、ダンは、先程光った辺りに目を凝らす。そこには、ヒトの拳半分ほどの小さな焦げ跡が出来ていた。
「『火種』です。火を灯す術は、魔道に限らず、幻術師や一般のヒトでも訓練すれば使える者がいる、基本中の基本の術です。その火を大きくしたり、手元から離れた場所に着火させる時に使う手妻の小道具です。トールは、それを道標に置いたようですね。」
「しかし、こんな小さな火、昼間だと見辛いな。夜なら、もっとよく見えるのに。」
「『我々以外』にもね。一瞬で消える昼間の小さな火は、『そこにある』ことを予め知らなければ見つけ難いものです。」
「考えあっての昼間、ということか…。」
「本来、反旗を翻すなら、夜間の方が、数的不利があっても困らないものかもしれませんが、基本、魔道は夜のものです。陽光の下では使えぬ技も出てくるでしょう。それと、夜間の戦闘では、どうしても火を使います。たとえ故意でなくても、それが何処かに燃え移れば、都は火の海です。それを避けたいのもあるかもしれません。」
話しながらも、次々と火種を灯し、彼等は、入り組んだ小路の中を東の端へと進んでいく。
「それにしても…。」
少しあって、ダンが再び口を開く。
「ゴドー達は、私達がシェルに入ったことには気付いているのだろう。それにしては追っ手がいなさすぎやしないか?」
「気付かれましたか…。」
ヴァッフは宙を仰ぎ、耳をすませる。遠くや近くで、兵が動き回る声や物音はするものの、こちらに気付いて近寄る気配がない。
「確かに、連中は我々に気付いています。と同時に、無数の『我々』にも気付かされているはずです。」
「はぁ?」
「ゴドーに限らず、魔導師が『特別な誰か』を見つけだす、大きな手がかりの一つは『血』です。その血の持つ気配を察知して居場所を特定します。」
「『血』ネェ…。あぁ…!」
「先程の猫達の首には、あなたの血が染み込んだ布が巻かれています。今頃ゴドーは、シェル中の横丁や軒下を動き回る無数のあなたの気配に四苦八苦しているはずです。」
「なるほど。でも、そんな小細工で、いつまでもごまかせるものか?」
「無理でしょうね。それでも、そのわずかな時間で、我々はかなり進むことが出来ているワケですから、子供騙しの小細工とはいえ、バカには出来ません。」
「たしかにね。」
彼等は、更に大路の東側の小路を縫いながら北へ進んだ。
神殿が近付くにつれ、探索の兵達の気配は近くなり、時には、身を潜めてやり過ごさなければならなくなってきた。
そうして、とうとう神殿の正面が見通せる大路のへの出口に辿り着いた処で、ヴァッフが歩みを止めた。
「やはりね…。途中から、何んだか上手く行き過ぎている気はしていたんですよ…。」
彼は、不用心なほど無造作に大路へ出る。
「何を言って…。あぁ!」
それまでとは違うヴァッフの動きに戸惑いながら後に続いたダンが声を上げる。
そこにいたのは、幾重にも彼等を囲む正規兵の一隊であった。
「ダン王弟殿下、お待ちしておりました。白亜宮にて、国王陛下がお待ちです。」
「くっ!」
ダンが剣を抜き、身構えるのをヴァッフが制した。
「おやめなさい。いくら何んでも多勢に無勢、こんな処で怪我などしてもつまらない。まして、死体になどされたら、それこそ、一巻の終わりです。」
「だが!ここまで来て…。」
「…。」
ダンの右腕を掴むヴァッフの左手に力が入る。
そのとき、兵士の囲いの向こうから、地響きと鬨の声が彼等の耳に届いた。
13.市街戦
「まったく、小癪な真似を!」
ゴドーは、闇の中に浮かび上がった小さな点を眺めながら呟いた。
当初、都市に散って動き回っていたその点は、随分と数を減らしていた。
「行き先が判っている以上、そこで待ち伏せておれば、彼奴等は必ずやって来るとは思っていたが…。」
それでも、確認のため、兵を差し向け、点の一つ一つを捕らえてみれば、すべて野良猫。
「子供騙しとはいえ、思わぬ手間を食ってしまった。まあ、それでも…。」
結局、獲物は始めの狙い通りの場所で網に掛かった。
「グロス神殿…。決起の拠点としては、良いところに目を付けたが、辿り着けねば同じこと。」
神殿の手前で、一つの赤い点が動きを止めていた。
「あとは、王子を連れ戻してしまえば…、何んだ?」
止まっていた点が、神殿に向かって少しずつではあるが、再び動き始めていた。
「申し上げます!」
『遠話』による隊長からの報告。
「何事か?」
「民兵です!民兵の一団が突然現れ、我々の包囲を突破、王子と護衛を取り込んで神殿に進んでいます。」
「民兵だとぉ?貴様の眼を『借りる』ぞ!」
ゴドーは、隊長の眼を通して、大路西側を見た。
石畳の上で戦闘が始まっていた。正規兵に立ち向かっているのは、得物も服装もバラバラだが、皆一様に二の腕に白い布を巻いた男達であった。
並装でありながら、各々槍や剣などで本格的に武装し、それらを手慣れた様子で操っていた。
日頃、正規兵と民兵は協力関係にある。コーナミルズ王の指揮下とはいえ、民兵に剣を振るうことを正規兵達はためらっていた。
一方の民兵達も事情は同じであったが、目の前の王族を守るため、正規兵を押し返すことへのためらいはなかった。
「正規兵よ、引けい!王族に弓を引くは、逆賊ぞ!!」
民兵達の声に正規兵達はじりじりと後退し、背後にはグロス神殿の大石段が迫っていた。
「ダン王子!」
神殿から声が飛ぶ。
「トール!」
「ようやく来ましたか。早く、神殿へ!」
「無理を言うな!」
「いいから!!」
その声に、ヴァッフが無言で進み出て、目顔でダンを促す。それに導かれるように、ゆっくりと前に歩み出すと、それまで、彼を守るように固まっていた民兵の人垣が開き、さらに対峙する正規兵さえも剣を下ろし、両脇へ退いた。人々の間に、神殿への一本の道が出現した。
「さ。お早く。」
ボソリと、ヴァッフが囁く。
信じられないものを見るように、だが、全速力で、ダンは道を駆け抜け、石段を駆け上がった。
「お待ちしていました。」
トールが彼の腕を掴み、神殿の奥へ導く。
「これはいったい…。」
いぶかしむダンに、トールは、神殿の奥を目顔で示す。
グロス像の前に、二十名程が車座となり、ある者は印を結び、ある者は祈り紐を握って、何事かを唱えていた。
「シェルに残った魔導師や行者達です。彼等が協力して、一時的に、この神殿固有の結界を強め、範囲を広げました。長くは保ちませんが…。」
「正規兵達は、王命とゴドーの結界の二重の縛りで、自己の考えを抑えられています。神殿の結界が広がったことでゴドーの戒めは弱まり、兵達に迷いが生じたのですよ。」
「なるほど。」
「とはいえ、彼等の主は国王です。いずれ我々を攻撃してきます。」
「では、どうするのだ?」
「とりあえずは戦うしかないでしょう。」
「民兵だけでか?」
「まさか。」
神殿の外で、にわかに声が挙がる。
「来たようです。」
トールは大門の方に目をやる。
「何んだ?」
「ミズン伯爵、旧王派の諸侯とその兵達です。これで、勝負になるでしょう?」
彼の瞳はいたずらっぽく輝いていた。
「さ、奥へ。ソーレス神官長がお待ちです。グロス神の御前で王位宣言をなさってください。」
セルは、借りていた首飾りをダンの首に掛け直しながら、奥へと導いた。
大広間では、儀式の正装に身を包んだソーレスが待っていた。
「非常の時ゆえ、手短に進めさせて頂きます。ダン王子、こちらへ。」
促されるまま、ダンは、腰の剣を鞘ごと外して携えると、神像の前に跪いた。
「神の御前にて、自らの決意を述べませい。」
ソーレスの厳かな声が響く。
「我、マイクロス王家第二王子、ダン・クライブ・マイクロスは、黒魔の手に堕ちし民と国土を救うため、王位に就かん。望むらくは、我が誠と正義のため、その大いなる御力にて、我と我が兵を守り賜え。」
そうして、立ち上がり、神殿の外に向かい、抜き払った剣を差し上げると、高らかに宣言した。
「我は、ダン・クライブ・マイクロス。ラーナの王である。我が民と国土を簒奪せんとする者達を、王の名の下に誅滅する!」
こうして、市街戦が始まった。
正規兵は一旦西側に退き、白亜宮へ向かう大路を塞ぐ形で陣形を整えていた。
「王宮からの増援も到着しています。これを正面から突破するのは難しいですね。」
民兵と諸兵をまとめ、陣立ての指示を出しながらミズンが言った。
「なに、王宮に入って、ゴドー達を倒せば、大半は無力になるさ。」
自陣の先頭で、相手の動きを透かし見ていたトールが言った。
「それが難しいと言ってるんだがな。」
「ミズン殿、我が方の陣形は?」
ヴァッフが訊ねる。
「数の上での劣性、連携練度の低さを考えて、とりあえずは密集陣形にしている。」
「そうしたら、それを二つに分けて、それぞれ固まって動くように指示してくれ。」
トールは道の上に正方形を二つ並べて描いた。
「はあ?それでは、簡単に中央を割られてしまうぞ。」
「『割らせる』んだよ。中央に敢えてなだれ込ませて、左右から側面を討つ。これで、相手の足を止める。」
「それから?」
「二隊のどちらか…、この場合、南側の隊に別働隊、まあ、ダン王の旗本隊が、その間に後方へ抜けて王宮に向かう。」
トールは続けた。
「この本隊は速さが命だ。一気に大路を駆け抜け王宮に取り付き、残存する守備兵を抑えて王と王女を奪還し、王宮を開放する。それで『勝負あり!』だ。」
南側の正方形から大きく西に向かって線を引き、トールは言う。
「ウーム…。で、編成は?」
「ダン王、俺とヴァッフ、それにあんたが指揮できる兵。せいぜい五十もいれば十分。」
「たったそれだけで、本当に大丈夫か?」
「乱戦の中で、我々が後方に抜ければ、向こうは追いかけようとする。当然、こちらの主力に背後を見せることになるので、こちらも追撃する。結果的に、我々は、乱戦の塊を王宮に放り込むことになる。旗本隊は、しなければならないことがあるから、乱戦に巻き込まれるわけにはいかない。だから、速さが命。故に編成は簡潔な程良い。ということ。」
「はぁ…。」
「向こうは予想外、こちらは想定していた市街戦だ。主導権はこちらにある。」
「そんなに上手くいくものか?」
ミズンは、まだ確信を持てない様子である。
「ここまで、連中を見る限り、確かに、個々の魔導師としての能力や知謀は高いが、戦い慣れているか?と言えば、小綺麗に過ぎる印象が強い。こちらの意図を読み損ねる可能性は十分に高い。」
ヴァッフが静かに、だが、はっきりと言った。
「わかった。それに賭けよう。すぐに陣の再編と別働隊の人選に入る。」
ミズンはそう言うと、陣の中に駆けて行った。
14.白亜宮
「な、言った通りだろう。」
馬上のトールが右手に声をかける。
「確かに…。だが、これは…。」
後方を振り返りながらダンが言う。
先ほどの会話から半刻ほどで、民兵と反乱軍からなる『ダン王軍』は陣形を改めた。時を移さず、国王派の正規軍は王宮からの援軍を加えて前進を開始。
シェルの東西を貫く『神殿大路』の東側の中程で、両軍は激突した。
数で勝る正規軍に対し、練度で勝るダン王軍が翻弄するかと思われたが、案に相違して、前進を一度受け止めると、フワリと左右に展開した。勢い込んでいた正規軍は、そのまま突進、前方の敵を見失う。
そこを両側から攻められ、一気に混乱。両軍入り乱れる白兵戦に突入した。
この状況を見極めると、南側の集団から、ダンとトール達の別働隊がするりと抜け出し、白亜宮へ向かった。
「思ったよりも早く気付かれたがな。」
ダンの右側からヴァッフが言う。
「まあまあ。…にしても、スゲェな。」
彼等五十騎の後方から、巨大な土埃が追いかけて来る。
「もう、どっちがどっちやら、ハハ…。」
「笑い事ではないぞ!もう間もなく王宮の正門だ。」
ダンの声に彼等が顔を向けたすぐ先に、黒灰色の霞をまとった白亜宮がそびえていた。
午後の、まだ日が高い刻限だというのに、そこの周りだけは、黄昏時のように薄暗く煙っていた。
「これはまた、ものすごい結界で…。」
開け放たれた正門を前にして、トールが嘆息した。
「ヴァッフ、これ破れるか?」
「無理だ。」
「だよな…。」
正門の大扉は開け放たれ、王宮の入り口の扉も開かれていた。周囲に兵の姿は全く見当たらない。ふつうなら、異常なほど無防備なはずだが、王宮とその周囲に垂れ込めた薄闇が、立ち入ろうとする者をはっきりと拒み、威嚇しているのが感じられた。
「しょうがネェなぁ…。」
門の前に歩み寄ったトールがゆっくりと馬を降りる。
「よく晴れた真っ昼間に、こう暗いのはいただけないよナァ。」
彼は、無造作に正門をくぐり、中に踏み込んでいく。
「お、おい!」
引き止めようとするダンを制しながら、ヴァッフは懐に手を入れ、何やら掴みだして、彼に差し出す。
「これを。」
「耳栓?」
「いいから!」
声に気圧され、彼は言われるままに、それを耳に詰めた。
「他の者も、耳を塞いで口を開けて!!」
めずらしく、ヴァッフの大声が響く。そんな彼等を後に残し、トールは進み、大広間の前に立っていた。
高い天井、その壁面には大きな採光窓が並び、色とりどりのガラスがはめ込まれていた。広間の奥は両側から長い回廊につながっていた。今は、そのどれもが闇に沈んでいる。
「『白亜宮』とはよく言ったモンだ。陽が入れば、さぞかし美しいだろうに…。」
広間の中心に立ち、周りを見回して溜息を吐くと、トールは、両足を踏ん張り、大きく息を吸った。
「今、お陽様を呼び戻してやるからな。」
始めは、野太く低い『オォ』という声、それはみるみる内に、大きく高い『アァ』という声に変わり、やがて、耳を突ん裂く高さと大きさになり、最後には、空気の猛烈な震動だけになった。
それとともに、王宮の壁は振るえ、窓ガラスや陶器の類が悲鳴を上げ、粉々に砕け散った。
彼が声を止め、大きく息を吸った時には、広間から回廊の奥まで、午後の陽光が溢れ、白亜宮はその名の通りの真っ白な壁面を取り戻していた。
「…。」
しばし、呆けたように立ち尽くしていたダンは、我に返ると、
「こ、これは…。『あれ』はいったい何んなんだ?!」
背後にいたヴァッフが何事か応えたが、何も聞こえないことで、ようやく耳栓を詰めていたのを思い出し、それを取り出しながら、再び訊ねた。
「あれは何んだ?まだ、頭の奥がガンガン鳴ってる…。」
「ご覧の通り、『声』です。」
ヴァッフが素っ気なく応える。
「おい!!そんなことは分かっている。ただの声で、結界やガラスは粉砕出来ないだろうが!」
「特殊な…、とてつもない大声です。その震動でガラスや陶器が砕け、結界も壊れたのです。普通のヒトは、ただ耳を傷めるだけですが、魔導師や幻術師など、いわゆる魔道魔術を扱う者は。近くで直撃を食らったら、ただでは済みません。下手をすると命に関わります。」
「それで、か…。」
ダンは、掌の中の耳栓を見つめた。
『雷声』。巨大な圧力と一般のヒトの耳では聴き取れない、特殊な振動に達する大音声。古来から、その存在は知られており、能力は完全に生来性である。
歴史上の大英雄『大王』ダイン・ブルウが、これをよく操ったと伝えられている。
「さ、行くぜ。」
全身に降り注いだ塵を払ったトールが振り返る。
「あ、あぁ。」
ヴァッフに促され、ダンは歩き出し、一行は白亜宮へと入って行った。
15.黒騎士の最期
「何んだ!何が起こった?」
玉座の横の椅子から身を乗り出すように、ゴドーが大声を上げた。
「わかりません。先ほど、大音響と、とてつもない震動が起こり、王宮正面から東西回廊のガラスが粉砕され、結界南側のおおよそ半分が消滅しました。」
グルが報告する。
「敵か?」
「それもまだ判りません。しかし、ダン王子以下少数の別働隊が王宮内に侵入した模様です。」
「ならば迎撃せよ。」
「それが…。」
グルがめずらしく口ごもる。
「何か?」
「先ほどの震動で、術操下の兵士の大半が次々に倒れて動かなくなり、こちらの制御を受け付けなくなりました。」
遅れて現れたバドが報告する。
「どういう事か?」
「わかりません。いずれにしろ、城内に残る我が方の兵は、国王派の一般兵のみになったということです。」
「外の者達は?呼び戻せ。」
「それが…。」
バドもまた口ごもる。
「どうした?」
ゴドーが苛立たしげに問う。
「王宮正門近くで、民兵及び反乱軍と依然交戦中。すでに半数近くが戦闘不能とのことです。」
「いったい、何がどうなっている?この国の兵隊どもはそれほどに使い物にならんのか?!そもそも、さっきの『あれ』は何んだ?魔道幻術の類か?」
「お言葉ですが、我が方の兵が弱いのではなく、反乱軍と民兵が精強のようです。」
グルは続ける。
「また、先ほどの『あれ』ですが、猊下もお気付きのように、我々の誰一人、魔導の気配を感知出来ておりません。」
「魔道ではないと?では行者異能者の類か?」
「わかりません。ただ、いずれにしろ、我々の、結界内故の優位は失われたと思われます。」
「ムゥ…。」
「かくなる上は、我等黒騎士三名にて敵を殲滅致します。」
グルは、そこで居住まいを正した。
「つきましては、猊下にお暇を頂きとうございます。」
彼は兜を取り、顔を上げた。そこには、青白い細面の顔があった。騎士や軍人とはかけ離れた、学者や文人に見られる顔である。
「なにを…!そうか…、『そういうこと』か…。」
ゴドーの声になにがしかの感情が含まれた。
「これまで、よく我に尽くしてくれた。…大儀であった。」
「猊下、いえ、お師匠様もお達者で。メディア様ともども、お二人は我等がお守り致します。」
回廊の向こうから、戦闘の音が迫ってきていた。
「では!」
兜を被り直すと、グルは大剣を取り、駆け出して行った。
回廊では戦闘が続いていた。
ゴドーの術により操られていたと思しき者達は戦意を失い、呆然と立ち尽くしていた。一方、自発的に現国王派についた者達は、形勢の逆転とともに己の立場の不利を悟り、死に物狂いで応戦していた。
それらを二名の黒騎士が、時に指揮し、時に前面に出て戦い続けていた。玉座の間の入り口が見え始める辺りで、反乱軍の前進は阻まれていた。
「さすがに旗本隊、近衛隊となると手強いネェ。」
手槍の兵を二人続けて斬り伏せながら、トールがぼやく。
「その上、『なるべく殺すな!』と命じてくれたヒトがいるからな。」
同様に一人を倒したヴァッフが応える。
「あともう少しなんだけどなぁ…。」
戦塵の中、午後の陽光で回廊の奥をトールが透かし見ていると、一人の黒騎士が、真っ直ぐに進んで来るのが見えた。
「ブル!バド!ここへ来い!!」
長身な彼等の中でもひときわ大柄な男の声に応じて、二人の黒騎士が左右から駆け寄る。
男は、彼等の甲冑の頚元に短剣を差し入れると、何かを断ち切った。同じように、自らの兜と甲冑の胸当てを脱ぎ捨てると、頚に掛けた護符を掴んで引きちぎった。左右の二人も兜と胸当てを脱ぎ捨てる。彼等の動きが一瞬止まる。
「オォオォー!」
「ガァーアァー!」
三人は、悲鳴に近い雄叫びを上げ、苦しげに胸元や喉元掻きむしる。
「なんだ?」
トールは目顔でヴァッフに問う。
「そういうことか…。無茶な…、いや、惨いことを…。」
彼の様子を見つめていたヴァッフが振り返る。
「奴等は騎士でも、いや、兵士でさえない。」
「はぁ?」
「ただの魔導師。たぶん、強力な術と薬の力で身体能力と魔道の力を強化していたんだ。」
「じゃ、あれは何んだ?」
「おそらく、薬が脳を冒せば、理性は吹き飛び、後戻り出来なくなる。肉体が滅ぶまで戦い続ける…。あの護符は、その最後の留め具。」
「んじゃ、あれか?ここへ来て、狂戦士が三匹出て来たってことか?」
「…。」
ヴァッフが黙ってうなずく。
三人は、自軍の兵士さえもなぎ倒しながら突進を始めた。
「トール、ここは我々で何とかする。お前は玉座の間へ。ソフリナ姫を助けに行け!」
「お前等だけで三人は無理だろ。死ぬぞ。」
「だったら、一人くらい引き付けて連れて行けよ。」
突貫したバドの剣を受け流しながら、冷静にヴァッフが言う。
「仕方がネェなぁ。」
と、玉座の間に向かって駆け出したトールの目の前に、長身のグルが立ち塞がった。
「やっぱ、そうなるワな。」
重心を下げ、一気に間合いを詰めに踏み込んだトールを、横なぎの大剣がすさまじい勢いで襲った。刀身を盾にしてそれを辛うじて受け止めた彼の身体は右側の壁に叩きつけられた。
「ガッ!」
何んとか立ち上がった処に今度は上からの斬撃。横に飛ぶと、前から連続の突きが繰り出される。
「こりゃ、一つでももらったら、確実に死ぬな。」
何んとか回り込み、体勢を立て直した彼に、大小無数の瓦礫と調度の欠片が襲いかかる。
「おいおい、魔道も使えんのかよ。」
剣で切り払う中から大柄な体躯が一気に迫り、上段から斬りつける。それを受け止めたトールをグルは後方に弾き飛ばした。
ヴァッフは、廊下の中央でバドと向き合っていた。既に何度か相手の力任せの斬撃をかわし、大きく間合いを取った。
背後では、ブルの怒号と、ダンに指揮された兵の声と、切り結ぶ金属音が聞こえる。ダンには、とにかく接近せず、多人数の槍で攪乱するように指示を出してある。
目の前のバドの呼吸は荒い。他の黒騎士同様、隆々とした体躯と不釣り合いな青白い顔が、肩で息をしながら、時折苦痛に歪んだ。
「相当無理をしていますね。本当はもう、その身体で立っているのも苦しく、節々が痛むのでしょう?」
「ウルサイ!我等は…、守らねば…ならんのだ!!」
「何を?」
「うるさい!ウルサい!!ウルサイ!!!」
バドが大剣を振り下ろす。それをかわして再び間合いを空ける。
「魔道魔術は万能じゃない。どれほど複雑な術であろうと、どれほど強力な薬であろうと、その受け皿になる肉体が伴わなければ、限界は知れている。」
ヴァッフは軽く腰を落とし、右手の細身剣を引き付ける。
「だが、たとえ魔導師であろうと、鍛錬は決して裏切らない。」
バドを見据え、大きく息を吸い込む。
「それを教えてあげましょう。」
『それ』は一瞬の出来事だった。
彼が半歩踏み出した後、ブシュッという湿った音。そして、彼は、バドの背後に同じ姿勢でいた。切っ先からはわずかに血が滴っている。
「なっ!」
振り返ろうとしたバドは、それが出来なかった。身体を捻ろうとした姿勢のまま、上半身が右側に折れ曲がり、そのままベチャリと落ちた。そこには、彼の血と臓物が折り重なって溜まっていた。
後に、『無音の神速』と賞される、ヴァッフの剣である。
剣を収めたヴァッフが振り返ると、そこでも死闘が繰り広げられていた。
何本もの槍が、肩・背・腹に突き立てられながらも、ブルはなおも大剣を振り続ける。ダンも他の騎士達も、それ以上近づけない。
「ありがとうございます。ここはもう結構ですから、あなた方は玉座の間へ。」
ヴァッフがダンに歩み寄る。
「しかし…。…!一人、倒したのか…。」
ダンは、ヴァッフの背後に目をやり、息を飲む。
「大丈夫ですから。早く先へ。」
「わかった。頼んだぞ。」
そう言い残し、彼等は玉座の間に向かった。
「あなたはダメです。」
追すがろうとするブルの前にヴァッフが立ち塞がる。
「そこを…、どけい!」
同じように肩で息をしながらブルが吼える。足下には大量の血が流れ出し、身体は始めより少し痩せたように見えた。
「血を流し過ぎましたね。もうじき、薬の効き目もなくなり、立っていることさえ出来なくなる。」
「ウルサイ!我等は…、守らねばならんのだ!!」
「また、『守る』…。『ここ』にあるのは奪ったものばかりでしょう。」
「ウルサいわぁ!」
斬りかかるバドの剣を左右にかわす。猛り狂ったブルは肩と腹に刺さった槍を引き抜き投げ捨てる。
「そこを、どけぇ!」
大上段から振り下ろされた大剣がヴァッフの足下の床を割った。その刀身に足をかけ、彼はフワリ前方に飛んだ。ブルはそれを目で追いながら顔を上げる。空中でヴァッフが身体を捻る。ゴッという少し湿った、硬い物がぶつかり合う音ともに彼が着地する。
ブルの目はそれを追わない。ヴァッフの着地と同時に、彼の首は床の上にボトリと落ち、その足下に転がった。上を向いた彼の目は虚しく王宮の天井を見上げていた。
トールが弾き飛ばされた先には玉座の間があった。彼は、磨き上げられた大理石の床を滑り、美しいタイルで飾られた柱に激突した。
「トール!」
駆け寄ろうとするソフリナを、メディアが剣で制する。彼は、その様子を横目で見ながら立ち上がると、ニヤリと笑った。
「どうやら、まだ無事だったようだな。今、助けてやるから、もう少しそこで待ってな…!」
言い終わらぬうちに、グルの大剣が打ち下ろされる。何度目かの強烈な斬撃を、刀身で受け止めたトールの剣が真っ二つに折れた。
「あぁ…!」
玉座の脇で、メディアに半ば抱えられるように立ち尽くしたソフリナが両手で顔を覆う。
「これで…、終わりだぁー!」
ひときわ大きく大剣を振りかぶり、グルがとどめの一撃を振り下ろす。
ギンッ!と乾いた金属音が広間に響いた。
「なっ!」
グルの刃は、トールの額の直上で止まっていた。二本の小刀が、刀背で挟み込むように受け止めていた。
「『本当の戦屋』ってのはなぁ…、剣の他に、奥の手の一つや二つ持ってるモノなんだよ!」
キリキリという、耳障りな金属音の後、ひときわ大きく低い音を立てて、グルの大剣が真っ二つに砕け散った。
支えを失い、前のめりに体勢を崩したグルの左の頚元に、トールの小刀が一閃、真紅の血潮が吹き上がる。反射的に両手で傷口を塞ごうとするが、出血は止まらない。
信じられぬものを見るようにトールの顔を見上げながら、グルががっくりと両膝をつく。そうして、ゆっくりと顔を巡らせ、壇上のゴドーを見つめ、
「お師匠様…、申し訳…ありま…せ…。」
その姿勢のまま、絶命した。
「グル…。おのれぇ!」
ゴドーは立ち上がり、壇上からトールに両腕を伸ばし、拳を握りしめた。トールは、何かを感じたように首を振るだけであった。ゴドーが何かを投げつける仕草をする。青い燐光が彼をめがけて迸る。が、手前で消えてしまう。
「きさまぁ!!」
ゴドーは、フードの奥の両眼を真紅に光らせ、トールを見据える。何事もなかったように、彼は玉座に半歩踏み出す。
「き、貴様は…、いったい…。」
「前にも『見て』いただろう。俺が、黒騎士達の操術を一切受け付けないのを。」
トールは、更に半歩踏み出す。
「俺には、魔道でも、結界でも、行者の異能でも、およそヒトの意識に働きかける、あらゆる術の類が効かないんだよ。『魔術不感性』というらしい。」
両手に小刀を握り、更に迫るトールとゴドーの間にメディアが割って入る。
「傭兵、武器を捨てよ。さもなくば…。」
ソフリナの頚にメディアの剣が押し付けられる。
それを意に介する様子もなく、小刀をゆっくりと構えて、なおもトールが迫る。
「殺れよ。姫様も兄王も、結局、俺らにとっちゃ赤の他人だ。後払い分の報酬をもらい損ねるだけのことだ。だが、もし、お前等がここで、そこの二人を殺せば、ダンやラーナの連中は絶対に許さない。必ず、お前等を殺すだろう。」
「くっ…。」
ソフリナを抱えたまま、メディアが後ずさる。
「メディア、もう良い。」
ゴドーの乾いた声が響いた。
「父上!」
「もう、終わりなのだ!」
そこへ、ヴァッフと、ダンの一隊が駆け込んで来た。
「トール!黒騎士は死んだ。ソフィーは、兄上は無事か?!…!」
眼前の状況を即座に理解し、彼等はゴドーとメディアを取り囲んだ。その一人にメディアが切りかかり、槍の穂先を飛ばし、返す刃で兵士の胸元を切り裂いた。
「メディア!もう、『止め』よ!!」
ゴドーの声に、彼女はビクリと引き吊ると、糸の切れた人形のように、ヘナヘナとその場に座り込み、ガクリとうなだれた。
16.懺悔
突然、眼前の戦いのことなど意に介さぬように虚空を見つめていた王の眼がカッと見開かれ、これまでとは全く違った光を放った。
彼は、ゆらりと立ち上がると周囲を見回し、ダンとソフリナをみとめるとその茫漠とした表情をぎこちなく動かし、一瞬驚いたような様子を見せた。
「ダン…、ソフリナ…?」
「兄上!」
二人は同時に叫んだ。
「お前達は…、なぜここに…、いる…。」
「陛下!」
ゴドーが歩み寄り、その肩を抱える。
「ダン殿下は謀反を起こされたのです。今や、我々は叛徒に囲まれております。」
「陛下…?わたしが…?」
コーナミルズは再び周囲を見回し、次に、己の出で立ちを見、振り返って、今まで己が座っていた場所を見た。
それは紛れもなく、王の間と玉座であった。
「何故、わたしはここに…。あ…、ああぁ…!!!」
王は、自らの頭を抱えて叫んだ。
「わたしは…、わたしは…。父を!母をぉ!!」
「そうだ。わたしは死なねばならない。親殺しは大罪だ…。」
彼は、胸元をまさぐる。『それ』は、厚い王衣の下、彼の左胸にあった。
「そうだ。わたしは死ぬのだ!なのに…、なぜ…?」
触れた肌の違和感に気付き、抜き出した両手を高く差し上げる。滑り落ちめくれた王衣の袖から現れたのは、乾き、黒ずみ、肉も半ば崩れ落ち、骨と腱のみを残した骸の両腕であった。
「なんだ!これはあぁー!!」
彼は絶叫した。
「それが、『今の』あなたです。」
ゴドーは半ば悟ったように静かに話し始めた。
「我等は、命を受けて、北方、スケルナの一国シュベンより、この地にやって来ました。国王あるいは王族のどなたかの側に仕え、少しずつ、この国を我等スケルナンに好意的な国に作り替えることが目的でした。」
「しかし、国王、王妃様を始め、王族の皆様は、我等を警戒し、不必要な接近は許しませんでした。コーナミルズ・マイクロス、あなた様を除いて。」
ゴドーは、王の両腕を下ろすと、再び王衣で包んだ。
「はじめ、我等には解せませんでした。王族達が疎んじる我等を、あなた様が何故側に置こうとするのか。」
「ゴドー、お前は、わたしの話を聞いてくれた…。」
「あなた様は苦しんでおられた。古き国の古き王族に生まれたこと、やがてはその王にならねばならぬこと、そして、ご自身が、驚くほどに凡庸であることに。」
「さらには、ご自身の人柄、社交よりも独りを好み、政の書類よりも詩歌の書を読み耽ることを何よりの楽しみとする自分。周りを見れば、天真爛漫で、誰からも愛されている少年王子がいる。」
「人々が、重臣達が、次の王は、あなたより弟君の方が相応しいと囁き合っていることも知っていた。それでも、父王は、そんなあなたを知った上で、長子であるあなたを後継者にしているのだと信じ、その運命を受け入れ、身を尽くそうと決意されていた。」
「だが、ある日、あなたは聞いてしまった。父王が王妃である母君に、あなたではなく、弟を、あるいは妹に婿をとり、後継者にした方が良いのではないかと相談しているのを。」
「わ・た・しは…、わたしは分からなくなった。わたしは何者なのか…?そうだ。父は…、母もわたしを偽り、求めに沿わなければ捨て去るつもりなのだ…。それだけは分かった!」
王の呻くような声が続ける。
「そうして、『あの日』、わたしは両親に呼び出された。『ああ、廃嫡されるのだ。』と思い、奥の間に入った。その瞬間、わたしを見る彼等の咎めるような視線が、わたしの心に突き刺さった。…、後のことは…、もう分からない。」
王は、軋むように瞼を閉じた。
「父王陛下の監視に付けていた黒騎士から凶行を聞き、駆け付けた時には、血溜まりの中に立ち尽くし、血糊で滑った剣を取り落としたコーナミルズ様が居られた。」
ゴドーは続ける。
「私をみとめると、『わたしは死なねばならない!親殺しは大罪だ!!』と叫び、腰の短剣を自らの胸に突き刺された…。」
再び両眼を見開き、王が叫ぶように語り始める。
「焼け付くような痛みと、柄から伝わる鼓動、それに合わせて迸る真っ赤な血を見て、我に返ったわたしは、何も考えられず、恐ろしくて、ただただ叫んだ。『助けて!死にたくない!!』わたしは縋った。神でも、父でも、母でもなく、目の前に立つ魔導師に。」
「胸の傷は致命的であった。治癒の術も間に合わぬ。私は、殿下の心臓の鼓動を止め、同時に、命の時間を止めた。肉体が朽ちていくのは止められないが、こうすることで、この場での死は避けられる。」
「こうして、殿下は国王陛下となり、我等が、その後見として政務を執った。止められた時間によって、陛下がヒトとして目覚めていられる時間はわずかとなったが、そうすることで、死への怖れも親殺しの葛藤も退けられた。我等は、当初の任務を進めることが出来た。陛下と我等の利害は一致したのだ。」
「わたしは…、わたしを侮り貶めた者達を、或る者は放逐し、或る者は獄に繋ぎ、或る者は亡き者にした。わたしは王となり、運命に従い、王としての勤めを果たしたのだ。」
「陛下の肉体が朽ちるのは時間の問題であった。そのため、我等は、ダン王子とソフリナ王女も手中に収める必要があった…。後のことは、おぬしや王子が知っての通りだ。」
ゴドーは、大きく息を吐くと、魔導師のフードを上げ、素顔を晒した。その顔は意外なほど若く、蒼白くはあったが、黒魔道の徒というよりは、市井の何処にでも居る初老の男性であった。
彼は、後ろから、コーナミルズを抱きしめると、その耳元で言った。
「陛下、もう、『おしまい』にしましょう。時はいつまでも止めておくことは出来ません。」
そうして、王の胸元に手を伸ばし、深々と刺さった短剣を、ゆっくりと引き抜いた。
「クゥ…ォォォオオおおぉぉぉ!」
何かの戒めを解かれたように、コーナミルズは絶叫した。胸の傷からは、始めに黒い何ものかがドロリと流れ出し、その後から、始めはゆっくりと、やがて凄まじい勢いで、真っ赤な血潮が吹き出し、それが終わると、王は、土塊が崩れるように、ゴドーの足下の血溜まりにドサリと落ちた。
それを、一同は、ただ見詰めるしかなかった。
「傭兵、おぬしに頼みがある…。」
しばし後、大きく息を吐いたゴドーが振り返った。
「なんだ?」
「私のことはよい。弟子達も逝った…。残った…グッ!ボォ!!」
ゴドーは、最後まで話すことが出来なかった。彼の胸の真ん中から背中へ、大剣が貫かれていた。
「よくも!兄を…、父を…、母を…、我等の国を!!」
ダンは剣を引き抜く。それに引かれるように、ゴドーは、自身の血溜まりの中へゆっくりと倒れていった。
「聞け!前王と王妃を謀殺し、更には、虜とした兄王を魔道を持って操り王位を簒奪した極悪なる魔導師は倒された。ラーナは、我等の手に取り戻された!!」
右手に剣を掲げ、ダンは高らかに宣言した。
「オォー!」
周囲の声が呼応する。
その様子をぼんやりと見ていたトールの頭に『声』が届く。
「傭兵よ…。私の末期の願いだ…。アレを…、娘を救ってやってくれ…。」
「『魔術不感性』といっても、『心話』『遠話』は、魔導師相手に使うと思うた…。時間がない。私の意識も、間もなく、消える…。」
「救うったって…。どうしろと?」
「メディアは、あれは、私の『本当の』娘ではない…。私が作ったかりそめの人格。本当の人格は、身体の中で眠っている…。『マギ』から隠すため、守るためには、こうするしかなかった…。」
「何を言っている。」
問いには応えず、心話は続ける。
「『メディアの人格』は、私の死と共に失われる。人格を失った身体は、まさに抜け殻…。そのままでは、やがて鼓動を止め、『本当に死んで』しまう。その前に、真の人格を目覚めさせ、身体を取り戻させてほしい。」
「はぁ?!俺には魔道は使えない。出来るワケがないだろう。」
「本来なら、術を構築した私にしか、封じ込めた人格を解放することは出来ない。だが、魔道を受け付けず、心話を使えるおぬしなら障壁を越え、あれを救い出せるはずだ…。」
「どうしろ、と?」
「娘の手を取り、耳元で名を、あれの本当の名を呼び続けてくれ。『本当の名』それが『鍵』になっている。」
「わかった。だが、取り戻したところで、娘も罪は免れんぞ。」
「そこから先は運命の神に委ねるしかあるまい…。だが、親として、このまま無に帰してしまうのは余りに忍びない…。」
その声は、徐々に小さく、不明瞭になっていった。
「わかった、わかったよ!それで、娘の、メディアの本当の名は?」
「私の娘…、娘の名は…。」
声は、更に小さくなっていく。
「聞こえない、もう一度!」
「娘の…、名は…。」
ほとんど絶えてしまうほど小さくなったその名を聞き取ったトールが顔を上げた時、周囲では相変わらず歓声が響き、ほとんど時間が経っていないようであった。
トールは、ゴドーの脇に倒れているメディアに駆け寄り、ソフリナを押し退けるように、その身体を抱き上げた。
握った手は冷たく、硬く両眼を閉じたその顔は、人形のように生気がなかった。
彼は、彼女の頭を抱きしめ、髪を掻き上げるとその白い耳朶に向かって名を呼んだ。
彼女の、本当の名を。
17. 旅立ち
「本当に行ってしまうのか?」
旅装を整え、荷物を馬にくくりつけているトールにダンが声をかけた。
あれから、まだ三日と経ってはいない。シェルの街も白亜宮も、騒乱の片付けに追われ、どこもかしこも慌ただしく動き回っていた。
「仕事は終わったからな。あとは、後金をもらって立ち去るのが、俺等の稼業。」
「でも、本当にこれだけでよいのですか?」
金袋を載せた盆を携えた従者と共に、ソフリナが歩み寄る。
「始めからの約束だろ。前金で銀貨一サグリブ、うまくいったら、後金でもう一サグリブ。」
「でも、あなた方は、この国を救った英雄なのですよ。」
「そうだ。本来なら恩賞、いや、このまま我が国の騎士になることだって出来る。」
トールは苦笑しながら首を振り、従者から金袋を受け取った。
「せめて、何か望みを言ってくれないか。そうでなければ、王としての私も、国としても面目が立たない。」
「そうですネェ…。」
トールはしばし考えると、
「では、『いのち』を一つ下さい。」
「いのち…、命だと?!」
「はい。地下牢に繋がれた娘の命を俺に下さい。」
ダンは、一瞬彼の言っていることが理解出来ないようであったが、すぐに、
「駄目だ!それは出来ない。」
「なぜです?」
「当然だ。あの娘はゴドー一味の最後の生き残りだ。許す訳にはいかない。」
「あの時も言ったが、彼女はもう『メディア』じゃない。黒騎士メディアは、ゴドーと共に死んだ。」
「だが、あの娘の手が犯した罪は消えない。」
「だから、それも含めて、俺にくれと言っているんだよ。」
ダンの顔は不機嫌に曇った。
「助けてどうする、連れて行って側女にでもするのか?」
彼は意地悪く言った。それを意に介する様子もなく、
「そうだなぁ…、ソフリナ姫。」
「はい。」
「この金で、旅装一式と最低限の武具、馬と食料を揃えてやってもらえないか。」
今受け取ったばかりの金袋を従者に返しながらトールは言った。
「その上で、何処へなり、好きな処へ行けと、追っ払ってくれ。」
「なっ!」
ダンは言葉を失う。
「あの時、最期にゴドーに頼まれたんだよ、娘を頼むって。たとえ敵でも、ヒトの末期の願いは聞き届けてやるモノだろ。」
「そうですね…。わかりました。これは、わたくしが責任を持って承ります。」
ソフリナは、金袋を両手で抱えると、きっぱりと言った。
「ゴドーと七人の黒騎士は、ダン王とその兵によって倒された。護衛を務めた二人の傭兵は、契約を果たし、この地を去った…。ということですネ。兄上も、それでいかが?」
「う、うん。」
ダンは、まだ納得出来ていないようであった。
そうして、トールとヴァッフはシェルを出て、南へと旅立って行った。
その翌日、ソフリナから与えられた旅装に身を包んだ娘は、独りシェルを放逐された。
「あの者は、どちらに向かった。北か、南か?」
「南へ向かったようです。」
ダンの問いにミズンが答える。
「そうか…。では、すぐに追っ手を差し向け自由開拓地に出たところで捕らえよ。」
「ですが、それでは約束が…。」
「私は、あの娘をすぐには処刑せず、追放する約束をしただけだ。その後のことは何も言っていない。我が国への大罪は、やはり見逃す訳には行かない!」
「兄上!」
「ソフリナ、お前は黙っていろ。これは、王としての責務だ。」
彼は断固として言った。
「わかりました。もう、わたくしは何も申しません。ただ、一つだけ。」
ソフリナは兄の目を真っ直ぐに見つめた。
「もし、あの時、捕らえられたわたくしが、メディアのように、ゴドーに操られ、兄上に刃を向けていたら、同じように罪に問われていた、ということですね。その一方で、自らの意志で両親を殺めたコーナミルズ兄様のことは不問のままとし、すべてをゴドー達の罪、その征討はすべてわたくし達の功となさるのですね。」
「それは…。」
「トールとヴァッフは、黒騎士のすべてを倒し、シェルと王宮を解放しました。その功を、可愛そうな娘一人の命と引き替えにしたのです。誇り高きマイクロス家の王として、その約束は守るべきではありませんか?」
「……、そうだな。ミズン、娘のことはもう良い、捨て置け。我々には、しなければならないことが山のようにあるのだ。」
「ハッ。かしこまりました!」
退き下がるミズンの足取りは、幾分軽やかであった。
ソフリナは、自室に戻る長い廊下を歩きながら、窓越しに空を見上げる。
あの日、砕け散った飾りガラスは修復され、正午を過ぎた陽光が、いくつもの色をまといながら差し込んでくる。
陽射しの向こう、南の空の下、旅する二人の傭兵を思い、彼女に口元にふと微笑みがこぼれた。
<<第一話 完>>