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次々とあちこちから湧き出す「黒影」をなんとか躱し、必要最低限の攻撃のみに留めてロランは逃げていく。
(あまりに数が多すぎてキリがない。)
ロランは木の枝に引っかかった後、服に忍ばせていた魔力を練り込んだ丸薬を摂取し、体の傷を癒すとともに、半分程度まで魔力を回復していた。
この丸薬は非常に高価なもので、一般的に貴族階級の者であれば、「万が一」の場合を考えて所持していることが普通である。
(アデル、リューはどこにいるんだ)
既に日は上り、太陽の傾きから、今は昼下がりというところであろうか。
当初、木の影に隠れて時間の経過を待とうとしていたが、日の昇る頃に「黒影」に見つかってしまった。
丸薬のおかげでどうにか逃げることができているが、しかし、せっかく回復した魔力もこのままではどうにも持たない。
ロランははぐれた二人を探索しようとしたが、次から次へと「黒影」が襲ってくるので、逃げることで精一杯である。
「全く鬱陶しい!!」
イライラしながら、ロランは風の魔法で蹴散らしているが、魔力の消耗を考えると攻撃も必要最小限に留めなければならない。
ロランは自分の足元に群がる黒影を破壊するため、攻撃を繰り出そうと、風魔法詠唱を始めた。
しかし、急に、ロランの周りにいた黒影はざあっと姿を消した。
「・・・?」
ロランは何が起こったのか、周囲を見渡す。
次の瞬間、何か大きくて「黒いもの」がロランに向かってくるのがわかった。
反射的にロランは身をよじってかわす。
「・・・!!一体、なんだ!!」
ロランは自分の目が信じられなかった。
(あれは、黒い鬼?)
ロランの背丈の2倍はあろうかという、全身真っ黒な黒鬼がぬうっと立ち上がり、ロランを見つめるとニヤァと笑う。
ロランのこめかみから冷や汗が湧き出て、頬を伝う。
(これは魔獣?いや、魔獣ではない。あくまでも「黒影」は「傀儡霊」であり、意思を持たない魔力の塊だ。)
黒鬼は右手を上げると、その右手が大きな斧のようなものに変換した。
そしてロランに向かって、その大きさからは考えられないほど身軽に飛び上がると、
ロラン目がけて、斧を振り下ろす。
必死に斧を躱すロラン。
しかし、黒鬼のスピードは非常に早い。
ロランは魔法を繰り出すこともできず、交わすのが精一杯だ。
(このままでは、やられてしまう!!)
ロランは詠唱なしで繰り出せる魔法を繰り出すが、そのような初歩魔法は、予想通り、黒鬼には効果がないようだ。
(なんて俊敏な!この大きな図体からは想像できない)
黒鬼の素早い攻撃はロランから体力を奪い、そして疲労ゆえに逃げる速度も徐々に落ちてくる。
(クソっ!何とかしないと!しかし全くこの攻撃を止める方法がわからない)
ロランは必死に考える。
しかし、ついに、大きな斧で攻撃を受けてしまう。
ほんの紙一重で致命傷は躱すことができたが、斧が当たった腹部に傷を負い、背後にあった大樹の根元に叩きつけられてしまう。
「グッ・・・。」
ロランは再び満身創痍になりながら、なんとか立ち上がろうとするが、傷が思った以上に深く、再び膝をついてしまう。
黒鬼はニヤニヤしながら、ロランに一歩一歩と近づいてくる。
ロランは絶体絶命の危機を感じた。
ルカ先生は軽い口調で「鬼ごっこ」と言っていたので、まさか死ぬことはないとタカをくくっていたが、自らの腹部から流れる血の匂いは、まごうことなく「死」が迫ってきていることをロランに実感させた。
(兄さん・・・。)
ロランは兄を思った。
黒鬼はまるで獲物をなぶる肉食獣のように、軽快な足取りで迫ってくる。
(僕がもっと強ければ・・・。)
朦朧たする意識の中、ロランは恐怖と悔しさの狭間で悶えながら、渇望した。
(強くなりたい。もっと強く。このままじゃ自分さえも守れない。)
ロランは黒鬼を睨みつける。
(この黒鬼は、一体、何なんだ?このまま僕は死ぬのか。こんな惨めな死を迎えるなんて。)
グルグルグルと、黒鬼は猫のように喉を鳴らして、斧をあげる。
(女神様、僕に力をください。どうか、僕に、力を。)
ロランは祈った。
この絶体絶命の状況で、もう今の自分にはひたすらに「祈ること」しか残されていない。
全ての、あらゆる感情を排して、ただ、純粋に、一途に祈りを捧げた。
ロランの目には、黒鬼の降り出す斧が、まるでスローモーションのように映る。
全ての音は消え、次の瞬間、ロランの全感覚は黒鬼の額に突如として浮かび上がった、謎の文様に注がれた。
ロランはもはや痛みも苦痛も感じなかった。
ただ、本能的に唱えた。
「風牙の一、破魔矢!!!」
ロランが唱えると、目にも止まらぬ速さで、風の刃が黒鬼の額の文様を貫く。
「グギャギャギャ!!!!」
黒鬼は魔獣のような断末魔を叫ぶとそのまま煙のように消えていった。
ロランは自分の両手を見つめると、しばし放心状態となる。
「一体・・・これは・・・?」
ロランはそのままその場に突っ伏した。
ふわりと花びらのように何かが舞い降り、ロランの体を柔らかい光が包む。
意識を手放しながら、ロランは嬉しそうに笑う、ルカの声を聞いた気がした。




