「ご趣味は?」と聞かれたので正直に答えたら御破談になってしまいました。
お酒が飲めない人に強要してはいけませんし、お酒が飲めないことを口実に評価の優劣をつけてはいけません。
縁談の場にTシャツジーパンで来る女性は初めてだ。
一部上場企業に勤める大島昌隆は、幽霊でも見るかのように、相手を見つめた。
「いずれ、普段使いが知れます故、初めからこの様な成りで顔合わせとさせて頂きました。さぞ驚かれたと思われましょうが、どうぞありのまま故……」
女がそっと頭を下げた。
両家の親不在の本人達だけのお見合いは、いきなり昌隆の出方次第と相成り、どうしたものかと思案にふけった。
しかし、どことなく清潔感が覗え、話せば何かしら出そうな気配がした昌隆は、そのまま背筋を伸ばし身構えた。
「構いません。こちらとしても堅苦しい挨拶は何とも……」
「そう言って頂けるとありがたいです」
ししおどしの音が鳴った。
庭園を見るも水の気配は無い。どうやら音だけが近くで鳴っているようだ。
「……えーっと…………」
一流サラリーマンと言えども、流石にお見合いは不得手のようで、昌隆は見事に言葉を詰まらせた。
これがプレゼンの場だとしたら、既に勝敗は決しているであろう。
「ご、ご趣味は……?」
昌隆は諦めたように言葉を濁した。
女は、しばし昌隆を見つめ、そして口を開いた。
「お酒を少々……」
昌隆の顔に花が咲いた。
自分の知らない現代アーティストの名前やYouTuberの話になったらどうしようかと冷や汗をかきそうになっていた昌隆は、共通性のある酒の話題が出て思わず笑った。
「わ、私もお酒は嗜む程度には! 普段は何を飲まれるのですか?」
昌隆は先日訪れたバーのメニュー表を必死に頭の中で思い出そうとした。
「霧島の白を二升ほど♪」
……升?
昌隆は数学で習った覚えの無い謎の単位に、一瞬素の顔に戻ってしまった。
「あ、あの……升と申しますと……?」
「1.8が二つです」
薩摩の武人か何かですか?
昌隆は口をもごもごとさせて疑問符を浮かべた。
「兄はもっと飲みます」
昌隆は『チェストォォ!!』と叫びながら焼酎を浴びるように飲む武人を想像した。
「昌隆さんは何を?」
昌隆は悩んだ。
言うべきか否か。
しかしここで何も言わないのはどうかと思った昌隆は、意を決して口を開いた。
「ビ、ビールを……」
「どれほど?」
女の目は実に輝いていた。
昌隆は猛禽類に睨まれた蛙のように、死を覚悟した。
「おちょこで……二杯」
女が凍ったかのように笑顔のまま動かない。
そもそも、ビールはおちょこで飲む物ではない。それは昌隆も重々承知している。が、飲めない物は飲めないのだ。
飲み会の場に連れて行かれても、昌隆はいつもハンドルキーパーを買って出て、ジュースを飲んでいる。
イマイチ冴えない同期に抜かされそうになっている要因の一つに飲み会での存在があることは、普段から昌隆の悩みの種の一つとなっていた。
「今度、親族を交えて交流会でも如何ですか?」
「──えっ」
とんでもない方向へ話が流れ始めたと、昌隆は身構えた。
飲める奴等は飲めない人に対する配慮が出来てないと、昌隆はずっと苛立ちを抑えてきたが、よりによってココでこうなるとは思っても見なかった。
「……嫌、ですか?」
「いや、是非……」
昌隆は断れなかった。
しがないリーマンの辛いところだ。
これが普通のお見合いなら断っても良かったのだが、相手の女は専務の姪。断るわけにもいかなかったのだ。
「では、次の土曜日に♪」
「は、はぁ……」
深い意味も無く、女は笑った。飲めれば何でも良かったのだ!
こうして、昌隆は竜頭蛇尾、頭を悩ませる事となってしまった──
──そして土曜日、昌隆は両親と叔父を連れ、女の家である中村家へと赴いた。
「これはこれは、遠路遙々と御足労を運チャラかんちゃらで……」
出迎えに来た女性は女の母であろうが、既にその顔には酒気帯びの気配が見えた。
家の奥からは宴会さながらの賑わいが漏れており、ひかえめに考えても大島家にとっては地獄以外の何物でもなさそうだった。
「幸穂、将来の旦那様がお見えよ~?」
母親が冷やかし気味に来訪を伝えると、大部屋で酒盛りにふけっていた中村家の親族一同が沸いた。
盛大な拍手で迎えられた大島家は、その異様な光景に竦み上がり、縮こまり小さく会釈を返すのが精一杯だった。
「まあ、飲みなされ!」
女の隣に座らされ、父親とおぼしきタコより赤いオッサンに、枡を手渡された。
いきなり飲むのか? それもこれで……?
幼少の節分以来に見る枡。既に酒が進み空きビンが大量に転がっている部屋は、二人の将来を祝うように異様な熱気に包まれている。
「ほれ、やりなんし! ウチはこれを飲んでなんぼや!」
ビンを開け、枡に並々と注がれた焼酎。その香りで昌隆は既に吐きそうだった。
「……では」
昌隆は口を押さえながら、ポケットからある物を取り出した。
「オッ! 缶詰とはおつだねぇ!」
赤と黄色のツートンカラーの缶詰を缶切りで開け出す昌隆。中村家一同はそれを笑顔で見ていた。
「ああ、缶切りの音が良いねぇ!」
が、タコ色の顔は、それっきりだった。
「シュールストレミングだ!!!!」
誰ともなく、悲鳴に似た叫び声がした。
立ち所に広まる悪臭に、それまで上機嫌で酒盛りをしていた中村家一同の顔色が、次々に青ざめていく。
「うえぇ……!!」
「臭っっ!!」
「気持ち悪……!!」
何人かが口を押さえトイレへ駆け込む。トイレはあっという間に行列が出来てしまい、間に合わずに外で致す人も現れ始めた。
「そんなモン持ち込むなや!! 頭おかしいんか!?」
青ざめたタコ色のオッサンが、昌隆に吠えた。しかしすぐに気持ち悪くなり、口を押さえて大部屋から出て行った。
「……ウチはこれを食べてなんぼなんで、ね」
昌隆の言葉が、誰も居ない大部屋の奥まで染み渡った。
それ以降、昌隆はシュールストレミングの缶詰を持ち歩くようになった。
醗酵してパンパンに膨らんだ缶詰を見ると、いつ爆発するかのドキドキ感が何とも言えない高揚感を生んだ。
「ア、アノ……ゴシュミハ?」
「缶詰めを少々……」
昌隆はスウェーデン人の妻をめとった。
今では休みの前に、二人でシュールストレミングを食べるのが日課になっている。