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(前略)きゅうりの浅漬けに性的興奮を抱きます(中略)親友ですし。元男で(後略)

「……そうですか? 俺は余裕ですけどね」


 ――プライド。――恥。何もかもが俺の足を引っ張る。……これでいいのかもしれない。忘れかけていたが、俺がエルクロに慣れさえしてしまえば根本の問題はなくなる。


「ボクも余裕だがな。どれくらい余裕って、ギンロウの余裕より余裕だな」


 見ないようにと思うから意識するのでは? いっそ見てしまえばいい。視線を向けるとだらだらと蒸気と汗に体を濡らしながらエルクロが気丈に振る舞っていた。


「な、なんだ。……なんでそんな見る」


「……ッ」


 居心地の悪そうに顔を引くと、サッと身を縮めて体育座りで身体を隠す。――噴き出しかけた。


「どうした? 笑顔が引き攣っているぞ。もう外に出たくなっちゃったかぁ?」


挿絵(By みてみん)




「エルクロこそ、汗だくじゃないですか。…………汗だくじゃないですか」


 エルクロから汗が滲んでいる。大量に。俺にとっては脳の大半を支配する情報だった。感覚的には目の前にドラゴンがいると言われたときに近い。


「ボクは余裕だ。もっと暑いぐらいがいいな。ロウリュしてもいいか?」


「はは、その程度焼石に水ですよ。俺にはなんともありません……」


「貴様上手いことを言ったつもりか……? それ」


 文字通りだ。サウナストーンにMPポーションが注がれていく。薬液が音を立てて蒸発し、蒸し風呂の湿度、温度が急激に上昇していった。


「た、たりませんよエルクロ。もっと視界が見えなくなるぐらいじゃないと」


 エルクロをリタイアさせるために更にポーションを流していく。強がるために最上段に座ると、彼女も案の定乗ってきた。一番熱い席に自分から移動していく。


「……いい加減折れたらどうだ? もう二十分は経つぞ……」


 余裕がなさそうにエルクロは両腕で身体を支えながら俺を睨む。


「……照見五蘊皆空度一切苦厄、舎利子色不異空空不異色――……色即是空空即是色」


 ――俺は余裕ですよ。心の中でお経を唱えられるぐらい冷静です。


「ボクはそれになんと返答すればいいんだ?」


 何を唱えようとも拷問を受けようとも、目の前に彼女がいる限り事態が好転する気配はない。じわじわと体力と気力と自制心がすり減ってくる。


「……おーい。聞こえてるのか?」


 エルクロがだらけた眼差しを向けてくる。立ち上がり、向かい合うと俺の顔を覗き込んだ。強がって歯を噛み締めていても笑顔は引き攣っている。


「俺は……自分と戦っているんです。ここで――諦めることは」


「……仕方ないやつだな。キミは。…………はぁ、いいだろう。ボクの負けでいいさ。早く出よう。きっと最高にととのうぞ」


 ――耐えきった。……この試練を乗り越えたのか? ぼやけた視界で前を見据える。親友が手を差し伸べてくれていた。視界に容赦なく映る小さな双丘。


「はは……」


 今の俺にはもはや誤差だ。全てが終わったらもう一度酒を飲もう。そんなことを考えながら差し出された手を握り、


「よっこらせと」


 エルクロに担がれた。――エルクロに担がれた。理解し、状況を呑み込むのに倍の時間が持っていかれる。


 その間に密着して、触れ合う肌と肌。頬を撫でる黒い髪。――男同士でもこれはしなくないか?


 疑問よりも血の気が過ぎる刹那、逆に冷静になりかけた思考を得体のしれない感覚が打ち消す。嗅覚に触れる少女の匂い。


 ――ドクンと。血が打った。エルクロが不意に立ち止まり、無表情になってこちらに顔を向ける。


「ギ、ギンロウ……? お前っ、まさかボクに」


 ――隠せない。できることなど一つしかなかった。


「そうですが何か悪いですか? むしろこの状況で無反応ってそれはもう俺が女じゃなくて別のなにか、たとえばきゅうりの浅漬けに性的興奮を抱きますとかそういう次元じゃないと無理なのでは?」


 まくしたてる。喋れば喋るほど自分の誇りだとか、武士道精神(精神異常耐性スキル)だとかが剥がれ落ちていくのが理解できた。


「いや、俺だって押し殺そうとはしましたよ。親友ですし。元男ですし。だってそうじゃないと結局のところエルクロは元男ではみたいになるじゃないですか。けど無理です。はい」


 エルクロは元男。互いに戦地で背を預けた仲。今にしてみればむしろ、それが俺の得体のしれない最低な感情を刺激していた。


「だってサウナでずっと汗だくだし背中綺麗で。追放前は同じ部屋で平然と着換えてましたよね。半裸で徘徊して、自分は元男だから何も問題がないみたいな態度で。けど俺としてはこの世は肉食動物まみれだというのになんでこの子は平然としているんだろうって感じでしたよ」


 エルクロは…………ルクい。


 話せば話すほど確信が俺の醜態を正当化していく。


「いっそ俺が鮫にでもなって危機感を煽りたいぐらいでした。けどそんなことを考えた時点で俺はもう侍じゃないんですよ。狂戦士がお似合いじゃないですか。適正も極めて良好でしたよ。天職だと言われました。エルクロが悪いですよね」


 呼吸を挟まず早口で言いきって――急激に覚める思考。熱にうなされていた体に嘘みたいに力が入った。エルクロの背から慌てて離れる。エルクロと目が合う。引かれた確信があったのに。


 彼女はむしろ満たされるように口角を上げた。それからハッと、口元を押さえて。毅然とした表情が向かう。


「…………すまん。話の半分も頭に入らなかった」


「……(ダンジョンスラング)。忘れてください。水風呂と外気浴について語ったんです」


 お互いに、バレバレな嘘をついた。

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