理由あって今は見ての通り美少女になってしまってな
四章:胸は靄り、牙が疼き、視線は合わず、勃つものはなく
(――どうしたいかです。あなたは昔、男らしくなりたいとずっと口にしていましたから。その想いがあるなら戻る手段をさがすべきだと思います)
ギンロウはきっと、ボクのことを考えてそう答えてくれたのだろう。
なのに、ムカムカして、拗ねるみたいに一人で地下街に行くなんて言い切ってしまった。
なんでもこんな気分なのかもよくわからなくて、悶々としてくる。
くしゃくしゃと髪を掻いて見慣れない街並みを見渡した。
この街に引っ越して長いこと経ってるが、地下街に行く用事なんてなかったから目新しく感じた。
こんな気分じゃなければ少しは楽しめたのかもしれない……いやどうだろう。道は臭いし、ボクの外見が少女めいているせいか舐めれてる気がしてムカつくな。
ここは無秩序だった。
空は天井。足下はぎぃぎぃ軋む木製の橋だったり、煉瓦だったり。すぐ下は闇市だったり底の見えない暗闇だったり。
けど街並み自体は明るくて、どこかから魔力導線を拝借してるのか、街はむしろ爛々と照らされている方だった。
ダンジョンから発掘したアーティファクトや武具は本来、ギルドを通して国から購入しないといけないのだけど、それを無視して売り捌くマーケットやオークション会場なんかがある。
極東から取り寄せたらしい真偽不明な霊薬だとか、依存性のある果物だったりだとかも市場に平然と売られていて、人によっては垂涎ものだ。
ボクを治すことができるかもしれない呪術師は、そんな地下街にいるようだった。だからギンロウも心配していたんだろう。
ギルドも国も地下街に干渉しようとはしないから何かあっても助けは来ないし、地下街に住んでるやつには地上にいられない事情ってのがたいていあるものだから。
……けど、余計な心配だ。
ボクはもうチンピラにも悪ガキにも負けやしない。
ギンロウもわかってるはずなのに。
「……別に怒ることじゃないだろ」
自分自身にぼやいた。カツカツと、洒落た靴で苛立つみたいに足音を大きく響かせていく。
「お姉さんどうかしたん? 話聞こか?」
「え、君すっごい可愛いね。タイプかも」
「暇? よかったらお茶しない?」
背後から鬱陶しい声が響いた。
振り返るとチンピラが数人近づいてきて、ボクの手を先んじて掴んでくる。
しばき倒したろうかとも思ったが、なんだかそんな気分でもなかった。
下心しかなかったとしても、可愛いと言われるのは正直うれしかったし。
「ボクが可愛い? ほんとに? まぁお茶ぐらいならいいぞ」
振り返り尋ねると、好反応を示したのが意外だったのか、彼らは何故か少し目を見開いて、顔を赤らめた。
けどすぐに男の顔になって、過剰なまでにエスコートするようにボクを入り組んだ路地に案内していく。
地下街とはいえ、賭場やオークション会場もあるからか、清潔な店も普通にあるらしい。
……なんでボクは男に戻ろうっていうのに男のナンパにわざと引っかかってるんだろう。
正気に戻って少し後悔したころには彼等は各々自己紹介をして、やれ四層のモンスターを殺せるだとか自慢していた。……ボク達は九層まで行ってるが。
「それでエルクロちゃんはどうしてあんな怒ってたん? オレたち相談乗るよ?」
いつ名乗ったかはわからないがボクも名前ぐらいは教えていたらしい。いや、それよりも――。
「……ボクは怒ってるように見えたか?」
「まぁ相応に不機嫌そうかなって。よかったら話聞くよ?」
下心しかない様子だったが、吐き出してしまいたいことはあったので遠慮なく赤裸々にぶち撒けた。
「ボクは男だったんだが――」
「ぶふッ!! え、へーー……そ、それで?」
頭のおかしな人を吹っ掛けちゃったと思ってるのか、一瞬で信じてくれたのかは知らないが、彼等は急用を思い出したりはせずに相槌を打った。
「理由あって今は見ての通り美少女になってしまってな」
「……ええと、どうやって?」
そんな方法は知らん。知ってたらこの街はもっと美少女まみれだ。
「それで、男に戻るかこのままでいるか悩んでたんだ。ボクは男だったときから女々しくて、両親からは男らしくなれだとか怒られてて……居場所がなかったから。昔はそれで男らしくなりたかったんだけど――」
赤裸々にぶち撒けてしまおうと思ったのに。彼等なら適当に聞き流すだけだと思ったのに。思いのほか真剣な眼差しが突き刺さる。
正直な想いを吐露するのが恥ずかしくなって、顔が熱っぽくなって、沈黙が伸びていく。……恥ずかしさが増していく。
「……今は男らしさを目指さなくたって、ボクには居場所があるからな。その、正直な話、ボクにとって性別は大きな拘りじゃなくなってたんだ。なのに……」
(――どうしたいかです。あなたは昔、男らしくなりたいとずっと口にしていましたから。その想いがあるなら戻る手段をさがすべきだと思います)
ボクはただギンロウの隣に立てるような奴になりたかっただけだ。
男らしさだとか、女々しさだとか、ボクがそういうのが嫌いだってギンロウが一番分かってくれてると思ってたのに。
「なのに……、ギンロウのやつは昔のボクの発言を律義に覚えてて……男に戻るべきだって…………。そうじゃないのに」
こういうのをメンヘラだとか言うのだろうか。
ボクは自分がどんな自分でも認めてほしかったんだ。……多分。
男らしくなりたかったのもそれが理由の一つだった。あとは、純粋に憧れもあったけど。
ナンパ野郎達はナンパ文句も忘れてうーんと唸り思考してくれていた。そのうち、一人がボクに尋ねた。
「けど性別にもう拘りがないなら男に戻ったっていいんじゃねえの?」
――――気まずい沈黙が流れた。
ボクは言葉を飲み込めなくて、ようやく咀嚼しきったとき、なんだかとてつもなく赤っ恥を掻いた気がして開いた口が塞がらなくなった。
小さく息を呑んだ。牙が浮くみたいだ。
瞠った目はどこにも視線を合わせたくなくてグルグルしていく。
そうだ。その通りだ。ボクは男だって、女だってどっちでもいいはずだ。
ここにはボクを拒絶する両親も、悪ガキもいないんだから。
だからどうして……こんなに胸を痛める必要があるものか。
牙が疼いた。むかむかする。
「いやいや、エルクロちゃんは悪くないよ。これは彼氏さんが悪いわ。じゃ――」
「いや、ギンロウは彼氏じゃないぞ。ボクの親友であって恩人ではあるがね。別にボクが美少女になったからってほいほい恋人になるような軽い男じゃないし、ちょっと悪戯にその……少し自分でもえっちだなって思うことを仕掛けても動じないように頑張ってて。ボクと男女の仲になろうという選択肢を徹底的に排除してるんだ。そのうえ――――あれ、いなくなってる」
勘定は済ませてあった。