“男らしく”。そんな言葉だけを力強く、顔を歪めながら言っていた。
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ギルドでの手続きが完了してから数日が過ぎた。今日の昼頃にはギルドが招集できるなかで最高峰の呪術師が来てくれるらしい。
呪いは長続きさせるほど結びつきが弱まっていくという話も聞いたことがある。もしかしたらエルクロだけでも治せる可能性はあるだろう。
――そうなったら喜ぶべきだ。
喜ぶべきだというのに、どうしてもこんなに不安と焦りばかりが増していくのだろうか。なぜ心の整理をつけられそうにないのだろうか。
轟々と水音が体を打ち付けていく。
街から離れた霊峰の奥、秘境とも言うべき場所で、昔のように早朝から滝に打たれてみたが心が落ち着くことはなかった。
「フーーーー……」
朝の寒さに冷えきった水飛沫が全身を撫でていくなか、深く息を吐いて目を閉じた。瞼の裏で古い記憶が鮮明に蘇ってくる。
――――深く生い茂る竹林にひっそりと建てられたボロ小屋に案内したとき、エルクロは小動物みたいにきょろきょろしていた。
「ここで修行します」
幼い俺は恥ずかしいことに誇らしげにひけらかした。ぽかんとするエルクロの手を掴んで、自慢である師匠を見上げる。
「しゅぎょう……?」
「そう、修行です。さっき、どうやったら俺みたいになれるかって、聞いてましたよね?」
小さな頷き。真っ黒な髪が目元を隠していて、木漏れ日が差し込めるとこのあたりではあまり見ない真っ赤な瞳が垣間見えた。
「驚いたな。……吸血鬼だったのか。太陽が大丈夫なのかい?」
師匠が動揺していたのも覚えている。
僅かに上擦る声は、美しい宝石の原石を見つけたかのようだった。
「……うん、太陽神の祝福が一族にあるらしいから。その……それで、私は、いや……ボクは、どうすればその、男らしく、なれるんだ……?」
握る手が震えていたのを覚えている。エルクロの手はひんやりと冷たくて、細かった。ずっと怯えて不安げな声色だった。
今にしてみれば、だからガキ大将にイジメられていたのだろう。あのぐらいのワルガキはみんな女子が苦手で、男らしくも女らしくも考えることなくそれぞれが別々のグループで遊んでいたはずから。
「その、ボクは……男らしくなりたいって、思えたことが、いままでなくて、けど、彼みたいに……なれるなら、なりたいんだ」
“男らしく”。そんな言葉だけを力強く、顔を歪めながら言っていた。だけどエルクロはいつも何かに怯えていた。
夕方まで修行を共にしていても、少しでも家に遅れて帰ることを怖がっていて。帰り道でエルクロを脱がせようとしたクソガキが一人でもいたのなら背中に隠れて、ぎゅっと腕にしがみつかれて――。
「エルクロ、大丈夫です。俺は強いですからね。そ、それに兄弟子ですからね。何かあったら俺がまた絶対に守ってみせます。助けます」
そのたびに俺はそんな言葉を自慢げに豪語していた。
……数年もしたら武術は追いつかれて、魔力量は抜かされて、エルクロが万能者として才覚を伸ばすなか、俺は精々、剣を振るうことぐらいしかできなかったのに。
――ゆっくりと眼を開けた。
過去を振り返ると、ほんの少しだけ脳の霧が晴れるみたいだった。エルクロが男に戻ることに自分の意思や想いが介入されるべきじゃない。
エルクロは男らしくなりたいと願っていたから。
「俺がこんな場所まで逃げてどうしようってんですか……」
「本当そうだよぉ。おじさんすっごく探しちゃった。まるでトリュフを探すみたいにね。けど豚ちゃんと違っておじさんはギンロウを食べたりはしないよ?」
自問自答。……のはずだったのだが。気持ち悪い答えが返ってくる。空を見上げると、赤い羽が舞い落ちてくる。飄々とした態度でルロウが宙に立っていた。……否、抜け落ちていく羽を見て僅かに悲しそうだった。
「……何の要件ですか」
「トボけてるのかい? 今から戻らないと解呪が可能かどうかを直接聞けなくなるよ? 別に当事者だけがいればいい気もするけどさ。エルクロは呪術師嫌いがあるだろう? 君がいてあげなよ」
――――何かあったら俺がまた絶対に守ってみせます。
過去の言葉が胸をチクリと刺している。
(どうしたんだい? もしかしてボクが男に戻っちゃうのが嫌のかね? ふふ……)
きっとこの醜態を見られればそんな風に嘲るに違いない。エルクロは……俺が困っているのが好きだから。
「……すぐに戻ります」
動揺と焦りを押し隠して、ギンロウは滝に打たれるにをやめて立ち上がった。
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