力のない羽交い締め状態。ボクの体はギンロウに預けられていた。
今回のイラストは自作手書きだぞ。
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――――虎の体躯では空に文字を書けても、背中は上手く掻けないらしい。
ドラゴンを水洗いするみたいにシャワーを浴びせ、乾くまで数時間。
「ふふっ、見ろ。立派なモフモフができたぞ。ボクの努力の賜物だろう?」
微妙に野生の臭いがしていたのは昔の話。今は家猫の匂いに変わった。剛毛はしなやかに、深くまで手を埋めることだってできるまでに至った。
「それはいいのですが。エルクロ……その格好はなんですか?」
ギンロウが怪訝そうにボクの足元から頭のてっぺんまで見据えて、僅かに顔を逸らす。ユスティーツから貰ったスク水のことを言っているのだろう。
「服のままだとびしょ濡れになってしまうだろう? けど流石に全裸もまずいし、そういえばこんなものあったなぁって思い出して試したんだ。どうだ? 似合うか?」
顔が赤くなりかけて、ごまかすみたいに頬がつり上がった。
濡れた髪を少しだけ整え直して腰に両手を置いて胸を張って堂々と見せつける。
少し恥ずかしい格好ではあるが、ギンロウに指摘されるのは予想済みだった。我ながら完璧に可愛いのは水洗いの際に鏡で確認している。
けれど、こんな服装よりもよっぽど互いを曝け出したこともあるんだ。慌てることなんてない。……ボクはな。深く考なければ問題はない。
「その、似合いますが……。その格好であまりサンゲツをモフモフするのはやめませんか? さっき彼の本性も聞いたじゃないですか。これ以上味をしめたら手遅れになります」
「……ボクはモフモフを全身で満喫したいんだ。今は水吸って微妙だが。それにサンゲツも嫌ならボクのことを振りほどくだろう?」
顔を埋めた。密着して全身でモフモフに浸る。今のこの毛並みは王族貴族のペットにだって負けはしない。吸える。
「……いや、やっぱ駄目です。離れなさい」
ギンロウは苛立つみたいにボクを無理矢理掴むとサンゲツから引っ剥がした。
「なんだよ。何が問題なんだ」
鋭い眼差しが突き刺さっていた。威圧されて言葉が強張る。ギンロウは小さくため息を付くともどかしいように頭を掻いた。
「……喉を鳴らすサンゲツの姿を見たくないです」
険しい表情でギンロウは理由を口にしたけれど、……なぜだかそれを聞いても、納得しきれなかった。その理由の正当性に疑問があるわけじゃなくて、ただ……、言われると思った言葉じゃなくて、ジトリと見上げ睨み返す。
――ボクは何をしてるんだろう。困らせている自覚もあるのに、衝動的になって止まれなかった。
「エルクロ、追放された理由を――……これが追放? ……された理由を思い出してください。その格好であんなボディタッチはどうなんですか」
ギンロウは追放の定義に疑問を抱きながら正論をぶつけてくる。
「むぅ、今のボクらもなかなかだが?」
力のない羽交い締め状態。ボクの体はギンロウに預けられていた。こっちの方がよっぽど密着している。
足なんて、つま先しか地面に触れていなかった。
「ッ――。いや、これは」
ギンロウは反射的に腕を離した。身を任せていたせいで危うく頭を打ちかけたけど、慌てて手を掴み直されて強打することはなかった。
「……すみません。慌てました。けど、俺のこれは不可抗力です。エルクロ、考えてみてください。エルクロだって元男なのに女の子扱いされたら困るでしょう? サンゲツだって今は猫科動物に成り果てましたが動物扱いは――」
「……うぅむ。……たしかにあれは困ったな。その、……サウナのときだ。随分ボクを女の子扱いしてくれただろう? 別に…………否定はしないが。恥ずかしかったぞ。愉快ではあったが」
あのときのことが脳裏に浮かぶとどうしようもなく口角が吊り上がる。
鼓動が早まって、自分がこんな素振りをし続けても悪影響しかないってわかっているのに、……ずっとこうしていたくなる。
罪悪感と恥ずかしさと自己肯定感と……色んな醜いものがぐちゃぐちゃに混ざって、顔に熱がこみ上げて耳まで赤くなった。もうボクには無いモノを思い出しそうになって内股気味に適当な場所へ座り込む。
目が合ったまま離せなくなって、ギンロウと睨み合い、不意に静寂が張り詰める。
「…………」
ギンロウは固まったままいつまで経っても喋らなくなった。しばらく様子を見ていたが動く気配もなく、目の前で手を振っても微動だにしない。
「…………ギンロウが気絶しちゃったぞ」
「あの……二人ともずっとこんな感じなんですか? ただでさえ新入りでアウェーな環境でこんな状況に連れ込まれてワタシはどう対応するのが正解だったと思います? 獣畜生」
アズは辛辣な物言いでサンゲツに尋ねたが。サンゲツは虎の鳴き声だけをあげて答えをぼかしスルーした。
「こいつ……。都合のいいときだけ動物のフリしやがってます……」
わしゃわしゃと撫で回しながら睨みを効かせていく。鋭い睥睨はすぐにボクらにも向けられた。
「……エルクロさん。ワタシは下級とは言え天使なので長生きしています。なので忠告しておきますが。……親しければ親しいほど、男女の友情なんて成立しませんよ」
不意に告げられた真摯な言葉が胸を突き刺す。無意識に目が見開いた。
「……からかって誤魔化してたって、それぐらいは……ボクだって少しはわかっている。……ただ元の関係も捨てたくなくて、性別が変わっただけでどうしたらいいかわからなくなって、距離を置くのは嫌で。前みたいにふざけあっていたいし、その……」
自分勝手な都合でギンロウのことも、サンゲツのことも振り回してしまっている。
……良くないとはわかっていたが。それでもこうして距離を置くことを拒んでしまっている。――――ボクは酷い奴だな。
そんな自嘲が込み上げた。
「待ってください。そんな泣きそうにならないでください。ワタシただでさえアウェーなんです。新入りで、誘ってくれたエルクロさんに意地悪したいわけじゃないんです」
アズはあわあわと手を泳がせて、白い翼でボクの背を撫でた。眩く柔らかな羽根が触れると、そういう効力でもあるのか、不安や胸の痛みが和らいだ気がした。
「……ボクはどうすべきだと思う」
絞り出した問いかけに、黙って洗われていたサンゲツも文字を連ねていく。
『オレはこんな姿である以上責任は持たないが。好きにしたらいいと思う。命に支障が出ないならば、多少壊れたり変化はあっても、消えてなくなる関係でもあるまい』
「嘘をつくべきではありません。サンゲツさんが獣畜生になったのも、リーダーとしての責任や孤独など、そんな来歴が伴っているはずだからです。……本当はこういうことを言うのは天使ではなく司祭の役目なんですがね」
その司祭がしてくれたことはサンゲツにその場で嘘をつかせたことと、ボクにスク水をくれたことだけだ。
『――強いて言うならば、問題を矮小化すべきではない。たかが、と思えばそんなことに振り回される自分を嫌いになってしまうだろう。オレもそうだった。命をあずけた仲間が少女の姿になる“だけ”で異性として捉えるのか? ……そう悶々とした。――まるで獣ではないかとな』
「バカなボクの相談に天使と二人で真剣に答えてくれるうえに、発声しない部分をわざわざ文字に起こす獣なんていない。サンゲツはサンゲツだぞ」
虎の相貌は何を考えているかなんてわかりっこないが。サンゲツはカロロと、小さな鳴き声だけをあげて相槌を打った。
『運んでやれ。それが一番いいはずだ。ギンロウも思うことはあるはずだが、別に自己嫌悪は多少あれど、嬉しくないわけではないだろうからな』
すぐに頷いて背負い込んだ。
ギンロウの体は以前よりも重く感じる。ボクの筋力が落ちただけとも言う。
「この様子じゃギルドの連中を呼ぶのは明日朝一番だな」
鼻で笑って、気絶して起きる様子のないギンロウを彼の部屋に寝かせる。ボクも微睡みに着くことにした。
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