エルクロ、すっごく悪い笑顔だよ? 満更でもないみたいな……。潜在的生意気分からされ気質?
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「ふぁああ…………」
惰眠の微睡みから目覚め、欠伸を漏らすと少女の声がした。寝ぼけていると一瞬誰の声かと思いかけるが、ボクの声だった。
――見覚えのない天井。体を起こすと衣服と髪がぐちゃぐちゃに乱れている。
「…………んぁ、そうか。ここは寮ではないのか」
「あ、ようやく起きたの? 朝帰りで昼起きって……冒険者って冒険してないとき本当ダメ人間だよねぇ」
あどけない顔がボクを覗き込む。青い髪を分ける二本の竜角。すらりとした体を蠱惑に見せる際どい衣服。竜の尾が揺れるたびに布がめくれる。
「……ラジアか?」
まだ眠気が覚めなくて半信半疑に名前を呟くと、彼女は不満げに頬を膨らませて、容赦なく抱き着いた。
甘い匂いが頬ずりしながらボクの髪を撫で、腹部やら背中やら、そういうモンスターみたいに弄ってくる。指先が背筋をなぞる。
「んッふ……!? っ、ええい、起きた! もう起きた……! ボクはキミの部屋を借りたんだ!」
武具屋の看板娘で竜人種の少女は流れのままに手を引っ張ると、ボクの乱れまくった髪に櫛を入れていく。
「なんでこんなになるまで飲んじゃったの? まぁわたしとしては凄く美味しいぐらいだけどさぁ」
酔っ払った中年冒険者みたいな手つきで華奢な手が、ボクの貧相な胸を撫で触っていく。まぁ、触ってきているのは中年冒険者ではなく街一番の看板娘だ。むしろ問題はないぐらいだった。
「ッふ、待て。くすぐったい……し、鼻血が出ているぞ?」
「そ、そんな訳ないって!」
ラジアは顔を真っ赤にしながら手で血を拭う。慌ててボクを突っぱねながら、ぶんぶんと揺れる竜の尾が手首に巻き付いた。
「よし、髪もばっちし。私が着換えもさせたほうがぁいーい?」
ヘラヘラと冗談交じりに恍惚とした笑みを浮かべる。してもらえばいいのに、ボクはどうしようもなく寒気がして咄嗟に首を横に振った。
「他の服はどうするのさ」
「大丈夫だとも。適当に見繕うさ」
「むーん……絶対エルクロに似合うと思ったのにぃ。じゃあ私が着ちゃうからね!?」
そう言ってラジアは目の前で服を脱ぎだすと際どいスリットをした晋炎帝国婦人服を着ていく。
「どう? 可愛いでしょー!? あ、綺麗のほうがお姉さん的には嬉しいかなぁ?」
「…………ボクは一応、男だったが。その、目の前で着替えるのは恥ずかしくないのか? その恰好も」
途端にラジアの口が開いていく。尖った耳が朱に染まり、瞳孔を細め眼が見開く。
「な、……ッ! なんて恰好させるのさ」
「いや、自分で着たんだろう……」
恥ずかしがっていたが、結局ラジアは着換えることもなくそのままだった。赤く派手な布地の隙間から見える腿。文句なんて何一つない。
「エルクロぉ。どこか行くの? わたしも一緒に行きたいなぁ?」
むぎゅりと腕にしがみ付くラジア。
「仕事はどうした」
「親方にお願いしてみるよぉ」
腕を引っ張ったまま階段を下りて鍛冶場まで引きずられる。親方と目が合うと、彼はガランと音を立てて槌を足元に落とし、気まずいように硬直した。
「…………どうかしたのか?」
「い、いや。今まで女性だとは気づかずに採寸してすまなかった。…………もし責任を取れというなら俺は死力を尽くして至高の一品を造り上げる。そのために昨日既に、アトラス火山のダイアモンドも注文した。……そのときまで待ってて欲しい」
頭がこんがらったが。すぐに思い出せた。親方はラジアのことをずっと男だと勘違いしていたんだ。
しかし昼間から凄まじい発言だ。まるでプロポーズじゃないか。聞いてるこっちが恥ずかしい。
「……ラジア、どうするんだ?」
「なんで私に聞くのさ」
「どう考えてもキミが言われているからだろう」
「…………違くない? え、親方。今まで男扱いしてたの?」
「嗚呼。俺を罵ってくれて構わない。半裸にさせて採寸までしてしまった。酷い話だろう。何が親方だ。俺は男女を見分けることすらできない」
「私そんなことされてないよ?」
「……? そりゃラジア、お前は女だろ」
異様な困惑が静寂へと変わる。……親方はラジアの性別を間違えていない? なら話は……ああ!
「ボクのことだったのか!」
思わずポンと手を叩いて、物凄い険しい眼差しで睨むラジアから慌てて逃げたが。
慣れない上げ底靴にほんの数歩で躓いて追いつかれた。
工房の正面扉を押し倒すように外にべちゃりと飛び出す。
「あ、あんなになっちゃった親方を置いてどこに行くのさ!?」
「だってボクだって困るんだ! あんな真剣にあんなこと言われてたのに気づかなかった。ボクは一か月前に性別が変わっちゃったんだって言えと!?」
「そうだよ! 言えばいいの!」
「わ、わかった……。だが少し時間を置いてからでいいか?」
すぐに訂正すべきだ。分かっていたが、ボクはどうしてかそれが嫌だった。ラジアが怪訝そうにボクの顔を睨む。
「ぜーーったい、やめたほうがいいよ。隠し事するの……。それにエルクロ、すっごく悪い笑顔だよ? 満更でもないみたいな……。潜在的生意気分からされ気質? その、凄くえっち。私にちょっと雑魚とかざぁこ♡ って言ってみてくれない?」
心配するような楽しむような、そんな声色でラジアが手鏡を見せてくる。そこには、口角を吊り上げて頬を赤らめる少女の顔が映っていた。
「ッ……ま、まさか。そんな人をメスガキ呼ばわりしないでくれたまえ」
咄嗟に口元を押さえて表情を取り繕う。ドクンと、図星をつかれたみたいに強く跳ねる心臓。
親方の戸惑う様、ギンロウがボクを前に顔を真っ赤にする様子を不意に思い返して、隠しきれずに笑みが零れる。
「そんなことよりも……仕事だ。生活するだけなら一生遊んで暮らせるがボクが欲しいのは安寧じゃない。神秘と、強さだ。この体を戻すなり、この体に慣れるなり、どちらにしたって冒険者は冒険をしなければ体が訛るからな」
立ち上がって誤魔化すように小さくガッツポーズ。
……誤魔化す相手はラジアじゃない。皆が困っているのに、戻りたくないなんて思っている自分自身の……罪悪感だ。