表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Puppeteer  作者:
6/6

第六話 セーラー服とデスサイズ

 もうそろそろ日付も変わろうかという時刻。九重が依頼を請けた人物の自宅前に現れた娘は、紺色のセーラー服を着ていた。堅固な門扉を照らすライトが、少女の白い靴下や細い素足を更に眩しく見せている。人形めいた美少女を目の前にして、九重はしかし、力なく肩を落としていた。

「依頼手伝うっつーから来させたってのに、なんでセーラー服なんだよてめえはよ」

 呆れ果てた表情の九重は、溜息混じりにそう言った。椿は花の顔に眩しい程の笑顔を浮かべ、頭一つ分以上離れた九重の顔を見上げる。

「妹とでも言っておけば、依頼人に怪しまれないでしょ。あなたこそ何よ、松田優作みたいなかっこして」

「仕事に妹なんか連れて来ねえよ。大体、仕事中なんだからスーツだろ普通」

 見上げる少女の華奢な首は、今にも折れてしまいそうに見えた。九重はその美貌をうんざりと見下ろす。

「大体セーラーはねえだろ、歳考えろ歳」

「次年齢の事言ってご覧なさい。そのすかした頭が胴体と生き別れになるわよ」

 椿の目は笑っていなかった。九重は嫌そうに眉を顰めて溜息を吐く。

 心底嫌だ。これでは時限爆弾を抱えたまま仕事をしているようなものだ。しかし帰れと言う勇気も、九重にはなかった。そんな事を言ったら、また散々貶されるに違いない。全て、少しは仕事が楽になるだろうという安易な考えで、申し出を受けてしまった自分の落ち度ではあるのだが。

「それより、もう時間ね」

 九重から視線を外し、椿は辺りを見回す。薄暗い山中には、人影どころか猫の子一匹見当たらない。木々の隙間から月光が注ぐばかりで、静かなものだ。

「予告する窃盗団なんて、律儀でいいわね」

「良かねえだろ。……ん」

 九重が何かに気付いたように顔を上げる。その視線の先、木々の隙間を、影が横切ったように見えた。椿が鼻で笑う。

「入れないわよ」

 肌が粟立つ程強い気配に、九重は切れ長の目を細くする。睨む視線は、目前に広がる森を向いていた。

「手伝ってよね、あなたの依頼なんだから」

 椿の手には、いつの間にか身の丈ほどもある大鎌が握られていた。猫のように大きな目が、一瞬光る。しかし九重は門柱に背を預けたまま、一歩も動こうとはしなかった。

「俺は肉弾戦には向かねえんだよ」

「役立たずね。図体ばっかでかいくせに」

 淡く地上を照らしていた月が、雲に隠れた。途端に辺りは暗さを増し、明かりといえば門扉を照らす人工のそれのみとなる。それだけで周囲はかなりの明るさを保っているが、木々が作り出す闇との対比が、余計に不気味さを醸し出す。

「でかいのは身長だけだ」

 唐突に、椿が跳んだ。凡そ体重というものを感じさせない身軽さで、軽々と門扉を遥かに越える高さまで到達した椿の鎌が、空を切る。硬いものが折れたような嫌な音が、静寂に響いた。

「小さい男はダメよ。がっかりだわ」

 赤黒い液体が、雨のように上空から地面へ降り注ぐ。ローファーの底が立てる固い音と共に、椿は門柱の上に降り立つ。やや遅れて、九重の目の前に黒い塊が落ちてきた。地面に叩きつけられて嫌な音を立てたそれを無視し、九重は顔をしかめて椿を見上げる。

「何の話だよ。つーかお前、危ねえだろ」

 九重の足元には、胴体を真っ二つに分断された黒衣の男が倒れていた。それは最早、落ちていると言った方が正しいだろう。落下した際の衝撃で、手足は本来なら有り得ない方向に折れ曲がり、腹圧で零れ出た内臓が地面を這っている。

「あら、ごめんなさい」

 事も無げに答えた椿が、その場に屈んだ。森の中から飛んできた矢が彼女の頭上を通り過ぎて行くが、屋敷の敷地内へ入る寸前で見えない何かに弾かれ、またもや九重の横に落ちる。真横に落ちた矢を嫌そうな目で見た後、九重はスーツの内ポケットから煙草を取り出して火を点けた。

 更に弓矢が飛来する。門柱の上に立った椿目掛けて正確に繰り出されるそれはしかし、鎌の一閃で殆どが弾かれた。取りこぼしを飛び上がって避け、椿はそのまま森の中へ落下して行く。鎌の巨大な刃が、ライトを反射して一瞬光った。

 気だるげな仕草で煙草を吹かす九重の耳には、悲鳴だけが届いていた。己とは無関係だと言わんばかりにそれを聞き流し、袖を捲って時計を確認する。針はもうすぐ、十二時三十分を差そうとしていた。一人だったらもっと時間が掛かっていただろうと、九重は考える。

 九重一人いれば何もしなくとも、夜盗ぐらいなら防ぎきれる筈だった。防壁さえ張ってしまえば勝手に侵入を防いでくれるから、どうせ無頼の輩が屋敷内に立ち入る事は出来ない。攻撃は最大の防御とはよく言ったものだが、無駄な労力を消費する必要性も、九重には感じられなかった。

 しかしやると言われたら、断らないのが九重だ。己の負担が少しでも軽減されるのなら、それに越した事はない。それでいて、依頼人から貰える報酬は変わらない。最初の不安とは裏腹、これは楽でいいかも知れないと彼は内心ほくそ笑む。彼女を利用する訳ではないが、出来ればこの先も手伝って欲しいものだと考える。頼んだ所で動くような女ではないのだろうが。

 真っ暗な森の中から、慌てたような足音が近付いて来る。九重は身構えるでもなくそれを聞きながら、フィルターが焦げる寸前まで吸いきった煙草を地面に落として踏み消した。細く立ち上っていた煙が、完全に消える。

 足音と共に現れたのは、黒いボディスーツに身を包んだ男だった。ひどく慌てた様子で木々の間から出てきた男は、九重の姿を見つけて一瞬表情を曇らせたが、近付くにつれて彼に戦意がない事を理解したのだろう。爬虫類にも似た顔に歪な笑みを浮かべ、手にしたナイフを九重に向かって投げつけた。

 銀色に輝く刃先は、九重の胸目掛けて真っ直ぐに飛んで行く。走りながらこれほど正確に急所を狙う技術は大したものだが、しかし相手が悪かった。

 薄い唇の端が、僅かに吊り上がる。浅黒い顔に小ばかにしたような笑みが浮かぶとほぼ同時、鋭い刃は九重のスーツすら切る事が出来ないまま、見えない壁に弾かれて地面に落ちた。ナイフを投げた男の表情が九重とは対照的に、驚愕に歪む。

「志村、後ろ」

 にやけた表情の九重がそう言った瞬間、男の首に赤い線が走った。不思議そうに瞬きを繰り返す男の後ろで、セーラー服の死神が、冴えた色に輝く鎌を抱いて、笑った。

 男の首があるべき位置から徐々にずれて行き、胴から離れ、落ちた。切断面から鼓動に合わせてどくどくと溢れ出す血が、地面へ染み込んで行く。遅れて、糸の切れた操り人形のように、力の抜けた体が崩れ落ちた。

 周囲に静寂が戻る。九重は呆けた表情を浮かべた男の首を暫く眺めた後、顔を上げて椿に向き直る。もう、鎌は持っていなかった。どこへやったのか聞く事はしない。

「最後は、殺す必要あったか?」

 椿は不思議そうに首を傾げて、頬に付いた返り血を手の甲で拭う。人工の光に照らされた白い顔は、燐光を放っているように見えた。

 ふうん、と鼻を鳴らして、椿は足元に転がった胴体を、爪先で軽く蹴る。殺害する事も、死体も、恐らく死というものについてさえ、何とも思っていないようだった。九重はそれを空恐ろしいと感じはしたが、魔女であるなら当然だろうとも思う。

 それでも何故か、口を突いて出た。何故殺すのか。それは他愛ない疑問であったし、問われた方もその位は感じ取っていただろう。しかし椿は少しだけ、表情を硬くした。

「別に。いけなかった? あなた止めなかったじゃない」

 一直線に切り揃えられた長い黒髪が、夜風に靡いた。

「止めても聞かねえだろ」

「そういう後付けの言い訳みたいな理由付けられるの、嫌いなの。今ぽんと思っただけでしょう、違う?」

「違わねえけど」

 椿は顔を上げて九重を見ると、拍子抜けしたように肩を落とした。それからすぐに視線を逸らす。

「素直な人ね」

 椿は表情を見せなかった。感情の読み取りにくい美貌は風に靡いた髪に隠れ、九重からは見えなくなる。返答になっていないような気もしたが、指摘された通りだったので、九重はそれ以上何も聞かなかった。

「帰る」

 屋敷を囲むように張り巡らせていた防壁を解こうと振り返った瞬間、背後から声が掛けられる。怒ったような不満そうな声色に驚いて思わず肩越しに見た時にはもう、椿はいなかった。案外あっさりしたものだと、九重は考える。さて何を考えていたものかと思いはしたが、女心など分かりはしない。

 九重は軽く肩を竦め、足元に視線を遣る。地面には死体が放置されたままになっていた。恐らく森の中にはもっと大量に転がっているのだろうが、考えたくもない。

「……これ、どうするかな」

 ぼやきはしたが考えるのも面倒になって、九重は早々に思考を放棄して屋敷へ向き直った。どうにかなる。それで今日まで生きてきた。

 そしてどうにもならない事がこの世にはあるということを、彼はこの後知る事となる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ