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Puppeteer  作者:
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第三話 少女と少年

 事件の翌日、私は学校を休んだ。ずる休みした訳じゃない。あの場にいた生徒はショックを受けただろうから休んでもいいと、学校から連絡網が回って来たからだ。素直に休ませてはもらったものの、なんとなく、怪しくは思っている。

 昨日の放課後の事だった。クラスメートが一人、階段から落ちた。彼女の生死や怪我の状態まで、先生は言ってなかったようだけど、連絡網が回ってきたという事は、危ない状態なんだろう。ショックを受けたと言うなら、私もそうかも知れない。ただし皆とは、別の問題が原因なのだけど。

 私はちらっと、部屋の隅に視線を向けた。あの本。真っ黒な表紙の、ボロボロになった本。あれは一体、何なのだろう。何の本なのだろう。両親には言えなかった。相談してもきっと、信じてはくれないだろう。バカな事を言うなと一蹴されるのが落ちだ。

 怖い。

 私は頭まで布団を被り、ベッドの中に潜り込む。あんなの、ただの偶然に決まってる。でもどうして、こんなに気になってしまうんだろう。どうしてこんなに、恐ろしいんだろう。

 あの本が、私を見ている。本に目なんてない。本は読むものであって、見られるものじゃない。布団の中は安心出来る場所だと思っていたのに、今はどこにいても怖いような気がする。どこにいても、あの本に見られている。そんな気がする。

 いっそ、燃やしてしまおうか。そんな事をしたら、呪われそうだ。ただの本なのに。ただの本が、どうしてこんなに怖いのだろう。本に何が出来るというのだろう。

 私はそっと、布団の中から顔を出した。あの本は、変わらず部屋の隅にぽつんと置き去りになっている。本が独りでに歩く訳じゃないのだから、当たり前だ。なのに。

 壁際には、目一杯本が詰め込まれた書架が置いてある。私はこんなにも本が好きなのに、それなのにこんなにも、あの本が怖い。得体の知れない恐怖が、体中を侵食して行くような感覚。ぶるりと身震いして、私はもう一度、布団の中に潜り込んだ。

「怖いのかい?」

 心臓が跳ね上がった。両親は仕事に出ていていないし、私に兄弟はいない。少し高めの男の子の声は、間違いなく母の声でも父の声でもない。聞き覚えのない声だ。そしてその声は、すぐ近くから掛けられたもののような気がした。

 まさか、強盗? そう思いながら、私は布団の中で身を固くする。今この家には、私しかいないはず。それなのに、声は明らかにすぐ側から聞こえた。

 私がおかしくなっているんだろうか。恐怖のあまり、幻聴まで聞こえるようになってしまったんだろうか。もはや本に対する恐怖は薄れ、声の方を恐ろしく感じるようになっていた。

「怖がらなくて平気だよ」

 声は更に続ける。平気な訳がない、と私は思う。昨日から、変な事ばかり起きる。私が何をしたって言うんだろう。目立たないように、これ以上いじめられないように、静かに過ごしていたはずなのに。勉強だって真面目にしている。それなのに。

 でも、悲観していたって仕方がない。もし強盗だったら、私は殺されてしまうだろう。でも強盗なら、わざわざこんな風に話しかけては来ないはずだ。

 私はそっと布団から顔を出した。ベッドのすぐ側に、黒いシャツを着た人が立っている。おずおずと視線を上げて――私は、驚いた。

「ああ、やっと出てきた」

 黒い開襟シャツに黒いスラックスを穿いた黒ずくめの少年は、私に向かって微笑みかけた。男の子とは思えない程綺麗な顔をしている。薄い一重瞼と、アーモンド型の澄んだ目。髪も目も真っ黒なのに、肌は外人みたいに白かった。

 私は暫く見とれた。芸能人みたいだ、と思う。紙のように白い唇が開くのを見て、私は慌てて視線を逸らした。しかしその視線が本を捉えてしまい、私は咄嗟に一瞬、目を閉じた。

「本を拾ったんだね」

 柔らかい少年の声が紡いだ言葉に、私は思わず布団の端を握り締めた。本とはあの本の事だろうと、何故か直感する。それ以外には考えられない。

 少年は、それきり黙り込んだ。私の答えを待っているのだろうか。

 沈黙の間に、私はようやく落ち着きを取り戻し始めていた。そして、最初にするべきだった質問を思い出す。かなり混乱していたし、目の前の美少年に気後れしたけれど、私が何か言わない限り、彼は動かない気がした。

「……あなた誰? どこから入って来たの?」

 ようやく絞り出した質問は、自分でも今更だと呆れるようなものだった。元々口下手だし、混乱しているのだから、と自分に無意味な言い訳をする。

 質問した自分でも変だと思うような問いを投げかけられても、彼は微笑んでいるだけだった。私と同い年か少し下のように見えるけど、彼の物腰はかなり落ち着いている。

「僕はヨミ。宜しくね、真紀ちゃん」

「ヨミ、さん?」

「ヨミでいいよ」

 変な名前だと、私は思った。けれど同年代の子に名前を呼ばれた事と、呼び捨てでいいと言われた事が嬉しくて、そんな思いは吹き飛んだ。クラスメートはみんな私を名字で呼ぶし、私も呼び捨てなんかで呼んだ事はない。下の名前で私を呼ぶのは、両親ぐらいのものだ。

 それだけで私は、心の底から安堵した。何かが引っ掛かってもいたけれど、気のせいだろうと思う。

「あの本が怖い?」

 ヨミと名乗った少年は、更に問い掛けて来た。私は、今度は素直に頷く。本が恐ろしいと思ったのは事実だし、少年に対して感じていた警戒心も、既になくなっている。むしろ、どうしてあんなに警戒していたのか、今となっては分からない。ただの男の子じゃないか。突然現れたってだけのこと。

 ヨミは私から視線を逸らし、部屋の隅を見た。彼の目線の先には、黒い表紙の古ぼけた本が置き去りにされている。昨夜カバンから出した後、そのまま放置しておいてしまったものだ。

 私はあの本を、とてつもなく恐ろしいもののように感じていた。ついさっき、ヨミが現れる前までは。

「あれはね、キミにしか読めないんだよ」

 その時私は多分、とてつもなく変な顔をしただろう。はっとして顔を伏せたけれど、ヨミは本に近付いて行ってしまったので、表情を見られずに済んだ。

「どういう事?」

 私は布団に視線を落として俯いたまま、問い返す。ちゃんと聞こえただろうかと、不安になる。私は声が小さいから。

「そのままの意味だよ。待って、説明するね」

 同年代の男子にしては高めの声が、耳に届く。ちゃんと聞こえていたようで、私はほっとした。

 俯いたまま、視線だけを動かしてヨミを盗み見る。彼は本を拾い上げて、ベッドの側まで戻ってきた。私は俯かせていた顔を少し上げて、ヨミが持ってきた本を見る。

「これは忌み名の本」

「イミナ?」

 オウム返しに聞くと、ヨミは頷いた。

「忌み名はね、本当の名前。真名と言う。普段使う名前、通り名とは別に、昔は皆が持ってた。今でも一部の地域では、忌み名を付ける習慣があるよ」

「何の為に?」

「子供に言う事を聞かせる為さ。忌み名で呼ばれると、無条件で呼んだ人の言う事を聞いてしまう。だから忌み名を知っているのは、名前を付けた親だけなんだよ」

 私はヨミを見上げたまま、黙り込む。なんだか、オカルト的な話だ。怖い話は好きな方だけど、忌み名なんて、聞いた事がなかった。言う事を聞かせる為の名前なんて、本当にあるとは思えない。淀みない語り口で分かり易く説明されているはずなのに、頭の中が混乱する。

「現在の日本には、忌み名を付ける習慣がなくなってしまった。一部の地域では、まだ風習として残っているようだけどね」

 ヨミはそこで一呼吸置いて、手に持った本の表紙をぽんと軽く叩いた。

「だからこの本は、忌み名を持たない者に忌み名を与える本。同時に、忌み名を持つ者の名を知る本」

 言っている意味がわからなかった。どう答えていいのか分からず、私は意味もなく布団を見つめる。疑問は山ほどあるのに、投げかけようにもどうやって聞いたらいいのか分からない。黙り込んでいる内に、口の中が乾いて来てしまった。

 沈黙が辛い。黙っているなんて、いつもの事なのに、今日は何故か喋らなければならないような気がした。ヨミの視線を痛い程に感じ、顔が急激に熱くなってくる。このままじゃ、いけない。

「……どうして、私にしか読めないの?」

 やっと絞り出した声は、情けないほど掠れていた。とうとう耳まで熱くなってくる。私だって本当は、もっとはきはきと喋りたい。けれど、私は羞恥心が強すぎる。人前で喋る事も、人と一対一で喋る事も苦手だ。

「本がキミを選んだからさ。だからボクが、キミを迎えに来た」

「どうして?」

「ボク達にはこの本が、この本に書かれた内容が必要なんだ。でもこの本を読むには、キミの助けが要る」

 私は大いに戸惑った。俄かには信じがたいオカルト話を鵜呑みにしてしまっても、いいものだろうか。大体、助けると言っても、どうやって助ければいいんだろう。この本を読めばいいだけなんだろうか。

 そんな疑問が一瞬にして頭の中を駆け巡ったけれど、私は嬉しかった。誰かに助けを求められた事なんて、始めてだったから。何の取り柄も無い私に出来る事があるのなら、手伝いたいと思う。しかし本当に、私なんかが手伝えるんだろうか。

「何をすればいいの?」

「ボクが指定した名前のところを、読んでくれればいいだけだよ。ただしその時は、一緒についてきてもらわなくちゃいけない」

「どうして?」

「相手に聞こえないと意味がないからさ」

 会話している内に、頭が冷えてきた。同時に昨日のことが思い出される。背筋を寒気が走った。

「誰かに……言うの? それ、操るって事?」

 ヨミは静かに微笑んだまま、頷いた。その笑顔が恐ろしく感じられて、私は身を竦める。

「悪い奴を、捕まえたいんだ」

「悪い奴?」

「人殺しの魔女さ」

 魔女と聞いて私は、御伽噺に出て来るような、鷲鼻で目がぎょろりとした、黒いローブを着た老婆を想像する。

「魔女?」

 声が裏返ってしまった。ヨミは笑顔を崩さない。

「そう、魔女。いるんだよ、本当に」

 ヨミの口振りは、無条件に私を納得させてしまうほど、しっかりとしていた。彼の頭がおかしいとは到底思えない。けれどやっぱり、私は混乱していた。そんな童話にしか出てこないようなものをいると言われても、急には信じられない。

「今は、信じてくれなくてもいい。でもね、あの魔女は、確実にこの世を蝕もうとしているんだ。悪い奴がいるって事だけ、理解してくれればいいよ」

 ヨミは少し屈んで、私の顔を覗き込むように首を傾げた。思わず身を引く。

「分かってくれる?」

 私は呆然としたまま、頷いた。ヨミは笑みを深くして、私から離れる。心臓の音がうるさい。体中が痺れたように痛み、身動きが取れなくなっていた。

「ありがとう」

 私は痺れを取ろうと、拳をきつく握った。

「その人の名前は……」

 ヨミは表情を曇らせて、首を横に振った。

「わからない。魔女は名前を明かさないんだ。でも、その道で通じる名前なら知ってる」

「なんと言うの?」

 ヨミは再び、口元に笑みを浮かべた。私は思わず息を飲む。彼の一挙手一投足に、操られてしまっているような気分だった。

「肝喰い毒姫」

 その名前に私は再び寒気を覚え、唇を引き結んだ。

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