異世界トレイン
日常の文学シリーズ11(なろうラジオ大賞 投稿作品)
ホームに立って電車を待つ。目はスマホを見ていて、耳にはイヤホンをつけていたので電車の姿も見えず、アナウンスも聞こえなかった。だが振動と風が、電車が来ている事を感じさせた。
スマホから目を上げた。目の前の電車は徐々にスピードを落としてく。流れていく窓越しに見える座席には空きが多くあった。平日の真っ昼間だ。そもそも利用者が少ないのだろう。が、電車のスピードが遅くなっていくうちに僕は違和感を覚えた。空いているどころではない。車内には誰ももいなかった。
電車が完全に停車した。扉は開かず、車両は無人だった。そこで初めてホームの電光掲示板を見る。「回送」とあった。
納得し、僕は改めて目の前の車両を見た。
人がいないからか、扉の上についている画面は暗く、車内は電気がついていなかった。昼だったので、外からの光が電車の壁を照らしていた。
壁には様々な広告が出ている。天井からは吊り広告も出ていた。それぞれの広告は人の価値観に少しでも影響を与えようと、少しでもお金を使ってもらおうと、言葉やレイアウトなど、様々に意匠をこらしていた。
ある広告は脱毛をしない人間が悪であるかのように書いてある。
ある広告はその本を読めば運がよくなるかのように主張している。
ある広告は英語さえ話せれば人生が成功するかのように助言している。
ある広告は腹筋が割れれば自動的に人に愛されるかのように語っている。
普段なら皆が辟易するような内容だ。
しかし、電車には誰もいないので、誰にも見られることはなかった。
受け取る相手のいない広告達の主張それぞれが、誰にもぶつからずに反射し続ける。その様子は、ただ単に人がいないよりも強く無人であることを意識させた。電車全体が廃墟のような、どこか浮世離れした印象だった。
ふと、この車両が異世界に思えた。人がおらず、誰もいない世界で広告だけがある世界。導く相手がおらず、導いた先にも誰もいない。そうとはしらず広告達は脱毛を、啓発書を、英会話教材を、ジム通いを主張し続ける。そんな様子を想像し、僕はたまらない寂しさを感じた。
気が付くともう回送電車はどこかへ行ってしまった。すぐに次の電車がホームに到着する。僕は電車に乗って、扉に一番近いシートの端に座った。目の前には好きな作家の新刊の広告があった。
降りたら、買おうかな。